第92話
パチ、パチ、パチ。
ゆっくりと、俺のテンションに水を差すテンポの拍手が室内に響いた。
三十代、四十代がほとんどの面々の中で、そいつは目立って若い男だった。
若いと言っても、俺よりはずっと上。二十代半ばか。
場の注目を俺から掻っ攫ったのを確認した若い騎士が立ち上がった。
「威勢だけはいいな、転生者」
喧嘩を売られているってのに、そいつには狼狽えた様子が欠片もない。
アーガス騎士長と同様に、強さに裏付けされた自信みたいなものを感じさせる。
身長体格は俺と同じくらいだが、一つ一つの所作から品の良さというか、高貴なオーラが滲み出ている。顔の系統は、酒場で出会ったエリム・オーパブに近いものがあるけど、奴より十倍男らしく、二十倍強そうではある。甘いマスクも手伝い、少女漫画に出てくる騎士のお手本みたいな野郎だというのが、俺の抱いた印象だ。
「威勢だけかどうか、テメェから試すか?」
「そうさせてもらおうか」
軽く面食らってしまった。てっきり俺を窘めるための舌戦にでも持ち込んでくるのかと思いきや、挑発と挑戦を真っ向から受け止めやがった。
「シコルゼ」
逆に、アーガス騎士長が若い騎士を注意するような口調で呼んだ。
シコルゼと呼ばれた男は背筋を伸ばし、アーガス騎士長に正面を向けた。
「この手合いは、言い出したら意見を曲げないでしょう。彼に言葉どおりの強さがあるなら、ここで我々がぶつかれば無駄に戦力を疲弊してしまうことになります。それは好ましくない。ここは一つ、このシコルゼ・スモルコックにお任せいただけないでしょうか?」
「決闘をするということか?」
「躾には、多少の痛みも必要かと」
「勃起できずとも、タクトは強いぞ?」
「力不足だとお思いですか?」
アーガス騎士長は口をつぐみ、質問には答えなかった。
気を遣ったのは、若い騎士になのか、それとも俺になのか。
どちらにせよ、アーガス騎士長は事態の収拾を若い騎士に一任した。
アーガス騎士長から許可を得た騎士は深くお辞儀し、俺に向き直った。
「オイ、勝手に話を進めてンじゃねェぞ」
「君にとっても悪い話じゃない。万が一僕に勝てたなら、この討伐遠征を再調査の必要ありとして、一度白紙に戻すと約束しよう」
「テメェにそんな権限があンのか?」
「僕は王都騎士団第二部隊隊長を務めている。部隊長の座をかけて約束は守ろう」
騎士団主戦力部隊のトップかよ。弱い……はずがねェだろうな。
「テメェの地位なんか心底どうでもイイ。だから、絶対に守れよ」
「君も約束しろ。僕と決闘して負けたら、潔く諦め――」
「断る!」
「な、なんだと?」
俺は相手の言葉を待たずに力いっぱいの拒否を口にした。
「決闘で俺が勝ったら討伐の件が白紙になるっていうのは大歓迎だ。だけど、俺が負けても諦めてはやらねェ」
「なんというわがまま……。君にプライドは無いのか?」
「人の命がかかってンだぞ。安いプライドなんざ、犬にでも食わせてやる」
シコルゼ部隊長は、俺を嘲弄するように「ふっ」と笑った。
「プライドを捨てるか。君は騎士に向いていないな」
「他に就職先があるなら、ぜひ教えてほしいもンだぜ。そもそも、全裸勃起で強化なんつー業を背負っちまった時点で、プライドとは無縁なンだよ」
「まあいい。君が負けたら、討伐が終わるまで拘留させてもらおう。そこに文句はつけてくれるなよ」
「は? つけるに決まってンだろ」
「……修練場へ移動しろ。そこで白黒つけよう」
騎士団本部内にある円形修練場に、会議に出席していた騎士たちがそのまま移動した。俺とシコルゼ部隊長以外はスタンド席で観客になっている。
「会議が途中だ。さっさと終わらせようか。僕は木剣を使用させてもらうが、君は自慢の槍を使ってくれて構わないぞ」
「アンタ、レベルはいくつなンだ?」
「24だ。君は確か、勃起強化なしでも全裸でレベル26にまで上がるそうだな」
「わかっていて、その自信はなんなんだ?」
「決まっている。僕が君より強いからだ」
人間のレベルは肉体の強さと技術、それらの要素から算出されているという。
天界人も多分そうだ。普通に考えりゃ、俺の方が強いはず。
なのに、シコルゼ部隊長は自分の勝ちを信じて疑っていない。
他に勝敗を決める要因でもあるってのか?
