第2話 旅立ち
リリア、ノエル、ワンダは神殿の中を楚々と歩いていた。誰に見られるか分からない廊下で話をすることは、聖女候補たちに禁じられている。俗っぽいイメージを持たれたり、勇者召喚に関する情報を漏らさないためだ。
途中すれ違った神官は頭を下げて道を譲る。聖女候補はそれほどまでに大切にされる存在だった。
寝室に戻った途端に三人ともかぶっていた猫が剥がれ落ちる。
ふらつき気味のリリアは枯渇していた魔力を補う為、準備してあった回復薬を一気に煽って咽た。リリアの背をさすりながら、ワンダが待ちきれずに結果を聞く。
「ね、ね、どうだった?勇者召喚は成功したんでしょ?」
「扉の影になって私達から勇者様のお姿は見えなかったけれど、天空神の御力がとても濃く感じられたものね」
「それが……」
召喚の間で起きた出来事を全てワンダたちに話した。リリアが信頼できる者の最たる二人に隠し事などできない。それよりも相談に乗ってもらった方が名案が浮かぶと、長年の付き合いで理解していた。
リリアの話を聞き終えて、二人は聖女候補にあるまじき声を発する。
「「猫ぉ!?」」
「召喚直後に私の物では無い魔力を感じました。勇者様が御身を現した時には確かに人の形をしていたのに、気づいたら猫のお姿になっていまして…」
「神官長に報告しなかったの?もしかしたら人間かも知れませんって」
リリアは首を振った。
「言えませんでした。どうしてそうなったのかを考えると、召喚の間の結界が一瞬でも無効化されていた場合が一つ。他には―――」
「召喚の間の結界をすり抜けるほどの精度に長けた術の使用者か、或いは―――」
「結界の中に魔王の手の者が入り込んでいたか、ですわね」
一つ目と二つ目に関しては形跡を調べることで直ぐに判明する上に、さらに結界を強化すると言う形の解決策が出てくる。可能性として三つ目を挙げたノエルの言葉に、二人はのどをごくりと鳴らした。
「勇者様をあの場に残して大丈夫かしら」
「心配なら明日の朝まで精霊に守ってもらおうか?」
「お願いします、ワンダ」
ワンダが宙に向かって何事かを呟くと、それまで纏っていた気配の一つがふっと消えた。
神官長、セオドール、フィンレイの中に魔王側の者がいる可能性。
結界の外にいたワンダとノエル、それに召喚したリリアは例外だ。
「あの怖くて正体不明な神官長が魔王だって言われても、わたくしは納得してしまいます」
「それはリリアだけだって。私達二人だってあまり怒られてことなんてないよ」
「ええ、寝坊してお勤めをしそこなったり神官長の話を聞かずに頓珍漢な事をしでかしたりして、必ず原因がありますもの。でも……」
ノエルが心配そうにリリアの顔を覗く。
「もしも神官長が魔王の手先だった場合は私とワンダで何とかします。結界の方も明日から調べてみましょう。でもセオドア様とフィンレイ様のどちらか、或いは両方がそうであった場合は……」
「リリアが一人で何とかするんだよ。リリア、大丈夫?」
二人がいきなり襲いかかってくる可能性を想像する。ひ弱な聖女の身では太刀打ちなどできない。ましてや勇者は猫の姿だ。勇者に守ってもらうよりもリリアが守る場面が容易に想像できる。
常に警戒していては旅など出来ない。だからその時はその時と、リリアは思考を放棄した。
天を仰ぎ祈りをささげるようにして、リリアは二人に答えた。
「全ては天空神の御心のままに」
「あ、もっともらしく誤魔化した」
「いざとなったらここへ戻っていらっしゃい。転移の魔法、確かリリアは扱えたわよね?」
リリアはこくりと頷いた。ワンダとノエルは他の魔法に長けているが転移は扱えない。フィンレイは器用貧乏と揶揄したが、このことが後に命運を分けることになる。
「明日には国王に謁見して旅立ちか。リリア、言い残したことはない?」
「二人とも、今までありがとうございました」
「それだけ?他にもあるのではないかしら」
ノエルは意味ありげに目配せをした。ワンダは口を一文字に結んでいる。リリアはそれだけで何を言いたいのか察した。
「……っ二人とも、大好きですっ。絶対に、忘れませんから」
