第95話 リーチたん防衛軍

 昨日、スミレナさん宛てに王都騎士団から一通の手紙が届いた。

 用件は、領主襲撃事件の首謀者――サキュバスの引き渡しだ。


 ついに来たと思った。

 オレの正体が騎士団にバレ、討伐対象として認識されてしまったのだ。

 領主邸を襲撃した時、屋敷にいた誰かが騎士団にタレ込んだんだろう。あの場にメロリナさんもいたけど、騎士団に伝わっていないのは不幸中の幸いか。


 それにしても。

 出頭じゃなくて引き渡し。オレ宛てじゃなくて、スミレナさん宛てってところにサキュバスの人権の無さが窺い知れる。泣けてくるわ。

 実を言うと、オレが騎士団から引き渡し要求があったことを知ったのは、かなり後だった。というか、今朝のことだ。当事者なのに……。

 気づいた時には町の人たちが武装蜂起していて、驚いたったらありゃしない。

 これについてスミレナさんは、しれっと言った。


『ああそれ? リーチちゃんのことだから、どうせ、オレはこの町にいてもいいのかな。また迷惑かけちゃうし、いない方がいいのかな。こっそり出て行こうかな。なんてうじうじ考え込んじゃうでしょう? そうなるのが面倒臭いから、先に町の人たちに回覧板を回しておいたのよ』


 面倒臭いて……。


『今さらリーチちゃんが町を出たところで、騎士団は攻めて来るわ。だって連中は【オーパブ】も潰したがっているんだもの。リーチちゃんが町にいなければ故意に逃がしたと思われて、それはそれで【オーパブ】を攻める理由ができちゃうわ』


 オレが自分から騎士団に出頭するのは?

 そう尋ねると、スミレナさんはにこりと満面に微笑んだ。


『もしリーチちゃんが騎士団に出頭なんかしたら、その時は町民総出で王都に攻め込んでやるわ。うふふ、何がサキュバスを引き渡せよ。ホント頭きちゃうわよね。こっちから叩き潰しに行ってやろうかしら』

 笑顔でスミレナさんはキレていた。


 そして現在。

 スミレナさんは、【メイローク】を包囲している騎士団の親玉の所へ、領主さんとグンジョーさんを連れて最後の抗議に出向いている。事が済むまで戻っては来られないだろうから、陣頭指揮はメロリナさんに任せると言っていた。


「カカカ、血がたぎるでありんすなあ」


 本陣を【オーパブ】に置き、殺気立つような物々しい空気が充満している。

 そんな中で一人だけ、メロリナさんは子供のようにハシャいでいた。


「戦争みたいです」

「みたい、じゃのうて、紛れもなく戦争でしょや」


 呟くように言うと、メロリナさんは事も無げに返した。


「平穏に暮らしていたいだけなのに、なんでこんなことに」

「平穏はタダでは手に入りんせんよ」


 幼い外見には似合わない重い台詞だったけど、三百年も生きてきた人の言葉だと思うと含蓄があった。


「メロリナさんも、こういう状況になったことがあるんですか?」

「そりゃもう数え切れんほどの。あれは二十年ほど前だったか、わちきも騎士団に捕まったことがありんす」

「き、騎士団に!? 無事だったんですか!?」

「無事でなければ、ここにはおらんでしょや」


 それはごもっともなんだけど。

 殺されないまでも、痛めつけられたりとか、いろいろあるじゃないですか……。


「こう見えて修羅場をくぐっておる。わちきを見た目で判断するような輩なんぞ、怖くもなんともありんせん。隙を見て逃げる際、きっちりと腎虚じんきょ――オホン。足がつかない程度に食い散らかしてやったわ」

「食い散らかすっていうのは……」

「もちろん性的にじゃ」


 ですよね。

 何人やられたのかは知らないけど、ロリサキュバスに食べられた上、逃がしたのではプライドもズタズタになって、きっと騎士を廃業しただろう。その騎士たちの友人知人なんかは、サキュバスを相当恨んでるんじゃないだろうか。もしかして、今回の討伐に来ている騎士の中にだっているかもしれない。


「一人で……凄いですね。オレにはできそうにありません」

「わかっておる。その代わり、りぃちには、わちきには無かった人徳と乳がある。じゃからこうして、お前さんのために皆が戦おうとしているのでありんしょうや」


 乳は関係ない。……ないよな?


