第83話 こいつは敵だ!

 騎士小隊を一瞬で全滅に追いやるほどの恐ろしいモンスターと出会った時より、俺は今この瞬間にこそ、自分が異世界に来たのだという実感を得ている。

 スゲェわ、異世界。

 だって、あんな可愛い子が、普通にウエイトレスをやってるンだから。


 でもあの子、ちょっと隙が多すぎじゃね? 抜けてるっつーのか。

 そこも俺的にポイント高いとこではあるンだが、彼女の場合はどういうわけか、自分がどんだけ可愛いのか、ちゃんとわかってねェように思える。

 いろいろ無防備すぎだ。


 ああコラ、なんでそこでしゃがむンだよ。見られてる。見られてるってばよ。

 おいおい、釣り銭渡す時に手ェ握られてンじゃん。それ怒るところだから。


「――クト」

「だァァ、そいつ絶対酔ってるフリしてるだけろ。支えなくてイイってば」

「タクト、聞いているのか?」

「あ、何? ごめん、聞いてなかった」


 振り返ると、アーガス騎士長がむすっとしていた。


「悪かったって。どうにも彼女から目が離せなくて」

「お前は今、私と食事に来ているんだぞ。ちゃんとこっちを見ろ」


 ――他の女なんて見ていないで、私のことだけ見て。


 そんな吐き気を催す脳内変換をしてしまった俺の頭は、知らず知らずのうちに、腐上司によって汚染されてしまっているのかもしれない。


「注文は決まったのか?」

「適当に頼む。ちらっとメニュー見たけど、よくわかんねェから」


 向こうの世界と被る食材もあるが、聞いたことがない物も多々ある。いろいろと試したい好奇心はあるけど、他人の金で冒険をするつもりはない。

 それより俺は、理想の君ウォッチングに忙しいのです。


「見ているだけなのか? ナンパすると言っていたじゃないか」

「い、言ってみただけだっての。女の子にそんな真似、軽々しくできるかよ」

「カリーシャも女性だが? それにしては扱いが」

「あれは女の子っていうか、また別ジャンルだ」

「若者の言うことはよくわからんな」


 アーガス騎士長が嘆息し、注文のために手を挙げた。

 次に彼女が来たら何を話そう。名前聞いちゃう? 俺も名乗っちゃう?

 うーむ、いきなり自己紹介するのは気が早いか。

 ウキウキそわそわしながら、彼女が注文を取りに来てくれるのを待っていると、


「お待たせしました。ご注文ですか?」


 やって来たのは彼女じゃなく、さっきまでバーカウンターの向こうで調理をしていたミニグラスの少年だった。背は利一りいちと同じか、少し高いくらいだろう。どちらにしても小柄であることには違いないが。


 心底ガッカリした。心底ガッカリした。

 頭の中で二回繰り返すほど落胆した俺は、注文をアーガス騎士長に任せ、離れたテーブル席の接客をしている彼女を目で追った。


 こっち見ねェかな。目が合ったら、手を振る準備はできてるってのに。

 ああもうくっそ、一挙手一投足全部が可愛い。

 おそらく、まだ仕事に慣れていないんだろう。一つ一つの動作を確認するような拙さが見え隠れしているけど、それでも一生懸命に働いている。

 時折、客の過剰なスキンシップに顔を引きつらせながらも愛想笑いは崩さない。

 性格も絶対イイ。客が帰る時、「また来るよ」と言われた彼女が見せた嬉しそうな表情は、俺の心臓を鷲掴みにした。

 お近づきになりてェ。できることなら、お友達から始めたい。


 そんなことを考えながら、うっとり眺めていると、不意に彼女の姿が遮られた。

 顔を上げると、注文を取っていた店員が、俺の視界から彼女を隠していた。

 睨むような鋭い目つきを見りゃわかる。偶然じゃない。わざとだ。


「彼女をいやらしい目で見るのはやめてくれませんか?」

「あ?」


 いきなり失礼なことを言われたぞ?

