第145話 触手「やっと出番ですか?」
パストさんと二人でミノコの背に跨り、拓斗たちを戦場に残して、どんぶらこ、どんぶらこ、と船から遠ざかって行く。
サキュバスになったことで、嗅覚は人間だった時よりいくらか鋭くなったけど、視覚や聴覚は以前と変わらない。拓斗たちの姿が豆粒くらいの大きさに見える――50mくらい離れたかな。これだけ離れたら安全だろ。
「申し訳ありません。私のわがままで、リーチ様のご活躍を妨げてしまいました」
「あや、そんなの気にしないでください。マザークラーゲンっていうくらいだし、多分雌ですよね。オレがあそこにいても、きっと役には立てませんでしたよ」
そもそも雄だったとしても、脳を持っていない=性欲がない? そんな軟体生物相手に【
うーん……。
冒険者をやっていくなら、今後のためにも検証しておいた方がいいよな。
なんて割り切って考えられるようになったあたり、最初の頃と比べると、特能を使うことにもずいぶんと抵抗が無くなってきたような気がする。それが良い傾向だとは思いたくないけど。
ええと、最後にステータスを視たのはいつだったか。
そうだ。拓斗にヌキ打ち検査で【
あの時、確かレベル9(80/256)だった。
ま、あれから数日経ってるけど、経験値アップもいい加減頭打ちになっているに違いない。養畜場のモヒじじいに一発かましちゃったから、1ポイント上がっているのは仕方ないとしても、せいぜい(82/256)か(83/256)……
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
【リーチ・ホールライン】
レベル:9(136/256)
種族:サキュバス
年齢:17
職名:
特能:
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
………………ないわ。
ホントなんなん?
マジでなんなん?
経験値アップもだけど、更新された【職名】、なんなのこれ。誰のセンス?
「リーチ様?」
急に押し黙ったせいで、パストさんが心配している。
オレは引きつった顔と声で「なんでもないです」と搾り出すように答えた。
オレ、学んだよ。人間――じゃない。サキュバスは諦めが肝心だってな。
んで、肝心の検証は、と。
海面に漂うクラーゲンの一匹に人差し指で触れ、一定量の魔力を流し込んだ。
「うげ」
【
この白いのって、やっぱアレ……なのかな。
人間に撃つことを比べればマシだけど、それでも嫌悪感はゼロじゃない。
「はぁ……」
気を取り直して、経験値を確認。
はい。レベル:9(137/256)になってました。
クラーゲンみたいな生物にも効くのかよ。
入れ食いじゃん。
――と喜べる神経は、生憎持ち合わせていない。
オレの魔力量だと、だいたい【
絶ッッ対やんないけどな。
サキュバスのレベルが高いって言うと、すげー淫乱なイメージあるじゃん……。
だからオレは、できる限りレベルアップなんてしたくない。
とりあえず、ミノコには白いナニかから離れてもらった。
どうやら拓斗たちが戦いを始めたようだ。遠目にそれがわかる。
「拓斗たちだけで大丈夫ですかね?」
もしものために、ミノコだけでもサポートについてもらった方がいいだろうか。
とは思うが、ミノコはどうしてもと言う時以外、極力戦闘に加わろうとしない。基本的に面倒臭がりな奴なのだ。
「海水にマザークラーゲンの体液が染み出さないように倒すとなれば、それなりの工夫は必要でしょう。ですが、レベル25程度のモンスターでしたら、タクト氏がいれば問題無いと思われます」
「ですか。じゃあ、オレたちは本格的に手持無沙汰ですね」
「申し訳ありません」
「謝らないでくださいってば」
冷静に考えると、レベル29という高レベルなパストさんが格下のモンスターを恐れるとは思えない。その証拠に、さっきの発言も完全にマザークラーゲンを雑魚扱いしている。多分、戦力にならないオレに気を遣ってくれたんだろう。
それに、どこまで本気なのかわからないけど、オレを魔王の后候補だとか言い、こんな風にへりくだった態度を取られると、逆にこっちが恐縮してしまう。
