第5話 初めての街歩きと森歩き

 宿屋のおかみからもらった水を水筒に入れ、チェックアウトした後にリリアたちは街の中心部にある両替商へと来ていた。昨夜泊まった宿屋の周りは地面がむき出しになっていたが、その辺りと違って道が舗装されていたり、街頭が一定間隔で取り付けられていたりと整備がきちんとなされていた。


 紋章付きの高級馬車が行きかっている大道路を歩く。

 道の両側にはドレスなどの高級仕立て屋や宝飾店などが立ち並び、歩いている者も姿勢が美しく、見栄えのする服装ばかり。宿屋の周囲でもそうだったが神殿の様に決められた服装ではなく、思い思いに自由なものを着ているのはリリアにとって新鮮だった。

 神殿のある王都にも似たような場所はあるのだが、それらを見ることもなく出てきてしまった勇者とリリアは同じようにおのぼりさんと化している。


 セオドールが先導し、よそ見ばかりしている一人と一匹を間にはさみ、後ろからむすっとした顔のフィンレイが付いて歩く。師匠も、そして自分も扱えない魔法を知っているリリアを監視するように。


「こっちだ」


 セオドールは、石造りの頑丈な建物に入っていく。店の中には窓口がいくつも並んでいるが、開店直後とあって客はリリア達だけだった。

 営業用の笑みを張り付けた受付嬢が声を掛ける。


「いらっしゃいませ。どのようなご用でしょうか」

「両替を頼みたい、リリア」

「あ、はい」


 リリアは促されて窓口に立ち、財布から金貨を差し出す。慣れないのと、もう一度失敗を犯さないかが不安で指先は震えた。


「これを銅貨と銀貨に変えてほしいのですが―――」

「銀貨九十九枚と銅貨百枚ですね。手数料として銅貨一枚頂きますので九十九枚になりますが、よろしいでしょうか」


 銅貨百枚が銀貨一枚分。銀貨百枚が金貨一枚分。知識としては見についていた常識だが、いざ実践するとなるとうまく扱えない。

 五枚を持てば住むと思って持って来た金貨が、一気に二百枚近くの銅貨と銀貨になってしまう。


「お財布に入りませんね。セオドール達はどれくらい持っているんですか?」

「本来なら合わせて二十枚程度の所持で足りるからな。国からもらった支度金を口座に預けて、必要分だけ下ろすようにしている」

「大金を持っていると賊に奪われる可能性だってあるからね。リリアもそうしなよ」


 フィンレイにも勧められるが、昨日お金を使うのが初めての―――実際には結局支払わなかったが―――リリアは預金の仕組みがいまいちよく分からなかった。

 迷っている間にも受付嬢に声を掛けられる。


「口座をお作りしましょうか?」

「はい、お願いします」


 だが、セオドールとフィンレイが勧めるなら良いものだろうと思い、返事をする。二人が魔王の手先かもしれないと言う疑いはこの時リリアの頭からすっぽり抜けていた。

 書類に記入して金貨三枚と銀貨と銅貨を八十枚ずつ預け、下ろす時に使う割符を受け取る。手元には金貨一枚と銀貨と銅貨が十九枚ずつ。財布は膨れているが、その場で銅貨を六枚取り出してセオドールに渡す。


「セオドール、お借りしていた銅貨六枚です」

「いや、宿代は銅貨六枚だけど夕食と朝食、勇者の分とあわせて銅貨八枚取られた。全部で十四枚だ」

「分かりました」


 勇者の分は三人で分けるべきなのだが、支度金を金貨一枚しかもらえなかったセオドールは、金貨を五枚も持っていたリリアから何の疑問も持たずに徴収した。


 リリアは財布の中を覗き込む。銀貨は十九枚あるけれど、銅貨は五枚となってしまった。細かいものを買うには心許ない。下ろすべきかどうか迷いながら、預金の仕組みの分からないリリアは疑問を口にした。


「お金が必要な度にこの町に戻ってくるのですか?」

「いや、他の街でも下ろせるよ。けど……」

「食料の準備をこれからするのに、銀貨で払うつもり?また九十枚近くの銅貨をお釣りで受けとることになるよ」


 フィンレイに皮肉を言われてリリアはあわてて窓口に戻り、銅貨二十枚ほどを引き落とした。


 高級店が立ち並ぶ一角から場所を移し、次は雑貨屋の品物を物色する。旅の準備をするためだ。


 昨日の昼は神殿から持ち出した食料と水を道中に消費した。クッキーの様な携帯食料で、セオドールとフィンレイも同じものだった。どちらも旅をするには欠かせないものだが、街や村など、大抵は歩いて一日分程度しか離れていない。割と同じようなものがどこでも売っているので、道に迷うことなどを考えても二日、六食分買っておけば事足りる。


