ぽんこつ聖女の冒険譚~私が召喚した勇者様は猫でした~

よしや

一章

第1話 勇者召喚

 リリアは空色の長い髪をゆるく結んだ後にベッドへともぐりこんだ。部屋の中には自分と同じく聖女候補のノエルとワンダが、眠れぬ夜を持て余している。


「いよいよ明日だね、勇者召喚」

「ええ、この中の誰が成功するにしても素敵な方だと良いですね」


 ベッドの中からワンダが声を掛けたのでリリアもそれに応える。消灯時間はとっくに過ぎていて、おしゃべりをしているのが神官長に知られたら叱られてしまう。それでも話さずにはいられないのはリリアも同じだった。


 ここは天空神アイルを祀る神殿の寮である。

 幼い頃より寝食を共にしながら聖女となるべく研鑽を積んできた彼女たちにとって、明日は全ての集大成の日であり、新たな人生の始まりの日でもあり、そして別れの日でもあった。


 勇者を召喚する―――それが、彼女たちに課せられた最も重要な使命だ。


 儀式を行う順番は能力が低く、一番可能性の薄いリリアから。次に火の高位精霊の加護を受けたワンダ、そして全てにおいて優秀なノエル。召喚に成功した時点で聖女となり、勇者と共に魔王討伐の旅に出る。残された者は神殿を担う役目を負い、いずれは神官長などの役職に就くことが約束されていた。


「失敗して下さっても良いんですのよ、リリア。自由に外に出られる最初で最後の機会ですもの」


 ノエルは少し厭味ったらしく言った。捨て子であるリリアやワンダと違い、ノエルは貴族の血を引いている。両親は健在だが成功したところで貴族に戻れるはずがない。それでも一目会える可能性が捨てきれず、努力一辺倒で最優秀聖女候補となった。


 話しかけられたリリアはと言うと、まだ見ぬ勇者に思いを馳せていた。


 ―――誠実な方が良いな。勇気があるのは勿論、優しくて強くて曲がったことが大っ嫌いで。できれば同じくらいの年代で顔は整っていた方が良いけれど、でもきっとどんなお姿をしていても、わたくしはどこまでも付いて行くわ。


 神殿と言う閉鎖された空間の余計な雑音の混じらない教育は、骨の髄まで染み込んでしまっている。良く言えば信心深い、悪く言えば狂信的なリリアは信仰においてのみ、他の二人を凌駕していた。

 掛け布団の端をぎゅうっと握り、真剣に勇者を夢見るリリア。けれどあまりに鬼気迫る顔をしていたので機嫌を悪くしたと勘違いしたワンダは、ノエルをたしなめた。


「止めなよ、ノエル。誰が召喚できたとしても恨みっこなし。友の旅立ちを祝福して無事を祈るのが筋ってものでしょ?」

「そうね。過去の聖女は勇者や騎士や魔術師たちのいずれかと結婚していることを考えれば、祝福も間違いないわね」


 聖女と言えば聞こえはいいが、俗世に塗れた時点で神殿には戻れなくなる。自分で稼ぐ術も知らずに生きて来た彼女たちは、魔王討伐後に結婚の道を選ばざるを得ない。

 対して勇者たちは名声を得、爵位や報奨金を与えられる上に玉座を除いた望む仕事に就くことが出来る。結婚相手としては申し分のない将来性だ。

 魔王討伐と言う危険な仕事ではあるけれども、共に旅をする中で相応しい相手かどうかを見極めつつも、良好な関係を築くのが聖女たちの目的でもある。


「ねぇ、リリア。リリアが旅立つのも不安だけれど神殿に残るのも不安なんだよ。ドジをやらかして、周りの判断で役職にも就かせてもらえないんじゃないかって」

「そうね、私はどちらでもうまくやって行ける自信があるけれど。ワンダは外の方がよろしいのではなくて?」

「確かに神殿で一生を終えるのは寂しいけれど、リリアかノエルのどちらかが残るなら大丈夫。だよね、リリア」


 ワンダとノエルが話しかけるも、リリアの返事が無い。ノエルは起き上がり、様子をそっと見た。


「……リリア、もしかして柄にもなく緊張しているのかしら?」


 返事を聞こうと耳を澄ませると、リリアは既に寝息を立てていた。勇者の姿を考えるあまり、そのまま眠りへと落ちてしまったのだ。

 二人がのぞき込むと、とても幸せそうな寝顔をしていた。呆れたノエルは神官長によく似た深ーいため息をつく。


「緊張しないのかしら? どんな勇者が出てくるかもわからないのに。もしかしたら魔王よりもたちの悪い乱暴者かもしれないでしょう?」

「清純そうな見た目なのに神経が図太いからね、リリアは」


 家族よりも深い絆で繋がった友人との別れが近づいているのに、リリアの胸は未来への希望しか詰まっていなかった。





 勇者召喚の間は神殿の奥深く、幾重にも防御の結界が施された閉ざされた空間にあった。召喚されると同時に魔王から攻撃を受けた記録もあるので、守りが厳重なのは仕方のないことだ。


