第143話 尻もつかめば山となる

 マザークラーゲンの傘で持ち上げられた海水が、スコールのように水面みなもを打ち、【ラバンエール】みてェにシュワシュワと白い泡を大量に作り出した。


「でけェ」


 ロドリコのオッサンが言ってたとおりだな。

 傘の幅だけで、およそ5mの巨体。俺たちの船とほぼ同じサイズだ。


 傘に続き、ザパン! ザパン! と海面から俺の胴回りくらいはありそうな太い触腕が四本飛び出し、さらにはロープみたいな触手が何十本も生えてきた。

 さっきカリィが切断したのは細い触手で、敵のメイン武器は触腕だろう。

 あれで何度も攻撃されたら、こんな船、溶解を待たずに沈められちまいそうだ。


 つっても、派手な登場ではあるが、それほどの脅威は感じねェ。

 今回のマザークラーゲンは、前回の討伐から一年も期間が空いてしまったという話だったから、てっきりもっと成長しているンじゃねェかと予想していた。


「ホログレムリンの方が、よっぽど手強そうだな」

「当たり前だ。あんな特級悪魔がそうそう出てきてたまるか」


 呆れ口調で言うカリィもまた、臆すことなく敵を見据えている。


「推定レベルは25だっけか? あれもそうか?」

「…………。ああ、奴もレベル25と表示されている。特能の類は持っていない」


 カリィの特能、【磐座具視シークレット・アイズ】は他者のステータスを看破する。彼女にかかれば、名前だけでなく、レベル、種族、年齢、職業、そして特能の有無まで丸裸だ。

 そんなカリィが、マザークラーゲンを凝視したまま眉をひそめている。


「どうした?」

「……いや、気のせいだろう。母なる海と言ったりもするしな」


 一人で納得し、カリィは追求を打ち切ってしまった。

 マザークラーゲンは触手と触腕をウネウネと動かしてはいるが、こちらの様子を窺っているのか、すぐに襲って来る気配は無い。作戦中や変身中は攻撃しないのが敵キャラのお約束。やっこさん、そのへんはわきまえているらしいな。

