番外編 スキルアップ

【オーパブ】には様々な種族の客が来る。

 カウンター席の一つに座る女性もまた人間ではないんだけど、背中に生えている翼は服の中にコンパクト収納されており、頭のツノも削り取ってしまったらしく、傍目には人間と変わらない。銀髪赤眼であるところが唯一の違いだろうか。


 それでも彼女は店の中で、他のどの客よりも目立っていた。

 何故なら、イスに腰掛け、ぷらぷらと上機嫌に揺れる彼女の細い足は床に届いていない。【オーパブ】が酒場という夜の店であるにもかかわらず、彼女はどう見ても子供。下手をすれば、幼女と言っても差し支えない外見をしているからだ。


「ッぷは~ぁ! んまいの!」


 くぴくぴとミルク酒を煽り、口の周りに白ひげを作っている無邪気な笑顔の幼女――メロリナさんは、オレと同じくサキュバスだ。しかも、実年齢は三百歳前後。本人もはっきり覚えていないんだとか。

 スミレナさんに休憩をもらい、メロリナさんの隣を拝借した。


「メロリナさん、オレ、冒険者になったんです」

「らしいの。すみれなから聞いておる」

「ですから、そろそろアレのやり方を本格的に教えてくれませんか?」

「ほう、お前さんから言い出すとは感心じゃの」


 メロリナさんは以前、複数のゴブリンを、離れた場所から手も触れずにまとめて倒してのけたことがある。魔力を体外に放出し、広範囲攻撃として使う技だ。

 オレの特能も、メロリナさんの特能も、基本的には相手に触れて魔力を流し込むことで発動する。タイプが似ているなら、オレにも特能の応用は不可能じゃない。


「この先、何が起こるかわからないですから。少しでも強くなりたいんです」

「カカ、よい心掛けでありんす。じゃが、わちきの指導は厳しいぞ?」

「望むところです」


 もちろん、これも本音であることには違いない。

 でも、それとは別に、対象に触れなくても倒せるようになれば、【一触即発クイック・ファイア】の性質上、精神的に気が楽になるという思惑もある。そしたら『うふふ、また一人、リーチちゃんの手でイカされてしまったのね』なんて言われなくて済む。あの人、それはもう嬉々として冷かしてくるからな。


 某中尉さんも言っていた。

『銃はいいです。剣やナイフと違って人の死に行く感触が手に残りませんから』

 それと同じようなことだ。イカせる感触が手に残らないのは極めてありがたい。


「ではまず、竿を一本用意せい。なるべく清潔なやつをな」

「…………竿って?」

「ちんこのことに決まっておる。ふぇ●ちおを教えてほしいのであろ? わちきがとっておきの舌技を伝授してやりんす。カカ、ふぇ●ちおだけでなく、お前さんが望むのなら、あらゆる房中術を叩き込んでやろう。光栄に思うのじゃな。今日からわちきを師と仰ぐことを許しんす」

「いや、そういうのいらないんで。魔力の扱い方を教えてください」

「ほうか……」


 メロリナさんがしゅんとした。弟子が欲しかったのかな。


「つまらんの。ようやっとサキュバスらしさに目覚めたかと思うたのに。そういう話ならまたにせい。わちきは今、酒を楽しんでおる」

「拗ねないでくださいよ」

「拗ねとりゃせん」


 ぷい、とそっぽを向く態度の愛らしさといったらないな。

 けど、今日はもう教えを乞うのは無理っぽい。諦めて別の話題を振るか。


「ミノコの牛乳、気に入ってくれてるんですね」

「うむ。腹に溜まる感覚は●ーメンに軍配が上がるが、味わい深さならばこちらが圧倒的じゃ。他の料理にも使えるというのがまた素晴らしいの。ザ●メンぶっかけ飯ではこうはいかん」