「聖女候補リリア、これへ」

「はい」


 神官長にいざなわれてリリアは歩みを進める。


 十七年間、親代わりであり教師でもあった神官長は未だに性別も年齢も不明だ。聖女たちの父にも母にも成れるようにと、中性的な顔立ちと、女性にしては低く男性にしては高い声をしていた。リリア達が物心つく前から接していたのに顔にはしわの一つもない。


 巨大な魔法陣の前には騎士と魔術師。召喚された勇者と共に魔王討伐の任を王より下された二人である。

 騎士の名はセオドール・リヴァーモア。代々騎士団長を輩出しているリヴァーモア家の末子で年は二十一。上に兄二人がいる為、彼が団長職に就くことはまずない。

 魔術師の名はフィンレイ・アディントン。最強且つ偏屈で知られる魔術師サリー・アディントンの唯一の弟子で、年は十六。自らも宮廷魔術師を務めており、最年少での師団長の座に付く将来が囁かれている。


 リリアは慣れない儀式用の、裾の長い衣装に蹴躓いて転びそうになるところを寸でで堪えた。儀式の前に流血沙汰は流石に影響が出る為、事前に何度もリリアだけに注意した神官長が物凄い顔で睨みつけている。

 冷や汗を垂らしながらリリアは巨大な召喚陣の前に出る。胸の前で手を組み、静かに、しかしよく通るこえでリリアは呪文を唱え始めた。


「天空を司る神アイルよ、異界より我らの世界を救う者を招き入れ、我らが元へ遣わし給え。志高く、勇気ある者を、ここへ」


 閉ざされた空間にふわり、と風が吹く。やがて召喚陣が輝き始めて辺りを霧状の物が覆い、小さな白雷が幾筋も走った。

 神官長は口元に笑みを浮かべて成功を確信し、セオドールとフィンレイは旅の同行者を見極めようと目を凝らす。リリアはただひたすらに祈りを捧げながら見つめ、轟音が鳴り響く霧の向こう側に黒い人影を見た。

 将来の伴侶となるかもしれない者を前にして、リリアの胸は高鳴っていた。


 一筋、黒い稲妻が走り霧が晴れていく。

 晴れたその先にいたのは黒い、一匹の猫だった。


 神官長、セオドール、フィンレイは呆然としていたが、やがて大きなため息が同時に吐き出された。リリアだけが胸の前で両手を組んだまま、感極まって涙の滲んだ瞳で笑みを浮かべている。


