第93話 両軍対峙する
町は静かだった。
今はまだ。と言うべきか。
【メイローク】の四方は、騎士団第一部隊の百名によって既に包囲されている。
そして、討伐対象であるサキュバスを匿う【オーパブ】を攻める役を担うのは、シコルゼ・スモルコック率いる第二部隊の百名だ。
サキュバスの引き渡しを拒否された時点で、騎士団は【オーパブ】の抵抗を予想していた。故に、騎士団の主力部隊を投入したのだが、一個の店ができる抵抗などたかが知れている。騎士の誰もが過剰戦力だと考えた。
吹けば飛ぶような抵抗の意思さえ挫く。そのための部隊遠征だった。
だが、一つだけ騎士団にとって誤算があった。
「団体予約は承っていないのだけど?」
場所は町の北口。
騎士団を統べるアーガス・ランチャックと、部隊長のシコルゼ・スモルコックを眼前に見据えた【オーパブ】の主、スミレナ・オーパブは大胆不敵に言った。
【メイローク】に到着した騎士たちは例外なく驚愕した。
圧倒的戦力を見せつけるだけで事が済む任務のはずだった。
そのはずが、いざ蓋を開けてみれば、彼女を筆頭に、武装蜂起した町の男たちが数百人規模で待ち構えていたのだ。戦力にはならない女子供ですら、騎士団を町に入れるまいとし、バリケード役を買って出ていた。
騎士団の誤算。それは町全体が抵抗の意思を示していたことだ。
「なんの真似だ?」
「見てのとおり、非歓迎を態度で表しているのだけど、伝わらないかしら?」
アーガスの問いに、スミレナは苛立ちを含めて冷たく答えた。
「無駄に被害を拡大するだけだぞ」
「そう思うなら、速やかにお帰りいただいきたいわね。こちらは王都に何も求めていない。望むことがあるとすれば、構わないでほしいということだけよ」
「魔物の中でもサキュバスは特に危険だ。放置できない」
「サキュバスは放置できないですって? 笑わせてくれるわ」
スミレナの脳裏に浮かんだのは、当事者であるリーチ・ホールラインではなく、もう一人のサキュバス――メロリナ・メルオーレのことであった。
外見の幼さに反して
数十年、その存在に気づいてすらいない者が「放置できない」などと言っても、なんの説得力も持たないため、スミレナは失笑を禁じ得なかった。
そんな彼女の傍には二人の男がいた。
一人はこの町の領主、ザブチン・カストール――もとい、カストレータ。
「アーガス騎士長殿、襲撃の件は誤解なのです。ゴブリンにしても、あの子が町に呼び込んだなどということは断じてありません。あれはわたしが、そう、わたしが個人的に懐柔しようと思って手元に置いていたのです。全ての罪はわたしに!」
そしてもう一人は、リーチがサキュバスであることを領主とアーガスに密告した張本人であるグンジョー・マツナガだ。
「先日、わたくしは言葉の限りを尽くして彼女を罵りました。その全てをこの場で撤回させていただきたく思います。彼女はわたくしに教えてくれたのです。他者を差別する愚かしさと、他者を愛することの素晴らしさを」
過去に犯した罪の意識からではない。純粋にリーチを擁護したいと願う気持ちを汲んだスミレナが、彼らを同伴させたのだ。
ただし、それが良い方向へ働くかは別問題。
「たった数日で、ここまで真逆のことを……。これでは、まるで別人ではないか。心境の変化では片づけられん。やはり、サキュバスに操られている。いや、この町全体が既に……」
【オーパブ】が憎い憎い憎い憎い潰してやる。
犯す犯す。魔物の味方をする女も全員犯す。
そんなことを言っていた者たちだ。ビフォーアフターの差が激しすぎるせいで、かえって不審に思うのも無理からぬことであった。
「わたしは目が覚めたのです! そして真実の愛に目覚めたのです!」
「天は人の上に人を造らず! 人の下に人を造らず! 種族によって貴賎を決め、差別するのはおかしい! 偏見は捨て、その人個人に目を向けるべきなのです!」
「駄目だこの者たち……。早くなんとかしなければ……」
悲しいかな、完全に逆効果だった。
なおも懸命な説得を続けようとする二人に、スミレナが「悪いけど黙ってて」と言って退がらせた。男二人はしゅんとして後ろに控えた。
スミレナが、短く息を吐く。
「転生者を対魔王兵器にしか考えていない騎士団には言いたくなかったけど」
「語弊があるな」
どうだか、と言わんばかりにスミレナは肩を竦めた。
「あの子を討伐するなんて、やめた方がいいわよ。人類の損失だから」
「どういう意味だ?」
「あんなに可愛い子を失うなんて、馬鹿げていると思わない?」
「くだらん」
つまらない男。そう揶揄した後、冗談はさておき、とスミレナは続けた。
そうして、本命であり、相手にとって有益となる情報を開示する。
「あの子は転生者よ」
予想だにしなかった告白に、アーガスが目をぱちくりとさせた。
敵方の情報だ。インパクトはあったが、信じるには値しない。
それでも確認の意味でアーガスは尋ねた。
「以前、こちらから情報を求めた時、お前は転生者について、知らないと答えた。今になってそれを言う理由はなんだ?」
「討伐されるよりはマシだからよ」
「なるほど。そのための出任せか」
「まあ、そう思われるでしょうね」
「残念だが、あの娘は転生者ではない」
アーガスがそう断じた。
聞く耳を持たない相手に、ザブチンとグンジョーは落胆の色を見せた。
しかし、スミレナは違った。
「今の言い方、少し気になったわ」
「言い方?」
「あの娘は転生者ではない? 魔物が転生者のはずがないと言うのならまだしも、どうして〝あの娘は〟と限定したの? それに残念という言葉には、可能性があるように思える。魔物であっても転生者である可能性よ。アナタの言い方だと、他に断定する根拠があるように聞こえたわ」
スミレナは推理する。
「魔物という要因以外で判断したのなら、外見以外に考えられない。もしかして、騎士団は転生者の外見的特徴を一部でも知っているの?」
魔王の脅威があるため、転生者が現存することを騎士団は秘匿してきた。
ここで、知っていると答えることは、転生者の存在を明かすことと同義だ。
さりとて黙秘も肯定と変わらぬ意味を持ってしまう。
「ここまで徹底的に迎え撃つ準備をしておきながら、何をそんなに食い下がる? あの娘が転生者ではないと特定されることが、今さら惜しくなったのか?」
「馬鹿ね。もうそんな話はしていないのよ。はぐらかそうとしたわね?」
アーガスが無意識に、小さく喉を鳴らしたのをスミレナは見逃さなかった。
「情報提供者がいるのね」
スミレナは思考を加速させる。
考えろ。
考えろ。
相手にあって、こちらには無い情報。
こちらにあって、相手には無い情報。
それらは互いにとっての手札となるが、今は認識の齟齬を正すために双方が持つ共通の情報を提示することが重要だ。
加えて、一度も外に出していない情報でなければならない。
スミレナが、相手を試すようにそれを問う。
「転生者は二人いる。この情報、そちらも知っているんじゃないの?」
魔王が転生者を狙うという考えをスミレナは持たない。そのため、転生者が現存するということを前提にしてアーガスの思考に踏み込んだ。
「な、何故それを……」
アーガスの素の動揺を見てスミレナは確信した。
情報提供者は転生者で、もう一人の転生者を探している。
すなわち、リーチの友人が転生して来ていることを意味する。
そして思い至る。
現在は騎士団に近いところにいるのだということに。
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