「ぶ、ぶっかけ……。比較対象がそれですか……」

「むしろ、サキュバスにとってはそれしかなかった。これの味を知ってしまえば、もうザー●ンなど飲めんと言うサキュバスが出てきてもおかしくはない」

「じゃあ、メロリナさんも、これからはまともな食生活を」

「んや、わちきは飲むがの。あれはあれで、また違った充足感がある」

「そっスか」

「いやはや、感動を覚える美味さにビックリでありんす。上品でまろやか。オ●禁一ヶ月で熟成させた濃厚ザーメ●でもこうはいかん。不思議よの。色は●ーメンに酷似しておるのに喉ごしはあっさり。絡みつく感じもせん。しかし、舌に訴えかけてくる旨味はザ●メンを凌駕しておる」


 アルコールで上気した顔をうっとりさせ、メロリナさんが、グラスに半分くらい残っているミルク酒を緩やかに波立たせた。こういう表情は、年季を重ねた女性にしかできないだろうと思わせる艶めかしさがある。

 それはそうと、飲食店であんまりNG単語ワードを連呼しないでほしい。

 美味い美味いと言いながら、メロリナさんがグラスの中身を飲み干した。


「サキュバスにとってはどちらも同じ栄養なのに、そんなに違うんですね」

「興味があるなら試してみるかや?」

「何をです?」

「牛乳とザー●ンの味の違いをじゃ」

「……誰が試すんです?」

「りぃちに決まっておろ。なに、ちょっと舐めてみるだけじゃ」

「じょおおおおだんじゃないんですけど!?」

「嫌なのかや?」

「嫌に決まってます! そんなもん、試せるわけないでしょうが!」


 脊髄反射で拒絶すると、メロリナさんが眉をハの字に寄せ、「他ならぬお前さんがそれを言ってしまうのか」と悲しそうに呟いた。


「どういう意味ですか?」

「例えば、ギリコ。お前さんは、あやつのことをどう思っておる?」

「尊敬しています」

「即答かや」


 オレの中で、ギリコさんは神アニキとして不動の地位を確立していますから。


「確かに、あやつは尊敬に足る好漢じゃな。しかしの、リザードマンという種族である以上、たとえ、特別保護指定を受けているあやつであっても忌避の目はついて回りんす」

「それは、ギリコさんのことをよく知らないからです」

「そのとおり。知らないから壁を作り、大した理由もなく嫌う。それをりぃちは、自分がサキュバスという、似たような立場にあることを抜きにして見過ごしはせんかった。わちきは、お前さんのそんなところが美徳だと思っておる」


 褒められ、礼を言うべきかと一瞬迷うが――。


「思っておったのじゃが、お前さんのザーメ●に対する態度は、まさしくギリコを差別しておる者たちと同じではないかや?」

「そ、そんなことは……」

「お前さんは転生者として異世界からやって来た。当然、食文化にも多少の違いはあろう。じゃが、知りもせず否定してしまうのは正しいことかや? わちきは牛乳という食材に出会えぬまま長い時間を過ごしてきた。サキュバスが生きていくには他に方法がなかった。その生き方を否定されてしまうのは……やはり悲しい」


