第4話 初めての宿泊

 日も暮れてから一行は東の塔の手前にある街、ロージアンに着いた。


「一泊で銅貨六枚、三人で十八枚。前払いだよ。一緒の部屋で構わないね」

「おかみ、この宿屋は猫も泊まれるだろうか」


 猫なんぞ泊められるか、と断られ続けてここが三件目だ。店番をしている少々太り気味の愛想のないおかみは、リリア達の足元にいる勇者をじろりと睨んだ。

 勇者はまんまるウサギを前にした時よりも緊張しながら、おかみを見つめ返す。

 やがておかみはため息をつきながら答えた。


「……他の客に迷惑をかけなきゃ構わないよ。出来るだけ部屋から出さないようにしな」

「有り難い」

「あの、セオドール様。宿屋に泊るのは初めてなので、私が支払いをしても良いでしょうか」


 宿屋に泊るどころか買い物もした事の無いリリアが、意を決したような顔で財布を握りしめて立っているので、セオドールは無言で譲った。


「あのう、これで足りますでしょうか」


 リリアがそっと財布から出したのは金貨。貴族でも利用できる高級な宿屋でも銀貨で足り、繁華街にほど近いこの安普請の宿屋は一泊当たり食事なしで銅貨六枚だった。

 差し出されたおかみの顔が引きつる。


「こんなもの出されたって釣りが出せるわけないだろう。馬鹿にしてんのかい」

「す、済まない、おかみ。リリア、私が払うから」


 あたふたとセオドールがリリアに金貨を突き返して支払いを済ませ、部屋の鍵を受け取った。


「六号室。二階を右に行った突き当りだ」


 何もしてないフィンレイが呆れてハァと短くため息をつく。

 部屋に着くなり、勇者は窓の近くで丸まって寝てしまった。初めての戦闘で体力をかなり消耗していたようだとリリアが判断し、疲労回復の魔術をこっそり描ける。魔物を恐れず動けていたので、そのまま先へ進もうと三人の見解は一致した。


「リリア、もしかして金貨しか持ってきていないのか」

「ええ、五枚ほど持っていれば足りなくなることはないとノエルから聞きました。細かいものを持っていると重たいからと」


 ノエルもワンダも買い物をした経験は無い。貨幣価値は神官長から教わっているが、支払いのやり取りをした事が無いので、値段に見合った貨幣を渡してお釣りをもらうと言う概念が無かった。


「小銭が無いと困るのは今日の事で理解したな?」

「はい……あの、これからどうすればよいでしょうか」

「明日、両替商へ行って細かくするまで俺が立て替えておこう」

「お願いします」





 宿屋の二階から眺める風景はリリアが初めて見たものだ。暗がりの中、明かりもつけずに眺めている。

 少し離れた場所には飲み屋が並んでいるのか、街の灯が連なっていた。酔っ払いが笑う声、空瓶か何かを蹴飛ばす音、薄暗い路地にもなんらかの生き物の気配がしていて、硬く冷たい神殿とは大違いだ。

