第74話 狂乱の裸祭り

「オイオイ、なんでカリーシャ隊長がいるンだ!?」


 隠れるようにして湯船に顎まで沈め、アーガス騎士長に尋ねた。


「もちろん私が招いたからだが」

「いや、だからって」


 自宅の風呂に男湯女湯の区別が無いのは仕方ない。

 だけど、どうして男の入浴中に入ってくるンだ? まさか、この世界では男女が一緒に風呂に入るのは当たり前なのか? それなら大歓迎だぜ?


 かと思いきや、カリーシャ隊長は俺たちの存在に気づいていないだけの様子で、直接浴槽には来ず、先に洗い場へと向かった。


「本部で仕事が終わり次第、ウチへ来るよう言ってあった。彼女は責任感が強い。此度の任、自分が隊長として未熟なせいで隊に大きな被害を出したと考えてしまうだろう。一人でいても気を落とすだけだと思い、労いを兼ねて食事に誘ったのだ。屋敷で雇っている料理人だが、なかなかの腕だぞ。お前も期待してくれていい」


 部下のアフターケアもばっちり。上司の鑑だな。


「そりゃ楽しみだけど、じゃなくて! なんで風呂に入って来てんだって話!」

「見てのとおり、自慢の風呂だ。仲間の騎士を我が家に招待する時は、いつも食事の前に湯浴みを勧めている。カリーシャもこれが初めてというわけではない。勝手知ったる騎士長の家というやつだ」

「女騎士に風呂勧めといて、なんでアンタまで入って来てんだよ!?」

「屋敷の者に、お前が風呂に入っていると聞いて、居ても立っても居られずにな」

「頬染めながら言うンじゃねェ!」

「これはのぼせているだけだが?」


 男性騎士なら問題無ェけど、さすがにこの状況はよろしくないぞ。ただでさえ、カリーシャ隊長の俺への好感度はダダ下がりしてるってのに、これ以上毛虫みたいに嫌われるのは嬉しくない。


「よし、今ならまだ傷は浅くて済む。俺たちが入っているって伝えよう」

「待て。それでは、私は自分で入浴を勧めておきながら、部下の女性が入ってくるのを待ち構えていたセクハラ上司ということにならんか?」

「自業自得だ。諦めてくれ」

「……そうだな。私の軽率さが招いてしまったことだ。騎士長としての威厳は地に落ちるが、それもやむをえまい」


 ああもォ、潔すぎだろォが。

 湯船の中央には、都合よく山になっている岩場がある。俺はアーガス騎士長の肩を押して岩陰へ移動した。


「ここで隠れてやり過ごす。貸しだからな」

「……恩に着る」

「考えようによっちゃ、オイシイ状況だとも考えられる」


 岩場から、そっと洗い場を覗き込む。

 そこでは、風呂椅子に座っているカリーシャ隊長が今まさに体を洗っている。


「泡が邪魔だな。肝心なところが」

「こら、見るんじゃない」


 アーガス騎士長に耳を引っ張られ、陰に戻される。

 へいへい、大人しくしてますよ。


「故郷に恋人か、好きだった女性はいなかったのか? 男でも構わんが」

「男は構えよ」


 小声でそんな会話が始まる。父親と息子ほども歳が離れた相手なのに、何故だか修学旅行の夜みたいな気安さを感じる。


「恋人か。いなかったなァ。まあ、いなくてよかったのかもしれねェけど」

「探したいという友人は、もしや女性か?」

「いいや、男だけど?」

「そうか、よかった」


 なんで?


「異世界転生と呼び表すのか。女性にとっては、特に過酷だろうからな」


 ああ、そういうこと……。

 俺もいちいち過剰に反応しすぎか。


「そういや、奥さんにまだ挨拶してねェけど、今日は留守なのか?」

「私は独身だ」


 さて、警戒を上げる必要があるかな。

 冗談はさておき、そこからは、具体的に明日以降の話をした。

 騎士団には寄宿舎もあるそうだが、正式な騎士でもない俺がそこを使うわけにはいかない。そのため、しばらくこの屋敷に身を置かせてもらうことになった。


 ただ、利一を探すにしても、騎士という肩書きは、あって損をすることはない。向こうの世界での警察みたいなもンだ。人探しをするなら、形だけでも騎士を装う方が町の人間からも協力を得やすい。俺の装備も見繕ってもらえることになった。

