第115話 よろしい、ならばセン〇〇だ
営業時間は十八時から日付が変わるまで。
深夜まで営業している飲食店もあるみたいだけど、若い姉弟二人で切り盛りしていた【オーパブ】ではそうもいかない。人手が全然足りないからだ。
だけど先日から、オレが従業員として働き始めた。
以前の【オーパブ】のことはわからないが、オレが店に入ってからの売り上げは確実に上がっているそうだ。
ただし、それは食器の片づけなど、やむを得ずセルフサービスにしていた部分を補ったからにすぎない。オレの働きをスミレナさんたちは評価してくれるけれど、お世辞をそのまま鵜呑みにするほどアホでも単純でもない。
料理が美味しい。
お酒も美味しい(飲ませてもらえないけど)
【オーパブ】は、もっともっと大きくなれるポテンシャルを秘めている。
そして今日、拓斗とパストさんが従業員に加わった。
オレを含め、彼らの労働は家賃代わりなので、正規に従業員を雇うよりも経費は格段に安く済む。となると、営業時間の延長も視野に入れることができる。
オレが頑張るんだ。フロアリーダーのオレが。
彼らを少しでも早く一人前に育て上げ、【オーパブ】を盛り立てていく。
それがオレの新たな目標であり、オレにできる一番の恩返しだと思うから。
――と、思っていた時期が、オレにもありました。
開店から二時間が経った。酒場が最も忙しくなる時間帯だ。
あれ?
あれれ?
「利一、悪い。手が離せねェんだ。このオーダーを通しておいてくれ。俺は料理を運んだら向こうのテーブルを片付けて客を入れっから」
拓斗が料理の乗った皿を、左手だけで四枚も持ちながら言った。
ホテルとかでウェイターがやっているような持ち方だ。
え、何ソレ。そんな技、教えてないぞ。つーか、オレはできないぞ。
オーダーメモを受け取り、厨房を兼ねたバーカウンターにとぼとぼ向かう途中、パストさんの接客が目に入った。
「こちらの【ビビルキノコの香草スープ】は、隠し味にアク抜きをしたすり下ろしマンドラゴラを使用しています。季節によって風味が異なるマンドラゴラですが、この時期に採れるものは微かな酸味を持っているため食欲を促進させてくれます。仕上げに散りばめたモタギリ草は香りつけだけでなく、脂肪の燃焼効果と肌の保湿効果があり(以下略)」
なんですか、その専門知識! オレ知らないですよ!?
エリムに聞いたんですか!? それとも最初から知ってたんですか!?
料理を運ぶ前にエリムに教わったんだとしても、オレだったら、こんな短時間でそこまでぺらぺらと説明できるようになる自信が無い。
あれ? あれえ? 予想と違うんですけど。
もっとこう、「先輩助けて」「先輩これ教えて」と来るもんじゃないの?
まずいぞ。このままでは先輩としての威厳が……。
仕事を。何か二人とは違う仕事を。
「リーチちゃん、【ラバンエール】が少なくなってきたから、補充お願いね」
「あ、はい、了解しました!」
【ラバンエール】の入った樽は一つ30kgもある。店の裏に積んであるんだけど、重くて運んで来るのが大変だ。だけどその分、働いている感はでかい。
「ちょうどよかったっスね。そろそろなくなるかと思って」
「あら。ありがとう、タクト君。仕事が早いわね」
今まさに取りに行こうとした酒樽を、拓斗が両脇に一つずつ抱えてきやがった。
ちなみにオレは、一つずつでも持ち上げられないので転がすことにしている。
「よいしょと。これ、ちょっと重いよな」
「あぁ……うん、ちょっとだけな」
「なあなあ、俺、それなりに動けてるか?」
「そう……だな。初めてにしては、まあまあ……かな」
「へへ。他に仕事があれば、じゃんじゃん回してくれよ、先輩」
そう言って、拓斗は揚々と接客に戻って行った。
基本、ノリがいい奴だからか、女性客のウケも良さそうだ。
知ってた。
拓斗はオレなんかより、ずっと器用で要領がよく、なんでもそつなくこなす。
そのうち仕事で抜かれるのはわかってたさ。
想定外に早すぎたけど。
でもへこたれない。弟子が師を超えるのは喜ばしいことだ。そうだろう?
