第122話 親友の好感度が高すぎて辛い
ボール皿に熱湯を張り、その蒸気を利用してグラスを磨く。
湯の中にはカットされた柑橘系の果物を一切れ入れてあるため、颯爽とした香りがグラスにうつって上品な仕上がりになる。
作業に没頭しながら、俺は考えていた。
どうしたもンか。
天界人の情報処理能力をもってしても、解決の糸口が見えてこない。
マジでどうしたもンか。
「たーくと」
きゅっ、きゅっ、と小気味良い音を円柱形のグラスで立ていると、今まさに俺の頭を悩ませている元凶に、接客時とは全く質の異なる声音で呼び掛けられた。
本能が警鐘を鳴らしている。
迂闊に正面から目を合わてはならない。意識を持っていかれかねないぞと。
俺は視線だけを動かして、横目にそれを見やった。
まず視界の端に映ったのは、小さな翼だった。
サキュバスであることを隠す必要が無くなったため、これまではメイド服の中に窮屈に仕舞われていた翼が惜しげなく外に出されている。その翼だけど、どうやら利一の感情とリンクしているらしい。人懐っこい犬が尻尾を振るように、警戒心? 何それって感じでパタパタと動いている。
この仕草だけでも死ぬほど可愛いったらねェのに、さらに視線を移動させると、思ったとおり。そこには営業スマイルとは違う、純度120%の笑顔があった。
なんッッッじゃそれ。ヤバすぎンだろ。
接客は笑顔が基本と言うけど、頼むから仕事中は出力半分程度に抑えてくれよ。でないと、道を踏み外す野郎どもが続出すること間違いなしだ。
「……なんだ?」
一秒に満たないチラ見の後、俺は素っ気ない返事をして作業を続けた。
よし、耐えた。
「んーん、別に用はない。呼んだだけ」
「そ、うか」
手が滑り、危うくグラスを落としそうになる。
困惑と動悸を俺に寄越した利一は、鼻歌交じりで牛の乳しぼりをしている。
その日にドリンクとして出すミルクは、その日にしぼったものを。
【オーパブ】の看板商品――【リーチのしぼりたてミルク酒】の名に偽り無し。
そして利一の言葉にも噓は無い。本当に、ただ呼んだだけだった。
まるで、そこにちゃんと俺がいることを確認するみたいに。
そして、ちゃんといることを喜ぶように。
なんという、なんという凄まじい攻撃力。
心構えをしていたにもかかわらず、心臓を鷲掴みにされ、一瞬心拍が停止したかと思った。下手くそなりに、平静を保つことができた自分を賞賛したい。
だが、心の中では「可愛い!」を百連発で叫んでいた。
悩みというのは、まさしくこれだ。
――可愛すぎる親友の好感度がバリ高な件について。
全身から全力で伝わってくる好意。
元々、唯一無二の親友だっていう気安さが互いにあった。そこへ、入居テストとヌキ打ち検査をクリアしたことで、あいつの中で、俺に対する評価がMAXにまで高まったンだと思われるが、気の許し方が生まれたての雛鳥レベルで、逆に今度はこっちの気が安まらねェ。
光栄ではあるし、嬉しくないわけじゃない。むしろ嫌じゃないから困る。
誤解の無いように言っておくと、利一から向けられる好意は完全無欠の友好だ。そこに一切他意は無い。ちょっとでもあるなら、そっち方面にシフトしていくのもやぶさかではないと言うか――あああいや、やっぱナシ! 俺もそんな気は無い!
