第42話 王都の騎士
いらっしゃいませ。酒場【オーパブ】へようこそ。
お客様をお迎えするのは、このオレ、看板娘のリーチ・ホールラインです。
本当は人間じゃなくてサキュバスなんだけど、それは秘密なの。魔物だってことがバレたら大変なことになっちゃう。
それより、当店の人気メニューはもう召し上がっていただけました?
クリーミーなシチューやグラタンはもちろん、最近はホットケーキも始めたのでオススメしたいな。ホットケーキって、小麦粉と重曹、砂糖に卵、それから牛乳で簡単に作れちゃうんだね。知らなかったよ、ビックリ。
異世界に転生して一週間。だいぶこっちの生活にも慣れてきた気がするかな。
なんて。ちょっと強がっちゃったかも。
仕事ではまだまだ失敗も多いけど、これからの活躍を温かく見守ってほしいな。
……テンションがおかしい? だって仕方ないじゃん。
なんでかって? これ見ろよ。
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【リーチ・ホールライン】
レベル:7(17/64)
種族:サキュバス
年齢:17
職名:酒場の看板娘
特能:一触即発
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「レベル7ってなんなんじゃああああああああああい!!」
レベル5になった翌日には6に上がり、そして今朝確認したら7になっていた。
「リーチちゃん、気を鎮めて! 営業中よ!」
今日で何度目だろう。思い出したように叫んでしまう。
なんだなんだと、客たちの注目を集めてしまったオレは、ようやく板についてきた愛想笑いでその場をごまかした。
「すみません……。取り乱しました」
「無理もないわ。累計何人になったの?」
「……八十人に」
「ヒュゥ♪」
ヒュゥ、じゃないですよ。ホントこれ、マジで笑えないんで。
この気持ち悪さは、実際女になってみないとわからないと思う。
「スミレナさんも女性なら、オレの心境を理解してくれますよね?」
「思ったんだけど、入ってくるポイントは一人につき1ポイントだけだとしても、一人一回しかやっていないとは限らないわよね? むしろ一回しかやっていないと考える方が不自然だわ。人によっては毎日やっているかもしれないし、一日につき複数回だってありえないわけじゃない。アタシの予想だと、回数だけ見ると倍――ううん、三倍はくだらないと思うんだけど。どうかしら?」
「残念ながら、オレが欲しかったのは慰めであって冷静な分析じゃないんですよ。スミレナさんって、思ったことはとりあえず口にしますよね」
「やだ、はしたない女だと思わないでね」
今さらはにかまれても致命的に遅すぎます。
頭痛がしてきた。なんかふらふらするし、まだ完全には仕事に慣れていない上、このオマケというにはでかすぎるスピリチュアルダメージは、正直参ってしまう。
「体調悪そうね。生理来ちゃった?」
この人、自覚無く殺しにかかってくるよね。
「………………違いますけど、やっぱ来るんですかね」
「女の子だもの。そりゃあ来るんじゃないかしら。でもサキュバスだし、人間とは少し体の仕組みが違うということもありえるわね。どちらにせよ、来たらちゃんとアタシに言うのよ」
「……はい、よろしくお願いします」
「その時はお店を臨時休業して、盛大にパーティーをしましょう。一日目は内輪でやって、二日目は常連さんたちにも祝いに来てもらって」
「やめてください。一生のお願いです。本気でやめてください」
「恥ずかしがり屋さんね」
これは恥ずかしがり屋ではなく、羞恥プレイというんです。
一生のお願いくらい強く言っておかないと、本当にやりかねない。
そう思わせる危うさが、スミレナさんにはある。
「だけど本当に辛そうだから、適度に手を抜くのよ」
「店長がそんなこと言っていいんですか?」
「大事なのはメリハリよ。引き締めるところは引き締める。抜けるところは抜く。男のお客さんたちだって抜いているんだから、おあいこよ。ただまあ、彼らは手を抜くというか、手で抜いているわけだけど」
「倒れそうです」
「あらいけない。後の仕事は全部エリムに押しつけて、今日はもう休む?」
「冗談です。やれます。それと、たまにはエリムも労わってやってください」
「無理しないでね。ああ、そうそう。奥のテーブルのお客さんなんだけど」
スミレナさんの視線の先、バーカウンターから一番遠いテーブルには、西洋風の青っぽい鎧を着た男の二人組がついている。
一人は四十代前半といったところか。顔のシワ一本一本から滲み出てくるようなダンディズムは、男であっても見惚れてしまいそうだ。
もう一人は、ずいぶん若い。二十代前半……いや、多分十代だ。
「明らかに堅気じゃないですよね」
首から上しか肌は見えないけど、色も耳の形も人間のものだ。
それでも伝わってくるプレッシャーが一般客とは桁が違う。
「彼らは王都の騎士よ」
「……どうりで」
店に出るようになってから、冒険者だという客は何人か見てきたが、その誰とも雰囲気が異なる。冒険者は粗野で奔放なイメージが強かったけれど、彼らに抱いた印象は、精強にして厳格。まさしく、騎士のイメージをぴたりと体現している。
「彼らの料理はアタシかエリムが運ぶから、リーチちゃんは、あのテーブルに接客しに行かなくていいわ。騎士は、冒険者以上に魔物に対する鼻が利くから」