 カチンときたが、まあ落ち着こう。彼女を心配するあまり、思わず出てしまった言葉だろう。その気持ちが痛いほどわかる俺は喧嘩腰にならず、大人な振る舞いを努めることにした。騎士としての体裁もあるしな。


「はは、そんなつもりはなかったけど。でも彼女、可愛いよな」

「可愛いですが、それが?」


 なんでキレ気味なンだよ。

 あれか? 彼女に好意がありそうな男は問答無用で排除するってか?

 もしかして、この少年は彼女の弟か何かだろうか。あんまし似てねェけど。

 なんにせよ、俺の評価が彼女に伝わるかもしれない相手だ。無下にはできねェ。

 OK。友好的にいこうじゃないか。


「いやァ、この店に来たのは初めてだけど、彼女、看板娘さん? ちょっといないくらい可愛くてビックリしたっつーか、思わず見とれちまったよ」

「そうですね。それは仕方ないと思います」

「名前、なんてーの?」

「エリム・オーパブです」

「へえ、あの子、エリムちゃんっていうのか」

「エリムは僕です」


 フザケんなよ。訊いてねェよ。今の流れでそれはねェだろ。

 ああこれ、完全に喧嘩売られてるわ。


「騎士さん、見てのとおり、彼女はとても人気者です。特に男性客から。ですが、ほとんどは遠くから彼女を眺めているだけでいいという大人しいものなんです」

「だからどうした?」

「アナタの目は、それらとは少し違う。本気になりそうな目です。もしそうなら、僕はそこに立ちはだからなくてはいけません。それが【オーパブ】で、ただ一人男である僕の役目ですから」


 そういう少年もまた、本気の目をしていやがる。

 どうやら伊達や酔狂で言ってるンじゃないようだな。なるほど。こいつもまた、彼女に惹かれた男の一人ってわけか。

 客に対してその態度はなんだ。なんてダセェことは言わねェ。

 そっちがその気なら、俺も下手したてに出るのはやめだ。


「お前、彼女の弟じゃねェよな? どういう関係だ?」

「赤の他人ですよ。職場の同僚です」

「それだけか? だったら、あれこれ言われる筋合いは――」

「あまり人様に言い触らすようなことではないですけど、とりあえず、彼女と一つ屋根の下で暮らしている者、とだけ付け加えておきましょうか」

「なっ……!?」


 まいったか、とでも言わんばかりに少年は鼻を鳴らした。

 年頃の男女が一つ屋根の下で暮らしている……だと?


「それって、彼女のパジャマ姿なんかも……」

「毎日見ていますよ。だって一つ屋根の下で暮らしていますから」

「ちょ、ちょっとエッチなハプニングとか……」

「ないとは言えませんね。だって一つ屋根の下で暮らしていますから」


 マジかよ。

 既に二人はそういう関係なのか? いや、それなら「自分の恋人に手を出すな」とはっきり言うはず。どちらにせよ、ショックは計り知れない。

 俺は反撃の言葉を咄嗟には用意できなかった。


「それでは料理を用意してきますね。しばらくお待ちください」


 余裕の笑みをこぼし、少年はバーカウンターの向こうへ入って行った。

 やられた。

 何をどうやられたのかはともかく、俺はエリム・オーパブという男に今現在で、その背中が見えないほど後れを取っていることを痛感してしまった。


「タクト」

「……慰めなんかいらねェぞ」


 相当苛立っているようで、アーガス騎士長にすげないことを言ってしまった。

 本物の大人であるアーガス騎士長は、気にした風もない。


「この町に来た目的を忘れてはいないだろうな。酒場とは、情報が集まる場所でもある。色恋に時間を割く暇があるなら、少しでも情報収集をしたらどうだ?」

「うわ、そうだった」


 彼女を見た瞬間から、完璧に忘却の彼方だった。

 利一、すまん……!

