第119話 対等な信頼

「ん、んん~~」


 カーテンの隙間から入ってくる温かい陽の光と、耳に心地良い小鳥の囀りで目を覚ます。伸びをするついでに、背中に手を回して翼を軽く揉み解した。

 そういや、こっちの世界に来てからまだ雨が降っていないな、なんて思いながらチェストの上に置いてある時計を見ると、午前七時過ぎ。本当は八時半くらいまで寝ていてもいいんだけど、家人のスミレナさんたちが早起きなので、オレもそれに合わせて起きるよう、この二週間で習慣づいた。


「なんかいい夢見た気がするな」


 内容は思い出せないけど、自分が雲になってふわふわと空を浮かんでいるみたいに気持ちがよかった感覚だけ覚えている。おかげで快眠できた。

 ベッドから下り、カーテンと窓を開けて新鮮な空気を入れる。


「今日も一日頑張るぞいっと」


 青空に向かって軽く気合いを入れ、パジャマのまま部屋を出る。

 最初はスミレナさんとエリム、姉弟二人暮らしだったこの家も、オレとミノコ、そして拓斗とパストさんが加わり、ずいぶん賑やかになった。

 平屋から酒場に移動すると、扉の傍に軍服姿のパストさんが立っていた。


「おはようございます。リーチ様」

「おはようございます。……何事ですか?」


 店に漂う空気が何やらおかしい。

 テーブルの一つに、スミレナさんと拓斗が向かい合って座っている。それがどういうわけか、警察の取り調べみたいに物々しい雰囲気を醸し出していた。

 エリムはバーカウンターの向こうで、痛恨の極みとでも言いたげな表情で作業をしている。ミノコだけがいつもどおり我関せず、床に置かれた底の浅い皿に入っている何か(多分酒)をぺろぺろと舐めている。


「私も詳しくは存じませんが、どうやらタクト氏がリーチ様に粗相を働いたかどうかの審議が行われているようです」

「はい?」


 拓斗がオレに、なんだって?


「あら、リーチちゃん、おはよう」

「お、おはようございます」


 スミレナさんは普段と変わらない笑みを浮かべているけど、対峙している拓斗は朝から疲れ切った顔で、「よう」と力なく挨拶をくれた。目の下のクマが凄いけど、まさか寝てないのか?


「リーチちゃんの口からも聞かせてもらえないかしら」

「何をです?」

「夜中にリーチちゃんの部屋で、タクト君とナニをヤっていたのか」

「ダベってただけですけど?」


 そういや、いつの間にか寝ちゃってたみたいだな。

 嘘がないか見定めようとしているのか、スミレナさんの目が細められている。


「…………。もっと根掘り葉掘り質問するつもりだったんだけど、リーチちゃんの様子を見る限り、本当に何も無かったみたいね。まるで事後のように見えちゃったから焦ったわ」


 なんか勝手に納得されちゃったけど、何が何やら。

 スミレナさんは拓斗を残して席を立ち、オレの傍にやって来た。


「まだ安心はできないわ。リーチちゃんが、そうだと意識していないだけかも」


 そう言ってオレの肩に手を置き、壁を向かせてヒソヒソと声をひそめた。


「タクト君から『お前、本当に女になったんだな。ココとかアソコとか、具体的にどうなってるんだ?』みたいなことを言われてない? 確かめられてない?」

「言われてないし、確かめられてもいません」

「本当に? 賭けられる処女は残ってる?」

「残……賭、けられ、ますよ」

「馬乗りになってた時に、体をまさぐられたりしてない?」

「してません!」


 そこで一旦質問が止まり、再びスミレナさんの目が細くなる。

 さすがにここまでくれば、スミレナさんが何を心配しているのかわかった。


「拓斗がオレに欲情なんてするはずないですよ。居候させるかどうか決める時に、それは証明されたじゃないですか」

「まあ、そうなんだけど。夜中に男女二人が絡み合って、しかもそのまま無防備に眠っちゃうアホな子を目の当たりにすると、やっぱり不安になっちゃうのよ」

「アホな子って、オレのことですか?」

「リーチちゃんの代名詞よ」


 不名誉極まりない。


「それにリーチちゃんは、あのテストに関係なく、タクト君に気を許し過ぎているように思えるわ。それはどうしてなの?」

「どうしてって、当たり前じゃないですか。拓斗は男だった頃のオレを、親を除けば誰より知ってるんですよ?」

「それだけで信用しちゃってもいいのかしら。アタシはリーチちゃんとタクト君の間にどれだけ信頼関係があるのか知らない。でも、女の子になったリーチちゃんの可愛さなら、アタシはタクト君よりも長く知っているわ。その上で心配してるの」