 まあ、有事の際には駆り出される条件付きだけど。

 それでも面倒な騎士の仕事は免除してもらえるンだから、ありがてェ話だ。


「――ここの風呂は、何度見ても素晴らしいな」


 と、ここで本日二度目の危機が訪れた。

 ホログレムリンと対峙した時にも感じた緊張が走る。

 体を洗い終えたカリーシャ隊長が、とうとう湯に入ってきたのだ。


「いつまでもヘコんではいられない。騎士長のお心遣い、ありがたく頂戴しよう」


 ちゃぷちゃぷと音を立て、岩場を隔てた先で裸のカリーシャ隊長が湯を遊ばせている音がする。俺は息を潜め、同時に息を呑んだ。

 隣のアーガス騎士長は目を伏せ、ひたすら石と化している。


「アラガキタクト。あの男もこの屋敷に来ているようだが、思い出すだけでも忌々しい。よくも騎士長の前で、あんな辱めを……」


 あー、やっぱ嫌われちまってンなァ。

 こっちだって全裸を見られたわけだけど、男と女じゃ見られる重みも違うだろうし、ここは俺が大人になって、後でちゃんと謝るとするか。などと考えていると、


「騎士長と一緒に、この風呂に入ったりしたんだろうか。一緒に……」


 カリーシャ隊長の呟きが、何やらおかしな方向へと進み始めた。


「背中を流し合ったりしたんだろうか。その場合、やはり年功序列ということで、アラガキタクトが先に騎士長の背中を流すのだろうな。だが、騎士長の逞しい体を見た奴は、思わず喉を鳴らしたに違いない。太くて硬い上腕二頭筋。広くて均整のとれた広背筋。大木のように雄々しい大腿筋。その全てに、羨望とは異なる感情を向けただろう」


 そりゃまあ、すげェとは思ったよ? でも異なる感情って何?


「ハァ、ハァ、アーガス騎士長……俺……なんだか、変な気持ちに……。まだ若いアラガキタクトにとって、それは理解の外だった。相手は自分と同じ男性なのだ。ありえるはずがない。ありえないと思いつつも、自身の体に訪れる変化こそが現実だった。どうして……どうしてこんなに硬く……」


 なんか、台詞を当て始めたんですけど。


「タクト、ヤらないか? 騎士長が、雄としての力強さを瞳に宿して言った。でも俺、初めてで、ナニをどうしていいのか。不安に怯えるアラガキタクトに騎士長は一言こう告げる。全て私に任せろ」


 一人二役まで始まったんですけど。


「騎士長にとっても抗いがたい興奮だった。禁欲を実践する騎士、その長たる彼は幾度となく男同士のそれを夢想しつつも、必死に振り払ってきた。だが、衣の一枚すら纏わずに現れたアラガキタクトは、その理性に容易くヒビを入れたのだ」


 これ、フィクションだよね?


「禁欲こそが礼賛らいさんであり、騎士の道だと信じてきた。しかし、アラガキタクトとの出会いは彼の信念を根底から覆した。二人きり。裸。これはもう、神が営みを推奨しているとしか思えなかった。だからこそ騎士長は言ったのだ。ヤらないかと」


 俺は無意識に騎士長から距離を取った。


「なかなかいいものを持っているじゃないか。まずは指で具合を確かめさせてもらうとしよう。……つぷり。ああ、アーガス騎士長の太い指が! アーガス騎士長は満足げな笑みを零して言った。いい締まり具合だ」


 え、どうなってンの? カリーシャ隊長の頭の中で、俺とアーガス騎士長は何をおっぱじめちゃったの?


「ダメ、ああ、イヤ! 勘忍してください! うつ伏せにされたアラガキタクトが悲鳴を上げる。面白いものだな。口では拒絶していても、ここはこんなに素直だ。アラガキタクトは息を荒げ、騎士長は試すように言う。もっと続けてほしいのか? アラガキタクトは答えない。だが、無言こそが答えだった」


 ヤベェよ。魔力なんてなくても、はっきりと感じるよ。

 すぐ背後で、腐の瘴気が溢れ出ているのを。


「可愛い奴だ。ここをこんなにして。騎士長の指使いと声がアラガキタクトの脳をとろけさせる。アーガス騎士長、俺、もう頭がおかしくなりそうです! 嗜虐心を煽られながらも、騎士長は初めてのアラガキタクトのために、時間をかけて準備を整えていった。おやおや、こっちにも欲しそうだな」


 こっちってどっちだよ!? さっきまでどこ攻めてたんだよ!?