無いと言い切らなきゃ、こんな相部屋生活なんてやってられない。
利一は俺に友情を求め、俺も友情で応えると決めた。
他意は無い。無いったら無い。
無いのに……このままでは、いつか芽生えそうで怖い。既にぐらついてる。
あの利一の姿と無防備さに、変な気を起こさず友情を継続する。
ぶっちぎりで、俺の人生最難関クエストだ。
「正直、魔王を倒せって言われた方が難易度低いンじゃねェか、これ」
「――相当厄介な悩みを抱えていらっしゃるようですね」
うっかり漏らした呟きを、まだ開店前で軍服姿のパストさんに拾われた。
彼女のことは、最初は魔王の側近ということで警戒もしたけど、臨時とは言え、今は同僚だし、特に思うところは無い。どころか、百歳以上も年上だとあっては、ある程度の敬意を示すべきなのではとさえ思うようになった。
ただ、この悩みに関して彼女は敵なのか、味方なのか。
「魔王様を倒されても困りますし、お話くらいなら伺いますよ?」
こんな胸の内は、利一にはもちろん、せっかく俺を無害だと思って居候を認めてくれたスミレナさんにも明かせない。エリムは明らかに利一に惚れていやがる上、利一の前世が男だったことを知らない。内緒にしておいてくれと、スミレナさんから言われている。
ぶっちゃけ、話を聞いてくれる人がいるってだけでもありがたい。
俺は悩んでいる原因を、単純明快に伝えることにした。
「親友が可愛くなりすぎてて辛い」
前世云々の話はせずとも、これだけで十分だった。要点を察したパストさんが、「そういうことですか」と同情するように言ってくれた。
「物は相談なンだが、パストさん、部屋変わってくれねェか?」
「それは、私とリーチ様が相部屋にということですか?」
「今は女同士だし、問題無ェと思うンだけど」
そしたら、エリムと俺で一部屋が使えるし、心の平穏も取り戻せる。
別に俺は牛小屋でも構わねェんだけど、ちゃんとした理由をつけないと、利一は女になった自分が気持ち悪いから俺が離れて行くンだと思っちまう。逆だっつの。
「その話でしたら最初に出ましたね。私はよかったのですが、他ならぬリーチ様に断られてしまいまして。女の人と相部屋なんて絶対無理、だそうです」
「ああー……言いそう」
思春期の男子なら、涎を撒き散らして飛びつく物件だろうに。
「俺とパストさんで一部屋って選択肢は?」
「ありませんね」
「そりゃ残念」
「心にも無いことを」
くすりと、パストさんが口元に手を当てて上品に笑った。
好みのタイプとは違うけど、文句無しの美人が行う何気ない仕草は、年頃の男子の心拍数を否応なしに上げてくる。軽くときめいちゃったよ。
「事情は把握できました。私にできることは何もありませんね」
「そスか」
「お力になれず申し訳ないと思いつつ、私の方から一つお願いがあります」
「お願い?」
「この先、タクト氏が心変わりをされ、魔王様の恋敵となるかもしれません」
「な、ならねェし」
「可能性がゼロであれば、そもそも悩んだりなどしないでしょう?」
……仰るとおりで。
「それまでで結構です。可能ならば無期限でお願いしたいところではありますが、せめてそれまでは、魔王様と対等な友人関係を続けていただけませんか?」
「俺って、ザインの
「世界広しと言えど、御親族以外で魔王様を呼び捨てているのはアナタだけです」
「あらま」
あいつ、友達いねェのか。まあ、あの性格だしな……。
「それに、タクト氏は魔王様と類友――失礼、噛みました。魔王様とぜひとも互いを高め合う、良きライバルとなっていただきたいと思っています。強さで魔王様と渡り合える者などそうそうおりませんから」
それはいいけど、類友って言ったよね? 絶対言ったよね?
変態と同類に思われるのは癪だが、あいつはあいつで筋の通った奴だし、好きか嫌いかで言えば、嫌いじゃない。
「わかった。俺からもよろしく頼む」
「ありがとうございます。これまでに出会ったことのある転生者は皆、問答無用で魔王様を討伐しようとする者ばかりでしたので、此度の転生者がタクト氏やリーチ様のような方であったことに、肩の荷が一つ下りた思いです」
「パストさんも、苦労してそうだな」
「不本意ながら、手のかかる弟を持つ、姉のような心境に近いものがあります」
「あんなのが弟じゃ、そりゃ大変だ」
しゃあねェ。今度また一緒にエロ動画観てやるとするか。あのダークエルフものも途中までだったしな。実は続きが気になってたンだよ。
俺はチラ、とパストさんを覗き見た。
うん。今なら多分、興奮度が五割増しかも。
「――おっしゃ、終わり。ミノコもお疲れ」
「ンモゥ」
「手慣れてきたなって? へへ、これはオレにしかできない仕事だからな」
乳しぼりを終え、ぐるぐると腕を回し、ついでに胸もぷるぷると揺らした利一が手を洗うためにバーカウンターの中に入って来た。
あと二時間ちょいEDペナが残ってるが、そうでなかったら今のでもヤバいな。
「そっち手伝う?」
「いや、俺もちょうどグラス磨きが終わったとこだ」
利一が俺の後ろを通ってシンクに立つ際、体についたミルクの甘さと混ざって、すんげーイイ匂いがした。自然と喉が鳴ってしまう。
邪念を振り払い、磨き終わったグラスを壁に面した棚に収納していく。
鎮まれ。鎮まれ。我、無心ナリ。
「スキあり」
「うおっ!?」
腕を上げているところへ、不意打ちで利一が俺の脇腹を指で突いてきやがった。
またしてもグラスを取りこぼしそうになる。
「コラ、危ねェだろ!」
過剰な反応に気をよくしたのか、悪い顔をした利一が両手の人差し指を立てた。対する俺は、両手に一つずつグラスを持っているせいで防御ができない。
「にしし、拓斗って脇腹が弱いんだよな」
「タクト氏の弱点。覚えておきましょう」
「オイ、やめろ」
俺の懇願は聞き入れられず、じりじりと利一が迫ってくる。
「ぬあっ! ちょ、マジ、やめ! うひっ!」
「へいへーい、どうしたね、拓斗君、脇腹がガラ空きだぜー?」
ツン、ツン、と容赦なく脇腹を攻めてくる利一に、俺は狭いスペースで身を捩ることでしか抵抗できない。その仕草は可愛いけど、ホント脇腹弱いからやめて。
「た、頼む! もう勘弁、おふっ!」
「ヘイ、ヘイ、可愛い声で鳴くじゃないか。Hey、He――あ」
「ぬほあッッッ!?」
脇腹を伝い、股間に向かって凄まじい電気が走った。
「わり、〈丙〉撃っちゃった」
撃っちゃった、じゃねェだろォォォ!! 何ちょっと可愛く言ってやがンだ!!