 暖かい世界に飛び出したはずなのに、今のリリアは一人。傍で勇者が寝ているが、寂しくてつい独り言が出る。


「活気がありますね。神殿の外がこんなに賑やかだなんて初めて知りました」


 にゃっと声がしてそちらを見れば、いつの間にか目覚めた勇者が出窓のへりに佇んでいてリリアと同じように窓の外を見ている。

 幽かに差し込む月明かりを受けた姿は、品があり気高さを感じる。黒くて美しい生き物だとリリアは改めて思った。


「セオドア様とフィンレイ様は出かけられたようです。わたくしは勇者様のお傍に居るようにと言われました。この宿屋では食事もとれるようですので、行きましょうか」


 おそらく二人は繁華街の方へと出かけたのであろう。生粋の神殿育ちであるリリアが知らないような場所なのかもしれない。

 置いて行かれたリリアが夕食を取ろうと勇者と共に階下に降りると、おかみに止められた。


「悪いけれど猫は食堂に入れないでおくれ。あんた一人かい?あの二人は?」

「ええと、置いて行かれました」

「……部屋へ持っていくから、ちょっと待ってな」


 おかみの言う通り勇者とリリアは部屋へと戻った。暫くするとドアをノックされ、出てみると食事を運んできたおかみが居た。


「食事を持ってき―――明かりもつけないで何やってんだい」

「すみません、今まで使っていたものと全く違うのでつけ方が分からないのです」


 神殿の明かりは暗くなると自動的に灯る。寮の三人部屋は明かりの近くにスイッチが付いていた。

 小さなテーブルにカンテラが置いてあり、おかみがマッチで火をつけて天上から垂れさがっている棒に引っ掛ける。


「なるほど、炎を灯せばいいのですね」

「寝る前にはここに息を吹きかけて消すんだ」


 マッチの使い方が一瞬過ぎてリリアには分からなかったので、次につける機会があれば魔法で灯そうと考えた。


「ほら、こっちはあんたの分」


 おかみは律儀に勇者の分まで食事を用意していた。がふがふがふと勢いよく勇者ががっつくとおかみがじろりと睨んだので、尻尾を下げてもそもそと食べるようになった。


「あの、それで代金なのですが」

「ああ、明日の朝あの二人からもらうからいいよ。……どうしてあんたみたいなお嬢さんが旅をしているのか知らないが、早く家に帰った方が良い」


 差し出された金貨や丁寧な物言い、世間知らずの程度などからおかみはリリアを貴族や商家の令嬢と判断していた。リリアは力なく首を振る。


「帰れません。二度と、帰れないのです」


 異世界から突然呼ばれた勇者を前にして、弱音など吐けるわけが無かった。それでなくとも聖女になれたのは名誉だ。ワンダとノエルを思うと帰りたいとは言えない。


 わけありだと察したおかみは旅をする上で気を付ける事を上げていった。


「大金を持ち歩いていることを周囲に知られないようにする事。寝る時は部屋に鍵をかけること。知らない人に声をかけられてもついて行かないこと。あの二人も忠実な侍従ではないみたいだからね。裏切られるようなら全力で抵抗しな。何ならここまで逃げて来たっていい」

「はい、有難うございます」


 食事をとり終わる頃にも再度、食器を下げる為におかみが部屋を訪れる。顔を合わせる度に勇者はじろりと睨まれるので、すっかりすくみ上ってしまった。


「流石にうちに風呂は無いが、体を拭いたりしておくかい?」


 勇者はぴんと尻尾を立てる。


「いえ、洗浄の魔術があるので大丈夫です」

「そうかい、便利だね」


 おかみが項垂れた勇者に手を伸ばす。ふっくらとした分厚い手が勇者には恐ろしい魔物のように思えたが、頭を二、三度撫でただけで直ぐに手を離す。雰囲気が随分と柔らかくなったおかみの猫好きに気付いたリリアは、口元に笑みを浮かべながら素知らぬふりをする。

 ―――とても良い人みたい。人を見かけだけで判断してはダメなのですね。


「後の二人は知らないが、明日の朝食、あんたたちの分をここへ持ってくるからね」

「はい、お願いします」

「にゃっ」


 勇者の返事に一瞬だけ目を丸くして、おかみは部屋を出て行った。

 おかみが勇者を撫でる様子を見ていたリリアは、自分も触れてみたいと思い、勇者におずおずと問いかける。 

 

「あの、私も触れても良いですか?」


 リリアが勇者の頭上に手をかざすと、勇者は伸びをしながら自らリリアの手にすり寄る。ほんのり温かい体温と、滑らかな毛並み。


「わたくし、動物を触るのは初めてで…」


 寂しさを紛らわせるために始めは遠慮がちに頭を触っていたリリアの手は、次第に勇者の喉元や背中、尻尾へと移っていく。耳がぴくぴくと反応したり、喉元がゴロゴロとなる様子を無邪気な笑顔で見ているリリアに、勇者は見惚れてしまっていた。