 買い物をするのが初めてのリリアはセオドールの行動を参考にした。商品を棚から取り、店主のいるカウンターへ持って行き、支払いをする。失敗しないよう行動をなぞるようにして、まず自分の欲しいものを探した。


 リリアは棚に同じような包みを見つけて、手に取ろうとする。よく見ると色違いの物がいくつか並べられていた。


「チーズ味、野菜味、果物味に豆味、魚味……?」


 神殿内で用意された物はチーズ味だけだったので、豊富な種類に目移りするリリア。手を伸ばしては引っ込めるを繰り返す内に、足元の黒い毛玉が視界に入った。


「勇者様の分はどうしましょうか」

「その辺の虫でも食べさせておけばいいんじゃないの?」

「にゃーーーーっっ!にゃあ、うにゃあーー」


 勇者はフィンレイの足元へたしたしと猫パンチを繰り出して、不満を訴えている。

 それを見たリリアはきりっとした顔で勇者の感情を伝えた。


「怒っていらっしゃいます」

「見ればわかるよ、店主、これは猫が食べても問題ない物か?」

「へえ、貴族が飼い猫に与えると言う話も聞いているんで大丈夫だと思います」


 騎士であるセオドールは聞いた事が無いが、それならと頷いた。フィンレイが勇者にちょっかいを出す。


「懐いているんだからリリアが少し多めに買って分け与えればいいんじゃないの?って痛っ、爪を立てるなよ」

「そうですね。では勇者様の為に魚味を選びましょう」


 フィンレイとセオドールは微妙な顔をした。魚味は罰ゲームや嫌がらせに使うものだ。騎士団や魔術師団の遠征訓練で食料として用意された時、出遅れると最後に残った魚味を選ばざるを得なくなる。これを食べるくらいなら空腹に耐え忍ぶ方を選ぶ者が多い程、禁断の味だ。

 ほのかに香る、生臭さ。口にした事がある二人は、けれどもリリアを止めない。


「ああ、良いんじゃないか?勇者は喜ぶだろう」

「そうだね。僕はちょっと余分に買っておこうっと」


 と、表情を変えずにのうのうと言い放った。


 リリアは今度こそ初めての会計を済ませる。あまりにそわそわしていたので店主は怪訝そうな顔を向け、更に選んだ商品を見てギョッとした。「銅貨三枚だ」と辛うじて言えたが、リリアが貨幣をカウンターに置いた後も動きはぎくしゃくしていた。

 セオドールの行動を真似たつもりが、何か違っていたのかとリリアは不安になった。


「あの、お会計、間違ってますか?」

「ああ、いや、問題ない。罰ゲームか何かなのか?」

「え、いいえ違いますけれど」

「そうか……ま、好みは人それぞれだもんな。毎度ありぃ」


 店主の不思議な態度にリリアは首を傾げながら買い物を済ませた。






 東の塔はロージアンよりも更に東、鬱蒼と茂る森の中にある。手前は若木が多いが、東の方へと進むに連れて巨木が増えていた。道らしい道はほとんど無かったが、下草などは少なく歩きやすかった。

 東、と言うことでフィンレイが師匠から贈られた方位磁石を確認しつつ一行は進む。


 聞き慣れない鳥の声。図鑑でしか見た事の無い虫。歪な形の木。何もかもが新鮮に見えるリリアは森の中でもあちこちを見ながら歩いた。


 目の前にひゅっと蛇が落ちてきて勇者が「み」と短い声を上げる。一瞬にして全身の毛が逆立たせながら、慌てて後ろへ一歩下がった。お互いに牙をむき出しにしてシャーっと威嚇しあう。蛇も細く短いもので、リリアは見ていて恐怖を感じるよりは可愛いと思ってしまうくらいだ。