 ……反論できなかった。

 偏見で物事を決めつけられる。

 それが辛いことだって、身をもって知っていたはずなのに。

 そのことに怒り、嘆き、覆したいと頑張っていたはずなのに。


「カカ、相変わらず、お前さんは素直じゃのう。その様子を見れば、反省しておるのがようわかる。わちきも少々ずるい言い方をしてしまったの。許してくりゃれ」

「いえ、オレの方こそメロリナさんに失礼でした」


 メロリナさんが優しくオレの肩を叩き、「気にせんでいい」と慰めてくれた。

 少しは成長したと思っていたけど、オレはまだまだ人として未熟だった。

 メロリナさんに感謝だな。慢心を改める機会をいただいた。


「んでは、論破したところで、いっちょ●ーメンの試食といこうかの」

「いやでも、やっぱりそこに繋げてしまうのはどうなんでしょうね!?」

「そういう話をしておったろ?」

「そうですけど、オレが男のアレをアレするのは、どうしても嫌悪感がですね!」

「ザ●メンは食材じゃ。好き嫌いに性別なぞ関係ありんせん。お前さんのはただの食わず嫌いじゃ。一口味わえば、意外と気に入るやもしれんぞ」


 そんなわけがないと言い切ってしまうと、さっきの反省を撤回することになる。

 何を言ってもドツボにはまっていくだけな気がするし、こうなったら、仕事中を理由に戦略的撤退しかない。逃げるが勝ちだ。

 そう思ったところへ、第三者が介入してきた。



「――話は聞かせてもらったよ」



 ロドリコ・ガブストンさん。この人は聖神せいかん隊という(略)変態だ。


「そういうことなら、自分が協力しようじゃないか」

「協力とは、お前さんがザー●ンを提供するということかや?」

「いかにも」


 いかにも、じゃねーよ。金払ってとっとと帰れよ。


「ふむぅ……悪いが、お前さんではダメじゃ。酒の入ったザーメ●は苦味が増す。初心者のりぃちに苦手意識を持たれても困るしの」


 ご心配なく。苦手意識なら、最初からMAX振り切ってますんで。


「……食べたもので味が変わるんですか?」

「変わりんす。酒やコーヒーのような苦味が強いものを口にした後は、●ーメンも苦味が増す。逆に果物を食えばまろやかな味になったりの。あとはそうじゃのう。肉ばかり食っておると濃くてねばっこいものになり、野菜ばかりだとサラッとしたものになりんす」


 尋ねておいてなんだけど、いらん知識が増えてしまった。


「というか、メロリナさん、オレのことからかってますよね?」


 終始ニヤニヤと楽しそうな笑み。内容がぶっ飛んでいたせいで、つい熱くなってしまったけど、こういう冗談を言う人だってことを忘れていた。

「なんのことかの」と白々しく言うメロリナさんに、オレは特大の溜息をついた。


「心臓に悪いですよ……」

「カカ、いろいろ勉強になったであろ」


 メロリナさんが、したり顔で言った。ホント勘弁してほしい。


「ロドリコさんも、メロリナさんの悪フザケに荷担しないでください」

「え、あ、ああ。はは、ちょっと悪ノリがすぎたかな」

「いや、こやつは本気マジじゃったろ」


 ともかく、この話はこれでおしまい。たく、休憩にならなかったじゃないか。


「りぃちや、無理にとは言わんが、人によって、好みもそれぞれじゃ。片っ端から試食していって、自分好みの味を見つけるのも一興でありんす。お前さんならば、いくらでも選り好みできるしょや?」


 オレはこれを黙殺した。

 げんなりと肩を落として接客に戻って行く。

 その矢先のことだった。

 店内にいた男性客たちが一斉に席を立ち、オレをぐるりと取り囲んできた。

 その目は一様に血走っており、酔いとは別の意味で冷静さを失っている。


「な、なんですか?」

「俺、昨日まで山にこもって獣の肉ばっかり食っていたから、かなりねばねばしたものが出ると思う! ねばねばしたものって体にいいよね!」

「おいら、朝と昼に魚を食ったから、海の香りがすると思うんだけど!」

「失せろイカ野郎! リーチちゃん、俺、果樹園で働いてるんだ! だからきっとフルーティーなものがしぼれると思う!」

「ぼ、僕は、その、とりあえずリーチちゃんの手で、イ、イカせてほしいんだな」

「こら、お前たち、後から来て割り込むな! リーチちゃん、よく効く薬ほど苦味は強いものだ! 大人の味とも言える! だからどうか自分のを!」


 ――等々。


「こやつら、盗み聞きしておったな。カカ、早速選り取り見取りじゃな」


 眩暈めまいがした。

 欲望に目を濁らせた男たちが寝言をほざきながら、リーチちゃんリーチちゃんと息を荒げ、獲物を前にした獣のようにじりじりと詰め寄ってくる。


「えと、その、さっきの話は全部冗談で……あの、聞こえてます?」


 飢えた野獣たちにはオレの言葉が届いておらず、自身のザ●メンPRをしきりにまくし立ててくる。耳が腐りそうだ。誰か、ヘルプ。


「リーチ様、今お助けします!」


 オレの救難信号を受信してくれたパストさんが、すかさずコンサートのイベントスタッフよろしく、男たちを引き剥がそうとしてくれている。頼りになる人だ。


 ――が、他の女性のお客さんたちが呆れたように「いいのいいの。いつものことだから」「男ってホント、バカばっかりよね」「お水いただける?」などと言ってパストさんを接客に戻らせようとする。皆さん……慣れすぎではないでしょうか。


