第43話 大大大ッ嫌いだ

「もし。そこな乳の大きな娘よ。はよう案内あないせんか」


 店の入り口に立っていたその人物の存在には、少し前から気づいていた。

 ただ、風貌から客だとは思えず、どう話しかけたものやら迷っていた。

 そうこうしているうちに痺れを切らしたのか、「店員が席にご案内します」の立札を指差して、向こうから声をかけてきた。

 まだ客と言っていいのかわからない。だからオレは、真っ先にこう尋ねた。


「こんばんは。えーと、お父さんか、お母さんは?」

「おりんせんよ」


 子供だった。

 あどけない顔立ちと140cmほどの背丈からして、十二歳くらいだろうか。

 光の加減で白く見えたりもする綺麗な銀髪は腰に届く。瞳はオレと同じ緋色。

 透き通る雪のような肌を、裾にわずかなフリルをあしらった上品な黒いドレスで包んでいると、まるで療養のために俗世から隔離されて育てられた深窓の令嬢が、お忍びでやって来たのかと想像を働かせてしまう。


 文句の付けようのない美少女だけど、それでもやはり子供だった。

 今も店の隅で食事をとっている王都の騎士たちを指して、周囲から浮いているとオレは言ったが、この子はそれ以上に、完璧なまでに場違いだと言える。

 ファミレスならまだしも、ここは酒場。大人の店だ。

 未成年のオレやエリムが働いている以上、大人の同伴なく二十歳未満の来店禁止とは明言していないけれど、それにしたって幼すぎる。本当に一人で来たのなら、こんな遅い時間に外を出歩いていることを叱ってやらなきゃならない。

 そんなことを考えていると、少女は見透かしたようにくすりと笑った。


「わちきはこう見えて、子供ではありんせん。酒も嗜める年なんえ。それに――」


 そう言って、少女は口元を手で隠してオレに内緒話を持ち掛けてきた。

 腰を折って耳を近づけると、少女は「非処女じゃ」と耳打ちした。

 思わず吹き出すほど動揺し、飛び跳ねて体を離してしまう。


「その様子じゃと、お前さんはまだのようじゃな。立派な物を持っておるんに」

「う、嘘だあ」

「嘘などついとりゃせん。ここの店主、その先代らとも酒飲み仲間よ」


 先代って、スミレナさんの御両親? だったら、この子は何歳なんだ?

 でも言われてみれば、声に妙な色気がある。

 脳に直接語られているみたいというか、軽い陶酔を覚えるほどだ。

 うっかりすると、言葉にではなく、音に聞き入ってしまいそうになる。


「――リーチさん、どうしました? あ、メロリナさん」


 対応に困っていると、騎士たちに料理を運んでいたエリムがオレたちに気づき、少女を名前で呼んだ。


「エリム坊か。ちょうどよい。お前さんからも言うてやってくんなんし」

「ああ、そういうことですか。リーチさん、メロリナさんはウチの常連ですよ」


 度々あることなのか、説明の必要なく、エリムは一目で状況を把握した。


「【オーパブ】には、週一で通わせてもらっておりんす。お前さんは見ん顔じゃな。わちきは、メロリナ・メルオーレという。覚えておいてくんなまし」


 エリムのお墨付きを得ると、少女にしか見えないその女の子はスカートの両端をちょこんと摘まみ、軽く膝を曲げた。


「……この子、いやこの人、本当に大人なのか?」

「信じられないかもしれませんが、それは間違いないんですよ。詳しい素性までは知らないんですけど、僕が物心ついた頃からメロリナさんは店に来ていて、見た目も全然変わっていないんです。姉さんより年上であることも確実です」

「……マジで?」

「わかってもらえたかや?」

「あ……う、疑ってすみませんでした。オレはリーチ・ホールラインといいます。この家で居候させてもらっています」

「気にしないでくんなんし。他人を驚かせるのは嫌いじゃありんせん」


 カカ、と愉快そうに声を上げる様を見て、オレはようやくこの人が大人なのだと納得できた。子供では絶対に真似できない妖艶な笑みには、不自然なところが微塵もなく、堂に入ったものだったからだ。