「降参か、相手を気絶させるかで決着としよう。降参を勧めるぞ」
「ぬかしやがれ。悪ィが、今出せる俺の全力でぶつからせてもらうぜ」
「そうしてくれ。でなければ、『すみませんでした。俺が調子に乗っていました。二度と逆らったりしません』と君に言わせられないからな」
「誰が言うか」
「だったら気絶させるしかないわけだが」
「やってみろ。そのスカした余裕面、泣き顔に変えてやる」
腕を額の前で交差させ、勢いよく十字を切るようにして振り下ろした。
弾け飛ぶようにして鎧が全脱衣《フルパージ)。ギャラリーから歓声が沸いた。
続けて、股間を突き出すようして叫ぶ。
「
発声をトリガーとして、黄金に輝く円錐形の
右手で柄を掴み、ヒュンヒュンと前方にバツを描くようにして空を斬る。そして右足を一歩
人前で脱ぐという
今の俺は、アーガス騎士長と同等のレベル26になっている。
負けるはずがねェ。
「……一つ尋ねたい」
「なんだよ?」
突貫を開始しようとした矢先に、シコルゼ部隊長が憮然とした面持ちで言った。
「確認なのだが、君のそれは、勃起していない状態なのか?」
「見りゃわかンだろ」
「チッ」
何もしていないうちからシコルゼ部隊長の余裕面が、苛立ちを露わにした渋面に変わっている。神聖な決闘で丸出しというのが不満なンだろうか。
「僕は君が気に入らない。転生者だというだけで、騎士長から特別扱いされているにもかかわらず、横柄な態度を取る君のことがな」
「誰にでも砕けた態度を取るのは俺のチャームポイントなンでね」
右も左もわからず異世界に放り出された俺の衣食住を面倒見てもらってるンだ。ちゃんと恩は感じてる。けど、それとこれとは別問題なンだよ。
「その点も含めて躾が必要だな」
「やれるもンなら、やってみやがれ!」
今度こそ俺は駆けた。
槍術なんてわからない俺は、まともな突き技なんて使えない。
だからこの槍も、槍ではなく、鈍器に見立てて振り被った。
今のパワーで脳天を打てば、下手すりゃ殺してしまうかもしれない。
俺は相手の右肩を狙って縦に振り下ろした。
――が、シコルゼ部隊長は半身になることで、これをあっさりかわしてしまう。
空振った一打は地面を打ち、ガボッ! と小さなクレーターを作った。
「膂力は完全に君が上だな。僕は一撃もらっただけでも戦闘不能になるだろう」
一発当たれば勝ちだと言うなら強力な一打は必要無い。
俺はガムシャラに槍を振り回し、連打に連打を重ねた。
「速度も上か。腹立たしいな」
毒づきながらも、シコルゼ部隊長は全てを紙一重で避けていく。
一撃で戦闘不能と言うくせに、必死な感じが全くない。完璧に見切られている。
「そろそろ僕からも攻撃するぞ。絶対に避けられないから痛みにだけ備えろ」
何を言うかと思えば、絶対に避けられない?
俺には天界人特有の超反応がある。剣相手で避けられない攻撃なんてない。
シコルゼ部隊長が、先程の俺と同じように木剣を高々と振り被った。
剣先を凝視する。それがわずかに落ちた瞬間、俺は神速の反応と判断力で軌道を読み、サイドステップでかわ――
「……がっ!?」
――せなかった。
いや、かわしたのに木剣が軌道を変え、脇腹を打たれた。
痛ェェェ! 木剣とはいえ、地肌に喰らうと骨にまで響く衝撃がある。
「君は僕に勝てない。たとえ、平常時で既に僕の
なんの話だ?