〈丙〉ってのは、微弱な【
イってはいない。イってはいないけど、いや、だからこそムラムラだけが残る。
「お前な……」
俺がどれだけ辛抱してると思ってンだ。
ヤバい、ヤバすぎる。こんな状態で一晩を乗り越えるなんて不可能だ。
かくなる上は。
……風呂かトイレだな。カリーシャ隊長のお尻が懐かしいぜ。
二択とセットで後の予定を立てていると、
「――仕事場でイチャイチャしないでください!」
ピシャリと、場を諌める叱咤が轟いた。
声を荒げたのは、同じくバーカウンターに並んで黙々と料理の下ごしらえをしていたエリムだった。イチャイチャ。傍からは、そんな風に見えたのか。
俺は被害者だが、利一と口を揃えて「ごめん」と謝った。
すると、寸胴の中身をオタマで掻き混ぜていたエリムの手がぴたりと止まった。
どうも様子がおかしい。
「……もう……無理です。……何をやっても上手くいかない。頑張れば頑張るほど失敗して……どんどん自分の評価が下がっていく気がします……」
肩を落とし、独白するようにエリムは言った。
「僕では、お二人の間に割って入れない。だから……もう……もう……諦めます」
最後の一言をしぼり出すように言ったエリムの瞳に大粒の涙が浮かぶ。
寸胴の中に落ちそうになる涙を、エリムは袖で拭い取った。
エリムの言葉が何を指し、何を諦めると言っているのか俺にはわかった。
俺以外の人も、エリムの胸中を察しているだろう。
牛のミノコですら、憐れむような瞳をエリムに向けている。
ただ一人、利一だけが「え? え?」とエリムと俺を交互に見ている。
現時点で、俺はエリムの恋敵となる資格を持っていない。
だから、エリムの言葉は見当違いだし、諦める必要は無い。
だけどそのことを、俺はエリムに言い出せなかった。
酷い話だ。
戦いの場に立ってすらいないくせに、立つ気すらないくせに、一人が早々と脱落しようとしていることに俺はホッとしている。
「ささやかですが、僕からお二人の前途を祝して、プレゼントを用意しました」
ぐしぐしと顔を乱暴に擦ったエリムが、無理やりに笑顔を作った。
そうして気丈に振る舞いながら冷蔵庫を開け、中から柔らかそうな物体を取り出した。それは黄色をしており、利一の胸のようにふるふると揺れている。
「こないだ、リーチさんが甘味を食べたいと言っていたので、リーチさんの記憶を頼りに【プリン】というデザートを再現してみまし――」
「エリム最高ッ!! 超愛してる!!」
一も二もなく利一がエリムに飛びついた。
だけでなく、胸を押しつけ、すりすりと頬ずりまで。
「リ、リリ、リ、チ、さ、愛て!?」
「お前ってば天才! ホットケーキを作ってくれた時も思ったけど、まさかプリンまで! プリンなんて一生食えないと思ってた!」
どこまで感極まっているのか、ぎゅうぎゅうと締め上げる熱烈な
止めるタイミングを見つけられないでいると、エリムの視線が俺に向けられた。
その目に宿るのは闘志の炎。先程までの弱々しさが跡形も無く消え失せている。
「タクトさん、前言を撤回させていただきます」
「……と言うと?」
「僕は絶対に負けません! これからも正々堂々戦いましょう!」
「変わり身早すぎンだろ」
なんかもう、俺の意思とは別に、あっちこっちで話が勝手に進んで行く。
勘弁してくれと独り愚痴り、なるようにしかならねェなと溜息をついた。
この先どうなるのか、どうなってしまうのか、俺にもわからない。
ただ、ストレートに気持ちを表に出せるエリムが羨ましいと、どこかそんな風に思ってしまった。
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