第121話 泣く子とアホの子には勝てぬ

「――利一……利一……オイ」

「ん、ん~ぅ?」


 頭上から、「そろそろ起きろ」と声がする。

 押さえ込むようにしてしがみつき、頬を擦りつけていた抱き枕からオレは緩慢に顔を離す。くぁ……と大きな欠伸をしながら目蓋をこすると、目の前にはぐったりした親友の顔があった。


「んあ~、拓斗か……おはよ」

「おはようじゃねェ」


 まだ夜? じゃないよな。閉じた薄桃色のカーテンを、陽の光が裏側から明るく照らしている。いつもどおりの起床時間だ。


「あれ? もしかして、寝ぼけて拓斗の布団に入っちゃってたのか?」

「御覧のとおりだ。いつ起きるかと思って息を潜めること数時間。おかげ様で俺は寝不足です。可愛い寝顔をありがとう」

「ごめん、重かったか?」

「重くはねェけど、その寝相をなんとかしてくれ。お願いします。俺、昨日も同じこと言ったよな?」

「だって、拓斗の体、すげー気持ちいいんだよ」

「気持ちイイって、おまッ!?」


 あったかいし、でっかいし、極上のベッドって感じ。


「そう考えると、エリムはちょっと小さいんだよな」

「小さいって、ナニが!?」


 牛小屋から平屋への移住が認められた拓斗と相部屋になったはいいが、ベッドは一つしかないから、オレがベッドを使い、拓斗は床に布団を敷いて寝ている。

 だけど寝心地の良さは、圧倒的に『敷布団<ベッド<<拓斗』だから困る。

 気がつくと、誘われるようにして拓斗の上で眠っている。サキュバスの性質なんだろうけど、オレは当然のこと、拓斗も変な気を起こさないから問題は無い。

 ちなみにエリムも牛小屋ではなく、平屋の、多分台所の隅っこ辺りで寝ている。


「拓斗は枕が変わると眠れないタチ?」

「違います。腹に凶悪なまでに柔らかい物が押し当てられていたからです」

「さっきから、なんでちょくちょく敬語?」

「そんなことはどうでもイイのです。それよりも、毎晩、利一さんが俺の掛布団になりにいらっしゃることについて何か申し開きはないのかと問いたいわけです」

「はは、オレは掛布団か。間にエリムでも挟むか?」

「死んでも断る。それより質問に答えてください」


 申し開きと言われても、寝相の悪さは無意識だからな。

 うーん……。


「いっそのこと、初めから一緒に寝ればよくない?」

「よくねェェェよ!! 極論やめて!! 心臓止まる!!」


 一緒に寝たら心臓止まるって、それどんな物の怪だよ。いや、サキュバスだし、やろうと思えばできるのかもしれないけど。


「俺はな、お前を男の友達ダチだと思うことにしたンだ。思おうとしてるンだ」

「うん、それでよろしく」

「そうしたいのは山々なのに、アホの子が俺の精神力をごりごり削ってくるンです安眠妨害してくるンですなんとかしてください」

「ひでーな。オレが文句言ってやるよ。誰に言えばいいんだ?」

「お前だよ!」

「バカな!?」


 スミレナさんだけじゃなく、拓斗までオレをアホの子だと言うのか。


「オレが一体何したって言うんだよ?」

「その台詞は、とりあえず俺の上からどいて言ってもらおうか」


 言われたとおり、オレは拓斗から体を起こしてベッドに座り直した。

 そして改めて同じ質問をぶつけた。


「アホの子に説明しても上手く伝わるとは思えない。だから、誰が見ても一目瞭然の物的証拠を示させてもらう。心して答えてくれ」


 拓斗の安眠を妨害している物証。そんな物あるわけがないとオレは高をくくったが、拓斗は自信ありげにベッドの脇を指差した。


「そこに、ブラジャーらしき物が落ちてるンだけど?」

「ああ、それオレの」

「わかっとるわ! なんで落ちてるのか理由を訊いてるンだよ!」

「最初は着けて寝てたんだけど、やっぱ寝苦しくてさ。夜中に外したんだ」

「くっ、見逃した。じゃない! そこは我慢してほしいンだが……」