 抵抗しない勇者を良いことに、リリアは勇者をひっくり返して仰向けにした。肉球をプニプ二と押してみたりしていたが、お腹をもふもふしたり顔を埋め始めると流石に勇者は羞恥を覚えて抵抗する。

 たしたしとリリアの頭を叩いたり「にゃあ!」と抗議の声を上げたりはしたのだが……


「ふふっ、お日様の香りがしますね」


 と恍惚とした表情に変わってしまったリリアに抵抗する気を失くし、勇者は頑張って耐えた。


「こんなにもふもふとして……勇者様はとても素晴らしいものですね」

「に……ゃ…………ァ…………」

「今日は勇者様のお陰でゆっくりと眠れそうです」


 リリアは長時間にわたって初めてのもふもふを堪能した。後には、ぐったりとした勇者。自分にも勇者にも洗浄の魔術を使い、おかみに言われた通り部屋の鍵をしっかりとと、リリアは明かりを消した。


「お休みなさい、勇者様。良い夢を」






「あの聖女、狂ってんじゃないの?」


 酒場の席について注文を済ませて開口一番、フィンレイが愚痴を言った。頷きながらセオドールもそれに続く。


「否定は出来ないな。だが任務なのだから仕方がないだろう。あれで我がままだったら勇者共々放り出してるところだ」

「だよね!世間知らずにもほどがあるし」

「猫勇者だけでなく聖女の面倒まで見なければならないとは思わなかったな」


 セオドールも聖女の前では言えずにいたことをここぞとばかりにぶちまける。

 注文していた穀物の発泡酒と名物の森いのししの料理が運ばれてくると、二人ともやけになりながらがっついた。


 セオドールは規律の厳しい騎士団から、フィンレイは厳しい愛情たっぷりの師匠からの解放感で、普段は飲まない酒を煽る。聖女のリリアがこの場に居たらきっと止められる。そう思って連れてこなかった。


「大体、神官長も陛下も何で止めないんだよ。普通止めるだろ」

「二人とも命じるばかりでどんな苦労か想像できないだろうからな」

「師匠の時の勇者はかなりの剣の使い手で楽だったってさ」


 フィンレイの師匠、サリー・アディントンも前回の魔王退治に参加した魔術師だった。約二十年ほど前の事である。


 ひとしきり文句を言ったところで酔いも程よく回り、話題は聖女を異性として見た感想に変わる。先ほどは狂っているとまで評したリリアも年頃の女性として彼らの話のネタとなった。


「ま、まあリリアだって見た目は清楚美人だから?初めて見た時は嫁にしても良いとか思ってたけど」

「猫にかまけてほっておかれる将来が見えるな。俺はノエルって子の方が好みだった。高貴な感じがして守りたくなる」

「セオドールは根っからの騎士なんだね。僕にはかなり高飛車に見えたけど。……セオドールってそう言う趣味?」


 それから徐々に好みの話は際どいものになり、ひそひそと小声になっていくが周囲の女性客が聞けば顔をしかめるほどになった。

 空になったコップを掲げて何杯目かのおかわりを店員に頼む。


「……あんたは戻っても騎士団長にはなれないんだっけ?」

「年の近い兄が二人いるから、どう考えても俺に回ってくることは無いだろうな。婚約の話を回されることもなかったから今回の旅で成果を上げるしか道が残されていないと言うのに」


 はぁと吐き出したセオドールの息はかなり酒臭くなっているが、フィンレイも同じくらい飲んでいるので気づかない。


「大変だねぇ」

「お前はどうなんだ?」

「師匠に今回の旅が終わったら名前を告げとは言われているけれど、自分の代で途絶えても構わないと師匠は言ってくれた。でも」


 孤児である自分を拾い育て上げ、厳しい教育を施して宮廷魔術師にまで引き上げてくれた。唯一の弟子として名前を継がないわけにはいかないのに、よりにも依って魔王退治を条件にされてしまった。