 耳が腐る! 俺の耳が、腐女子の妄想で犯されている!


「今ならまだ戻れる。ふとそんな考えが騎士長の頭を過るが、同時に疑問がわく。禁欲が自分に何をもたらしてくれたのだろうかと。そして気づく。今までの人生が無意味であったと。そうして彼は本能の赴くまま、己の欲望を満たしてくれる肉欲の世界を選んだのだった」


 選んじゃダメェェェェェ!!


「そろそろか。準備は整った。アーガス騎士長、もう俺! 自ら尻を上げるまでになったアラガキタクトに騎士長が囁いた。皆まで言うな。一つになろう。騎士長は一物を軋らせ、アラガキタクトの中へと入っていった。――ああっ!!」

「ああっ、じゃねェよ! いい加減にしやがれ!」


 我慢ならず、岩場から姿を晒して腐女子に抗議した。


「な、な……なな、貴様、女子の入浴中に入ってくるとは、どういう了見だ!?」

「男子の入浴中にテメエが入ってきたンだよ!」


 カリーシャ隊長が体の前を腕とタオルで隠し、顔を真っ赤にした。


「きき、聞いて……今のを聞いていたのか!?」

「気づかない振りしてやり過ごしてやりたかったけど、無理すぎンだろ!」


 ここで止めていなければ、おそらく営みの実況中継が行われていたに違いない。


「別に腐るなとは言わねェけど、せめて頭の中だけにしろ! でかい声で妄想垂れ流してんじゃねェ! 誰かに聞かれたらどうすンだ! この変態女!」

「へ、変態女だと!? ふ、ふん。確かに……外でするような妄想ではなかったかもしれないが、べ、別に、貴様にどう思われたところで痛くも……痒くもないがな」

「涙目になってンぞ」


 女ってずりィ。なんでこっちが罪悪感を……。


「……変態は言い過ぎたよ。あと、洞窟でのことも謝ろうと思ってたんだ。それも謝っとく。悪い」


 素直に言うと、カリーシャ隊長がきょとんとした。

 咄嗟に何かを言おうとしかけていたが、それより先に、ぱちゃぱちゃと顔に湯をかけて情けない表情をリセットした。


「私の方こそ……不快な思いをさせた」

「自重してくれるなら、俺も別にいいさ」

「そうか。では、痛み分けということにしておこう」

「はいよ」

「いやしかし、聞かれたのがお前だけでよかった。このことは、騎士長には秘密にしておいてくれると助かる」

「……わかった」


 手遅れだけどな。


「俺、またあっち向いてっから、今のうちに出てくれねェ?」

「私が先に出るのか? 構わないが?」


 アーガス騎士長一人を残していくわけにはいかねェし。


「あ、そうだ。貴様に訊いておきたいことがあるんだった」

「俺に? なんだ?」

「貴様がホログレムリンを倒した時のステータスなんだが」


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

【新垣拓斗】

レベル:30

種族:天界人

年齢:17

職名:元愛玩人形ラブドール

特能:跳梁跋扈オーバー・ドライブ

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「というように、特能が発現されたのを確認していた」

「特能技?」

「私の【磐座具視シークレット・アイズ】と同じように、極々稀に個人に発現する希少な能力のことだ。貴様のステータスを何度か見たが、確認できたのはその時だけだ。今も発現していない。おそらく、最強化された時にのみ現れるんだと思うが」



