第140話 小さくて大きな変化
微速前進。
魔石仕様の操舵輪をパストさんが握り、オレたちは沖に向かって出航した。
船のすぐ後ろには、ミノコがワニのように、す~っと静かに泳いでついて来る。相変わらず、巨体に似合わない見事な泳ぎだ。
ガソリンいらずで超エコロジーなこの船は、なんでも操縦者の魔力を、水属性と風属性の魔法による推進力に変換して動かす仕組みだとか。免許不要らしいので、オレも後でちょっと操縦させてもらおうと思う。
あんまりスピードを出しすぎると、そこかしこに漂っているクラーゲンを驚かせてしまい、装備品や船の甲板を溶かす不思議な溶解液を出される恐れがあるため、手漕ぎとそう変わらない速度で船を進めている。
「利一、さっきは悪かったな」
船から身を乗り出し、海面にたゆたうクラーゲンを船首が掻き分けて行く様子を眺めていると、拓斗が申し訳なさそうに言ってきた。
「何が?」
「上着、破いちまって」
「ああ。気にすんな。てか、助かったよ」
……オレは。
代わりに、ロドリコさんが爆死(※生きてます)しちゃったけど。
「にしても、スゲェ人気だな。羨ましい限りだぜ」
「ハ?」
今こいつ、なんつった? 羨ましいって言った?
まさか、オレが野郎どもに熱を上げられて喜んでいるとでも思ってんのか?
そんな苛立ちが顔に出ていたらしく、拓斗が焦ったように取り繕ってきた。
「ま、まァ、それ以上に苦労は多いンだろうけどな」
「苦労しかねーし」
筋力は無いわ。胸は重いわ。立ちションできねーわ。
「お、女になってよかったこととか無いのか? 例えば、あー、ほら、ちんポジを気にしなくてよくなったとか。……て、我ながら最悪な例えだな」
「ぱいポジを気にしなきゃいけなくなったらプラマイゼロだろが」
「あ、はい」
長年女をやっていたら多少は慣れてくるのかもしれないけど、今はちょっとしたズレが気持ち悪くて仕方ない。
体のことならなんでも質問しなさいとスミレナさんが言ってくれたので、これについて何か対策は無いですかと相談したら、「やだ、リーチちゃんに自慢されたわ。そんなのエインセル級のアタシにわかるはずがないじゃない」と、半ギレ半笑いになって揉みまくられた。
どうも、ある程度の大きさがあって、初めて発生する悩みらしい。
「とりあえず、俺の上着貸しとくから着とけ」
「なんで? 別にいいよ」
「そっちこそなんでだよ。さっきは脱ぐの嫌がってたじゃねェか」
「当たり前じゃん。誰だって、変態の前では脱ぎたくないだろ」
あの人たちは、なんか欲望が透けて見えるんだよ。経験値も徴収済みだろうし。
まあ、ロドリコさんを見てると、他にも使命感とかあるんだとは思うけどさ。
これって、オレの自意識過剰だろうか。
「変態って。女の水着姿を拝みたいと思うのは、男なら普通じゃね?」
「オレだって気持ちはわかるけど、あそこまで必死なのは普通って言うかな」
「そりゃ、必死になるだけの……」
言いかけ、目を合わせていた拓斗が視線を下げた。
「どこ見てんだ?」
「あ、や、なんでもねェ! とにかく着てろって!」
何かを誤魔化すように、拓斗は着ていた上着を脱いでオレに差し出してきた。
「いらないってば。それよか、お前が脱ぐと……ちょっと……」
剥き出しになった拓斗の上半身を直視できず、オレは目を逸らした。
「ど、どうした? その反応、もしかして……俺の裸にドキッとした、とか?」
「ドキッというか」
「というか!?」
「イラッとする」
「……何故?」
なんだ、その見事に割れた腹筋は。オレが求めてやまず、ついぞ手に入れることができなかったシックスパックを、これでもかと見せつけやがって。妬ましい。
目の前にあると、どうしたって自分と比較してしまい、余計にうんざりする。
それを正直に言うと、今度はオレたちの話を聞いていたエリムが上着を脱いだ。
「でしたら、僕のを着ていてください」
「いや、だからオレは」
「今日は天気がいいですし、そんな格好では日に焼けてしまいますよ」
「焼けるのがなんだっていうんだよ」
シミか? そばかすか? 美白とか全く興味無いんですけど。
どうせ、女はそこらへんにも気を配るべきだとか言いたいんだろう。
「やっぱり、リーチさんは女性なのに変わっていますね」
「悪いか」
「悪いとは言いませんが」
エリムは、オレの前世が男だったということを知らない。
訳あって、まだ内緒にしておくよう、スミレナさんから言われている。
それでも、踏み込んでほしくない領分ってのがある。
「あのな、あんましオレを女扱い――」
「リーチさんの水着姿が、その、素敵すぎて……目のやり場に困るんです」
目をやることはおろか、言葉にすることすら恥ずかしそうに、エリムは言った。
…………え、と。
返す言葉が出てこなかった。
長い。
長い沈黙。
次第に、オレは自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
そして、差し出されたままになっていたエリムの上着を、そっと受け取った。
「……借りとく」
「一応、日焼け止めもありますけど」
「それは……いい」
「わかりました。ちゃんと前も閉めておいてくださいね」
満足気に微笑んだエリムがオレから離れ、船を操縦しているパストさんに日焼け止めを渡しに行った。
もそもそと、エリムが着ていた上着に袖を通す。
すんすん。
人間の時よりも嗅覚が敏感になってるからか、他人の匂いがよくわかる。
この匂いは好きだ。
いつも厨房に立つエリムの匂いは、どこか美味しそうな匂いがする。
「え? え? ちょっと待て。利一、そのリアクションはなんなんだ? 俺とか、ロドリコのオッサンたちの時と全然違くね?」
「そうか?」
「そうだよ! 今だって、なんでそんな赤く!?」
「……エリムは……なんか違うんだよ」
「なんかってなんだ!?」
「オレだって、よくわかんねーよ!」
エリムの体格は羨むほどでもないし、裸を見たところでなんとも思わない。
ただ、エリムがオレに対して取る言動の一つ一つが、どうにも感情を揺さぶってくる。それは波立つようなものじゃなく、嫌な感じもない。
エリムって、まさか……。
思い浮かんだものを払うようにして、オレはぶんぶんと頭を振った。
そんなわけがない。そうなる要因が思い当たらない。
外見はともかく、オレに女らしさなんてひと欠片も無いことは自覚しているし、そもそも女らしさを身につけようともしていない。だから、ありえない。
エリムが、オレのことを好きになるなんて。
そんなこと、あるはずが――。
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