それより、さらに追撃が来る。
「そら! そら! そら!」
縦、横、斜めと、伸びた草を刈り取るみたいに大雑把な連続攻撃。
全て見えている。反応もできている。なのに、その全てが俺の体を打ち据える。
「ぐ、が、なん、で……!?」
「弱点その1。君のちんこが、君の動きを全て教えてくれる」
攻撃の合間に、俺の疑問に対する答えが差し込まれた。
「どういう意味だ!?」
「誰が考えたのか知らないが、局部裸身拳は武術としてあまりに稚拙だ。ちんこの振り子運動をも利用する、といった内容らしいが、それは言い換えると、ちんこの動きにさえ注意していれば、君の動きが先読みできるということだ。君のちんこは反動をつけるために、君が動こうとする反対側を常に指している。なまじちんこが大きいせいで、その動きがよりはっきりとわかるのさ」
こいつ、この短時間でそこまで見抜いたっていうのか……。
「絶対的な戦闘経験不足。知能の低いモンスターが相手なら、スペックだけで押し切れるかもしれないが、それでは宝の持ち腐れもいいところだ。同じレベル26であっても、君と騎士長が本気で戦えば、勝負にならないだろう」
「クソ! クッソォォオ!!」
俺の攻撃は当たらない。なのに相手の攻撃は面白いようにヒットする。
相性の悪さもあるだろう。レベルだけで勝敗は推し量れねェってことかよ。
「君はまだ己のちんこを御しきれていない。意識して訓練を続ければ矯正もできるだろうが、付け焼刃でやっても動きが余計に拙くなるだけだ」
弱点を指摘しつつ、ビリヤードの構えのように木剣の切っ先が向けられる。
喉元目掛けて鋭い突きが放たれた。
かわそうとすれば、動きを読まれてしまう。
だったらかわさない。白羽取りで受け止めてやる!
天界人の反射神経があれば、こんな神業だって造作も無――
「――ぐっふ!?」
木剣を両手で挟み取った刹那、腹部に突き刺さるような前蹴りが叩き込まれた。
なんで? 白羽取りを読まれた?
全く同時に攻撃を繰り出していたとしか思えないタイミングだった。
木剣を放して後ろへよろめき、思わず俺は片膝をついた。
そんな俺を見下ろすように、シコルゼ部隊長が二本の指を立てた。
「弱点その2。天界人の超反応」
「それの……何が……」
「天賦の才に頼りすぎているせいで、君は相手の攻撃を見てからでしか動けない。追撃に反応できたとしても、地面から足が離れた瞬間をつけばかわしようがない。むしろフェイントに逸早く引っ掛かってくれる分、追撃はとても容易だ。何よりもお粗末なのは、視覚外からの攻撃には反応自体できないことだ」
つらつらと、流れるように弱点を挙げ連ねられていく。
シコルゼ部隊長が見せつけているのは余裕なんかじゃない。俺の心を折るため、自分の方が圧倒的に高みにいるのだという強い自負だ。
「だけど、それだけじゃ説明がつかねェ……。今のはどういうことだ? 白羽取り――あんな防ぎ方が、当然のように読めるわけがねェ……」
「読めたさ」
「どうやってだよ!?」
「これは君の弱点というわけではないが、君が僕に勝てない最たる要因だ」
ずっと言いたかったことなのか、シコルゼ部隊長の声音が微かに弾んでいる。
「君は王都騎士団に、二人の特能持ちがいるのを知っているか?」
「二人? カリーシャ隊長以外にもいたのか?」
「彼女の【
シコルゼ部隊長の薄くたたえた笑みは、「早く当てろ」と急かしてくる。
俺が騎士団の中で名前を知っている人間なんてカリーシャ隊長とアーガス騎士長くらいだ。ここでアーガス騎士長が特能持ちだと発覚したところで意味は無い。
「まさか……」
「そう。そのまさかだ」
シコルゼ部隊長が右手で自分の顔を覆い、指の隙間から俺を覗き込んできた。
「僕の特能【
種明かしを楽しむように、シコルゼ部隊長の声が喜悦に満ちた。
未来予知。
反射神経どころの話じゃない。完全に、天界人が持つ超反応の上位互換だ。
「気を失う前に、もう一度言っておこう」
木剣を両手に握り直したシコルゼ部隊長が膝を曲げ、前傾姿勢を取った。
ちくしょう……。
ちくしょう……。
「君は僕に勝てない」
打ち据えられ、打ちひしがれる。
沈んで行く意識の中で、俺は痛みに呻くより、敗北に嘆くより、彼女を守れない自分の弱さを呪い続けた。
気を失うと、強化は自然に解け、脱衣状態にあろうとレベルはリセットされる。
再び脱衣強化を行えないよう、俺は騎士団本部にある牢に裸のまま投獄された。
翌日、【オーパブ】に次のような書面が送られた。
王都騎士団の名において、サキュバスの引き渡しを要求する。
猶予は一日。
要求を呑まなければ、【メイローク】を包囲して【オーパブ】を武力解体する。
加えて、スミレナ・オーパブを国家反逆罪とみなして身柄を拘束する。
さらに明朝、【オーパブ】より返答があった。
――寝言は寝て言え。
そんな内容だったそうだが、とにかく要求は拒否された。
これを予期していた騎士団は、第一、第二部隊――総勢二百の騎士を率いて即日王都を発ち、陽が傾き出す頃には【メイローク】の包囲を完了させた。
その報せを、俺は牢の中で聞いた。
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