第84話 敵に回したくねェなァ
客席の隙間を縫うように急行していると、男が彼女の腕を強引に引いていた。
あの野郎、「こっち座って酌の一つもしろよ。へへ、たまらねえ乳してやがるぜ。どれ、ちょっと揉ませろや」とでも言っているに違いない。そうはさせるか。
彼女がバランスを崩し、持っていたトレイが俺のすぐ目の前で傾いた。
空中に食器が放り出される。
皿が一、二、三、四枚。ジョッキが一つ。どれも中身は空だ。それらを掴み取る順番、手を伸ばす角度を瞬時に判断し、俺は精確に皿を手に重ねていった。
「危ねェなあ」
天界人の超反応。肉体強化はせずとも、俺にはこれがある。
最後にキャッチしたジョッキをコツンと皿の上に乗せ、事無きを得る。
「す……ご」
彼女が感嘆の声を漏らした。
もしかして、今ってかなりカッコイイ登場だった? ナイス演出?
おお……感じるぞ。彼女の熱い視線を。
とと、緩みそうな顔を引きしめねェと。
ここで俺は、彼女に絡んでいた男の姿をまじまじと見やった。
種族は人間。三十代の半ばってところかな。【メイローク】の玄関口に立っていた守衛と同じ格好をしている。そこそこ腕っぷしも強そうだ。
強化状態にない俺が勝てるかどうか。
だけどそんなもん、困ってる女の子を助けねェ理由にはなンねェ。
「オッサン、女の子相手にハシャぐのはわかるけど、あんまハメ外しすぎンなよ」
「なっ!? 自分はまだ、オッサンなどと呼ばれるような歳では!」
高校生くれェの年代から見りゃ、三十代は十分オッサンなンだよ。
こういう場だ。酒と雰囲気に呑まれることもあるだろうさ。
だから穏便に済ませようと、なるだけ刺激しないように言ってやった。
一度の注意で酔いを覚ましてくれりゃよかったものを。
残念なことに、男は立ち上がり、俺に掴みかかろうとしてきた。
「オニイサン、ハメ、外しすぎンなよ」
相手を威圧するつもりで声のトーンを落とした。今度は注意じゃなくて警告だ。
これでわからねェなら、こっちも出るとこ出るぜ。
つーか、出すもン出すぜ。俺は左手で食器を抱えたまま、右手で股間の
――俺に脱がせるな。
「き、気をつけ……ます」
「わかってくれて何よりだ」
彼女の見ている前で
俺はキャッチした食器を彼女のトレイに乗せてやり、呆気に取られたままでいる彼女をじっと見つめた。
見れば見るほど俺の理想だ。
でも、なんか……。
今だって向かい合っているだけで緊張している。それなのに不思議だ。
矛盾したことを言うようだけど、気持ちの別のところでは妙に落ち着いている。
彼女がそこにいることに違和感がない。しっくりくるって言うのか。
まるで、旧知の仲であるかのような。
こんな可愛い子と出会ったのは、間違いなく初めてのことだってのに。
それより、ちょっと顔色が悪い? 酔っ払いに絡まれたら無理もねェか。
「あ、あの?」
「……いや、なんでもねェ」
あんまし女の子をじろじろ見るもンじゃねェな。
せっかくイイとこ見せられたンだ。このままカッコ良く去るべし。
俺は多くを語らず、男の背中を見せて席を戻ろうとした。そこへ、
「あ、ありがとうございます!」
後ろから彼女が礼を言ってきた。
途端に、もっと言葉を交わしたい欲求に駆られる。
今付き合っている人はいますか? 好きな男性のタイプはありますか?
休日は何をして過ごしますか? 次の休みはいつですか? 空いてますか?