泣きながら三人で抱き合った。友人、同僚、好敵手。いつも一緒に行動した三人組は明日から二人と一人になる。リリアが魔王を倒し、ノエルとワンダが神官長クラスに上がれば再会できるかもしれないが、それはまだまだ先の話。
神殿で過ごす最後の夜は、静かに更けていった。
「そなたが勇者か」
にゃっと短く答える声はいかにも勇ましく聞こえるが、国王はどうしたものかと自分の長く白いひげを撫でた。
目の前には足を揃えてお行儀よく座る黒猫が一匹。その後方に聖女となった旅用聖服姿のリリアとセオドール、フィンレイが控えている。三人とも真面目な顔で謁見の場に臨んでいて、国王は冗談だろうと茶化すことは出来なかった。
「いやはや、これはなんともしがたいな……」
ここで認めぬと追い返してしまえば、万が一本物の勇者であった時に取り返しがつかない事になる。そうでなければ猫を魔王討伐に出した愚王として歴史に名を残すだろう。
「むう、して、聖女殿。神官長はなんと?」
「勇者としてお認めになっています。陛下に謁見したのち、そのまま旅に出るようにおっしゃいました」
年齢不詳の神官長は国王が幼い頃より今の姿を保っている。おそらくはエルフなど他の長命な種族の血が混じっているのだろう。いずれにせよ優秀であることは間違いないと信じ、神官長の判断を受け入れた。
「勇者の名前は何と言う。名が無いと不便であろう」
「勇者様は勇者様です。天空神から遣わされた方に我らが名前を付けるなどと恐れ多いまねはできません」
リリアはもっともらしい理屈を述べる。
神殿には孤児が預けられることも多々あった。名づけの有無がその後の人生を大きく左右するのも間近で見てきた。付けた者の願いや愛情、付けられた者の性格や性質。生まれを知る手がかりともなるそれを安易に変えてしまうのはリリアには出来なかった。
ましてや相手は勇者。神に選ばれた者の力を削ぐようなことがあってはならない。
勇者が人型であったとしても魔王を倒せば歴史に残り、倒せなければ無名のまま。名前を知るのは結果をもたらした後で良いと考え、国王はこれも受け入れた。
傍に控えている者に「あれを」と指示する。
その場に運び込まれたのは使い古された一本の剣だった。鞘に納められているが聖なる魔力が発せられ、柄にはこの国の紋章である大鷲の意匠が施されている。
大鷲は天空神の象徴だ。
聖女であるリリアだけではなく、セオドールにもフィンレイにも剣に天空神の力の欠片が宿っていると感じられた。
「この剣は代々勇者を務めるものが使ってきた。だがその姿では振るうどころか持ち運ぶことも出来まい。魔王を倒すのに必要な武器のはずなのだが、勇者殿、いかがいたすか?」
勇者はとてとてと剣の納められた箱に近づき、柄の部分をくわえて持ち上げようとする。刀身を鞘ごと箱から引きずり出すことは出来たが、顎に負担がかかっているのかわずかに鞘から抜いただけで床に落としてしまった。
カラン、と乾いた音が謁見の間に響き、暫しの静寂が訪れる。
耳と尻尾が力なく垂れるのを見ていられなくなったリリアが、勇者の元に駆け寄り国王に提案した。
「わ、わたくしがお持ちいたします!真に必要なその時までわたくしが剣を背負います」
「そなたに剣が扱えるのか」
「いいえ、私は無手を得意としております。ですから勇者様からお預かりするだけです」
聖女と言えど、身を守れる程度には格闘技を学ぶ。ノエルとワンダは武器を持つが、リリアは素手で戦うのを得意としていた。これも、敵と言えども神より賜った命を傷つけてはならないと信仰心によるものからである。ちなみにリリアは菜食主義者ではない。
「それでは宝の持ち腐れではないか。陛下、私がこの剣を扱うお許しを頂きたい」
「なりません。この剣は勇者様の物です。なんて恐れ多いことを」
国王に自分が所持する許可を求めたセオドールをリリアが非難する。勇者にしか扱えぬと言われる伝説の剣を一時でも手にしてみたい。騎士に限らず剣で戦う者ならば誰しもが抱く望みを叶える為、セオドールは負けじと反論する。
「だが勇者は鞘から刀身を抜くことも出来なかったではないか」
「確かに今はまだできません。ですが旅を続けるうちにきっとできるようになります。あなたの自尊心の為に剣を汚せば、神がお怒りになるでしょう」
「な……私が剣を汚すなど、何を持って―――」