「あいつは男友達として接してくれるって言いましたよ?」

「彼は良い子ね。それもきっと本心なんでしょう。けどね、頭ではそう思っても、下半身はそうもいかない。それが年頃の男の子という生き物なのよ」


 オレも少し前まで年頃の男だったわけだし、その言い分は理解できなくもない。

 できなくはないが……。


「あんまり、拓斗のことを疑わないでもらえませんか」

「そうは言ってもね。リーチちゃんが彼を信用しているのはわかるけど」

「信用してるっていうか」

「違うの?」

「あ、いや、信用はしてます。めちゃくちゃしてます。拓斗が間違ったことをするはずないって思ってます。でも、オレは別に、あいつが聖人だとか思っているわけじゃないです。普通に猥談とかしてくるし、結構俗っぽいのも知ってます」


 スミレナさんは、黙ってオレの言葉に耳を傾けてくれている。


「嫌いな物や、苦手な物だって当然あるでしょうし、オレがどんな姿になっても、何をしても受け入れてくれるなんて……そんな風には思ってません」

「あら、思ってなかったの? ちょっと意外だわ」


 だから怖かった。

 こんな姿になってしまい、態度を変えられてしまうのが。


 だから嬉しかった。

 こんな姿になってしまっても、親友だと言ってくれたことが。


 でもそれは、全てあいつの善意の上に成り立っているだけだ。


「多分、あいつには無理させてます。女になったオレを今までと同じように男扱いしろって言われても、いろいろ気を遣ってると思うんです」

「んー、そりゃあね」

「だからこそ、こんなワケのわからない疑いをかけて、これ以上面倒な奴と思われたくないんです。あいつに嫌われたり、避けられたりしたくないんです」


 胸の内を正直に話すと、スミレナさんは困ったような、難しい顔をした。


「嫌われたくないから、盲目的に信頼を寄せているのとは違うの?」

「違います! あいつは困っている奴を放っておかない。オレをオレだと知らずに助けに来てくれたことからも、それはわかるはずです。そんなあいつの生き様に、オレは憧れているんです。だから――」

「悪いけど、それとこれとは話が別よ」


 最後まで言わせてもらえなかった。スミレナさんは頑として譲らない。


「リーチちゃんが拓斗君に向ける信頼がどういうものなのか、やっとわかった気がするわ。わかった気になって言わせてもらえば、あまり対等だとは思えないわね。リーチちゃんは、口で言うほどタクト君を信頼できていないんじゃない?」

「そんなことは!」


 ……ないと、本当に言い切れるだろうか。

 心の底から信頼できていたら、嫌われるかも。避けられるかも。そんな不安自体生まれないんじゃないだろうか。


「それはそうと、この家にはリーチちゃんだけじゃなくて、パストちゃんもいるんだけど、そのこと忘れてない? 彼女も女の子なのよ?」

「あ」


 自分のことで頭がいっぱいだった。

 パストさんは大人びていてミステリアスな雰囲気のある美人だ。そんな魅力的な女性と共同生活をして、冷静でいられるはずがない。女になってしまったオレでもそう思うんだから、真っ当で健全な男である拓斗ならなおさらだろう。


「あ、でも、エリムはいいんですか? あいつも年頃の男ですよ?」


 まさか、弟贔屓びいき


「エリムのことは、姉であるアタシが一番よく知っているわ。あの子はヘタレよ。女の子に夜這いをかけるような度胸は持ち合わせていないわ。特に、パストちゃんみたいなカッコイイ系の美人に対しては尻ごみしちゃうの。だから手を出すなんてありえないわ」


 思わず「なるほど」と頷いてしまった。


「でも、タクト君は違うでしょう? 若い娘さんが二人もいるんだから、もしものことがあってからじゃ遅いわ。家主として、そういった危険の有る無しは徹底的に調べておく責任があるの」

「そういえば、パストさんって何歳なんです?」


 落ち着いた佇まいから十代には見えない。二十代前半だと思うけど、そうすると二十歳のスミレナさんより年上ってことになる。スミレナさん、自分だって若い娘なのに、カウントしていないな。

 近くにいたパストさんにはこれまでの会話が聞こえていたらしく、律儀に一礼をしてからオレの質問に答えてくれた。


「私は今年で百二十歳になります」


 桁が違った。二十代前半じゃなくて、百代前半だった。

 ダークエルフって長命なんですね。サキュバスも人のことは言えないけど。


「リーチちゃん、こういうことに歳は関係ないわ。大切なのは見た目よ」


 一理ある。年齢で言えば、パストさんよりも、さらにメロリナさんの方がずっと年上だけど、あの人を年寄り扱いなんて、とてもできない。下手すりゃお小遣いをあげたくなる。


「私のことはお構いなく。どうかリーチ様の身の安全だけをお考えください」

「そうは言っても心配だわ。パストちゃんがどれだけ強いとしても、寝ている間に口と手足を縛られて、抵抗もできずに欲望の限りを尽くされないとも限らないじゃない。薬を使ってくるという手も考えられるわ」