「6.800リコになります。またのお越しを」
会計を済ませて店を出て行く客を、パストさんが恭しくお辞儀をして見送った。
あの……。オレまだ、レジ打ちやらせてもらったことないんですけど。
「リーチちゃん、休憩に入ってくれていいわよ」
「戦力外通告ですか?」
「なんの話?」
あれ?
おかしいな。あれ?
もしかしてだけど、オレって……仕事できない奴? 調子乗ってた?
それを考え出すと止まらず、どんよりと気持ちがどこまでも沈んでいく。
こんなテンションじゃ、接客なんてできない。
「――リーチちゃーん、注文いいかなー?」
呼び声に反応し、落ちていた顔を上げると、守衛仲間と思しき人たちと店に来ていたロドリコさんが、空になったジョッキを掲げていた。
ふらふらと、笑顔とは程遠い表情で客席に歩いていく。
「おや、リーチちゃん、どうかしたのかい?」
「……いえ、別に」
「よかったら、お兄さんたちが相談に乗るよ? とか言ってしまったり」
冗談の延長のつもりか、ロドリコさんがオレにイスを差し出した。
連れの人たちも、不穏な空気を感じ取りつつも愛想笑いを浮かべている。
オレは【オーパブ】のスタッフたちを一人ずつ眺めていった。
スミレナさんとエリムは、それぞれにしかできない仕事をこなしている。
拓斗とパストさんがいれば、それで十二分にフロアでの接客は賄えそうだ。
マジでオレ、いなくても問題無いな。
休憩をもらっていることもあり、オレはロドリコさんの隣に腰を下ろした。
まさか座ると思わなかったのか、勧めたロドリコさんが面食らっている。
「オレって、いらない子ですかね」
ぽつりと呟くと、ロドリコさんと連れの人たちが全員間の抜けた顔をした。
「リーチちゃんがいらない子? そんなことあるわけないじゃないか。なあ?」
同意を求められた他の人たちも、うんうんと首を縦に振ってくれる。
「でも、オレがいなくても……」
この店は普通に回るんだ。
それを自覚してしまうと、頑張ろうという気持ちなんて簡単に挫かれる。
「何があったのか知らないけど、リーチちゃん、元気を出して」
オレは俯いたまま、ロドリコさんの慰めにふるふると頭を振った。
無理です。とても元気なんて出てきません。
それからしばらく、気まずい沈黙が流れた。
周りの喧騒が、やけに遠くに聞こえる。
ああ、最低だ。食事を楽しんでいた客に、重い空気を伝染させてしまった。
心中で謝り、悪いと思いつつも、オレはその場に居続けた。
今は一人になるのが怖い。
際限なく塞ぎ込み、昔のように、引きこもりだった頃に戻ってしまいそうで。
それでも段々と、ここにいるのも居心地が悪くなってくる。
謝罪を添えて退席しようとすると、それより先にロドリコさんが席を立つ気配を感じた。愛想を尽かされたのかと思い、ビクリと体が強張ってしまう。
顔を上げると、ロドリコさんは何を血迷ったか、靴を脱いでイスに上っていた。
「こんなことで君を元気づけられるかはわからないけど、聞いてほしい。これから言うことは、紛れもなく自分の本心だ」
「え……何をする気なんですか?」
「君にとっては迷惑なことかもしれない。何故なら、これは一方的な想いの押しつけだからだ。聞くに堪えないと感じたら、その時は耳を塞いでほしい」
説明になっていないと思った。
だけどロドリコさんの顔は、どこか腹をくくった男の表情をしていた。
連れの人たちは互いに頷き合い、ロドリコさんの意を汲み取っている。
「想いの押しつけでも、自分は確信している。この気持ちは、この場にいる男たちの総意だと」
やっぱり説明になっていない。
イスの上で立ち上がるなんて、飲食店ではありえない行為だ。
何を言わずともロドリコさんに注目は集まった。
客たちの視線を一身に集めたロドリコさんが、すぅー、と息を吸った。
「諸君、私はリーチちゃんが好きだ」
は?
