第6話 東の塔 入口
東の塔は森の中にある。
見上げるほどの大木がそこかしこに生えるこの森で、塔は見事に周囲に溶け込んでいた。塔自体に蔓性の植物がたくさん絡まり、一行はそこを何度も通過しているのに気がつかなかった。
始めに塔に気付いたのは勇者だ。「にゃあ!」と鳴きながらとてとてと塔へ歩み寄る先へと視線を向け、リリアたちは木だと思っていたものが塔だと漸く認識したのである。
塔の周囲をぐるりと回るが、入り口らしきものはどこにも見当たらない。
「まったく、数十年に一度入るって分かっているんだから外側だけでも整備しておいてくれても良さそうなのに」
皆で蔓を引き剥がしながら入口を探していると、フィンレイが愚痴を言った。杖を折らないように蔓と壁の間に差し込みながら入口を探す。セオドールも自分の剣を鞘から抜かず、同じように剥がしていった。
「国家予算をケチっているんだろう。ここの管理をするとなると人を置かなくてはならないし、周りは魔物だらけ。それなりに腕の立つ者でなければならないだろうな」
背負った勇者の剣を使うわけにもいかず、リリアはただ一人、素手で蔓と格闘していた。勇者の前足程の太さの蔓は見た目よりも頑丈だ。勇者は自分の背丈が届く範囲であぐあぐと噛んでいた。
「神殿の管轄で行われるべきではないでしょうか。前回の勇者召喚は地母神イアルスの神殿で行われましたので、あちらの怠慢だと思います」
「にゃあ?」
勇者が不思議そうな声を上げたのでリリアは手を止めてしゃがみ、勇者に目線を合わせる。
「天空神アイルと地母神イアルス。二柱の神によってこの国は支えられています。勇者様が召喚されたのは天空神の神殿で、魔物が強くなる時期を見計らって天空神と地母神の神殿で交互に勇者召喚が行われるのです」
「僕の師匠が討伐に参加したのは大体二十年前。今回とは違って地母神イアルスに仕える聖女が同行したらしいよ」
フィンレイも手を止めて勇者に説明を始めた。こうなるとセオドールも蔓を剥いでいくのを止め、勇者にこの世界の決まりごとを説き始める。一人で作業するの馬鹿馬鹿しいのではなく、この小さな勇者に必要な事だと自分に言い聞かせながら。
「四つの塔を廻り、最上階にある宝玉の間で神々に祈りを捧げてあらかじめ魔王の力を削いでおくんだ。これをしておかないと復活した魔王はとんでもなく強くなるらしい」
「ええ。そして祈りを捧げるのは聖女の仕事。魔王を倒すその時までお役目があるとされています」
リリアの受け答えを聞きながら、セオドールはふと疑問を口にした。
「そう言えば、前回の聖女は誰と結婚したんだ?」
「勇者は行方不明、聖女は魔王を倒すのとほとんど同時に命を落とし、騎士や魔術師などの他の仲間が生きて国に戻ってきたんだ。その騎士が君の父親だろ?何も聞いていないのか」
「聞こうとすると嫌な顔をされる。不思議に思っていたが今の話で合点がいった。きっと辛い記憶として残っているんだろう」
フィンレイの答えに頷くセオドール。
リリアは話を聞きながら神殿の聖女教育を思い出す。四つの塔を頂上まで登る事や魔王を倒す事しか教えてもらえず、特定の勇者や聖女たちのその後を教えてもらうことや、記した書物なども全く無かった。
時の権力者に利用されることを恐れて秘匿されたのだとばかり思っていたが、そのような結末もあるのだと初めて知った。
―――聖女は勇者と結ばれて、末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし―――
子供の頃から信じてきた物語がほんの少しだけ揺らぐ。歴史書などの信憑性のある書物ではなく、時代や名前をほんのりぼかした絵本に書かれていた、お決まりの文句だ。
それでも前に進まないわけにはいかないリリアは、すくと立ち上がって蔓に手をかける。
「皆が幸せになる為にも、頑張りましょ……痛っ」
チクリとした痛みを感じて指先を見ると、とげが刺さっていた。簡単に取れるものだったが気分は少し落ち込む。負けるものかとリリアはキッと塔を見上げると、フィンレイたちに提案をした。
「蔓ごと燃やしたらどうでしょうか。中にいる魔物も蒸し焼きに出来て一石二鳥だと思うのですが」
「ちょっと待って!中に人がいるんだからそんな物騒なこと止めてよね」
