番外編 ぼっき繚乱

 それは【オーパブ】の営業中に突然始まった。


「おいおい、すぎだろ。こんなに食い切れねーよ」


 エリムがまかないに出してくれた特大の牛乳プリンを見て、オレはそんな感想を口にした。口にしてすぐ、異変に気づいた。


「オレ今、なんて言った?」

「リ、リーチさん、どうしてわかったんですか?」

「何が?」

「その、僕の下半身が……元気になっていることを……です」

「え、元気になってんの? なんで?」


 ああ、はいはい、オレ知ってるよ。疲れマラってやつだろ?

 エリムは連日繁盛している【オーパブ】の厨房を一手に担い、朝も早くから料理の仕込みなり、買い出しなりをしている。従業員の中で一番体力を使っているのはエリムだろう。いつもお疲れ様です。


「先ほど、リーチさんが屈んだ時に、その……下着が見えてしまいまして」

「報告すんな……」

「リーチさんの目は誤魔化せませんね。すみません、すぐに鎮めます……」

「そうしてくれ……」

「でも、もしかしたら、こんな日が来るんじゃないかと思っていました」

「こんな日って?」

「リーチさんが、サキュバスとしての衝動を抑えられなくなる日です」

「なんの話? そんな衝動、まったく――」

「ですが!」


 被せるようにして、エリムがオレの台詞を遮った。


「僕も男です。そして、リーチさんのことを愛しています」

「し、知ってる……けど……」

「リーチさんが他の男性の、その、ぼ、勃起を……召し上がりたいというのなら、どうか、僕のモノを召し上がってください! 大きさはタクトさんに負けますが、回復力には自信があります! おかわりしていただいても大丈夫ですから!」


 寝言をほざきながら、エリムがベルトをかちゃかちゃと鳴らした。

 一人しかいないシェフを使い物にするわけにはいかないので、とりあえず横面を張り倒すだけで勘弁しておいてやる。


「――お前さん〝ぼっきり〟が出とるようでありんすな」


 カウンター席で酒をちびちび舐めていたメロリナさんが、そんなことを言った。


「ぼっきりってなんですか?」

「サキュバス版の〝しゃっくり〟みたいなものじゃ。たまに出よる」

「……出ると、どうなるんですか?」

「〝○っき〟という言葉を、全部〝ぼっき〟と言ってしまいんす」


 これだからサキュバスってやつは!!

 でも、そういうことか……。

 だからさっき、「《《おっき》》すぎて食い切れない」と言おうとしたのに「ぼっきすぎて食い切れない」とか、意味不明なこと言っちゃったのか。


「すぐに治るんですか?」

「一晩寝れば治りんす」

「一晩か……」


 接客業である以上、一切喋らないなんてわけにはいかないけど、症状をわかっていれば対応は可能。できるだけ口数を少なくすればいいだけだ。

 あっと、そうこうしているうちに注文が。

 男冒険者の客に、ラバンエールを運んでいく。


「リーチちゃん、これを一息で飲み干すから、音頭を取ってよ」

「構いませんけど」

「それじゃ、いくよ。せーの」

「はい、ぼっき、ぼっき」


 客が鼻からエールを盛大に噴き出した。

 聞いてください、違うんです。「」と言おうとしたんです。

 後始末もそこそこに、オレはスミレナさんのいるカウンターに逃げ帰った。


「リーチちゃん、どうかしたの? 息が荒いわよ」

「なんでもないです! お気遣いなく!」

「だったらいいけど。ところで、ここに置いてあったおしぼり知らない?」

「ああ、それでしたら、ぼっきエリムが」

「勃起エリム?」


 エリムがああああああ!!