 なんにせよ、本当に驚いた。

 戦力になる男性だけで二百人はいる。

 他にも女性や子供までもが応援に駆けつけてくれている。

 オレのためじゃなく、スミレナさんの店を守るためという人も大勢いるだろう。

 よくこれだけの人が集まったものだと思う。


 店の外では、ギリコさんやロドリコさんたち、戦いの心得のある人が、集まってくれた男の人たちに武器の扱い方を急ピッチで教えていた。やらないよりマシってくらいの付け焼刃だと言っていたけど、それでも皆が真剣に取り組んでいた。


「それに、こちらには最終兵器がおる。出番なく終わってほしいがの」

「……ミノコですか」


 店の裏手にある、今は使っていない馬房をミノコの寝床にし、そこで待機してもらっている。本人はいざこざを煩わしそうにしていたけど。


 この世界には牛が存在しない。

 ミノタウロスに酷似しているミノコだけど、同種じゃあない。

 そのため、まだこれだという種族に定められていない。現在のところ、魔物ではないけど、保護指定種族でもないという不安定な状態にある。

 だけど今回、ミノコが暴れて騎士と戦ったりなんかしたら、間違いなくミノコは魔物指定されてしまうだろう。そうはなってほしくない。

 だから、ミノコに出番は来ないまま終わってくれるのがベストなんだ。


「やっぱり、オレも戦います。元凶はオレなんだから」

「ダメじゃ。騎士共は、殲滅対象にない町の者であれば、極力傷つけないようにはするじゃろう。しかし、お前さんだけは別じゃ。最初から殺す気全開で来ておる。外に出ることはまかりならん」


 普段のちゃらけた感じはなく、叱るようにメロリナさんが強く言った。

 オレに戦うという選択肢は与えられていない。

 いざとなったら、何を置いても、何を見捨てても逃げるように言われている。


「まりぃ、そっちはどうじゃ?」


 この町で女性衣類専門店【モッコリ】を営んでいるマリー・モッコリさん。

 クー・シーという種族で、犬の妖精とも言われるケモミミ女性だ。

 ちなみに既婚者。そんな彼女までもがこれから戦場となる【オーパブ】にやって来て、エリムと一緒に店の奥で何かしていたようだけど。


「ぼちぼちゆうとこかな。ほれ、エリム君、見せたりぃ」


 エリム? エリムがどこにいるんです? あれ、どこ行った?

 マリーさんが手を引いて来たのは、オレと同じく金髪で、大きく胸を膨らませた女の子――じゃねえ。エリムだこれ。エリコだ。

 マリーさんが用意したと思われるカツラやらメイクやら衣装やらで、パッと見、完全に女の子になってしまっている。お前、ワンピース似合うな。


「女装、二回目だな」

「もう全然平気です。慣れました」


 それ、慣れちゃいけないことだと思うぞ。まだ間に合う。戻って来い。

 聞けば、もしもの時、オレが逃げる時間を稼ぐための替え玉なのだそうだ。

 下手すりゃ殺されるかもしれないってのに、オレのためにそこまで。


「ところで、その胸、何入れてんの?」

「タオルを詰めています。なので弾力は今一つです」

「あ、そう」

「どうですか? とりあえず、リーチさんの胸の大きさを再現できています?」

「知るか」

「ちょっと跳ねてみますね。よっ、はっ、どうです? 揺れていますか?」


 これ、もしかして喧嘩売られてる? 果てしなくイラッッッとするんだけど。

 一発ブン殴って、不愉快な偽乳をもいでやろうかと思っていると、


「――こら、エリム、何をしている!? リーチちゃんに失礼だろう!」


 外で戦準備を整えていたロドリコさんが、エリムの奇行を見て注意してくれた。

 ストーカーの気がある変態だと思うようになってから距離を置くようにしていたけど、意外にもまともな感性を持っているんだなと、少しだけ見直した。


「それではせいぜいフェンリル級だ! 詰めているのはタオルか!? それなら左右にもう一枚ずつ詰めろ! でなければ、リーチちゃんのギガンテス級には遠く遠く及ばない! リーチちゃん、この失礼な奴に、お手本として本物の乳揺れを見せてやってくれないか?」