「パンツはちゃんと穿いてるぞ? こないだ怒られたからな」

「残念ですが、それは我慢のうちに入りません」

「穿かなくていいってこと?」

「我慢以前の問題だって言ってンの!!」


 乳の形を崩さないために、寝てる時もブラジャーを着けてろっていうのは、まあわからなくもない。オレだって垂れたりするのは嫌だ。

 でもパンツは別によくない? ノーパン健康法とかあるじゃん。

 そこで考えたオレは、興奮冷めやらぬ拓斗に一つの妥協案を提示する。


「こうしよう。拓斗もパンツ穿かずに寝ていいぞ」

「全然期待してなかったけど予想以上になんの解決にもなってない!」

「拓斗って、寝る時は服着ない派なのか?」

「どうしてそういう考えに至ったのか、一応聞こうか」

「オレが下着を着けずに寝るのを、ズルイと思ってるのかなって」

「なるほど。(アホの子は)そういう風に考えるわけか」

「オレのことなら気にする必要ないぞ? 全裸で寝たけりゃ寝てくれていいし」

「できるか!」

「てっきり全裸になるのが好きなんだと思ってた」

「そう思われても仕方ない登場をしたけど、それはちゃんと説明しただろ!?」


 拓斗も拓斗で、相当に厄介な転生をしてしまったらしい。

 脱げば脱ぐほど強くなる……か。オレなら引きこもるな。


「一人でやるのが恥ずかしいのか? んー、どうしてもって言うなら、オレも風邪引かない程度になら付き合ってやってもいいけど」

「全裸にか!?」

「寝る時だけな」

「寝る時が一番ヤバイだろ! アダムとイブでも葉っぱで隠すわ!」

「アダムとイブって、どっちが男でどっちが女だっけ?」

「その質問って今重要!?」


 こいつ、こんなにツッコミ激しかった?

 何が気に入らないんだか、拓斗はいよいよ肩で息をし始めた。


「あれもダメ、これもダメじゃ埒が明かない。だったら最終手段だ」

「いや、最終も何も、お前がちゃんとブラを着けりゃイイだけの話なんだけど」

「拓斗もブラジャーを着けろ」

「意味がわからない。あえてもう一回言うぞ。意味がわからない」

「これの窮屈さを知ったら、ブラジャー着けて寝ろなんて言えなくなるはずだ」

「俺は男だ」


 俺だって気持ちの上では男だ。ただ窮屈だからってだけで言ってるんじゃない。


「オレと拓斗って、今ならそんな胸囲変わらないだろ」

「包む物が無ェんだよ!」

「オレのを貸してやる」

「…………。じ、自前のブラを持ってるかどうかの話をしてるワケじゃねェから! 包むおっぱいが俺には無いって言ってンの! 男だから!」

「最初の沈黙はなんだ?」

「なな、何が!? 全然揺れてねェし!? 揺れるおっぱいも無ェし!?」

「はは、何言ってんのか全然わかんねー。変な奴」

「ア、アホの子に、変な奴って言われた……」


 どんだけショックを受けてんだか、魚みたいに口をパクパクとさせている。

 叫んだり落ち込んだりと忙しい奴だ。もっとクールな奴だと思ってたんだけど。


「でもま、こういうのも楽しいよな。お泊まり会みたいで」

「男女でお泊まり会は普通やらねェよ……」

「男女じゃなく、オレたちは男友達。だろ?」

「ソーデスネ」


 投げやりな言い方だな。

 まあいいや。構わず思ったことを口にしていく。


「オレ、拓斗のことならなんでも知ってるつもりでいたけど、この世界に転生して来て、そんなのは一面でしかなかったんだってことがよくわかったよ。今みたいにオロオロする拓斗なんか見たことなかったし。童貞以外はパーフェクト超人くらいに思ってた」

「……幻滅したか?」

「そんなワケないって。むしろ、前より近くに感じることができるようになった。とか言うと失礼かもだけど、オレは今の拓斗、いいと思うな。あっちの世界だと、オレはお前にからかわれるばっかだったけど、今ならオレが拓斗をからかう余地もありそうな気がする」