「本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫です! ホントに、全然!」

「うーん、じゃあ、向こうのテーブルに、お酒を運んでもらっていい?」

「お安い御用です!」


 スミレナさんが指定したテーブル席には、見知った常連客たちがいた。

 ロドリコさんを筆頭とした、聖神(せいかん)隊の人たちだ。

 四人でテーブルを囲んでおり、皆が真剣な面持ちで何かを話し合っている。


「あれは何をしてるんでしょう?」


 スミレナさんがジョッキにエールを注いでいる間、なんとなしに尋ねてみた。


「なんかね、聖神隊の規模がどんどん大きくなってきたから、本格的に組織として統制していくために、幹部に箔をつけたいんだって。近々、難しい討伐クエストに挑むそうよ。その決起集会らしいわね」

「はぁ、ぼっき集会ですか」


 じゃなくてええええええ!!


「リーチちゃんも言うわね。でも、あながち間違いじゃないわ」

「いえ、間違えたんですけど……」

「ひとえに、リーチちゃんへの愛のなせる業ね。あの荒くれ者たちが一丸となって何かを守ろうとするなんて。ふふ、エッチ団結というやつかしら」

「一致団結ですよね? スミレナさんも言い間違えてますよ」

「間違えてないわ」


 そうですね。それがアナタの平常運転でしたね。

 両手にジョッキを二つずつ持ち、ロドリコさんたちのいるテーブルに向かった。


「お待たせしました」


 話し合いを妨げないよう、そっと声をかけた途端、険しかった男たちの表情が、パッと花開いたように朗らかなものへと変わった。


「おっとっと、リーチちゃん、ありがとう。重かったろう」


 テーブルに置くより早く、ジョッキをロドリコさんが受け取ってくれた。

 その際、オレの手をひと撫でしていくのを忘れない。これが胸なり尻なりだった場合、会計時に5,000リコ加算される。いい加減、このシステムやめてほしい。


「どうぞ、ごゆっくり」

「あ、ちょっと待って。せっかくだ、リーチちゃんの意見も聞かせてくれないか」

「意見?」

「このところ、聖神隊への入隊志望が、種族を問わず多くてね」

「そうらしいですね」

「それ自体はいいことなんだが、問題は、体力自慢の脳筋ばかり集まってくることなんだ。せめて、最低限の教養というか、礼節を身につけてくれないと、聖神隊の品格が貶められてしまう」


 聖神隊に品格とか求めてたんだ。初耳です。


「何かいい案はないかな?」

「んー、じゃあ、ぼっき(筆記)テストとかなんでもないです何も言ってません」

「なるほど、勃起テストか。……いいかもしれない」

「頭大丈夫ですか?」

「雄としての強さ。それは腕力だけで測れるものじゃない。種族単位で考えれば、むしろ、生殖能力こそ重視すべきじゃないだろうか」


 生殖能力で国を守れるの? オークでも雇えば?