いろいろと話したいことはあるが、ここでがっついたら元の木阿弥だ。
だから一言だけ。
「そンだけ可愛いと大変だな」
俺は首だけを振り返らせ、気負わずに軽く言った。
席へ戻る途中、エリム・オーパブに一矢報いたことへの笑みを飛ばしてやった。「ぬぐぐ」と悔しそうな表情が返ってくる。
俺はご機嫌でアーガス騎士長の正面に座り直した。
「どう? さっきのイケてた?」
「まだまだだな」
「あら? 意外と厳しい」
「相手の行動を諌めて止めているようでは素人の仲裁だ。あそこで相手が引く保証は無い。乱闘になっていたら、他の客にまで迷惑がかかってしまう。上級者ならば女性の手を取り、『俺の女に手を出すな』と言って男を追い払うだろう」
「はは、言うねェ」
「冗談だ。戯れに言ってみた」
よく見ると、アーガス騎士長の顔にほんのり赤みが差している。ほろ酔いだな。
「アーガス騎士長だったら、そうやって仲裁したのか?」
「私は44だぞ。十代の娘を指して『俺の女』などと言って誰が信じる?」
「んじゃ、やっぱ俺と同じ遣り方しかできねェじゃん」
「いや。私なら、そうだな。女性ではなく男の手を取り、女性にこう言うだろう」
「女性に?」
「『すまないが、女は近づかないでくれないか』と」
んんん?
「そして男と共に店を出る。二人きりになれる所へ行くためにな」
「それはあれだよな? まずは女性の安全を確保した上で、誰にも迷惑がかからない場所で男と決着をつけるためだよな?」
「もちろんそうだが、他にできる解釈があったか?」
ありましたよォ? ヤッベェの想像しちゃいましたよォ?
だけど、俺は信じてるぜ。信じてるけど、王都に帰ったら、アーガス騎士長とは極力二人きりにはならないようにしようかな。念のためね。
それからは、しばらく食事タイムに入った。
追加注文をしたところで、どうせ彼女ではなくエリム・オーパブが来るだろう。
今だって、調理をしながらギラギラした目で俺のことを見張っていやがる。
また機会が巡ってくるまで、大人しく遠くから彼女を眺めているとするか。
「タクト、まさか本気にはならないだろうな?」
「トゲのある言い方だな。本気になったらまずいのか?」
「あの娘はやめておけ。なんの種族かはわからんが、人間ではない」
――あんな子じゃなくて、私を選んでよ。
腐女子が耳元で囁いた気がしたけど、アーガス騎士長の口振りはいつになく重いものであったため、俺はアホな想像を頭から消した。
別にカチンとくることもなかった。アーガス騎士長が、感情だけでこんなことを言うとは思えないからだ。
「この世界って、他種族との恋愛は御法度とか、そういう決まりでもあンの?」
「恋愛は自由だ。同性婚は認められていないが、男同士の恋愛を禁止する法があるわけでもない」
「それは別に訊いてねェかな。だったら、どうしてやめておけなんて言うンだ?」
「あの娘、下手をすると――」
「下手すると、なンだよ?」
「これ以上は憶測で口にしていいことではない」
そっちから振ったくせに、気になるところで止めねェでほしいな。
「何を心配してンだか知らねェけど、俺のいた世界には〝人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ〟なんて言葉があるンだぞ」
「邪魔をしたいわけじゃない。しかし、恐ろしい言葉だな」
「ま、口出し無用ってこった。彼女がホログレムリンやオークみてェな魔物だっていうならまだしも、これに関して他人の出る幕は無いぜ」
納得しきれないのか、アーガス騎士長の表情は晴れない。
アーガス騎士長に限らず、王都の人間は他種族と一定の距離を保とうとする。
差別ではなく区別だと言われたけど、それって必要なことなンだろうか。
「――こんばんは」
飯が不味くなる話は切り上げて、別の話題を。
そう考えていたところへ、人懐っこい声音で女性が話しかけてきた。
彼女とは違うけど、ウエイトレスらしいエプロンドレスを着ている。
バーカウンターに立って酒を作っていた人だ。
アーガス騎士長は挨拶を返さない。代わりに、じろりと睨むような目を向けた。
嫌いな相手? だけど、この店に来ようと言ったのはアーガス騎士長なのに。
「今、魔物っていう言葉が聞こえたんだけど、なんの話をしていたのかしら?」
「教える義務は無い」
いつも紳士なアーガス騎士長が、この女の人に見せる敵意は何事だ?