 しし、と歯を見せて笑ってやると、拓斗は呆けたようにきょとんとした。

 そんな無防備な顔も、オレは知らない。

 転生して姿が変わったんだから、知らなくて当然だっていうツッコミはナシな。


「拓斗のこと、(親友として)まだまだ知っていきたい。(親友として)いろんな顔が見たい。だから拓斗も、(親友として)オレのことをもっと知ってくれよな」

「…………俺やっぱ、牛小屋でイイ」

「なんで!?」


 オレ今、めっちゃいいこと言ってたよな!?

 ここはあれだろ!? これからもよろしくって言って、ガッシリ握手の場面だろ!?


「利一、お前と男友達の付き合いをするとしても、一つだけ理解してもらいたい」

「な、何をだ?」

「知ってのとおり、転生したお前の姿ってのは、俺の理想に限りなく近いんだ」


 それを言うなら、オレから見た拓斗もそうなんだけど。

 高身長。引き締まった筋肉。精悍な顔つき。どれもオレの理想だ。

 ……あれ? そう考えると、拓斗って、もしかして女体化願望があったのか?

 金髪巨乳が好きって、自分がなりたいって意味で言っていたんだろうか。


「オイ、アホの子。こっちを見ろ、アホの子。どうせまた、とんでもなく見当違いなことを考えているだろうから、一旦その考えを捨てろ。イイな?」

「オ、オーケー。なんか怖いぞ」

「俺が言いたいのは、理想の容姿ナリでノーブラやらノーパンやら、あまつさえ全裸で目の前をうろつかれる俺の身になってみろってことだ」


 拓斗の表情は真剣そのものだ。

 ならば、オレも真剣に答えなくてはなるまい。


「自分の理想をけがされた気がしてしまうから、品の無い真似はするなって言いたいんだな?」

「10点」

「満点?」

「100点中だ」


 低ッ。

 オレの解答を採点した拓斗が、ガシガシと雑に自分の頭を掻いた。


「もしもの話だ。目の前に突然自分の理想が裸で現れたとする。常識で考えて冷静でなんていられない。俺が我を忘れて襲っちまったらどうする?」

「拓斗はそんなことしない」

「いいから。すると仮定して」


 無茶振りしてくれる。

 拓斗がオレに襲い掛かるところを想像しろだって?

 んー。むー。

 あの時のオークみたいに。あの時の冒険者や傭兵みたいに。


「想像したか?」

「……一応」

「いいか? その想像はな、ありえないことじゃないんだ」

「ありえない」


 オレはきっぱりと言い切った。またしても、拓斗がきょとんとする。


「襲われたとしても、拓斗なら途中でオレだって絶対気がつく。絶対正気に戻る。拓斗はオレが本当に嫌がることはしない。絶対しない」


 つーか、そもそも俺に欲情しないんだから、その仮定自体成り立たないだろ。

 ぎりりと拓斗が歯を食いしばったかと思えば、神に救いを求める迷い子のように天井を仰いだり、床に向かって魂ごと吐き出しかねない溜息をついたり。

 百面相をした後、全てを諦めたみたいに老成した表情に落ち着いた。


「本当に、どうなっても知らないからな。具体的には、十時間三十五分後以降に、お前は俺の真の姿を目の当たりにするかもしれない。それでもイイんだな?」

「真の姿って、なんかカッコイイな。ちなみに、なんの時間?」

「ペナルティーが明ける」

「なんのペナルティー?」

「それは秘密だ」

「脅したって無駄だぞ。寝る時のブラジャー着用は断固として拒否するからな」

「それはもうイイ。今回は俺の負けでイイ」

「負け? 誰かと勝負してたのか?」

「こうして、勇者新垣拓斗は内に潜む己の魔物と戦う覚悟を決めた。だがしかし、彼の受難は、まだ幕を開けたばかりなのであった」


 それ、なんのモノローグ?

 誰に言ってんの?

 答えは無く、最後にもう一度、拓斗は深い、とてつもなく深い溜息をついた。

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