「大丈夫です、勇者様。これはただの蛇です」


 セオドールが木の枝を使って蛇を投げ飛ばす。蛇はこちらへやり返すこともなく森の奥へと逃げて行った。

 落ち着いた勇者が不思議そうな声を出しながら、リリアを見上げる。


「うにゃあ?」

「動物が魔力を持って変化したものがモンスターです」

「で、そのモンスターが更に進化して人型になったのが魔族」

「見分け方は瞳の色だな。まんまるウサギも怒った時に赤くなっただろ」


 口々に勇者にこの世界の常識を説明しながら森歩きをする。異世界から来た勇者との一番の壁は、常識の齟齬だと三人とも教わっていた。

 勇者が疑問に思っていることを言葉にできれば良いが、あいにくと勇者は猫。どのような事で引っ掛かりを覚えるのか分からないので、とりあえず声を出した時は前後の会話から細かく説明するように努めた。



 再び東を目指して歩き出した一行に、蛇を投げ飛ばした方角から恐ろしく早く這う者が近づいてくる。

 最初に気付いたのは背の高い分だけ遠くまで見えるセオドールだった。


「敵だっ」


 と一声かければフィンレイが間髪入れずに杖を振り、氷の矢を複数飛ばした。だが、這う者の背はそれを弾き飛ばしながら速度を上げる。


「ごめん、来るよっ!」


 目を凝らして敵を補足しようとしていたリリアも、身構え始める。


 獣の様に毛の生えたワニのようなそれは、目の色を赤く染めていた。狙いが小さな勇者に定まると、口を大きく開けながら突進してくる。


 開いた口めがけてセオドールが横なぎに剣を振るうが、口角の端に届く前にワニは素早く口を閉じた。ガキンと金属の音が響く。その間にも縦長の瞳孔はねっとりと勇者を追い、気分を害した勇者は爪を立てて引っ掻くが、眼球から血がしたたり落ちてもワニの口から剣は離されなかった。


「くっ、離せっっ!」


 両手で柄を引き抜こうとも捻って回そうとも全く動かない剣をセオドールも手放せない。放した途端に、剣を味方のいる方へと放り投げられる恐れがあるからだ。


「勇者様っ、こちらへ」


 リリアは勇者を肩に乗せながら、ワニの目と目の間に拳骨をお見舞いする。目を回したワニは口をわずかに開き、その隙にセオドールは剣を引きぬいた。


 器用にもワニは後ろへ数歩下がり、勇者を視界に入れる。


 リリアごと勇者を襲おうともう一度大きく口を開けた瞬間、今度はフィンレイが雷魔法を口の中へと放つ。天空神の名を取り入れた正式な呪文を使った魔法は、魔力をため込んで核となった心臓を貫いた。

 一瞬遅れて勇者を抱えたリリアの防御魔法が発動する。


 ワニはびくびくと痙攣していたが、セオドールが上から串刺しにしてとどめを刺すと、やがて動かなくなった。

 リリア達も警戒を解き、肩の力を抜く。フィンレイは一人、今回の戦闘の反省をリリア達に促した。


「リリア、魔法遅い。やばいと思ったら初めから使って。セオドールが片手で剣を持ちながら拳骨でも良かったよね。勇者は勝てないと思ったらとっとと逃げて」

「もっと言えば口を開けさせないように始めに上から貫けばよかった、だな」

「私はワニさんが来る前に勇者様に魔法を施しておくべきでした」

「にゃーぁ」


 セオドールとリリアとついでに勇者の間の抜けた答えに、フィンレイはきょとんとした。自分は至極まっとうな事を言っているつもりでも、顔をしかめて離れていく連中は多い。影で師匠に似て偏屈だと揶揄する者も多く、素直に助言を聞き入れてもらえるのは初めてだった。


「怒らないの?嫌味だとか言われるのに」

「冷静な魔術師殿が的確な判断をしてくれたのに、何を怒ることがある。しかし動けないもんだな。まんまるウサギの時の様に勇者を気にするには、少し強い相手だったか」

「なーう」


 言い訳するなとも、人のせいにするなとも取れる勇者の低い声にセオドールは笑った。釣られてリリアも笑い、フィンレイも少しだけ口元をほころばせる。


「リザードウルフ。動きも習性もほとんどワニだけど、水辺でなくても出現するから気を付けて」


 自然と、仲間を気遣う言葉が出ていた。

 少しの休憩の後、一行は東の塔へと向かい始める。



 ロージアンを出発してから小一時間。太陽は少しずつ高度を上げているが、まだ、てっぺんに達していない。

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