 となれば、先手必勝。海の上で長期戦は不利だし、決着は一瞬でつけたい。


 が、一つ問題がある。

 利一にカッコイイところを見せると決めた以上、全裸で戦うなんてもってのほかだし、海パンの前を膨らませた状態で戦うところも晒したくはない。


「ここへ来るまでは、別に気にしちゃいなかったンだけどな……」


 俺は利一と、そしてエリムを横目にチラ見した。

 利一を、この先友達ダチ以外の存在として見るようになるかは一旦置いておく。

 けど、今の段階でも一つだけ言える確かなことがある。

 指を咥えてエリムに――他の男に譲る気は毛頭無ェってことだ。

 マザークラーゲンに意識が向いている利一に気づかれないよう、俺はこっそりとパストさんに耳打ちをした。


「悪ィんだけど、今のうちに利一を連れて、少しだけ離れていてくンねェか?」

「少しだけ? それは近すぎず、遠すぎず、具体的には、タクト氏の股間の膨張がぎりぎり確認できない程度の距離ということですか?」

「察しが良くて助かるぜ」


 やっぱこの人有能だわ。ザインの野郎が羨ましいね。


「私にとっても目のやり場に困ることですし、何よりリーチ様の安全が第一なので構いませんが、船の警護ができなくなりますよ?」

「奴が攻撃を仕掛けてくる前に片をつけるつもりだ」


 パストさんは「了解しました」と言い、早速利一の前で、自分の体を抱き締める素振りを見せた。それは儚げで、簡単に折れてしまいそうな弱々しさを思わせる。


「リーチ様……」

「パ、パストさん、震えてどうしたんですか!? 顔が土気色ですよ!?」


 いや、ダークエルフの顔色は元々そうだから。褐色と言っておあげなさい。


「情けないことに、あのモンスターの恐ろしい姿を目の当たりにし、このとおり、体が竦んでしまいました。偉そうな口を叩いておきながら、申し訳ありません」

「謝らないでください! 女性なんですから、情けないなんてことないです!」

「リーチ様は恐ろしくないのですか?」

「こんな姿になっても、オレは女性を守る側にいるつもりですから」

「なんて頼もしい」

「安心してください。パストさんのことは、この身に代えてもオレが守ります」

「それは結構です」

「え?」

「ああいえ。それよりも、ここから少し離れた所で観戦させていただけないかと」

「あー、じゃあ、ミノコに言うんで、乗せてもらって――」

「傍にいてくださいませんか? 前線を離脱したとしても、そこにリーチ様がいないのであれば、この恐ろしさがいくらも薄れるとは思えないのです」

「あ、はい」


 ヨイショ、ご苦労様です。


「えーと、なんか……そういうことになっちゃったから」

「後のことは任せろ。利一たちは離れた所から俺の勇姿をしっかり見ていてくれ。声援は随時受付中だ」


 利一が先に船からミノコに乗り移り、パストさんに手を伸ばした。

 パストさんも、俺たちに「ご武運を」と激励を残してくれた。

 ミノコに跨った二人が、どんぶらこと船から離れて行くのを見送り、俺は改めて意識を戦いに集中させていく。


「カリィ、今こそお前の尻を借りるぞ」

「いいとも。ん? なんだ、その手は? おい、何をする気だ? 尻を貸すというのは、力を貸すという意味なんだろう?」

「そう解釈するのはお前の勝手だが、揉まないと言った覚えはない」

「貴様……ッ」


 カリィが拳を固めて怒りを露わにした。一発殴られるくらいは我慢しよう。

 しかし、そんなカリィがおもむろに、ふっと表情を和らげた。


「揉ませる必要は無い。貴様は、私が大人の女だということを忘れているな?」

「何が言いたい?」

「要は肉体強化できればいいだけの話だろう? 尻を揉ませずとも、貴様のモノを勃たせることなど造作もない」


 そんな余裕綽々しゃくしゃくの台詞を吐いたカリィは、グラビアアイドルよろしく、前屈みになって胸を強調した。


「どうだ?」

「どうもしないが?」


 なんの感慨も湧かなかったので平然と言ってのけてやると、続いてカリィは右手を後頭部に、左手を腰に当て、くねくねとくびれを見せつけてきた。


「これならどうだ?」

「時間がもったいない」

「揉めばいいだろう! 揉めば! 好きなだけ揉みしだけ!」


 逆ギレされた。


「誤解しないでくれ。別にカリィの胸や腰がお粗末だと言っているわけじゃない。ただ、尻の魅力が突出しているというだけのことなンだ」

「そんな取って付けたようなフォローはいらん!」


 事実なンだが。


「ンじゃま、失礼して」

「待て。揉ませるにあたり、一つ条件をつけさせてもらう」

「安心しろ。できるだけ優しく揉んでやる」

「揉み方の注文ではない。私ばかり揉まれるのは不公平じゃないか」

「そんなことか。イイぜ、好きなだけ揉めよ」


 自慢じゃねェが、俺の大臀筋もなかなかのものだぜ。


「勘違いするな。揉むのは私ではない。エリム君だ」

