第96話 その背に問う
町の北口から【オーパブ】までは、緩やかにくの字にカーブした一本の大通りで繋がっている。距離にして500mってところだろう。
そのちょうど真ん中あたりで町の男たちと騎士団の戦いは始まった。
店の中にいても聞こえてくる怒号と轟音。
魔石を使用しているのか、時折、爆発音のようなものまで聞こえてくる。
直接は戦えない女子供や老人も、行く手を阻むバリケードとして立ちはだかっているため、騎士たちは馬の足に任せて突っ切るということができない。
町民たちは、騎士の侵攻を完全に止めていた。
「なんか、こっちが人質を取っているみたいですよね」
「町民がサキュバスに操られているとでも思っているのでありんしょうな。武器を持って向かってくるならともかく、女子供を傷つけることはなかろうて。男共も、殺されはせんと思いんす。もっとも、殺す気が無いのはこちらも同じじゃが」
「オレの討伐と【オーパブ】の解体が目的なら、こんな大規模な進軍じゃなくて、夜中にこっそり店を襲撃するなり、暗殺するなりすればいいのに」
いや、されたら困るけど。
それを言うと、メロリナさんは「カカ」と笑った。
「安っぽい騎士のプライドでありんす。およそ卑怯と思われる行動には出られん。どちらが騎士と町民にとって被害が少ないのかくらい、ようよう考えるまでもなくわかりそうなものでありんすが」
「騎士団にとって、ここまでの徹底抗戦は誤算だったに違いないのである。率いてきた部隊を見せつけるだけで戦意を摘み取れると高をくくっていたはず」
意見を挟んだのはギリコさんだ。
「魔物を擁護しているというだけで、ろくに相手を知ろうとせんからこうなる」
「スミレナ殿とリーチ殿の求心力には、味方ながらに舌を巻かされるのである」
特別な役職を割り振るとしたら、指揮官メロリナさん、特攻隊長ロドリコさん、影武者エリム、そして近衛隊長がギリコさんということになるだろう。
ギリコさんを前線に出さないのは、ミノコとほぼ同じ理由だ。
ギリコさんはリザードマン――保護指定されていない種族だ。もし騎士と戦って相手を傷つけたりしたら、魔物指定とは言わないまでも、人間同士で争った時以上の罪を課されるのは確実だろう。サキュバスに操られていると言い張ったとして、どれほどの効果があるやら。最悪、その場で殺されてしまうかもしれない。
そうこうしているうちに、最初の負傷者が、本陣である【オーパブ】店内に担ぎ込まれてきた。ロドリコさんだった。
「ロ、ロドリコさん! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
剣で斬られたというより、殴られたような傷だけど、ロドリコさんは額から血を流して荒い呼吸を繰り返している。目も虚ろで、焦点が合っていない。
「その声は……リーチたん……か……」
虚空に向かって伸ばされた手を、オレは両手で包むようにして取った。
「ここにいます! ああ、ロドリコさん、死なないでください!」
「俺はもう、ダメだ……。しかし、君のために戦い……そして死ねることを幸せに思う……。だから、自分を責めたりはしないでくれ……。ふふ、こんなにも満ち足りた気持ちで逝けるなんて……。あ、でも、最期にリーチたんに膝枕をしてほしいかなって。それだけが心残り――」
「メロリナ・メルオーレの名において、此度の戦いでの最優秀兵士には、りぃちの〝おっぱい枕〟を堪能する権利を約束しんす」
「ぬおおおおおおおおおお!! 戦場が! おっぱいが! 俺を呼んでいる!!」
勢いよく首跳ね起きで立ち上がったロドリコさんが、治療もそこそこに、猛然と店を飛び出して戦場へ戻って行った。……死にかけてたんじゃないのかよ。
「メロリナさん、勝手に追加報酬を出さないでください」
「よいではないか。あやつらの頑張りに応えたいのじゃろ?」
