第141話 わかンねェことだらけだ
これは一体どういうことだ。
あの利一が、エリムのことを意識している……だと?
待て待て。おかしいだろ。だってお前、ついこないだ言ってたじゃねェか。
女になっても精神的な変化は何もないって。男を好きになるとかキモいって。
それなのに、どうしてそんな赤い顔になってンだよ。
「リーチ様、いけません。早くも肌が赤くなられています」
「あ、いや、これは……違くて」
沖まで進ンだところで船を停泊させ、パストさんが操舵輪から離れた。
「日焼け止めはお使いになりましたか?」
「オレはいいんで、パストさんが使ってください」
「ご心配なく。ダークエルフは紫外線に強いので。さあ、背中を向けてください」
エリムから受け取った日焼け止めを、パストさんが手にたっぷりと塗りつけた。オイルタイプのようで、手に馴染ませる度にぬちゃぬちゃと音がする。
「じ、自分でやりますから」
「遠慮なさらず。私にお任せください」
「うひっ、冷たッ」
「リーチ様の肌、キメ細かくて、うっとりするほど美しいですね」
「パ、スト、さん、くすぐったい、です」
「そのように艶めかしく身をよじらないでください。ムラムラ――失礼、ムラが出来てしまいます」
……凄い光景だ。
美女が美少女の肌に手を這わせ、粘液を塗りたくっている。
まだ本命のマザークラーゲンが登場してないのに強化しちまいそうだぜ。
いかんいかん。思わず見とれちまった。話を戻そう。
どうする? 正面から尋ねるか?
――エリムのことを好きになったのか?
それを尋ねて、もし「そうかも」なんて答えられたら、俺はどうすりゃイイ?
「そんなわけないだろ!」と突っぱねられるならまだしも、口ごもられただけでも失神しかねない。……てのは大げさか。
――俺は、利一のことが好きなのか?
この自問、もう何十回したかわからない。
好きか嫌いかで言ったら、そりゃ好きだ。友人として、昔から。
でも、異性として、恋愛感情があるのかっつーと、照れ隠しでもなンでもなく、わからないと答えるしかねェ。
そりゃ確かに、利一と知らずに出会った時は衝撃を受けた。魔物だから討伐すると聞かされても、騎士団を敵に回し、全裸で駆けつけるくらい惹かれた。
それくらい、転生した利一の姿は、俺の理想ドンピシャだ。あの時の気持ちが、あのまま大きくなっていけば、恋と呼ぶ感情に発展したかもしれねェ。
でも、今は少し違う。
違うといっても、あの時の気持ちが完全に冷めたわけでもない。
気持ちをいくらか残したまま、親友として利一に抱いていた友情が、上書きではなく、上乗せされたような感じだ。
ありていに言うと、気持ちの整理が追いつかねェ。
友情と恋愛。どちらにも傾き得る――が、利一は以前と同じ友情を望ンでいる。
だから、俺もそうあろうと決めている。
男との恋愛なんてキモいと言い切る利一の一番近くにいるためには、友情を選ぶのがベストだと、そう思ったから。
それなのに、利一の方が変わってしまったのだとしたら……。
ああ、くそ。
誰か、相談に乗ってくれる奴はいねェか。
だけど、元男で親友相手にこんな気持ちを抱えているなンて、利一じゃなくてもキモいと思われるかもしれねェ。
いねェかな。別にキモいと思われようが、変態と罵られようが気にならず、かと言って信頼できるような、そんな都合のイイ相談相手。
「タクト、神妙な顔をしてどうした? まるで、親友ポジションにいる自分は相手にとって一番近い存在だと思っていたのに、ある意味親友であることが、最も遠い存在なのではないか。このままのポジションに甘んじていていいのか不安になってきたといった顔をしているぞ?」
あ、いた。
「……カリィ、俺はお前にキモいと思われようが、変態と罵られようが、一切気にならない。そして都合のイイ女だと思っている」
「つまり、喧嘩を売っているんだな?」
「待て、違う。信頼しているンだ。こんなこと、カリィにしか相談できない」
俺は
こっちの世界に来た直後から、ずっと俺のことを見てきたカリィにはおおよそのことが想像できていたらしく、一言「そんなところだろうと思った」と零した。
「確認するが、その複雑な心境とやらは、転生以前には無かったものなのか?」
「転生前の利一は男だぞ。あるわけないだろ」
そう言うと、カリィは明らかに相談を受けるテンションが八割ダウンしました、という面倒臭そうな表情になった。
「ふむ。リーチがエリム君を意識している、と。エリム君がリーチに好意を抱いているのは間違い無いと見ていいか?」
「だな。そこを疑う気は無ェよ」
俺なんて、利一のことで宣戦布告されたこともあるしな。
これまでは利一が態度に表さなかったから、てっきりエリムの――というか、男からの好意なんて歯牙にもかけていないのだとばかり思っていたのに。
「なるほど。リーチの気持ちが本物なら、めでたく両想いということか」
「りょ……やめろ。心臓に悪ィ」