「僕の聞き間違いでしょうか。カリーシャさん、今おかしなことを言いました?」

「俺にも聞こえた。ああ、おかしい。おかしすぎる」


 この女の頭が。


「何がおかしい。犠牲を払わず勝利だけを掠め取ろうなど、考えが甘すぎるのだ」

「これは回避しようと思えば回避できる犠牲だと思うンだけど……」

「知ったことか。嫌ならその海パンを脱げばいい。それでも強化できるのだから」


 勃起はまだしも、全裸は遠目にも隠しようがない。

 選択の余地は無い。


「……わかった。エリム、協力してくれ」

「本気で言ってるんですか?」

「協力してくれたら、こっちの世界に来る前の利一の話をできる範囲でしてやる」

「くっ、約束ですよ」

「触れるだけではダメだぞ! しっかりと指を動かして揉むんだぞ!」


 黙れ腐女子。その台詞、全部テメェの尻にもぶつけてやるから覚悟しろ。

 俺を真ん中にして、左にカリィ、右にエリムを配置。

 そうして呼吸を整え、「1・2の・3」と俺の掛け声でタイミングを合わせた。


「げえっ」←エリム

「うほっ」←俺

「んあっ」←カリィ


 左手に最高の感触と、尻に最悪の怖気が同時に走った。

 うわー。何これ、うわー。俺今、どういう顔になってンだろ。


「タクトさん……かなり強めに力を入れていますけど、お尻、痛くないですか?」

「だ、大丈夫……。でも、これはちょっと……」

「エリム君、今の台詞は非常によかったぞ!!」


 腐女子の興奮具合がヤバイ。

 対して俺たち男子のテンションは、反比例で急降下していく。


「む? タクト、レベルが25までしか上がっていないようだが?」


 半勃ちだからな。これが限界だ。差し引きで言うと、ちょっとはプラスだけど、左手を離したら、あっという間に萎えてしまいそうだ。


「なァ、エリムはもうイイんじゃね?」

「馬鹿を言え。このまま敵を倒すまで続けるぞ」

「マジか。そうなると、俺もカリィの尻をずっと揉ンでなきゃイケねェんだけど」

「やむなし」


 こいつ、自分の尻よりBLを優先させやがった。


「それよりも、奴が攻撃を仕掛けてくる前に片をつけるとパスト氏に息巻いていたようだが、どうやって戦うつもりだ?」

「ここから武器を投擲しても有効打にはならねェよな?」

「なりませんね。クラーゲンには、脳や脊髄といった神経機能をコントロールする中枢はありませんが、体全体に神経細胞が広がる散在神経を持っています。複雑な行動ができない代わりに、生命力がとても高いんです。多少刺したり斬ったりした程度ではビクともしません」


 散在神経か。高校の生物で習った気がするな。


「けど、さっきクラーゲンの刺身を作ってくれた時、エリムは包丁を一刺し入れただけで動けなくしてたじゃねェか。ヤりようはあるンだろ?」

「散在神経とはいえ、神経分布は均一じゃありません。密集している箇所を正確に断てば、一撃で仕留めることも不可能じゃないと思います」

「サイズが全く違うけど、その急所は見極められそうか?」

「ここからでは無理です。傘の上から観察でもできるなら別ですけど」

「だったら、飛び移るしかねェな」

「と、飛び移るんですか!?」

「勝利を得るために、時に自ら進んで危険に飛び込まなきゃならねェこともある。〝虎穴に入らずんば、虎児を得ず〟だぜ」


 あーくそ、利一のいる前で言っときゃよかったぜ。


「〝おケツに入らずんば、こじ開ける〟だと!? きき、貴様、尻をこじ開けて何を入れるつもりだ!? ナニを入れるつもりなんだ!?」

「何も入れねェよ……。つーか、俺のカッコイイ台詞が台無しじゃねェか」

「ということは、まさか、入れられる側を希望しているのか!? これは想定外だ。フレアにどう報告すれば……」


 せんでいい。すんな。


「とりあえず、エリム×タクトの情事はこの場で目に焼きつけさせてもらおうか。さ、遠慮なくいたしてくれ」


 あのね、敵がすぐそこにいるの。これから戦闘なの。状況理解してる?


「タクトさん、急に行動的になりましたね。どういう心境の変化ですか?」

「別に。女子の前で張り切るのは男のさがだろ」

「リーチさんの前で、じゃないんですか?」

「どうだかな」

「僕にも活躍の場を分けてくれたのは感謝しますけど、負けませんからね」

「何度目の宣戦布告だよ。あいつはドがつくアホな上、超がつくほど鈍いからな。長い目で見てこつこつ積み上げていこうぜ。〝塵も積もれば山となる〟だ」

「〝尻もつかめば山となる〟だと? それも貴様のいた世界のことわざなのか? なんの捻りもないな。しかし、タクトの尻を揉んでいるのに、どうしてエリム君の海パンは山になっていないんだ?」


 それ、疑問に思うところ?

 ていうか、ホントね、頼むからイイ加減にして。

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