「それはそうですけど……」
ロドリコさんがMVPだったら…………あ、また鳥肌が。
この話は瞬く間に伝わり、味方の士気は倍増した。
それからはもうゾンビアタックだった。傷ついて本陣に運ばれて来ても、オレを――というか、オレの胸を拝んでは「ファイトォ、おっぱあああい!!」と雄叫びを発して再び前線へと突撃して行く。味方であるオレですら怖いと感じるんだから、敵からしたら相当な恐怖だろう。
相手は訓練を重ねた騎士たち。対するこちらは、士気は高いが素人集団。
にもかかわらず、奇跡的と言っていいほど善戦している。
重傷以上の怪我人を出すことなく、一人の騎士も通さない。
だけど。
「押され始めたようであるな」
店頭に立って戦況を見つめていたギリコさんが、苦い声で言った。
大通りで繰り広げられている攻防が、徐々に【オーパブ】に近づいて来ている。
予想していたことなのか、これにメロリナさんが焦るでもなく返す。
「地力の差はどうにもなりんせん。いくら戦意を回復させたとしても、体力が戻るわけでなし。気合いと根性と乳だけでは限界がありんすな」
「ど、どうすれば……」
ミノコを投入するしかないのか。
そうすれば、戦局を引っくり返すことができるかもしれない。
でも、ミノコは魔物指定され、オレと同じく追われる身になってしまう。
それならいっそ、オレが今すぐこの町を――。
「敵将を見事討ち取った者に、りぃちが処女をくれてやるというのはどうかや? これでまた持ち直せると思いんす」
「そんなことするくらいなら自分で戦いに行きます」
「冗談でしょや。そう怖い顔をしなんし」
TPOってものを考えてください。
馬鹿な遣り取りをしていると、防衛線の一部が割れるように決壊した。
ついにオレは、騎士の姿を視界に捉えた。
わらわらと溢れ出てくる騎士たち。その先頭にいる男、ずいぶん若く見えるけど隊長格なのか、他の騎士たちに指示を出している。
まずいことに、騎士と町民の位置が入れ替わった。
今度は騎士たちが、町民を【オーパブ】に近づけまいと防衛線を張っている。
そんな中で、先頭に立つ男は自信の表れなのか、一人で歩いてくる。
剣を抜き放っていることから、交渉を望んでいるわけじゃないことは明らかだ。
どうする。どうすればいいんだ。
「メロリナ殿、リーチ殿をお頼み申す」
相手を見据えたまま、ギリコさんが店から一歩外に出た。
「え、ちょ、ギリコさん……何するつもりなんですか!?」
「あの者との対話である」
「対話ってそれ、刀で語るとか、そういうのじゃ!?」
リザードマンのギリコさんは人間と戦っちゃいけない。
小生は戦うつもりはないのであるよ。そう言っていたのに。
振り返ることなく進むギリコさんを止めようと、オレは肩に手を伸ばした。
その手をメロリナさんによって掴まれてしまう。
「やめんか。男が戦う決意をしておるのじゃ。無粋な真似をするでない」
「でも、ギリコさんは! それに相手、すごく強そうじゃないですか!」
「そうさの。あの泰然とした歩み、まず弱くはなかろ。だとしてもじゃ。女が男の戦いを邪魔することは絶対に許されん」
わかるけど……。わかるけどさ。
オレだって十七年も男をやってきたんだ。その言葉が正しいことは知ってるし、女に止められた男がどういう気持ちになるのかも想像できる。
でも、止めちゃいけない理由が女だからっていうなら、オレは今ほど自分が女になってしまったことを恨んだ瞬間は無い。
大通りの中央に立ち、ギリコさんは相手を待ち構えた。
相手の騎士はギリコさんの出で立ちに目を細めた。
「リザードマン? どうしてそこに立っている?」
「無論。貴君が向こうで戦ってきた町人たちと思いを同じにしているからである。王都の騎士よ。尋常に刃を交えよ」
ギリコさんと対峙した騎士は、理解できないといった風に眉間に皺を寄せた。