その鋭い嗅覚は既に味わった。
店に入って来た彼らをテーブル席に案内したのはオレなんだけど、その時、年上の方の騎士から「君は人間か?」と訊かれたのだ。
咄嗟に誤魔化すことはできたけど、もう二度と近づきたくはない。
「それにしても、どうしてこんな町の酒場に来ているのかしら」
「【オーパブ】は王都にマークされているんですよね? 巡察か何かじゃ?」
「だとしてもよ。若い方の騎士は知らないけど、もう一人が、【ラバン】に暮らしている者なら子供でも知っている有名人なの。冗談を言うような人物じゃないから誰も話しかけに行かないけど、あれ、アーガス・ランチャック騎士長だわ」
「騎士長?」
「王都騎士団のトップってこと」
怖。
なるほど。だから今日は、どことなく店の中が大人しいのか。
こりゃマジで近づかないでおこう。目も合わすまい。
気のせいだといいんだけど、なんとなく見られている気がしなくもないし。
「――リーチちゃん、【ラバンエール】おかわりもらえるかい?」
客の一人から、名指しで追加注文を頼まれた。
無理は禁物だからね。そう念を押しながらスミレナさんが注いでくれたドリンクを受け取り、客席へ運んで行く。
「お待たせしました」
「ありがとう。リーチちゃん、少し話さないか。ここ、座りなよ」
「み、見てのとおり仕事中なんで」
「真面目なんだな。そこが君の魅力でもあるが」
「や、真面目とかじゃなく」
「今日、仕事が終わった後は時間あるかい?」
「いえ、仕事が終わる時間はもう夜中ですから……」
「であれば、明日の夕方は? 自分は仕事上がり。リーチちゃんは仕事前で時間を取れなくもないと思うんだが」
「い、いやあ、あはは……」
張っ倒したい。
客である以上、手を上げるわけにはいかないので、笑ってやり過ごすしかない。
このしつこい客の名前は、ロドリコ・ガブストンさん。
エリムに連れられて【メイローク】にやって来た時に会った、町の守衛さんだ。
オレが【オーパブ】で働いていると知ってからというもの、毎日仕事上がりに店にやって来ては、こんな風に絡まれる。今日で四日連続だ。
話の流れで年齢を聞く機会があったんだけど、ロドリコさんは三十二歳らしい。
対してオレは十七歳。向こうの世界だったらJKだ。
この世界での恋愛観をまだよくは知らないけど、三十二歳がJKにご執心なのはどうなんだ? まずいだろ。事案発生だろ。
「こんなことを告白するのは照れ臭いが、自分は一日のうちで、どうしようもなくリーチちゃんのことを考えてしまう時間があるんだ。何故だろうな」
普通の女なら、こういう台詞を言われたら、ときめいたりするんだろうか。
だけど、オレの場合はこう思うわけだ。
――ああこいつ、やりやがったな。
と。これで経験値が入っていないと考える方が無理あるよな……。
「あー、えーと、空いている食器、おさげしますね!」
酒が入っている相手だ。律儀に最後まで付き合う必要はない。
スミレナさんやエリムの手を煩わせたくないので、オレはいつも適当なところで切り上げて仕事に戻るようにしている。
トレイに皿やグラスを手早く乗せ、ロドリコさんから離れようとした。
「リーチちゃん、今度君に何かプレゼントを――」
「わ、ちょ」
そこへ、なおも食い下がってきたロドリコさんによって腕を掴まれてしまう。
バランスが崩れてトレイが傾き、山積みになっていた食器類が床に落ちていく。
割れる。
オレは片目を瞑って体を強張らせた。
「――危ねェなあ」
一瞬の出来事だった。ものぐさにも聞こえる声と共に、四つ五つはあった食器が全て、パパパパパ、と目にも留まらぬ手捌きで空中キャッチされた。
「す……ご」
曲芸じみた神業を、事も無げにやってのけたのは例の騎士、その若い方だった。
呆けるオレに、騎士は「気をつけなよ」と言い、トレイに食器を戻してくれた。
近くで見ると、思ったよりも圧力を感じない。息苦しいほどのプレッシャーは、騎士長からのみ放たれていたのかもしれない。
短い黒髪に、目元に泣きボクロのある若い騎士は、続けてロドリコさんを窘(たしな)めるようにして目を細めた。
「オッサン、女の子相手にハシャぐのはわかるけど、あんまハメ外しすぎンなよ」
「なっ!? 自分はまだ、オッサンなどと呼ばれるような年では!」
「オニイサン、ハメ、外しすぎンなよ」
蛇に睨まれた蛙だった。
瞬間的に開放された威圧によって、ロドリコさんは顔を青くし、口ごもりながら「気をつけます」と答えるしかできなかった。
騎士の視線が、ロドリコさんからオレに戻ってくる。
じぃ、と無言で見つめられたオレは、人間とは違う何かを感じ取られてしまったのかと思い、心情的に汗を飛ばした。
「あ、あの?」
「……いや、なんでもねェ」
パッと顔を背けた騎士は、用は済んだとばかりに踵を返して席へ戻ろうとする。
驚いたことに、オレを助けるためだけに席を立ってくれたらしい。
「あ、ありがとうございます!」
食器を乗せたトレイを持っているので腰を曲げることはできなかったが、オレは騎士の背に、慌てて頭を下げた。
騎士は首だけを振り返らせ、ニッ、と白い歯を見せた。
「そんだけ可愛いと大変だな」
そう言って笑った騎士は、まるで親しい同級生のようにくだけていた。
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