「しばきますよ?」


 見直した瞬間、垂直に近い勢いで好感度が下落した。


「リーチちゃん、いや、リーチたん」

「なんで言い直したんですか?」


 ぽっ、と頬を染めるだけで、ロドリコさんは答えてくれなかった。


「安心してくれ。俺たちが、必ず君を守ってみせる。この命に代えても」


 命に代えても……か。

 多分、この人はそれを本気で言っているんだろうな。そういう目をしている。

 だからこそオレは、こう言わなくちゃいけない。


「……やめてください。死なれたりなんかすると、寝覚めが悪いです」


 たとえ火の中だろうが水の中だろうが飛び込んで行きそうだったロドリコさんの気迫が、オレの一言でみるみる沈静化していくのがわかった。


「そ、そう……だな。そのとおりだ。考えが及ばなかった」


 すまないと言って、ロドリコさんが項垂れるようにして頭を下げた。

 後ろに連なる人たちも、同じように表情を暗くした。


 メロリナさんが言うように、これは戦争なんだ。

 戦えば傷つくし、場合によっては本当に死んでしまうかもしれない。

 命をそんな風に、簡単に、粗末に扱わないでほしい。

 だから……。


「命に代えてもなんて言わないでください。絶対に死なないでください。変態でもいいですから。お願いですから、生きて帰って来てください」


 オレは感情を高ぶらせながら続けた。


「お金なんて払えませんし、オレにできるお礼なんて何も思いつかないですけど、また精一杯【オーパブ】でおもてなしさせてもらいますから、だから、お願いですから無事に戻って来てください」


 オレにできるお礼なんて何も思いつかないと言った瞬間、彼らの視線が30~40cm下がった気がした。女になってしばらく経ちまして、ええはい、胸に視線を感じるっていうのを、最近はっきりと理解できるようになりました……。


「リーチたん」


 それ、定着させるつもりですか?


「お礼なんていらない。俺は何も望まない。やりたいからやっているだけなんだ」

「ロドリコさん……」

「けど、そうだな。リーチたんの言うとおり、無事に戻って来られたら、君の胸で優しく抱きとめて、『おかえり』と言ってくれないか」


 後ろからエリムが、「それ望んでる! 超望んでます!」とツッコミを入れていたけど、ロドリコさんをはじめ、彼らは危険を承知で戦地に赴こうとしている。

 そんな彼らが、その程度のことでお礼になると言ってくれるのなら。


「わかりました」

「え、いいの!?」


 言った本人が驚いていたが、はにかみながらオレは頷いた。

 すると、それまで静まり返っていた喧騒が、さっきの何倍にも膨れ上がった。


「諸君、聞いたか!?」

「「「おぅぱいっ!!」」」


 え、今の何? Oh,Yesみたいに言いやがりましたよ?

 ロドリコさんの呼号に、店内店外合わせて百人以上の男衆が歓声を上げた。


「我々はこれより、王都騎士団との戦いに挑む! 臆している者はいないな!?」

「「「おぅぱああいっ!!」」」


 なんでそんな統制がとれてんの? まさか練習したの?