「カウンター席、空いとりゃすかえ?」

「大丈夫です。すぐに案内を――」

「構いんせん。忙しそうじゃ。自分で行きんす」


 しずしずと優雅な足取りで、スミレナさんのいるカウンター席に向かう少女――ではなくメロリナさんを、オレとエリムは見送った。

 うん、ファンタジーだな。

 初めて魔法を見た時と同じくらい、それを強く感じた。



「――はぁい、お邪魔しますよぉ」



 おっと、呆けている暇はない。仕事中だ。

 新しく店に入ってきた客を案内するべく、オレは接客に気持ちを切り替えた。


「あ、待ってください! リーチさん、は――」


 エリムが何やら止めようとしたようだが、オレはもう客の前に立ってしまった。

 見た感じ、三十そこそこの男性で、まだ覚えのない顔だ。

 その男性客を見てオレが連想したのは、トランプのジャックだった。

 髪が外巻きにカールされており、目立てればデザインなんてどうでもいいとしか考えていないような、派手に派手を重ねたローブを着込んでいる。

 そして顔をしかめてしまいそうになるほどキツい香水の匂い。飲食店でこれでは周りの食欲を損ねかねない。できるだけ、他の客と離れたテーブルに案内しよう。


「いらっしゃいませ。お一人様――」


 ――じゃない。

 よく見ると、少し後ろに剣士風の男が二人、突き従うようにして控えていた。

 仕事上がりに飲みに来たようには思えない。雰囲気からして、明らかに現在進行形で仕事中だ。ボディーガードか何かの。


「おやぁ? 店員さん、見たことがない顔ですねぇ。もしかしてぇ――」


 オレを上から下までまじまじと眺めた男は、にたりと口の端を吊り上げた。


「――魔物だったりするんじゃないですかぁ?」


 男にしては高く、間延びした声でそう言われた瞬間、心臓が胸を突き破りそうになるほど大きく跳ねた。

 ――バレた?


 心拍数が天井知らずで上がっていき、冷や汗が出てくる。

 ――バレたのか?


 足が床についている感覚がなくなり、平衡感覚さえ失っていく。

 ――なんでバレたんだ!?


「うわ、カストールだ」「ウザい奴が店に来やがった」「帰れ、クソ領主」


 客席から、そんな非歓迎的な言葉が聞こえてくる。

 領主? この男が?

【メイローク】の領地を仕切る立場からして、もっと年を食っているのかと思っていた。いや、外見から実年齢は測れないという例をさっき見たばかりだけど。

 そして案の定、町民から嫌われているらしい。


「皆さぁん、聞こえていますよぉ。陰口なら隠れてしてくださいねぇ」


 慣れているのか、カストールという名前らしい領主は意に介さない。

 カストール領主は、正面に立っているオレを無視したまま、店内に睥睨へいげいの視線を一巡させた。そこで騎士の存在に気づき、目を見張った。


「こぉれはこれは、アーガス騎士長殿ではございませんかあぁあぁ!」


 一応は飲食店で埃が立たないように気を配っているのか、カストール領主は競歩みたいな早足で、騎士二人のいるテーブルへと歩み寄って行った。


「アーガス騎士長殿、本日は、どのような御用向きでこちらへ? 前もって言っておいてくだされば、もっと良い店を紹介いたしましたものを」


 ごますりの手本を見ているかのようだ。

 領主といったら、町長みたいなものなんだろ? 相手が王都の偉いさんだからといって、自分の暮らしている町の長が、あんな風に揉み手をして、へこへこと頭を下げているところを見せられて、気を悪くしない町民がいるだろうか。あれで支持しろってのが無理な話だ。


 それはそうと、どういうことだ?

 オレのことを魔物だと指摘しておきながら、カストール領主はそれ以上の関心を示してこない。もしかして、適当に言っただけなのか?


「今は公務と関係なく私用で来ている。静かに食事をさせてもらえるだろうか」


 騎士長の声は、渋い外見を全く裏切らない、重低音のバリトンボイスだった。

 今からでも遅くないので、あんな声になりたい。


「はい、はぁい。お騒がせして申し訳ありませぇん。貧相な安酒場ですが、どうぞごゆるりとおくつろぎくださぁい。あ、ここの支払いは、わたくしめが」

「必要ない」


 すげなく言われたカストール領主だが、満面の笑顔を崩さず深々と一礼した。

 そうして騎士長から離れ、また店の出入口を背にする位置へ戻ってきた。

 一連の言動に、一切恥じることも、悪びれることもなく。


 オレの中で、カストール領主の評価が早くも決まった。


 ――大大大ッ嫌いだ。


 さっきまではそうでもなかったけど、こいつの他人を見下すような目、カマ臭い喋り方、下品な服装、キツい香水、髪型、立ち位置、それら全てが癇に障る。

 でも一番ムカつくのは、【オーパブ】を貧相な安酒場って言いやがったことだ。

 ギリコさんを馬鹿にされた時もそうだったけど、自分の好きなもの、大切なものを貶されるのは、自分自身を貶されることより何倍も腹が立つ。

 オレは目の前が真っ赤になり、頭がくらくらするほどの怒りを覚えた。


 何か注文するつもりもなさそうだし、こいつは客じゃない。

 客じゃないなら邪魔でしかない。むしろ敵だ。

 オレは喧嘩腰になるのを承知でカストール領主を追い出そうと、一歩前に出た。


 そこへ機先を制するようにして、すっと手が伸ばされた。

 オレの進路を遮ってきたのはスミレナさんだった。


「大丈夫よ。この男は店で新しい顔を見つけると、とりあえず魔物じゃないかって因縁をつけてくるの。ただの嫌がらせだから、バレたわけじゃないわ。普通にしていればいいから」

「スミレナさん……オレ、こいつ嫌いです……」

「そうね。そうなっちゃうわよね。それよりも、リーチちゃん、さっきよりずっと顔色が悪くなっているじゃない。熱が出てきたんじゃないの?」


 言われると、心なしか呼吸も荒い。熱があるとわかると、途端に視界がぼやけて焦点も定まらなくなっていった。


「……こんなになってまで。エリム、リーチちゃんに肩を貸してあげて」


 すぐに駆け寄って来てくれたエリムにつかまりながら、それを見た。

 オレに代わってカストール領主と対峙したスミレナさんは、静かに怒っていた。

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