 スミレナさん、想像がエグいです。


「ご心配には及びません。私の特能は、そういう不埒な輩を爆殺することに長けておりますので。邪な考えを持つ男が部屋に侵入した時点で消し炭にできます」


 それ、どういう特能なんですか……。


「な、なら安心ね」


 さしものスミレナさんも、少し顔が引きつっている。


「店長、質問なのですが、今問題に取り挙げられているリーチ様の自室での一件、その時のタクト氏が勃っていたか、確認はされたのですか?」

「パストさんまで話に乗らなくても」

「もちろん確認したわ」


 したのかよ。


「勃っていたら、今頃追い出していたんだけどね」

「ということは」

「ええ。信じられないことに、リーチちゃんを掛布団のように密着させていたのに……勃っていなかったのよ」


 そんな驚愕の事実みたいに言うことですか?


「でしたら、タクト氏の疑いは晴れているのでは?」

「まだわからない。部屋に入る前に処理済みだったということも考えられるわ」


 考えすぎだろ。なんでそこまで……。


「なるほど、可能性の一つですね。逆に紳士であった証とも取れそうですが」

「パストさんも真面目に付き合わなくていいですって。結局のところ、どうすれば拓斗がオレに欲情なんてするはずがないって信じてもらえるんですか?」

「……タクト君の好みのタイプって、どういう子なのかしら」

「拓斗の好みですか。確か、美人系より可愛い系で、巨乳好きです」


 この手の話は拓斗と幾度となくしているのでよく覚えている。


「他には?」

「性格は、ちょっとヌケてるところがあるくらいがいいとか言ってました。あと、天然のブロンドは最高だとかも」

「その台詞、鏡を見ながらもう一回言ってくれる?」

「なんでですか?」

「あああ、やっぱり心配だわ。可愛いけど、本当に、本当にアホなんだもの」

「それもオレのことですか?」

「他に誰がいるの?」

「そう思ってるのって、スミレナさんだけなんじゃ」


 パストさんに同意をもらおうと思ったが、目を逸らされてしまった。


「今はまだ男の子だった頃の印象が強くて自制が働いているだけかもしれないわ。それだって、時間が経つにつれて消えていくはずよ。そうなった時、彼の狼が牙を剥かない保証なんて無いじゃない」

「拓斗は大丈夫ですって」

「彼の好みを知っていて、どうして大丈夫だって言い切れるの? 常識で考えて、リーチちゃんをオカズにしない男子なんていると思う? いいえ、いないわ!」


 断言しやがった。

 つーか、この話題、そろそろ面倒臭くなってきたんですけど。


「いい? タクト君の好みにリーチちゃんはバッチリ当てはまっているの。そしてリーチちゃんは、一目見て即日オカズにされちゃうくらい可愛い女の子なの」

「即日って」


 スミレナさんは、無言でビシッとエリムを指差した。

 物的証拠を突きつけられ、オレは何も言い返せなかった。


「……一つだけ」


 ふと思い立ったかのように、スミレナさんが視線を落として呟いた。


「これを試して問題無ければ、彼を全面的に信じてもいいかもしれない」

「どういうことです!? 何をすればいいんですか!?」

「タクト君とリーチちゃんが初めて出会ったのは一週間前。それからリーチちゃんが親友の利一君だとわかるまで、タクト君には五日間の時間があったことになる。そうよね?」


 オレは指折り日にちを数え、こくりと頷いた。


「その数日を含め、今日まで彼が一度もリーチちゃんをオカズにしていなければ、一つ屋根の下で暮らしていても欲望に負けない紳士だと信じてもいいわ」

「どうやって、あ、まさか……」


 かつて、ギリコさんにも行ったアレをやれと、そう言いたいのか?

 拓斗に、親友に【一触即発(クイック・ファイア)】を使えと?


「それしか……方法は無いんですか?」

「ごめんなさい。この問題は先延ばしにしたとしても、いつか必ず直面することになると思う。それなら早めに解決しておいた方がいいわ」


 スミレナさんの言っていることは正しい。

 だけど、もしこの場で解決できない結果が出てしまったら?

 この先ずっと、ずっと、一生尾を引き、しこりを残してしまうことになる。

 そんな状態で拓斗と、これまでのような友達を続けていられるんだろうか。


 最低だ。

 その可能性を考えてしまう時点で、拓斗を信頼しきれていないじゃないか。

 スミレナさんは申し訳なさそうに、「乗り越えてちょうだい」とオレに言い残し、拓斗の所へ戻って行った。


「えと、話はまとまったんスか?」

「ええ。今から、タクト君にはヌキ打ち検査を受けてもらうわ」

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