甲高い声がどこからか聞こえる。互いに顔を見合わせた後に、きょろきょろと辺りを見回すが声の主がどこにいるのか分からなかった。
「おーい、ここだよー。上だよ上ー」
リリアたちが数歩後ろへ下がって上を見上げると、塔の窓から首を出して手を振っている少女がいた。声の質から女性とリリアは判断したが、髪も短く体も細くて少年と見間違えてしまいそうだ。
「ここから入ることはできるよ」
その少女が、うねりながら伸びる蔓を指さしながら叫ぶ。確かに周囲よりも一段と太い蔓が窓付近まで伸びているが、途中で細くなったりと上るには心許ない。
「蔓を上って行けと言うのか」
「僕は無理。セオドールも鎧だから無理でしょ。リリアは木のぼりは?」
「したことありません。神殿の中庭にある木は天を支えると言われる神聖な物でしたから。勇者様は?」
リリアの問いにセオドールが呆れて反論した。
「リリア、猫なんだから木登りくらい当たり前にするだろう。いちいち聞くな」
「でも勇者だけが入るのも危ないよね……ん?」
勇者は意を決して、手近な蔓からよじよじと上った。慎重に一歩ずつ、爪を立てながら一生懸命に。猫にしてはぎこちないその動きをハラハラしながら見守る一同。
やがてリリアの胸当たりの高さまで登ったところで、周囲に足場になりそうな太い蔓は無くなった。ほんの少しジャンプすれば手の届きそうな細い蔓があるが、どうにも進めなくなり耳を伏せて震えながら「にゃー……」とギブアップする。
リリアは蔓の上から勇者を抱き下ろし、柔らかな背を撫でながらセオドールを睨む。
「木登りの出来ない猫もいるのです。出来て当たり前は相手を追い込みます」
「済まなかった、勇者。誰にでも苦手はあるもんな。気にするな」
リリアに抱かれたままの勇者の頭を撫でながらセオドールは謝った。フィンレイはため息をつきながらぽそりと呟く。
「木登りも出来ない猫が果たして魔王を倒せるのかな」
「おーい。まだ登ってこないのー?」
空気を読まない少女の呑気な声が上から降ってくる。本来ならば率先して行動するはずの勇者が猫な上に、塔に入る時点で足止めを食らっているセオドール達の癇に障った。
「不法侵入じゃないのか?一応国の重要な施設だろ。だから管理が必要なのに」
「やっぱり燃やすか」
フィンレイが呪文も無しに手のひらの上に小さな火をともすと、少女が焦った声で叫びながらするすると蔓を伝って器用に降りてきた。
「待ってって言ってるでしょーっ!」
短剣を腰に差し、荷物も革ベルトに付けた小さなポシェット一つとかなりの軽装だ。髪は栗色で極短く、服装も動きやすそうな格好をしている。
「入口ならそこだよ。開けようとしてもびくともしないけれどね」
少女の指差した先には、蔦に紛れながらも人一人が立って入れるほどの大きさの形に溝が刻まれていた。中央には蒼い石がはめ込まれている。
「聖女でないと入ることも出来ないのは当たり前じゃないか。リリア」
「はい」
リリアは石に手をかざしながら、祈りの文句を唱えた。
「天空神アイルに仕えし聖女リリアが願う。閉ざされし道よ、開け」
溝にそって壁がふっと消え、暗い塔の中が見えた。
少女は頭上で拍手したり、リリアの周囲を廻ったりと全身を使って大げさに喚きたつ。
「おおーっ、開いた!今の、魔法?すごいすごい!」
喜ぶ少女に、リリアは誇らしげに胸を張る。久しぶりに賞賛される声を聞いたので、得意げになった。
実に十年ぶりだ。苦みの多い野菜を涙ながらに完食して神官長に褒められて以来だ。神官長との良い思い出が蘇った事で、実は魔王ではないのかもしれないと僅かながらに考えを改めたリリアだった。
「塔の扉を開くこの魔法は、勇者召喚を成し遂げた聖女にしか使えないものなのです」
「へ、勇者?」
「ええ。わたくしの名前はリリア。天空神アイルに仕えし巫女でしたが厳しい研鑽の末、先日見事に勇者様を召喚いたしました。たゆまぬ努力を続け、信仰心の篤いわたくしの呼びかけに天空神が答えて下さったのです。勇者様が御身をこの世界に現された時、私は―――」
リリアの言葉の途中から、少女はセオドールに視線を移して聞いた。
「あんたが勇者?」
「いや、違う。俺はセオドール・リヴァーモア。騎士をやってる」