「ふふ、貴様をいじめるのは気分がいいな」
「この野郎、後で覚えてろよ」
カリィが観察するような視線をエリムにやったので、俺もそれに釣られた。
「ウシさん、そこの艶の良いやつをお願いできますか?」
エリムは船から身を乗り出し、海に浸かっているミノコに何かを頼んでいる。
すると、ミノコは角で掬うようにして、クラーゲンを一匹、器用に投げ上げた。
ぼちょり、とボストンバッグみたいな大きさのクラーゲンが船尾に揚がる。
「まだマザークラーゲンは現れないようなので、今のうちに、新鮮なクラーゲンのお刺身をご馳走しますね」
そう言って、エリムは肩にかけていた鞄から包丁やまな板を取り出した。
「まずは、綺麗な水で軽くぬめりを落とします。水揚げされたばかりのクラーゲンなので、素手で触れても大丈夫です」
水筒を傾けて水洗い。続けて、傘を手で少しめくった。
「こんな風にして、中に包丁を差し込みます。そうして、放射管をカットすると、もう厄介な溶解液は体外に分泌されません」
簡単にやってのけているけど、どこに放射管とやらがあって、どんな角度で切除したのか、俺には全然わからなかった。俺や利一と同年代でありながら、手に職をつけた料理人なのだと、改めて感心させられてしまう。
「リーチ、リーチ、ちょっとこっちへ来てくれ」
テキパキとクラーゲンを捌いていくエリムを見つめていた利一を、カリィが呼びつけた。一緒にパストさんもついて来る。
「リーチ、その顔の赤さは日差しにやられたのではないな。どうかしたのか?」
理由はわかっているくせに、しれっと言った。
一瞬ぎくりとした利一は、そこからカリィを見つめ、ちらりとエリムを見やりを何度か繰り返し、視線はやがて足の爪先に固定された。
「えと……ですね。ありえないこと……なんですけど……」
そう言ってからも、利一は「自意識過剰かもだけど」「勘違いだと思うけど」と、しつこいくらいに前置きをした。
長い前振りを経て、ようやく利一が核心に触れる。
「エリムって、もしかして、オレのこと……好き……なのかなって……思……」
後ろの方は聞き取れないくらい声がすぼんでいった。
言葉にするのが堪らなく恥ずかしいようで、顔の赤みがさらに増した。
その様子の可愛らしいのなンのって。
……というか、え?
こいつ、好かれてるかどうか、まだその段階を疑ってたのか?
「エリムが利一を好きって、そんなもンお前、見てりゃ――」
「あ、いや、ごめん今のナシ! やっぱ気のせいだ! だって、エリムは好きな奴いるって言ってたし!」
それ、お前のことだろ?
「だけど、見たことはなくて……。からかおうにも、全然話に挙がらないし……。スミレナさんに訊いてもニヤニヤされるだけだし……。だから、簡単には会えない場所にいる子なのかなって……。遠距離恋愛は難しいっていうし……。それなのにオレのことばっか気遣うから、その子のこと、諦めようとしてるのかなって……」
エリムが今までに、何度も何度も体を張ってくれたこと。
自分のために、いつも料理のレシピを考えてくれたこと。
勘違いだ、気のせいだと言いつつも、今もエリムを意識し、しどろもどろになりながら話す利一の中では、もう答えが出ているようだった。
エリムは自分に好意を抱いていると。
「私は、初めて会った日から、彼はリーチ様に想いを寄せていると感じましたが」
パストさんの意見に、利一が飛び上がるほどギョッとした。
「ただの人間が、魔王様の前に飛び出してキぷふっ――失礼、飛び出して来て盾になるなど、生半可な覚悟でできることではありませんから」
「そ……ですか……。ですよね……。オレも、あのあたりから、なんか変だなって思うように……」
「そうして、リーチもまたエリム君に惹かれていったと」
カリィがそう話をまとめると、腹の中にしこたま鉛を詰め込んだみたいに気分が重くなった。想定していたショックを遥かに上回る。
ダメだ。この先、利一やエリムのいる【オーパブ】で働いていける自信が無い。
クエストが終わったら、【オーパブ】を出て騎士団に戻ろう。
また、アーガス騎士長のとこで世話になるかな……。
「オレがエリムに? なんでそうなるんですか?」
と、そこまで考えていると、利一が素っ頓狂な顔で首を傾げた。
これには俺もカリィもパストさんも目をぱちくりとさせた。
「逆に問うが、そうでないなら、何故そんなに赤くなって彼を意識するんだ?」
「だって、誰かに好かれるとか初めてのことですし。それが知ってる奴だったら、なおさら冷静でなんていられるはずがないじゃないですか」
「さっき浜辺で爆死(※生きています)した者たちも、リーチに好意を寄せていると思うが?」
「あれは違いますよ。あの人たちは下心と愛国心が半々っていうか。多分、オレとカリィさんの立場が入れ替わっても同じことをしてると思います」
「それはどうかと思うが……」
…………。
つまり、これはあれか?