「もし、この世界に終焉が訪れ、俺とリーチちゃんの二人だけが残されたとする。そうなってしまった時、俺のち●こが勃たないでは話にならない」

「そんなことになったら死にますね」

「そこまで悲観してくれるのかい?」


 じゃなくて。ロドリコさんと二人になった時点で自害します。


「故に俺はこう思う。聖神隊に求められる人材は、どんな時でも勃たせられる者。ち●こがたくましい男であらねばならいと」

「ぼっき(末期)ですね」

「そう、勃起の力強さは、男としての強さに比例する」


 他のメンバーも賛同しているのか、パチパチパチと拍手が鳴り響く。

 言ってることはめちゃくちゃだし、ロドリコさんの頭がイっちゃってるのも確かなんだけど、一概に否定できない例が、この世界には存在する。

 オレの親友とか、魔王とか……。


 それにしても、この人たちが幹部か。

 とりあえず、聖神隊は変態集団。これだけは覆りようがないな。


「――何やら話が弾んでいるようであるな」

「あっ、ギリコさん、いらっしゃいませ!」


 オレの心のオアシス、リザードマンのギリコさんが来店した。

 陰っていた気分が、打って変わって晴れやかになる。

 なんだろう。ギリコさんの体から癒し成分でも出ているのかな。

 気づけば、オレは大のお気に入り、ギリコさんの黒光りした、硬くて太い尻尾に無意識に手を伸ばしていた。


「リーチ殿?」

「あっ、ごめんなさい」


 すんでのところで手を引っ込める。

 ギリコさんが優しいからといって、勝手に触るのはマナー違反だよな。

 そもそも、お客さんに癒されてばかりの従業員ってどうなのよ。たまにはオレがギリコさんを労う側にならないと。

 オレは覚えている。初めてギリコさんを接客した時、トサカ状に真っ直ぐ並んでいる頭のイボを、密かな自慢だと言っていたのを。


「ギリコさん、今日も頭のイボイボがカッコイイですね」

「きゅ、急にどうしたのであるか?」


 ギリコさんの、顔の緑色が若干濃くなった。照れているんだ。


「見れば見るほど定規で測ったみたいに直線で等間隔に並んでいますよね。無礼を承知でお願いします。ちょっと触らせてもらってもいいですか?」

「構わない……であるが……」


 相手に気分良くなってもらうためには、とにかく褒め殺す。

 お客さんに頭を下げさせるのは申し訳ないので、近くの空いたイスを引っ張ってきてギリコさんに座ってもらう。そうしてから、掌で転がすようにして撫でた。


「すごい、イボイボが最高にイイ感じでツボを刺激してくれます! 見た目だけでなく、触り心地まで満点じゃないですか!」


 ふと思ったんだけど、イボって言い方は嫌じゃないのかな。

 人間だったら、イボができていることを指摘されるのって、あんまりいい気分にならないもんだろ? 気にしすぎだと思うけど、うーん……念のため、言い方だけ変えておこうかな。


「リーチ殿、おだてすぎであるよ」

「お世辞なんかじゃないですよ。こりこりすべすべで、ホント最高の手触りです。ずっと撫でていたくなるぼっき(突起)ですね」


 瞬間、サーッと血の気が引いていった。


「リ、リーチ殿、今なんと?」

「ギリコ、てめえ、リーチちゃんの手コキで興奮しやがったな!?」


 おいロドリコ、手コキとか言うな。


「誤解である! 小生は、誓ってそのような粗相はいたしていないのである!」

「そうですよ! オレがしていたのは手……手コ……なんかじゃなく! そう! ぼっき(れっき)としたサービスの一環なんです!」

「勃起とするサービス!? リーチちゃん、それはいくら払えばいいんだい!?」

「変なこと言わないでください! ギリコさんにはいつもお世話になってるから、今日くらいは普通にぼっきゃく(接客)をと思っただけです!」

「勃起役!? リーチちゃん、それはつまり、一本じゃ満足できないってことかい!? ギリコのように、二本ないとダメなのかい!?」

「リーチ殿、何か止むに止まれぬ事情があるのだと思われるが、今だけは口を閉じていてほしいのである!」


 どうも、オレが喋れば喋るほど、ギリコさんの立場を危うくしてしまうようだ。

 他ならぬギリコさんに退場を命じられてしまったので、オレは自己嫌悪から肩を落としてカウンターに戻っていった。


「リーチちゃん、やっぱり体調が悪いんじゃない? さっきより辛そうよ?」

「そういうわけじゃないんですけど……」

「お客さんも少なくなってきたし、今日は先にあがってもいいわよ」

「いいんですか?」

「ええ、大事な看板娘だもの。また倒れられたりしたら大変だわ」

「へへ、ぼっきー(ラッキー)……あっ」

「……リーチちゃん、また勃起って――」

「え、何がですか!? じゃ、じゃあ、お言葉に甘えさせていただきますね!」

「……ええ。お風呂に入って、早くお布団に入ってしまいなさい」

「お先に失礼します!」


 逃げるようにして母屋に入り、そこでやっと一息つく。

 数えるのも馬鹿らしくなるくらい言ってることだけど、それでも言わずにはいられない。


「サキュバスやめたい……」


 この後、オレが性的な意味で欲求不満だと勘違いしたスミレナさんに夜這いをかけられるのだが、それはまた別のお話。

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