「僕はフィンレイ・アディントン。魔術師だよ」
フィンレイが聞かれる前に先回りして答える。一行をもう一通り見回した後に、視線を足元の黒い猫へと移した少女。
「もしかしてこの子が、勇者?」
「にゃ」
ケイはしゃがみ込んで返事をする勇者を観察した。毛並みは黒くて艶やか。日の光を受けて瞳孔が細められた、複雑な色合いのヘイゼルの瞳。
尻尾が二股に分かれていたり、蝙蝠の羽が付いているでもない、正真正銘の黒猫であることを確認してから少女はセオドールに問うた。
「普通の猫に見えるけど?」
「だよねぇ。それが普通の反応だ」
「気持ちは分からないでもない」
「誰が何と言おうと勇者様です」
フィンレイは肩を竦め、セオドールは苦笑いをし、リリアは誰も聞いていない演説を止めてきっぱりと断言した。
「あ、ええっと……うん。そう言う事もあるかもしれないよね」
何度か口を開いたり閉じたりした後に、少女は気を遣いながらためらいがちに事実を受け入れた。可哀想なものを見る様な視線に耐え切れなくなったセオドールは話題を変える。
「ところで君はここで何をしていたんだ?」
「あたしの名前はケイ。冒険者の職業として盗賊をやっているよ」
「盗賊……」
リリアは思わず反芻した。賊と名前の付く者は悪人である。神殿に盗みに入った盗賊たちもいて、なんて罰当たりなと憤慨したこともある。神官長によってお仕置きが為された時は気持ちも収まったが、その時の記憶をたどるとやっぱり魔王かもしれないとの考えも浮上した。
「リリア、飽く迄冒険者としての、だ。ダンジョンのお宝を集めたり、他の仲間の為に罠を外したりする仕事であって、盗みを働いているわけではない」
「それは、神官長から聞いた事があります、けれど……」
「あ、良いんだ良いんだ。気にしないで。やっぱり理解していても初対面で抵抗ある人はいるよ。これからじっくり付き合って仲良くしてもらえば分かるから」
ケイがひらひらと手を振った。
「一緒に入るつもりなのか?」
「当然でしょ。旅は道連れってね。案内するよ、勇者様」
ケイが勇者を撫でようとするとリリアが凄い剣幕で怒った。
「気安く触らないでください!」
リリアの剣幕に驚いたケイは反射的にびくっと首を竦め、思わずリリアを見た。
リリアは迷う。ここで召喚時に見た人影を話せばフィンレイやセオドールが魔王の手のものだった場合、勇者に危険が及ぶ。
そしてそれはケイも同じだ。結界の外からの魔術だった場合、魔族ならここからでも攻撃できそうだ。
「私達より先に塔の中にいた者が、魔王の手先ではない証拠を見せてもらえますか」
「疑ってるの?」
「リリアが言うのも一理あるな。モンスターのはびこる塔に一人でいたのも怪しい」
「モンスターなんていなかったよ。お宝も無かったけれど」
「そう言っておけば盗った事を隠せるもんね」
フィンレイの言い草に流石のケイもむっとしたようだった。
「私が魔族だったら、あんたたちが呑気に入口探している間に塔の上から攻撃してるけど。ナイフを投げたら鈍くさそうなあんたなんか避けれないでしょ」
ケイは早口でまくしたてた。明らかにリリアを敵視して皮肉を言っている。が、リリアには通じなかった。
「ええ、その通りです。どうやらこの方は人間のようですね」
「えっ、それでいいのか?リリアは」
「はい。聖女であるわたくしが死ねば他の四つの塔は正攻法で上れないでしょうし、魔王の力が削がれることもありません。次の勇者召喚までは間が空いてしまいますから魔族にとって良い事だらけです」
知能の低いモンスターと違い、頭の良い魔族ならば聖女を真っ先に狙う。聖女教育の中で何度も繰り返し叩き込まれた事で、だからこそ日々の努力と覚悟と判断力が必要だった。
「では改めて塔の中へ入りましょうか」
「あ、待って。盗賊が一番最初に入るべき―――ってリリア、前!」
止めようとしたケイが手を伸ばすが時すでに遅し。リリアは顔面を壁に強打してしまい、目の前に星が散ったかのように見えた。思わず顔を抑えてしゃがみ込むと、勇者の気遣わしげな「にゃあ」という鳴き声が聞こえた。
皆で話している間に、入り口は既に閉じていた。
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