第137話 もう帰りたい

 ――タクトさんの、ごつごつしていて硬いです。

 ――そういうお前こそ、俺のを物欲しそうに包み込んでいるぜ。

 ――い、痛ッ、そんな強く……。僕、壊れちゃいます。

 ――嘘だな。お前のここ、スゲェこりこりになってるじゃねェか。

 ――あぁん。そこは、薬指の第二関節は弱いんです。


「ぐふふ」


 エリムと握手しただけなのに、カリィの奴が『これでご飯三杯いける』みたいな顔をしてご満悦になっている。いったい頭の中ではどんな発酵が進んでいるのか。


「オイ腐女子、またなんか妄想してンだろ」

「はて、なんのことかな?」

「たく、感謝の気持ちが失せちまったぜ」

「感謝? ああ、この水着か? ふふ、私とてサービス精神が無いわけではない。見たければ、好きなだけ見てくれて構わないぞ。まあ、お子様には刺激が強すぎるかもしれないがな」


 大きく開いた背中を見せつけるようにして、カリィがくるりと反転した。

 やれやれだ。生意気なことを言う尻にはお仕置きが必要だな。

 深く嘆息した俺は、カリィの腰回りの紐に両手の人差し指を引っ掛け、ぐいっと引っ張り上げた。臀部を覆っていた布が、桃のような尻肉にきゅっと挟まれる。


「わっひゃああああああ!?」


 強制的なTバック状態。前面も同様に食い込み、ハイレグになっているだろう。


「きき、貴様、ななな、何をしている!?」

「予行演習だ」

「明日もするような言い方だな!!」

「するぞ?」

「少しは悪びれろ!」


 ぷりぷりの生尻を堪能し、カリィが爪先立ちになるほど持ち上げていた水着から手を離してやる。慌てて尻を隠し、いそいそと食い込みを直す仕草も悪くない。

 カリィの尻に、明日も一つよろしく頼むというつもりで小さく一礼した。


「決めました。明日のクエスト、僕もついていきます」


 唐突にエリムが言った。

 このタイミングでそれを言うと、カリィの尻目当てに聞こえるぞ。


「こう言っちゃ悪ィけど、お前は戦いに向いてないンじゃねェのか?」

「確かに僕は非力で、実際に戦っても役には立てません。でも、クラーゲンのことならよく知っています。ウチの店でも食材として使うこともあるので」

「食えるのか?」

「唐揚げにしても美味しいですし、刺身にしてお酒のつまみなんかにもなります。溶解液は時間が経つと毒になるので調理には免許が必要なんですけど、僕ちゃんと持ってますし、食べられる部位に毒が回らないよう捌くことができます。もちろん普通の大きさのクラーゲンならですけど」

「現地で料理するわけじゃねェぞ?」

「そ、それでも、きっと役に立てることがあるはずです。この町のために、僕にもできることをやらせてほしいんです。……というのは建て前で、本音はリーチさんの前で、タクトさんだけにいい格好をさせたくないからですけど」


 正直で結構。

 俺としちゃ、できれば利一にも留守番していてもらいたいンだけどな。

 カリィは騎士だし、戦闘経験もあるだろう。

 パストさんはレベル29だって話だし、下手すりゃ俺より活躍しかねない。

 この二人は問題無ェとしても、利一とエリムはそうもいかない。


「男子の一念だ。連れて行ってやろうじゃないか」


 どうしたもンかと返事を渋っていると、カリィがエリムの意思を後押しした。


「そうは言ってもなァ」

「リーチにタクトを取られまいという気持ち、私は汲んでやりたい」


 そんな腐った気持ち、どこから汲み取ってきやがった。肥溜めか?


「パストさん、アンタからも何か言ってやってくれ」

「よくわかりませんが、男性同士の友情はとても尊いものだと思います。できればそこに、ぼっちかと言うと――あいえ、どっちかと言うと、友人が極めて少ない、哀れで寂しい魔王様も、慈悲と憐憫の心で加えていただければ幸いです」