「つれないことを言うのね。教えてくれたら、お酒の一つもご馳走するのに」
「いらん。仕事に戻れ」
「気になるじゃない。王都騎士団の騎士長様が、わざわざこんな酒場になんの用でいらっしゃったのか」
そこで女性がくすりと笑った。
「なんてね。偵察以外に考えられないわよね」
「わかっているなら単刀直入に尋ねよう。あの娘、以前来た時にはいなかったな? また訳アリを拾ってきたのか?」
え、何この雰囲気と会話。
偵察? ここへは
「なんのことかしら。可愛いから、ウチで働かないかってスカウトしただけよ」
「隠すということは、あの娘には知られたくない素性があるということか?」
「邪推はやめてくれる? 他人の粗ばかり探していると、品性を疑われるわよ?」
スゲェな、この人。
アーガス騎士長は、傍で見ている俺にもわかるくらい強いプレッシャーを相手に与えている。それをこの女性は真っ向から受け止め、平然と言い返している。
「あ、えーと、アーガス騎士長、この人と顔見知りなのか? 紹介してくれよ」
ピリピリと張り詰める空気に俺がいたたまれなかった。
「この酒場の店長だ」
アーガス騎士長が簡潔に答えた。
店長だったのか。なおのことスゲェ。二十歳かそこらにしか見えねェのに。
店長さんは、アーガス騎士長と喋っていた時とは打って変わって柔らかい笑顔を俺に向けた。好みのタイプとは全然違うのに、ドキッとした。
「初めまして、若い騎士さん。さっきウチの子を助けてくれていたわね。私からもお礼を言うわ。ありがとう」
「や、どういたしまして」
「私はスミレナ。弟と何か話をしていたみたいだけど、歳も近いし、仲良くなったのかしら?」
「弟? ああ、あいつのお姉さんなンですか」
「お名前を窺っても?」
「えと、はい。新垣です」
「アラガキさんね。どこかの騎士長さんと違ってアナタはスレていなさそうだわ」
どこかも何も、騎士長は一人しかいませんけどね。
アーガス騎士長との不仲はともかくチャンスだ。酒場の店長なら、この店にいる誰より情報通なはず。
「あの、訊きたいことがあるんスけど」
「何かしら?」
スミレナさんっていったっけ。俺、この人がちょっと怖いかも……。
にこにこと笑っているように見えるけど、本当のところは全然笑ってねェ。
こっちの意図を全て見透かし、俺が敵か味方かを見極めようとしている目だ。
「転生者の噂を聞いたりしませんか?」
「転生者を探しているの? どうして?」
今日まで幾度となく質問を繰り返してきたけど、理由を問われたのは初めてだ。
――
それを言うと、必然的に俺もまた転生者だと明かすことになる。
転生者を狙う魔王の存在があるため、これは秘密にしなければならない。
なんて答えればいいか考えていると、アーガス騎士長が助け舟を出してくれた。
「転生者は強い力を持っていることが多い。協力を得られれば、魔王勢に対抗する戦力として、頼もしい存在となってくれるだろうからな」
「そう。戦わせるつもりなのね」
スミレナさんの表情から笑みが消えた。
「ど、どうスか? 何か知ってたら教えてほしいんですけど」
「ごめんなさい。悪いけど知らないわ」
冷淡に言ったスミレナさんは、もう興味を失くしたとばかりに離れて行った。
スミレナさんの意識が俺たちから途切れたところで、ぶは、と詰まっていた息を吐き出した。結局、俺の評価はどこに落ち着いたンだろうか。
「タダ
レベル的な強さとは次元の違う圧迫感があった。
ずいぶんと騎士を警戒している風だったけど。
相手が女性だとかは関係ねェ。戦闘という領分で戦えないのなら、俺じゃ絶ッ対勝てそうにない。弟と違って、こっちは敵に回したくねェなァ。
彼女に喧嘩を売るとしたら、相当な実力者か、もしくは相当な馬鹿だけだろう。
この直後、酒場にやって来た人物――【メイローク】の領主を名乗る男は、果たしてどちらなのだろうか。
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