「で、ですが……。店長、いいのですか?」

「リーチちゃんなら大丈夫。あの子は、やる時はやる子よ。信じてあげて」


 なんとなく良い台詞っぽいですけど、それって今この状況で言うことですか?


「……わかりました。時として、他者の助けが相手の誇りを傷つけてしまうこともある。それがリーチ様のように気高い御方ならばなおさらのこと。私は臣として、リーチ様を信じて傍観に徹しましょう」

「いや、高評価なのは嬉しいですけど、そんなことで傷ついたりしませんから!!」

「ほらね。リーチちゃんもああ言ってる。この程度で自分が傷つくことなどない。だから助けはいらないってね」

「リーチ様、さすがです」


 こんちくしょおおおおおお!!


 そうこうしている間にも包囲網は狭まっていく。まるで、かごめかごめのオニにでもされた気分だ。後ろの正面どころか、全方位変態です。

 囲いの外から拓斗とエリムの声が聞こえた気がしたけど、隙間もないほどに固められたバリケードは、おいそれと突破できないだろう。……助けは期待できない。

 戦慄と焦燥。これまでにくぐってきた修羅場に勝るとも劣らない恐怖が瞬間的に込み上げてきた。全身に、ぶわっと鳥肌が立つのを感じる。


「そ、なこと……」

「む。この魔力の流れは、もしや」


 メロリナさんが何か言ったようだけど、こっちはそれどころじゃない。

 寄るな。触るな。喋りかけるな。


「そんなことするくらいなら、死んだ方がマシだって言ってんだろうがああッ!!」

「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」

「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」

「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」「うっ」


 くぐもった呻きを漏らし、ビクンッと大きく体を震わせた男たちが、ぱたぱたとその場に崩れていった。それはまるで、強者のみが習得しているという特殊な気にあてられたかのような。


 残された女性客を含め、しん……と、水を打ったみたいな静寂が店内に満ちる。

 オレは何もしていない。

 いや、何かしたのかもしれないけど、指一本触れていない。

 これって、もしかして。

 しばらくして、沈黙を破ったのはメロリナさんだった。


「け、計算どおりじゃ」

「メロリナさん、オレ、今」

「うむ。まぎれもなく【一触即発クイック・ファイア】の拡散放出でありんした。四方八方から迫って来る危機を感じ取り、無我夢中で放たれた一発であったの」

「計算どおりって、まさか最初から?」

「然り。その技の習得には、敵に囲まれた状況を作るのが最も効果的でありんす。そのため、あのような話題を振り、男たちにもらしく振る舞ってもらったのじゃ」

「じゃあ、全部演技だったんですか? ロドリコさんたちも?」

「あー、うん、まぁの」

「すごい。オレに修行をつけるために、そこまで準備してくれていたなんて」

「そ、そうであろ」


 たった一発なのに、魔力消費による疲労感が大きい。

 それでもスキルアップしたという喜びが格段に勝る。

 もう一度やれと言われても上手くいかないだろう。

 だけど、感覚は覚えている。


「絶対に習得してやるぞ」


 目標を新たに、オレは体を張って練習台になってくれた男性客たちに感謝の一礼をした。あと、拓斗とエリム、二人もありがとな。演技だと全然気づかなかった。


 おっと、異臭が漂い出す前に処理しないと。

 オレは意気揚々と、どこか幸せな顔をした屍を一つずつ外に引きずっていった。

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