「諸君、私はリーチたんが好きだ。
諸君、私はリーチ姫が大好きだ」
え、何? これって、まさか告白されてる?
いや、違う。そんな感じはしない。これはそういうのじゃない。
告白紛いの語り出しで、ロドリコさんの常軌を逸したスピーチが始まる。
「可愛い顔が好きだ。
眩い笑顔が好きだ。
天然な所が好きだ。
鈍感な所が好きだ。
オレ口調が好きだ。
パンチラが好きだ。
ブラチラが好きだ。
チチ揺れが好きだ」
後ろ三つがおかしい!!
目で抗議するオレに気づいていないのか、ロドリコさんの演説は続く。
「森林で 草原で
水上で 街道で
店内で 客席で
脱衣所で 浴室で
化粧室で 寝室で
これまで見聞きしたありとあらゆるリーチ姫のアホ可愛い言動が大好きだ」
アホって言いやがった。
あと、リーチ姫って言うな!
そこから下りろ! 今すぐ下りろ!
立ち上がり、ぐいぐいとロドリコさんのズボンを引くが、オレの力ではビクともしない。ロドリコさんの演説も止まらない。
「週六で【オーパブ】に通い、その日の疲れをリーチ姫の笑顔で癒すのが好きだ。町一番の常連になり、個人的に外で会える日が来るのを想像するだけで心が躍る」
ロドリコさんと外で会う? 二人きりでか?
来ない。そんな日が来てたまるか。想像しただけで鳥肌が立った。
「リーチ姫が、どんなパジャマを着て眠るのか思い描くのが好きだ。私が妄想するしかないパジャマ姿を拝み、毎日『おはよう』と『おやすみ』を言ってもらえるエリムをボコった昨夜などは胸がすくような気持ちだった」
すまん、エリム。とばっちりだ。お前は悪くない。
「ギガンテス級のおっぱいが、リーチ姫の動きに合わせて揺れるのを見るのが好きだ。店が混む時間帯には小走りで駆け回る姿もあり、特に激しく躍動するおっぱいには感動すら覚える」
誰でもいい。殴ってでもいい。この人を黙らせてくれ。
あ、拓斗、いいところに。ロドリコさんを引きずり下ろしてくれ。
――て、なんでオレをガン見してるんだ? そんなとこ見ても胸しかないぞ。
「料理を運んで来てくれた時、リーチ姫が前屈みになる仕草などもうたまらない。運良くブラチラを頂戴したなら、即座に帰宅して高ぶりを鎮めるも良し。もしくは記憶が鮮明なうちに床に入り、夢の中で続きを見るのも最高だ」
聞きたくねええええ!!
「リーチ姫がエリムに連れられて町を訪れたあの日、実はノーパンノーブラだったと後で知った時など絶頂すら覚えた」
実践済みかよ!!
てか待て! ちょっと待て! 後で知ったって、それ誰から聞いた!?
ここでロドリコさんは唇を噛み、辛そうな表情を作って一拍溜めを置いた。
「リーチ姫は、ここに自分の居場所はあるのだろうかと、今も不安を抱いている。身を挺して守った町に自分の居場所が無いのは、とてもとても悲しいことだ」
いや、ヘコんでいた理由はそれじゃないんですけど。
「リーチ姫のために傷つきながら戦うのが好きだ。だが、己の力でリーチ姫を守れず、害虫のように地べたを這い回ったのは屈辱の極みだ」
ロドリコさんが、痛みを堪えるようにして握り拳を作った。
騎士団と戦い、そして苦渋を飲まされたことを思い出しているんだろう。
歯ぎしりと共に、彼の声から、表情から憤りが伝わってくる。
「諸君、私はリーチ姫が安息の地を得ることを望んでいる。諸君、私と同じくリーチ姫を愛する戦士諸君。君たちは一体何を望んでいる?」
ロドリコさんが視線を一巡させて客たちに問いかけると、店内にいる男たちが、一人、また一人と席を立ち上がっていった。
彼らの鋭い目つきは、次に来る爆発に備えて気を溜めているかのようだ。
「さらなるリーチ姫の安寧を望むか? リーチ姫が安心して暮らし、働ける平和を望むか? 相手が騎士団だろうが、凶悪な魔物だろうが、果ては他の国だろうが、リーチ姫の安息の地を勝ち取るために、命をかけた戦いを望むか?」
「「「おぅぱい! おぅぱい! おぅぱい!」」」
ビリビリ!! と体の芯まで響いてくる大音声。
オレなんかのために、こんなにも気持ちを一つにしてくれていることへの驚きが半分。もう半分は、常識を疑う掛け声が修正不可能なまでに浸透していることへの驚きが占める。
ロドリコさんは満足そうに笑い、そして言った。
「よろしい、ならばセンズリだ」
なんで!?