「愚かにも王都騎士団は、可愛い可愛いリーチたんを討伐対象とみなして侵攻してきた! それだけじゃない! 奴らはこの【メイローク】を! 【オーパブ】を! リーチたんの居場所をも奪おうとしている! 俺たちからリーチたんを奪おうとしているのだ! これを許していいのか!?」

「「「否!! 否!! 否!!」」」

「なら武器を取れ! 迎え撃つぞ! 恐怖は愛と怒りで塗り潰せ! 愛が足りないならリーチたんをオカ――拝むといい! 怒りが足りないなら、リーチたんと同棲しているエリムへの嫉妬と憎しみで補うがいい!」

「「「殺ス!! 殺ス!! 殺ス!!」」」


 ダンダン! ダンダン! と、ロドリコさんの鼓舞に呼応する男たちの震脚が、酒場の床を雷鳴のように打ち鳴らした。

 エリムが青い顔をして、マリーさんの後ろに隠れた。


「傷つくことを恐れるな! 戦いでの負傷はリーチたんが看病してくれるはず! だが死ぬことは許されない! 我々が死ねばリーチたんを悲しませてしまう! 我々が守るのはリーチたんの身の安全だけか!? 否! 彼女の笑顔も守るのだ! だから死ぬ気で生き残れ! たとえ四肢をもがれ、地面に倒れ伏しても生ある限り死に抗え! リーチたんにもう一度会うため、生にしがみつけ!」


 上がる。上がる。

 男たちの戦意が天井知らずで高まっていく。


「立ち上がれ強者たち! これはリーチたんを守る聖戦だ! 侵略者共に愛と正義の鉄鎚をブチかましてやろうじゃないか!!」

「「「おぅぱああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいっ!!」」」


 鬨の声が上がった。


「リーチたんを守れ!」

「「「リーチたんを守れ!!」」」

「【オーパブ】を守れ!」

「「「【オーパブ】を守れ!」」」


 ロドリコさんの掛け声に合わせ、変た――強者たちが拳を天に突き上げた。


「リーチたんを守れ!」

「「「リーチたんを守れ!!」」」

「【オーパブ】を守れ!」

「「「【オーパブ】を守れ!」」」


 繰り返し、繰り返し、町を包囲している騎士たちを威嚇するかのように。


「リーチたんを守れ!」

「「「リーチたんを守れ!!」」」

「おっぱいを守れ!」

「「「おっぱいを守れ!」」」


 …………空耳に違いない。

 戦士たちのテンションがMAXに達する中、急報が届いた。


「町の北より敵影多数確認、その数およそ百! 騎士団が進軍を開始したぞ!」


 とうとう。

 胸が、きゅぅ、と締め付けられるような感覚に襲われた。


「戦うぞ! 我らが愛するリーチたんのために! これ以上敵を【オーパプ】に、リーチたんに近づけさせるな!! 行くぞッ、リーチたん、バンザアアアイ!!」

「「「リーチたん、バンザアアアアアアアアアアアイ!!」」」


 ロドリコさんを特攻の先頭に据え、町の男たちは咆哮しながら、地鳴りを轟かせながら騎士団に向かって行った。

 それはまるで、カミカゼ特攻のように勇ましく。

 店の出入り口で彼らの背中を見送っていると、隣にメロリナさんが立った。


「心境のほどはいかがでありんす?」

「正直、苦しくて胸が張り裂けそうです」

「気にすることはありんせん。好いた女のために戦う。男なら本望でしょや」


 すみません。感動するところなのかもしれませんけど、鳥肌が立ちました。


「……ロドリコさんって、思っていたより紳士なんですね」

「え、そうかや? わちきは大概じゃと思ったが」

「てっきり、お礼にへろへろとか、ぱふぱふとか、きょいきょいとか、いんぐりもんぐりを要求されるかと思いました」

「向こうの世界の専門用語かや? 仮に要求されていたら、どう答えんした?」


 オレは長考し、


「………………………………………………ちょっとだけ……なら」


 そう答えた。


「お前さん、もしや、サキュバスとしての本能に目覚めおったのか?」

「ち、違ッ! そうじゃなく、オレのせいで、死ぬかもしれない危険に飛び込ませちゃうわけですし!? 嫌ですけど、ホント死ぬほど嫌ですけど、それくらいはしなきゃわりに合わないっていうか、申し訳ないっていうか!」

「カカカ、まあ、そんなところでありんしょうな。なんにせよ、連中、千載一遇のチャンスを逃しおったの」


 騎士団との先端は開かれた。緊張に支配されていく中で、メロリナさんの笑い声だけが場違いに明るく響いていた。

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