「落ち着いてセオドール。彼女の言う通りもしも勇者が剣を持てるようになったら、君はどの剣を持って戦うんだ?」
謁見の場ではずっと黙っているつもりだったフィンレイが、二人の喧嘩になりそうな気配を感じて止めに入る。フィンレイも剣に興味があったが勇者が扱うとされる物に触れるつもりは無かった。師匠から持ち主を選ぶと聞いていたからだ。それがどのような事態を引き起こすかまでは知らない。
リリア以外の誰もがそんな日が来るものかと疑っている。剣を扱える者が持った方が効率的だと考える。
リリアは疑っている。召喚の場にいた誰かが魔王の手の物であるやもしれぬと。これ以上勇者の力を削がれて堪るかと。
「セオドールよ、聖女の言う通りだ。神により勇者になり替わろうとする悪しき者と判断されれば、おそらくそなたは呪われるであろう」
「はっ、出過ぎた真似を致しました。お許しください」
リリアの挑発に怒りをたぎらせたセオドールは、国王の言葉で我に返る。
結局、リリアが剣を背負うことになった。鞘に括り付けたベルトを袈裟懸けに掛ける。自分の旅支度である肩掛けのバッグを更に逆に掛けなおし、準備は出来たと国王を見てこくりと頷いた。
国王も頷き返し、勇者に奮い立たせる言葉をかける。
「さあ、勇者よ。行くがよい。そなたの力で魔王を倒すのだ」
「にゃ!」
気合の入った返事だったが、その場にいるリリア以外を脱力させる声だった。
旅立ちの時。
王都の正門で見送るのはセオドールの同僚と家族、それからフィンレイの師匠のみ。
口々に別れを済ませるのを、リリアと勇者は少し離れた場所で眩しそうに見ていた。
別れを終えたセオドールがリリアに声を掛ける。
「神殿関係者はいないのか。聖女候補は他に二人いただろう?出立すると連絡を入れなかったのか」
「俗世に出た身で神殿に戻ることは叶いません。神官長ともなれば外に出ることも可能かもしれませんが、おそらくあの方は来ないでしょう」
「そんなに厳しいのか。うちの師匠ですら来ているのに」
出来の悪いリリアの顔なんてきっと見たくないだろう。世話になった相手を疑いたくはないが、もしかしたら本当に魔王なのかもしれないと未だに思っている。残した二人は大丈夫だろうか。
勇者に落ち込む姿を見せまいとリリアは笑顔を見せた。
「お別れは昨日済ませました。さあ、勇者様、行きましょうか」
「にゃ」
「陛下はあれを勇者と認めたのですか。いつまでたっても連絡が無いのでてっきり」
「何を言う。そなたが認めたと聖女が申していたぞ。今日の昼ごろにも出立してしまったはずだが、聖女が神殿に連絡したのではなかったのか」
国王へ謁見の申し込みを入れたのは神官長だった。勇者が出立した直後なので緊急性が高いと判断され、即座に通された。
「ええ、ええ、認めましたとも。天空神の御力も感じられましたし、何より召喚した本人が強く推したものですから。しかし、出発の前に誰かに頼んで人をよこすかと思ったのですが」
「何か忘れものか?」
国王の問いに神官長は軽くため息をついた。
「勇者があのような状態なので装備もままならないだろうと思い、リリアに首から下げられる護符を持たせるつもりだったのです」
「ああ、それは確かに心配だろう。装備と言えば聖女は勇者の為の剣を自分が背負うと申して居ったからな」
「リリアの戦闘スタイルは無手のはずですが」
「セオドールは自分が持つと申したが剣が穢れると拒絶しておった。聖女の申す事であるから本当なのだろう?」
確かにあり得ない話ではない。持ち主を限定するため、禁を侵した者に呪いのような形で災いが降りかかることはある。それよりも、その解決方法だ。
「勇者が剣を持てる状態になったらこちらへ取りに来ればよかったのでは?」
「――――――あ」
国王が失念していたと間抜けな声を出す。清楚な見た目の上、旅姿で凛々しさも増したリリアがぽんこつだと見抜けず、申し出に次々と納得してしまった。
無手は俊敏さが命なのに。器用貧乏な魔法は手数でカバーしなければならないのに。
国王の御前で有るにも拘らず神官長は野太い声で吠えた。
「あんっのぽんこつ聖女ーーーっ」
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