 ボスが変態で、苦労してンだろうな……。でも、そうじゃなくて。


「それだと腐女子が喜ぶだけ――って、オイコラそこ! 『同志発見!!』みたいに目ェ輝かせンな!」

「パスト氏、魔王配下ということで警戒していたが、どうやら杞憂だったようだ。私たちは良い友になれる。今度、アナタに勧めたい本があるので持って来よう」

「布教して仲間に引き込もうとすンな!!」


 ああもう、なんの話をしてたっけか。そうだ、エリムを同行させるかどうかだ。


「な、なんと言われようと、僕はついて行きますからね!」

「心強い。エリム君、共に力を合わせてクエストを攻略しよう。他意は無い」

「他意しか無ェだろうが!!」


 俺って、いつからこんなにもツッコミ役が定着しちまったンだ……。

 勘弁してくれよ。当日、戦闘以外でも疲れる気しかしないンですけど。

 ああもう、早く帰りてェ。





「もう早く帰りたい……」


 タオル一枚で体を覆ったオレの切実な呟きは、悪魔二人の耳に届かない。


「リーチちゃん、次はこれ! これ着てみましょう!」

「なっはは。ついに肌面積が九割いってまうやん」


 一つの試着室に、オレ、スミレナさん、そしてこの店の主人であるマリーさん。

 ただでさえ人口密度がヤバいことになっているのに、二人はお構いなしに様々な水着を持ち込んでくる。まるで着せ替え人形だ。

 そして今渡されたのは――……え、何これ、紐?


「ちょ、なんですか、これ! これで何を隠すんですか!?」

「別にハミ出てもいいわよ? それをつけて海に行くわけじゃないし」

「だったら、なんのために試着するんですか!?」

「アタシたちが見たいからだけど?」


 お願いします。ここへ来た目的を思い出してください。


「こんなの着ませんから! ていうか、狭いんですけど!? スミレナさんは自分の水着を選んでくださいよ!」

「アタシ? アタシは海に行かないわよ? 最初は行くつもりだったんだけど」


 スミレナさんが、ふっと哀愁を漂わせて言った。

 その理由については、マリーさんが代弁してくれた。


「パストちゃんがエリミネーター級なんはすぐわかったけど、カリーシャちゃんは意外やったで。てっきり並より小さいと思てたら、鎧で押さえ込んどったんやな。着やせするタイプとは騙されたで。ええ形の尻持っとるだけやのうて、ウチと同じケルベロス級とか、スミレナにとっては相当ショックやったやろな」

「マリー、それは誤解よ。お店の準備で忙しいからよ。けっして、リーチちゃん、パストちゃん、カリーシャちゃんと並んで『特盛、大盛、並盛、それとあらあら、一つ盛り付け忘れてない?』とか思われたくないからじゃないわ」

「うんうん、せやな。そういうことにしとこな」


 男子の前――じゃないけど、他の女子の体についてあれこれ言わないでほしい。


「あら、リーチちゃん。真っ赤っかよ? もしかして、彼女たちが脱いだ姿を想像して幻肢げんし勃起しちゃった?」

「その単語、久しぶりに聞きましたね!」

「そんなことより、早く着てみて。次の水着が控えているのよ」

「着ませんって! オレ、希望出しましたよね!? なんで無視するんですか!?」


 第一希望、ダイバースーツ。


「ダメよ。あんなの全然可愛くないもの。世界が許しても――ううん、世界も許さないし、アタシも許さないわ」

「可愛さとか一切求めてないんで! せめて第二希望を通してくださいよ!」


 第二希望、パンツタイプのビキニ。

 限りなく海パンに近いという理由でこれを選んだ。ビキニと言われると少しだけ恥ずかしさも出てくるが、紐に比べたら一億倍マシだ。


「リーチちゃんは別の世界から来たから知らないのね」

「……何をです?」

「この世界ではね、肌の露出面積が多い装備ほどレアで防御力が高いのよ」

「マ、マジですか!?」

「え、こんなの信じちゃうの? リーチちゃんて、やっぱり……」

「ち、違うんです! 向こうの世界のゲームだと、一概にありえないとは言い切れなくて! 今のを本気で信じるほどアホじゃないですから!」


 何もかもをスク●ニのせいにして、この場から逃げ出したい。


「それじゃ、マリー、次の水着を」

「ここに」


 恭しく、マリーさんが両手の指で摘まむようにして何かを広げ、顔の前まで持ち上げた。……ように見えるが、その手には何も持っていない。


「これを着てみましょうか」

「これと言われても、何も無いじゃないですか」

「ウソ、リーチちゃん、まさか見えないの!?」


 口を手で隠し、ことさらに驚いたようなリアクションを取られた。


「どういうことです?」

「これはね、アホには見えない水着なの」

「あ、やっぱり見えました。じゃあ着てみますね。とでも言うと思ったんですか!? オレのこと、どんだけ、どんだけアホだと思ってるんです!?」

「もしかしたら、という可能性を捨てきれなかったの」

「手に取るくらいはすると思てんけどなあ」


 普段のオレって、そんなにですか?