「保護指定種族でもないリザードマンが人間に牙を剥く。それがどういうことか、まさか知らないのか? 僕にその刀を向けただけでも罪になるぞ?」
「委細承知の上」
一瞬の躊躇もなく、ギリコさんは腰に帯びた鞘から鈍色の刀を抜き放ち、相手に切っ先を向けた。
「……愚かだな。これで貴様はここで斬り伏せられても文句は言えなくなった」
「生憎と、保身に走って友を見捨てること以上に重い罪を、小生は知らぬ」
あのサイズと形状、確かブロードソードとかって剣だったか。騎士は大きな剣を中段に構え、その全身から殺気を迸らせた。
肌をチリつかせる殺気を浴びてもギリコさんは気圧されていない。
「ギリコ。リザードマン故、姓は持っておらぬであるが、それが小生の名である」
「残念だが、法を犯したリザードマンに名乗る名前を、僕は持ち合わせていない」
今すぐ出て行って、あの騎士の横っ面を殴ってやりたい。
ギリコさんは、オレがこれまで出会ったどんな人間よりも尊敬に値する人だぞ。
――その時だった。
「「「ギーリーコ!! ギーリーコ!! ギーリーコ!!」」」
ロドリコさんたちだと思う。壁を作っている騎士たちの向こうから、今も戦っている人たちの声が聞こえてきた。
そのエールは、「騎士団は帰れ」と抗議していた女子供たちにも瞬く間に伝播し、町を揺るがすほどの大音声へと成長していった。
胸の奥まで響いてくる声援を聞いて、オレは歓喜に打ち震えた。
他の町へ行ったことがないオレは、【メイローク】以外のことを知らない。
それでもオレは胸を張って自慢できる。
人間たちが一丸となって、保護指定種族にないギリコさんを応援し、魔物であるサキュバスのオレを守ってくれている。種族なんて関係無い。
これが【メイローク】という町なんだって。
「チッ」
騎士が舌打ちし、味方にアイコンタクトを飛ばした。
すると、他の騎士たちがハッとし、ギリコさんへのエールに対抗するようにして声援を送り出した。数で劣る分、誰もが喉を潰さんばかりに声を張っているが。
「「「シーコールゼ!! シーコールゼ!! シーコールゼ!!」」」
えぇ……。あの人たち、いきなり何言い出してんの?
そんな大声で、シコるぜって。戦闘の真っ最中なんだぞ?
騎士団流の発破の掛け方なのかもしれないが、不謹慎にもほどがある。引くわ。
まさか、本気でおっ始めるつもりじゃないだろうな。やめてくれよ。
幸い、おぞましい地獄絵図に発展することはなく、ギリコさんと騎士の一騎打ちというムードが整っていった。
「この町は、どうやら本格的に狂っているようだ」
「欠点ばかりを探しているうちは、物事の本質など見極められぬのであるよ」
「ふん、サキュバスに操られていたなどという言い訳は、もう聞かないぞ」
「……相容れぬであるか」
ギリコさんが腰をわずかに落とし、騎士が足を前後に開いた。
二人を包む緊迫感に息が詰まり、周囲の音が遠くに感じるようになる。
両者が睨み合い、探り合う。
対峙すること十数秒。沈黙は突然に、弾け飛ぶようにして破られた。
「いざッ!!」
ギリコさんが動いた。
柄を握っているのか、添えているだけなのか判別できなかったギリコさんの右手が消えた。――ように見えるくらい速い居合抜きだ。
刹那、騎士が大きく仰け反った。
反射神経? いや違う。
オレの見間違いじゃなければ、騎士はギリコさんよりも先に動いていた。
前もって、そこに斬撃が来るとわかっていなければできないような動きだ。
「無駄だ! 僕には貴様の一秒先が――ッ!?」
何を言おうとしたのか。台詞を中断した騎士の右頬に赤い線が走った。
完全に振り抜き、停止して初めて刀身が見える速さ。
斬撃より早く動いた騎士の頬を、かわすより速い斬撃が斬り裂いた。
見れば、ギリコさんは刀を返して峰で攻撃を仕掛けていた。
「なんと。顎を打って意識を刈り取るつもりが、今のはどういう動きであるか」