隣の席の子が、自分のことを好きだと気づいてしまった。こんなの初めてだし、嬉しいような、恥ずかしいような、どう反応していいかわからない。
みたいな感じなのか?
「リーチは、エリム君のことを、異性として意識しているんじゃないのか?」
「エリムが異性? ――あ、そっか! いや、ないですよ!」
「本気で言っていそうだな」
「本気ですけど!?」
「ということは、本当に、単純に好意を寄せられたこと自体への反応だったのか。相手がエリム君ではなく、同性の私やパスト氏であっても、リーチは同様の反応を示したということなんだな」
「カ、カリィさんやパストさんが……オレを? もしそうだったら、エリムどころじゃないですよ。オレにとっては、カリィさんたちの方が異性みたいなものなんですから。そりゃ、嬉しいですけど……卒倒すると思います」
小学生かよ。
でも、そうか。
利一は、エリムのことを好きになったわけじゃなかったのか。
それを確認すると、腹の中にあった鉛が急速に軽くなっていった。
だけど、懸念することは残っている。
以前の利一だったら、男から好意を寄せられた時点でキモいと一蹴したはずだ。
なのに、利一はエリムの気持ちを否定したり、嫌がったりはしていない。
少しずつであろうと、利一の心は変化している。
と思う。確証は無ェけど。
「ところで、タクトから好意を向けられたらどうなる?」
「オ、オイ、何言ってンだ!?」
質問したカリィは悪びれもせず、「ついでだ」と言った。
利一は赤くなるでもなく、気持ち悪がるでもなく、悲しそうな顔をした。
「そんなこと、ありえないですし、冗談でも考えたくないですけど」
ずくん、と嫌な感じに心臓が跳ねた。
予想していたとおりの言葉が来るだろう。
でも、利一の口からは、できれば聞きたくなかった。
「もしそんなことになったら、もう友達ではいられないと思います」
答えた利一は否定を求めるような、不安そうな目を俺に向けた。
そんな目で見られ、俺は「ねェよ」と答えるしかなかった。
「すまない。変なことを訊いた」
利一に謝ったカリィが、俺にも謝罪と慰めを込め、背中をぽんと叩いた。
「――皆さん、お待たせしました」
沈みかけた空気は、エリムが持って来てくれた料理によって払拭された。
薄く小さく捌かれたクラーゲンは透き通り、花のように盛りつけられていた。
高級料亭に出てくるフグ刺しみたいだ。
「沸騰したお湯に、さっと通しても美味しいんですけど。今日のところはそのまま召し上がってください。ちゃんとウシさんの分も取り分けているので、遠慮しないでくださいね。リーチさんは……」
「あ、大丈夫。栄養にはならないし、食っても腹は膨れないけど、味がわからないわけじゃないから。一切れくらいなら、食べても体調壊したりしないだろ」
俺は、どうすりゃイイんだろうな。
少なくともエリムは、恋愛に関して俺よりも利一に近い場所にいる。
見てのとおり、生活力もあるしな。
正直、わかンねェことだらけだ。
この気持ちが、ただの独占欲なのか、育てば恋愛感情に発展するのか、それすら曖昧だ。あやふやだから、どう動けばいいのかもわからない。わからないまま焦りだけが募る。
「拓斗も早く食えよ。腹が減っては戦はできぬ、だぞ」
「ああ、もらう」
とりあえず、クラーゲンの刺身はべらぼうに美味かった。
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