「今のところ、最初に着たワンピースタイプが無難かしら」

「せやけど、リーチちゃんが着ると、おっぱいがえらい窮屈そうやったよな。上に合わせると下が余り、下に合わせると上が足らん。けしからん体やで」

「まったくだわ。とんだわがままボディーよね」


 なんでオレが責められてるんだ。


「せやし、あれはどっちか言うたら、エリム君の方が似合いそうな気がしたな」

「そうね。あの子、アタシに似ておっぱい小さいから」

「スミレナ、自虐ネタはやめとき」


 いや、それよりもですね。エリムで当たり前のように女物の水着を想像するの、やめてあげてください。あいつ、エリコとか言われるのも結構気にしてますよ。


「あ、ごめんなさい。リーチちゃんはそのままでいいのよ。遠慮なくバストアップしていってちょうだい」

「胸なんて、あっても邪魔なだけです。肩だって凝るし」

「あら、自慢されちゃった?」

「してませんよ! 足下だって見えないし、不便しかないんですから!」

「やっぱり自慢ね。リーチちゃんに自慢されちゃった。マリー、どうしましょう」

「揉むしかないんちゃう?」

「ええ、揉むしかないわね」


 あー、揉めば大きくなるって、実は眉唾物なんだよな。

 だからって、それに口出しするつもりなんてないけど。


「てえええ、なんで自分のじゃなくてオレのを揉んでくるんですかああああ!?」

「「揉みたいから」」


 ハモりやがった。このお姉さんたち、もうやだ。

 右乳をスミレナさんに、左乳をマリーさんに、一個ずつ揉みもくちゃにされる。


「ちょ、あひぇ、うひゃ、ひえ、あ、あ、ああああああああああああ!!」


 オレは二人の手を振り切り、試着室を無我夢中で飛び出した。

 タオル一枚のみを体に巻いて――……あれ、タオルどこ行った?

 揉まれているうちにズリ落ちたか。だけど逃げるが先だ。


「拓斗、かくまってくれ!!」

「お、利一、やっと終わったのか。待ちくたびれたぜんらあああああああ!?」


 はしたないのは承知。でも緊急事態なんだ。

 ばいんばいんと上下する乳揺れの痛みに耐え、オレは拓斗の背中に回り込んだ。


「リーチ様、なんというお姿で……」

「す、凄まじい揺れっぷりだったな」


 パストさんとカリィさんの水着姿。おおおお、可愛い!

 なんて思っている場合じゃない。悪魔が追いかけて来た。


「こらこら、リーチちゃん、そんな格好で外に出ちゃダメじゃない」

「うーわ、エリム君、売り物には血ぃつけんといてや」


 視界の端で、エリムが鼻血を噴いて倒れている。巻き添えを喰らわせてしまって申し訳ない。だけど、オレの裸を見ても欲情しない拓斗なら助けてくれるはずだ。

 と、そう思ったのに。


「た、拓斗?」


 すっ、と拓斗がオレを拒絶するようにして、無言で離れてしまった。

 だけじゃなく、よろよろと陳列されている商品にぶつかりながら、しかも何故か中腰になり、「先に帰る」と言って店を出て行ってしまう。

 なんだ。急にどうしちゃったんだ?

 その隙を突かれ、両腕にしがみつくようにして、悪魔二人がオレを拘束した。


「許してください! お願いします! もう帰らせてください!」

「リーチちゃん、ごめんなさい。ハシャぎすぎたようね。そこまで嫌がるのなら、もう無理にとは言わないわ。アナタの希望するものを買いましょう」

「ほ、本当ですか!?」

「第二希望の方ね。色はピンクよ」

「あ、はい」


 パンツタイプのビキニか。

 まあいい。紐や、アホには見えない水着に比べれば、なんの文句も無い。


「じゃ、試着室に戻りましょうか」

「え、どうしてです? 買う物を決めたんだから、あとは会計だけじゃ?」

「それはそれよ。とりあえず、このお店にある水着は全種類試着するから」


 なん……だと。


「なはは。そっちのお二人さんも、一緒に観賞せえへん?」

「御相伴にあずかります。魔王様に良い土産話ができそうですね」

「リーチの水着ショーか。一見の価値ありだな」


 頼りにしていた拓斗は戦線を離脱し、エリムは鼻血の海に沈んでいる(放置)。

 味方がいない。

 捕えられた宇宙人を連行するように、ずるずると引きずられて行く。


 ああ、試着室が拷問室に見える。

 全てを諦めたオレは、こうして再び闇の中へと吸い込まれて行った。

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