「せ、せっかくですし、パストさんのこと、もっとよく知りたいですね」
「私のことですか? 光栄です。なんでもお訊きください」
「んー、じゃあ、パストさんの得意な魔法ってなんですか?」
この世界で魔法と言えば、火・水・風・土・光・闇に大別される。
それぞれの魔素が大気中に含まれており、術者の魔力と反応させて、魔法という現象を起こすらしい。詳しくは知らないけど、得手不得手と言うか、天性の相性もあるそうで、全ての系統を習熟させるのは不可能に近いんだとか。
「特能は御覧になられたとおりですが、私自身は風の魔法を得意としています」
「もしかして、初めて町に来た時、空に浮いていたのって」
「はい、あれも風の魔法です」
「へえ、全力だと、どれくらいのスピードを出せるんですか?」
実は、オレも夜中にこっそり空を飛ぶ練習をしていたりする。だいぶ自由に翼を扱えるようになり、今では馬車並の速さで飛べたりするのだ。もしパストさんが、「走るのとそう変わらないですね」なんて答えたら、へへ、自慢しちゃおうかな。
「全力だと、音速を少し超えるくらいでしょうか」
言わなくてよかった。これ、ウサギとカメどころの話じゃないですわ。
魔法だから、ソニックブームとかも大丈夫なんですかね。すげーや……。
「おかげで、魔王様によくお使いとして走らされています」
「魔王……魔王ですか」
「魔王様がどうかされましたか?」
パストさんに関して、事前に気になっていたことが一つある。
「パストさんの種族。ダークエルフって、エルフと同じように、保護指定されてる種族なんですよね?」
「はい。エルフを森の民、ダークエルフを砂漠の民と呼び、どちらも保護指定されています。保護指定という制度自体、人間が勝手に定めたものですが」
エルフのお客さんも何人かいるし、概ねエルフは人間サイドだ。
友好的と言うより、その方が生きやすいからかもしれないけど。
「パストさんが人間の敵に回って魔王の味方をしているのは、何か理由があるんですか? あ、言いにくい事情とかでしたら無理にとは」
「いえ。少々気が早いですが、リーチ様は私の
気が早いっていうか、それ、気の迷いだと思うんです。
パストさんがオレから視線を外し、水平線を見つめて語り出した。
「リーチ様は、ゲートの仕組みをご存知ですか?」
「ゲート? 召喚みたいなものですよね? 一方通行だって聞きました」
「そうですね。ゲートとは、返しのついた通路のようなものなのです。もっとも、その返しを無視し、無理やり向こう側へ渡ることもできないわけではありません。魔王城の宝物庫に座標を定めたゲートを作り、腕一本だけを通して宝を拝借するといったことも、私ならば可能です。もちろん無事では済みません。ゲートを通した腕はボロボロになるでしょうし、全身を通せば、間違いなく命を落とします」
怖ッ……。やらないでくださいね。
「では、ゲートがどのようにして生じるのかはご存知ですか?」
「えっと、瘴気の濃いところに発生するとかなんとか」
町にホログレムリンが現れた時、メロリナさんが言っていたのを耳の端で聞いただけなので、これまた詳しくは知らない。
「瘴気とは本来、魔に属する種族しか持たない類のものなのです」
「あれ? でも、パストさんもゲートを作れるんですよね?」
「例外的に。私は生来にして、瘴気を発生させることができるのです。高い魔力を持つ種族の中で、何万人かに一人、そういう体質で生まれてくるそうです」
「おお、凄いですね。天賦の才ってやつですか」
その賞賛に噓はなかったが、すぐに短絡的だったと後悔することになる。
「昔は制御の仕方もわからず、持て余していました。それゆえに、同族からは忌み嫌われた存在だったのです」
「あ、え」
「魔物との混血を疑われたりもしました。生きる力の無い子供のうちに捨てられなかったのは、せめてもの温情なのでしょう。二十歳になると同時にダークエルフの里を追放されました。それからは魔力の高さがあだとなり、魔物に日がな命を狙われることになりました」
想像を遥かに超える重い来歴を聞かされ、オレは絶句した。