「――それは本当か!?」



 岩陰から、そんな渋~い声が発せられた。

 ああもう、おバカさん。

 案の定、カリーシャ隊長は顔面を蒼白にし、だらだらと冷や汗を流した。


「…………騎士長、そこにいらっしゃるんですか?」

「うむ」


 腰にタオルを巻いた騎士長が、ザブザブと湯を掻き分けて姿を晒した。

 何してくれてんの、このオッサン。せっかく事なきを得ようとしていたのに。


「ちょっと、そこの岩に頭をぶつけてカチ割りますね。父と母には、娘は死んだと伝えてください」

「ちょ待、落ち着け! 騎士長だって、別に気にしてないと思うぞ!」

「そのとおりだ。愛の形は人それぞれでよいと私は考える」


 それが独身の理由ではないことを切実に願うがな。


「タクトよ、先程は諦めたが、お前が特能を持っているというのであれば、是が非でも確かめたくなった。否、確かめねばなるまい」

「……何を?」

「やはり、この場で勃起してくれ」

「カリーシャ隊長、やっぱ俺が先にあがるわ。んじゃ」

「逃がさん」


 湯船から片足を出したところで、またもやガシリと肩を掴まれた。


「話聞いてたんだろ? レベル30になった時に発動したんだよ。今は脱衣の強化ができねェんだから、諦めるしかねェだろ」

「わからんぞ。局部裸身拳に関係なく、勃起さえすれば発動する特能かもしれん。私が手伝ってやるから、試してみようではないか」

「その台詞だけで萎えるンだよ!」

「視覚による性的興奮は無理でも、刺激による興奮ならば私でも」

「何口走ってんだオッサン!」


 俺はアーガス騎士長の手を振り払い、脱衣所へ向かって走り出した。

 ――が、一瞬で回り込まれた。


「タクト、お前は世界を救う救世主となる存在だ。今こそ勃ち上がれ!」


 腰にタオルが一枚。ほぼ全裸の筋骨隆々なオッサンが襲い掛かってきた。

 再び逃走を試みるが、背後からのタックルでうつ伏せに転ばされてしまう。

 ヤベェ、ヤベェ。この体勢、カリーシャ隊長の妄想と同じ状況だ。


「カ、カリーシャ隊長、このオッサンを止めてくれ!」

「止める理由がどこに!?」


 敵しかいねェ!

 抱きついてくるアーガス騎士長の、ぬるくて太い指が腹の辺りを這いずり回る。それ以上先に進ませてなるものかと死に物狂いで抵抗するが、強化状態にない俺とアーガス騎士長ではレベル差がありすぎて勝負にならない。


「ふふ、いい筋肉だ。触ってみるとよくわかるぞ。惚れ惚れする体をしている」

「掘れ掘れしたい体!?」


 アーガス騎士長の言動に、タオルを体に巻きつけたカリーシャ隊長が歓喜する。


「友人探しが終わったら、必ず騎士団に入ってくれ。騎士長たる私自らの手で毎日シゴいて立派な騎士にしてやる」

「毎日手でシゴいて立派なケツに!? 斬新です!」


 キャーキャーと悦ぶカリーシャ隊長が、ついに鼻血を吹き出した。

 これが騎士長と隊長か。この騎士団はもうダメかもしれない。


「タクト、暴れるな。痛くはせんから」


 く、オッサンの愛撫で勃たされるくらいなら、俺はもう……手段を選ばない!

 ついでに、この腐女子にも誅罰を!


 男同士の絡みを近くで見たいがために、カリーシャ隊長がふらふら寄ってくる。

 そんな彼女が体に巻きつけたタオルを、俺は胸元から一気に引きずり下ろした。

 決して大きくはないが、形の良い美乳がぽろりと零れる。


「……え? キ、キャアアアアアア!?」

「ぬぅおおおおおおおお!! インス(オッ)パイアアアアアァッ!!」


 ぎりぎり下は隠されたが、十分だった。股間を基点にして全身にパワーが漲る。

 俺は強化された力でもって、体に密着していたアーガス騎士長を引っぺがした。


「き、貴様、何をする!?」

「このタオルを返してほしいか?」

「当たり前だ! 早く返せ!」

「だが断る!!」


 俺はもう、カリーシャ隊長にいくらセクハラをかまそうとも、今後良心の呵責を感じることはないだろう。


「ふふ、タクトよ。その強化でレベルはいくつだ? いいや、答える必要は無い。今ここで私と組手をしようではないか。お前の実力を計ってやる。ただし、足場が濡れていて危ないので、決め技サブミッションでな!」

「オッサン、引退に追い込まれても恨むんじゃねェぞ!」

「まさか、アラガキタクト×騎士長の下剋上!? これはタオルなんて気にしている場合じゃない!!」


 もう一度言おう。

 この騎士団はダメかもしれない。

 異世界転生一日目の夜は、狂乱の裸祭りによって終了した。

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