「召喚は失敗だ。ワンダを連れて来る」

「どうしてですかっ!勇者様はここに居らっしゃいます」


 失敗を宣言した神官長にリリアは縋り付いた。


「しかし、どう見てもただの猫―――」

「生きとし生けるもの全てに差別は許されないと、神官長が教えて下さったではありませんか。猫が勇者になれない道理は無いはずですっ」


 リリアは至って真面目だ。神官長が気迫に押されて黙り込んだのをいいことに、踵を返して勇者に向かいあった。


 目線を合わせようと膝を付いたところで、猫である勇者の顔はまだ低い位置にある。リリアはさらに前かがみになって両手を着き四つん這いになった。

 横から見れば、まるで猫のまねをしているようである。


「何をしているのですか?リリア」

「勇者様にご挨拶をするのに、上から見下ろしたのでは不敬に当たります」


 こめかみに手を当てて深ーいため息をついた神官長に構わず、リリアはそのまま三つ指を付いて勇者に話しかけた。


「初めまして、勇者様。突然お呼びした無礼をお許しくださいませ。わたくしはリリアと申します。たった今、聖女となりました」


 にゃ、と短く返事をして頷く勇者。どうやら言葉は通じているようだと判断したリリアはそのまま話を続けた。


「今、この世界は魔王復活の脅威にさらされています。どうか魔王を討ちこの世界をお救い下さい。お願いします」


 言い終わったや否や、リリアは勢いよく頭を下げ―――いや、床に打ち付けた。ごつん、と鈍い音が召喚の間に響き渡る。

 土下座したまま動かなくなったリリアを心配したのか、勇者はとてとてと召喚陣を出てリリアの周りをうろうろし、最後に神官長の顔を見上げてにゃあと鳴いた。


 一連のやり取りを黙って見ていたセオドールとフィンレイは顔を見合わせ、もう一度大きなため息をついた。


「猫に心配される聖女……本当に大丈夫なのか?」

「辞退できるかな。出来ないんだろうな、お師匠様厳しいから。はぁー」

「い、一応聖女教育はきっちりと終えておりますのでご安心ください。ほら、リリア、起きなさい。リリア」


 神官長が慌てて駆け寄り、近くで呼びかけてもリリアは動かない。すっと息を吸い込み、低く野太い声で神官長は叫んだ。


「リリアーーーっっ」

「はいぃぃぃっおはようございます神官長寝てません私寝てませんからぁっ……はれ?」


 勢いよくがばっと起き上がったものの、リリアの頭はぐらりと傾いていく。また頭を打ち付けれては堪らないと神官長が抱き留めた。


「勇者召喚で魔力を消費しているでしょうから、今日の所は部屋に戻って休みなさい」

「でも、国王陛下へのご報告や―――」

「明日にしましょうね、リリア?」

「は、はいぃ」

「立てますか?立てないのであれば部屋まで運びますが」

「いえ、結構です」


 有無を言わさず召喚の間から追い出されたリリアは、外で控えていたノエルとワンダに引き渡された。

 閉じた扉の内側で三人プラス一匹の会議が開かれる。


「この黒猫を勇者と判断するには不安でしょうが、万が一という事も有り得ます。歴代の勇者の中には獣人が呼び出された記録もございますから」

「ああ、確か三代前のヴォルフだったかな。あれは狼の獣人だったと聞いたが」

「本人に聞いてみれば良いよ。勇者よ、あなたは獣人か」


 猫は首をふるふると横に振って、にゃあ、にゃぁと身振り手振りを加えて必死に説明を始めた。話をしようとしているのは理解できるのだが、いくら神官長の知識をもってしても猫語は分からない。


「こちらの言葉は理解できているようですから、意思の疎通が全くできない事は無いでしょう。しかし、魔王と戦えるかどうか」

「もしかしたら別の世界では一角の猛者だったかもしれないし、とりあえず明日陛下に面会をし、旅に出て様子を見るのはどうだろう」

「ああ、あまりにも戦えないようだったら戻ってきてもう一度儀式をやり直すしかないよね。それよりもさ……」


 フィンレイはリリアの出て行った扉を見やる。

 品行方正、容姿端麗。信心深く、魔術の才に溢れている。聖女と聞いて思い描く姿とはかけ離れているわけでは無いが、どこかずれているリリアをフィンレイは疑っていた。


「あの聖女、本当に大丈夫なわけ?あのぽんこつっぷり、かなり不安なんだけど」

「先ほども申しました通り、教育は一通り……」

「治癒や解毒などの魔法を使うのに問題はないのか?」

「ええ、ええ、それに関してはうちのリリアは幅広く使用できます」

「器用貧乏だったりして」


 フィンレイに指摘されて神官長はにっこりと笑みを浮かべる。短期間の付き合いではあるがそれが誤魔化しのための笑みであることを二人は見抜いていた。


「マジか……」

「旅の途中で魔術の精度を上げていく聖女も居りますし、一つの術を突き抜けて使用できるよりは楽だと思います。信仰の厚さに置いては一番なのです。旅の途中で逃げ出さない事だけは保証します」


 長い旅は訓練を受けた騎士でも根を上げる場合がある。体力の問題では無く気力や相性の問題だ。それを知っているセオドールだが、問題が一つ減ったと喜びはしない。

 自分では判断しがたい大問題。性格の不一致や異人種は覚悟していたがまさか猫が召喚されるとは思ってもいなかった。


「国王への面会を明日に回すなら、自分達だけでこのまま城へ戻るわけにもいかない。部屋を用意してくれないか」

「ええ、仰せのままに。勇者様もこちらへどうぞ」

「にゃあ」


 セオドール達は多少の不安を持ちながらも神官長に付いていくより他は無かった。

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