いや、なんで!?
「我々は満身の力を込めて、今まさにコキ下ろさんとするサクランボだ。しかし、リーチ姫という光に出会うまで、暗い闇の底で毎日一人でコキ続けてきた我々に、ただのセンズリではもはや足りない!!」
「「「激シコを!」」」
「「「一心不乱の激シコを!」」」
「我らはわずかに一個中隊。三百に満たぬ敗残兵に過ぎない。だが。諸君は一日十シコを軽くこなす絶倫であり、私はそれ以上にシコっている。ならば我らは諸君と私で精力一万に届く性闘士(セイント)となる」
ごめん! なってどうすんの!? どうなっちゃうの!?
ツッコミが追いつかない。
「まずは騎士団からだ。勃起の仕方もろくに知らぬ反萌え主義者に教えてやろう。イチモツを掴んでコキ下ろし、眼を開けさせ、実演してやろう。連中に萌えのなんたるかを教えてやる。連中に『リーチ姫くんかくんかイイ匂い。ああ、手が勝手にイチモツに』と言わせてやる」
イイ匂いって、その現場にオレもいなくちゃいけないわけ!?
実演とか絶対やめて! 世界の果てまでこの町の恥を晒すことになってしまう!
「おっぱいとおっぱいのはざまには、奴らの騎士道では思いもよらない谷間があることを思い知らせてやる」
意味不明! 意味不明!
「センズリで決起した性闘士(セイント)で世界を萌えで埋め尽くしてやる」
理解の範疇を軽々と超えていく大願を口にしたロドリコさんが、不意に皆の注目をオレに集めるようにして手をかざした。
「そうだ、彼女こそが待ちに望んだ童貞の光だ」
その光って、誘蛾灯か何か? オレから紫外線でも出てんのか?
「リーチ姫に忠誠を誓う性闘士(セイント)たちに伝達。リーチ姫防衛軍団長命令である」
防衛軍団長? そんな組織と役職があるの?
誰も異論を唱えないってことは、全員了承済み? オレの許可なく、オレの知らない間に変態軍団が結成されていたってことですか? 訴えていいレベルだろ。
ロドリコさんは両腕を左右いっぱいに広げ、そして宣言した。
「さぁ、諸君。リーチ姫を女神と崇める国を創るぞ」
その瞬間、天を衝く咆哮と共に、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
圧倒的な声量と熱量の前に、オレは腰を抜かして再びイスに座り込んだ。
オレのすぐ近くで、何故かパストさんまで拍手に加わっている。
「内容はともかく、あの者には人心を鼓舞する将の才覚があるようですね。魔王様の配下に欲しい人材です。ですが、それも全てリーチ様の求心力があってのこと。臣として仕えられることに、この上ない喜びを感じております」
こっちはこっちで、もう完全に臣下になった気でいるし。
天井知らずの盛り上がりのせいか、はたまた昨夜の狂乱で味をしめたのか、またしても脱ぎ出す輩が出始めた。ダメだこいつら、早くなんとかしないと。
「リーチちゃん、君の居場所は自分たちが守る」
めちゃくそ男前な顔でロドリコさんが言った。
オレは口元をヒクつかせ、苦笑いを返すだけで精一杯だった。
災い転じて福となす、とはとても思えないけど。
個人的な悩みなんて、いつの間にやら完璧に吹き飛んでいた。
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