「なるほど、押し付けられるよりもプレッシャーだな。選択を任されてしまうのは」

「そう、そうなんだよ。大体一個師団が壊滅されるのにたった四人、いや三人と一匹で何とかしろって酷くない?酷いよね?」

「いや、まだ聞いていないが既に戦闘があったのか?」

「……ああ、ええっとこれは師匠に聞いた話だっけ。前の魔王の時の話だよ。酔ったかな」

「そろそろ帰るか。明日からまた、旅だ。お勘定ー!」


 ふらつきながらも二人で支え合って宿屋へ帰る。六号室のドアノブをガチャガチャと捻るが開かない。


「あれ、開かない。鍵は…部屋に置きっぱなしか」

「リリア、もう寝てるのか?くそっ、ぽんこつ聖女め」


 神殿で規則正しい生活をしていたリリアは、消灯時間を過ぎたこともあって既に夢の中だった。気づいた勇者が顔を上げるが、ドアの外での悪態と、自分たちを置いて行った二人の仕打ちにほんの少し腹を立てていたのでそのまま寝た。


 セオドールがドアを叩きながら、酔っ払い特有の度を越した声で叫ぶ。


「リリア~開けてくれ~」

「うるせぇっ、今何時だと思ってるんだっ!」


 他の部屋の客から怒鳴られてはそれ以上騒ぐことも出来ず、セオドールとフィンレイは六号室の扉の横の壁にもたれかかる。朝を待つうちにそのまま二人とも眠ってしまった。


 朝。リリアがおかみに朝食を頼もうとドアを開けると、廊下に転がっていたセオドールの頭に角が刺さる。「ぐっ」とうめき声でフィンレイが目を覚まし、機嫌のすこぶる悪そうな寝ぼけ眼でリリアの顔を見上げた。


「お帰りなさいませ、二人とも顔色が悪いようですが。それに何だかとてもその……臭いです」

「二日酔いと酒のにおいだよ、見て分かるだろ」


 リリアがぽんっと手を叩く。


「ああ、これが世に聞く二日酔いと酒臭いと言われるにおいなのですね。お酒をたしなむ者は神殿には居りませんでしたので存じませんでした。少々お待ちください」


 リリアは口の中で小さく呪文を唱え、セオドールに手をかざすと光の球がすうと胃の辺りに入って行った。そこからもやもやとした不快感が軽くなっていく。フィンレイにも同じように術を施し、最後に匂いを消す魔術を使ってにこりと微笑んだ。


「いかがでしょうか?」

「……っああ、楽になった。済まない」

「こちらこそ。機会に恵まれなかった魔法を使わせて頂いて有り難うございます。勇者様とわたくしの食事を準備するので失礼いたしますね」


 リリアと入れ替わりにセオドール達は部屋へと入った。勇者はちらりと一瞥しただけで、興味がなさそうにふいっとそっぽを向いた。


「今日は一日宿で休むつもりだったが、そのまま出かけられそうだな。…フィンレイ、どうした?」

「あれ、僕の師匠でも使えない魔法だよ。……神殿で教わる全ての魔法?」


 リリアの使った酔い止め魔法は解毒魔法から派生したものだ。極簡単なもので、毒と同じように酒の成分を中和する効果をもたらす。酒を飲み慣れない神官たちが酒席に呼ばれてしまった時などに使う。


 ただし、呑んだくれに教えれば毎日延々と飲み続けてしまうので一般には秘匿されているだけだ。特にフィンレイの師匠、サリー・アディントンは魔術の腕もさることながら酒豪であることも有名だった。


 リリアが扱える魔法は一般人でも扱える初歩的なものばかりだと思っていたフィンレイ。自分の知らない魔術を使えるとあって、リリアをただならぬものと認識することとなった。

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