ギリコさんの声に動揺の色が窺える。
騎士は薄く斬られた頬を指でなぞり、赤い血を見てわなわなと肩を震わせた。
「き、き、貴様……僕の顔に、よくも……よくも傷をォォォォォオ!!」
騎士が大剣を最上段に振り被った。そこから力いっぱいの振り下ろし。
大剣と刀。その重量差は大きい。まともに打ち合ったら刀が折れてしまう。
だけどあんな大振り、ギリコさんなら簡単にかわせ――
「馬鹿め! そっちにかわすことはわかっている!」
「なんで、あるか!?」
右に跳ぶことで斬撃をかわそうとしたギリコさんを、大剣が途中で軌道を変えて追尾した。あれも、最初から予測していなけりゃできない芸当だ。
ギリコさんが、やむを得ず刀を縦に構えて防ごうとする。
けど、バットをフルスイングするような騎士の重い斬撃は刀を簡単にへし折り、そのままギリコさんを――斬った。
身に着けていたプロテクターのベルトが切れ、宙を舞う。
それと共に鮮血を飛び散らせたギリコさんが……背中から倒れていった。
「トドメだ」
気づけばオレは飛び出していた。
後ろからメロリナさんの声が聞こえたけど、とにかく一歩でも前に、一瞬でも早くと、そればかりを考えて走り、オレはギリコさんの体に覆い被さった。
どくどくと、止め処なく血が流れていく。だけど、まだ息はある。
させない。
させない。
絶対にさせない。まだ助けられる。
「その風貌、貴様がサキュバスだな」
キッ、とオレはギリコさんを斬った騎士を睨みつけた。
「なるほど。サキュバスらしい、男をたぶらかす外見をしている。ちょうどいい。二匹まとめて駆除してくれる」
騎士が再度大剣を高く振り被った。
そこで不意に、オレを呼ぶ声がした。
メロリナさんじゃない。声は大通りの向こうから聞こえてくる。
わずかに視線をズラすと、そこで何をしているのか、領主さんが騎士の手で地面に取り押さえられていた。すぐ近くにはグンジョーさんもいるけど、同様に騎士と取っ組み合いをしている。
「リーチさん、聞いてください! アナタの探している人は、くっ、騎士の中に! 以前、酒場に――――」
領主さんが何か叫んだが、ギリコさんが斬られた直後から響き渡る周囲の悲鳴に交ざってしまって聞こえない。
でも、「探している人は騎士の中に」――これだけ聞こえた。
騎士の中に?
騎士の中に……なんだ?
「動くな。痛みを感じる間も無く首を刎ねてやる」
考える時間は与えられず、無情にも騎士の一刀は振り下ろされた。
オレはギリコさんを抱きかかえ、頭を下げて目を閉じた。
その直後、ひゅ、と首筋に風を感じた。
斬られた……!?
そう思ったけど、痛みも何も無い。
本当に痛みを感じる間もなく死んでしまったのだろうか。
でも、手に感覚がある。ちゃんと目も開く。
まだ生きている。
「――危ねェなあ」
頭上から、若い男の声が聞こえた。
聞き覚えがある声だった。
「なんかこれ、言うの二度目だっけか。悪ィ、もう少し早く来れてたら……」
そう、二度目だ。
以前、同じ声を酒場で聞いた。
おそるおそる、オレは顔を持ち上げた。
まず見えたのは、丸出しの尻だった。
さらに顔を上げても、およそ衣類に該当する物が一つも見当たらない。
傾いた陽と、騎士の斬撃を正面から受け止めているシルエットは、どういう理由か知らないが、全裸だった。全裸の男がオレを守るようにして立っていた。
この人は騎士だったはずだ。
騎士なのに、どうして同じ騎士と敵対するようなことを……。
探し人は騎士の中に。
さっき聞いたばかりの言葉を思い出した。
騎士の中に…………いる?
オレは目の前の人物に、一人の人間の姿を重ねた。
「…………
そして、その背中に向かって、親友の名前を口にした。
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