 親友に謝った俺は、彼女とエリム・オーパブのことを一旦脇に置いておき、すぐ近くのテーブルで酒盛りをしている人間の男に声をかけた。


「は、はい、なんでしょう?」


 こういう時、騎士の装いは便利だ。俺みたいな若造にも協力的に答えてくれる。


「人を探してンだけど、蓬莱ほうらい利一って名前に心当たりはねェか?」

「リーチちゃん?」

「なんで〝ちゃん〟なんだよ。男の名前だぞ?」

「んんー、じゃあ知らないです」


 くそ、諦めてたまるか。

 今度は、別のテーブルで上品に酒を飲んでいたエルフの女性に同じ質問をした。


「リーチちゃんがどうかしたの?」


 だからなんで〝ちゃん〟付けすんの?

 探しているのは男だと言うと、やっぱり「知らない」という答えが返ってきた。

 それからも数人に質問を続けたが、有益な情報は得られなかった。


 俺って発音が悪いのか? 訊く人訊く人が〝利一ちゃん?〟と訊き返してくる。

 多分、言葉の壁は異世界転生の仕様でなんとかなってるンだろうけど、ちょっとしたところで不具合が出ていても不思議はない。


 そうこうしているうちに、注文した料理が運ばれて来た。

 案の定、エリム・オーパブだ。

 この野郎、彼女をこのテーブルには近づけさせない気だな。

 香り立つ料理を目と鼻で楽しむアーガス騎士長に一礼したエリム・オーパブが、不敵な笑みを携えたまま俺を正面に見据えた。


「アナタも、どうぞご賞味ください。腕によりを掛けましたから」

「……美味そうじゃねェか」

「彼女も、僕の料理は美味しいと言ってくれます」


 自分のアドバンテージを見せることで、俺を牽制しようって腹か。

 だが負けねェぞ。


「俺も料理は苦手じゃねェ」

「何か得意なものでもの?」

「焼き飯だな。友達ダチからも天逸てんいち炒飯チャーハンに負けてねェって言われたくらいだ。機会があれば、彼女にも食ってもらいたいもンだぜ」

「テンイチ? そのお店は知りませんが、焼き飯は難しいですね。彼女は少々特別なんです。僕が(牛乳を使って)作った料理しか食べられない体なんですよ」


 こ、こいつ、調教しやがったのか……!? 外道め!


「そうそう。彼女の(相棒からしぼった)ミルクも絶品ですよ」


 時が止まった。

 ナンテ? カノジョのミルク?

 ミルクって、まさか……にゅ……。


「………………出るの?」

「出ますよ。これがまた、ほんのり甘くて凄く美味しいんです」


 おっぱいが出るってことは、つまりそういうことになってしまうわけで。

 父親は、こいつ? でもさっき、赤の他人だって……。


「僕も毎朝しぼってもらっていますよ。白くて濃い朝の一杯を」


 瞬間、頭に血が上った。


「テ……メエェェ! 朝の一発だと!? 彼女にナニさせてやがる!?」


 確定。こいつは敵だ!


「何って……あ違ッ! そういう意味で言ったんじゃありません! 今のは純粋に商品を宣伝しただけで! 彼女はしょ――そういう経験は一切無いはずです!」

「本当か!? 嘘じゃねェな!? 嘘だったら承知しねェぞ!」

 

 ガクガクとエリム・オーパブの肩を揺すって問い詰めた。

 目を回しながら否定し続ける様子を見ていると、どうやら嘘ではないらしい。


 だけど、なんの安心にもならない。俺がこいつに数段負けているのは事実だ。

 腕力勝負なら目を瞑っていても勝てそうだけど、それを見せつけたところで野蛮にしか映らない。何かないのか。俺がこいつより優位に立てることは。


 焦燥に駆られる。

 そんな中で、俺はエリム・オーパブの肩越しにそれを見た。

 彼女が男客の一人から、しつこく絡まれているのを。


 ――これだ!!


 一縷の光明を見つけた俺は、エリム・オーパブに先んじて彼女のもとへ駆けた。

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