辛い過去を思い出させてしまったことを謝罪したい気持ちでいっぱいになるが、パストさんの口振りは悲観的なものじゃなく、むしろ昔を懐かしんでいるかのように微笑んでさえいる。
「味方はおらず、周りが敵ばかりで生きることに疲れていた時、魔王様に拾われたんです。行くところがないなら我のものになれ。そんな風に上から言われました」
「……恩返し、ですか?」
「確かに恩義はありますが、ここ数十年で十分に返したつもりです。今は単純に、魔王様の覇道を傍らで見ていたいという願望でしょうか。それと、近くで見張っていないと落ち着かないというのもあります」
「変態ですもんね」
「否定できません」
ミノコの上で二人、くすくすと笑い合った。
「愛多きと言えば聞こえは良いですが、魔王様は幼女から熟女まで、広く女性という生き物を愛しています。要は節操なしです。ですが! 正式に后を娶りさえすれば、その悪癖も改善されると思うのです!」
訴えかけるような目をしたパストさんの顔が、ずずいと近づいてきた。
ちょっといないくらい綺麗な上、真剣そのものなので思わずたじろいでしまう。
「リーチ様、魔王様をよろしくお願いいたします!」
「よろしくと言われましても、后とか嫌ですよ。友達ならまだしも」
「なるほど。いわゆる『お友達から始めよう』ですね。その提案には賛成です」
「からっていうか、そこで終わりなんですけど」
魔王に限らず、野郎と友達以上に発展しようがねーよ。
どうしよう。振り回されるのも嫌だし、やっぱ友達も遠慮しておこうかな。
そう言いかけるが、パストさんの剣幕がそれを許してはくれなかった。
「リーチ様のお気持ちを
魔王のことで、どんだけ苦労してるんだろうか。
あまりにもパストさんの嘆願が必死だったため、ついぞオレは首を横に振ることができなかった。
「ありがとうございます! リーチ様と魔王様が結ばれるその日まで、リーチ様の貞操は、私がこの身に代えても死守いたします!」
「そんな日は一生来ないと思うので、お気持ちだけ……」
パストさんが苦笑いしてみせたのも束の間、すぐに真顔になった。
「……まさかとは思うのですが、既にタクト氏に貞操を捧げられていたりは……」
「気色悪いこと言わないでください。てか、なんで拓斗が出てくるんですか?」
「ああいえ、今の発言は忘れてください」
今日の流れからすると、ここで名前が挙がるのはエリムじゃないの?
エリムでもおかしいけどさ。
「どうやら、タクト氏たちがマザークラーゲンを仕留めたようですね」
「え? あ、ホントだ」
倒したマザークラーゲンを船に繋ぎ止めているのが見える。
結局、オレは何しについて来たんだろうな。
まあ、クラーゲンの刺身が美味かったから、それで良しとするか。
船の所まで戻ってくれとミノコに言おうとした矢先、ふと、辺りが薄暗くなっていることに気がついた。
「なんか曇ってきました?」
「いえ、これは……」
違うか。空は変わらずの快晴だ。てことは……。
――下だ。
いつの間にか、オレたちのいる一帯が真っ黒に染まっていた。
「なん、だ、これ」
ゾクゾク! と、言い知れぬ不安が背筋を駆け抜けた。
まるで、海溝のド真ん中に浮かんでいるみたいに、このまま深淵の闇に飲まれてしまいそうな怖さがある。
「――モッ!?」
突如、ミノコの体が引きずり込まれるようにして海中に沈んだ。
その拍子に、オレとパストさんも海に投げ出されてしまう。
「リ、リーチ様!」
「パストさ――」
どうにか、パストさんの手を掴んだ。
その直後だった。
にゅるるるるるるるるるるる。
目に映ったのは、そんな擬音が似合いそうな大量の触手。
足下から急激に伸びてきたそれは、支柱に巻きつくアサガオの蔓のように、一瞬にしてオレとパストさんの全身をまとめて鹹め取ってしまった。
そのまま二人一緒に海水から引き上げられ、宙吊りにされる。
「なん、で……。マザークラーゲンは倒したんじゃ……」
周囲を覆い尽くす影――その正体は、さっき船で見たものすら子供に思えるほど大きい、傘の直径が10mはあろうかという、とにかく巨大なクラーゲンだった。
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