第44話 前哨戦
「こんばんは、領主さん。今日は何をしにいらしたのかしら?」
表情は笑顔。だけど、スミレナさんの声には隠しきれない怒気が含まれている。
カストール領主は、その凄みを真っ向から受け止めていた。
店内はカウンター席を除けば、テーブルは全て埋まっており、客の数も五十人をくだらない。そのほとんどが手を止め、二人の遣り取りに固唾を飲んでいる。
「ふふん、ご自分の胸に訊いてみるとよいのではぁ?」
「ごめんなさい。この店と同じく貧層な胸なもので、さっぱりわかりかねます」
スミレナさんが自分の胸に手を添え、わざとらしく皮肉を言った。
途端に客たちの中から、「セクハラ」「帰れセクハラ」「セクハラ領主」とひそひそ囁く声がカストール領主に向けられた。
「ふん、相変わらず、減らず口で煙に巻いてきますねぇ」
「回りくどいのは嫌いかしら?」
「そうですねぇ。今すぐ帰れと、はっきり言ったらどうですぅ?」
「まぁ嬉しい。アタシって、そんな優しいことを言う女だと思われていたの?」
「お、おやおや怖いですねぇ。深入りはしないでおきますよぉ。そんなことより、このお店は、いつまで来客を立ちっぱなしにさせておくんですかぁ? イスの一つでも用意していただきたいですねぇ」
「あら? 領主さんはウチのお店、出禁になってるんだけど、ご存知なかった?」
「……は、初耳ですねぇ」
カストール領主の口元がひくついた。
どうやら、あの余裕はハリボテらしい。早くも仮面が剥がれそうになっている。
「せっかく足を運んでいただいたんだし、用件くらい聞いてあげてもいいわよ?」
「ずいぶんと上から目線ですねぇ。仮にもわたしは、この町の――」
「鬱陶しさが増したので帰ってくださる?」
「――用件に入らせていただきますねぇ」
早くも小物臭が滲み出しているカストール領主が、オホン、と咳払いをした。
「最近の【オーパブ】は、とみに繁盛しているようじゃないですかぁ」
「おかげさまで」
「それがどうもぉ、気になる話を聞いたんですよぉ。【オーパブ】で、何やら得体の知れない物を売り出しているとねぇ」
得体が知れないとは酷い言い草じゃないか。カストール領主が言っているのは、当店好評売出し中、ミノコ印の牛乳――【メグミノコ】(品名)のことだろう。
ミノコの乳が安全品質であることは証明済みだ。
常連さんの中に栄養士をしているエルフの人がいて、ミノコの乳を成分検査してもらった。そしたらなんと、殺菌の必要すらなく、直飲みしても大丈夫と太鼓判を押してくれたのだ。チート牛であるミノコに備わった【状態異常完全耐性】というオプションが、乳にも影響しているんじゃないかとオレは考えている。
「新しい商売を始めるなら、ちゃんと上に申告していただかないと困りますねぇ。わたしのところまで話が通っていませんよぉ? だからこうして、わざわざ査察に来たという次第なんですけどねぇ」
この男の粘っこい喋り方を聞いていると、背筋が寒くなってくる。
直接相手をしているスミレナさんであれば、なおさら顔をしかめているだろう。
と、そう思ったんだけど、本人は何故かきょとんとしていた。
「え? 今の、ちょっと理解できなかったんだけど」
「わたし、そんなに難しい話をしましたかぁ?」
「ええ。だって、どうして領主さんに話を通す必要があるの? どうして領主さんなんかの検閲を受けなきゃならないの? どうして領主さんごときに許可を求めなきゃならないの? どうして領主さんはまだそこにいるの? どうして領主さんは領主さんなのに、そんなに嫌われ者なの?」
これ、言われた方のメンタルは無事でいられるのだろうか。
でも、かなりスカッとした。
「リーチさん、もう家の中に」
肩を貸してくれているエリムが、オレの体調を心配して言った。
「いや、最後まで見ていたいんだ。悪いけど、もう少し寄りかからせてくれ」
検閲なんて理由を出しているけど、カストール領主はどうにかして【オーパブ】を潰したいと考えているだけだ。王都にへつらうため。もしくは自分の領地内に、不穏分子を抱えておきたくないから。
カストール領主が【オーパブ】の弱みを探しに来たというのなら、オレはこの場にいない方がいいだろう。でも、この先もずっと、そんな風に脅えて暮らすなんてまっぴらごめんだ。
スミレナさんは戦っている。
【オーパブ】が【オーパブ】であるために。
オレみたいな存在が、隠れて暮らさなくてもいいように。
その勇姿を、オレが見ていなくてどうする。応援しなくてどうする。
「ふあっ、リーチさんの胸が当たる……。くっ、なんて柔らかいんだ。耐えろ僕。誘惑に打ち勝つんだ。まだ六日目なんだぞ。先は長いんだ。こんなところで負けてたまるか。ああでも、くそ、こんなに大きくて温かいなんて……くぅぅ」
こっちはこっちで、何と戦っているのか。
「エリム」
「は、はひぃ!?」
「空気読んで」
「……はい」
エリムのどうでもいい苦悩はシャットアウトし、意識をスミレナさんへ戻す。
もはや顔面神経痛を懸命にこらえているみたいに、表情の体裁を保てなくなっているカストール領主に、ふぅ、とスミレナさんが小さく溜息をついた。
歯応えが無い、そう言っているかのようだ。
「まあ、冗談は置いておくとして」
「こ、こちらは……かなり傷つきましたよぉ」
「別に新しい商売を始めたわけじゃないわ。単純に、新商品を導入しただけよ」
「本当にそうですかぁ?」
「言いたいことがあるなら、そっちこそはっきり言いなさいな」
「どうにも、いかがわしい匂いがぷんぷんするんですよねぇ。一部の噂では、若い女性の母乳を販売している、などというものもありましてねぇ」
そう言って、カストール領主はオレをチラ見した。
ぞわりと、背中に大量の氷を放り込まれたみたいに鳥肌が立った。
「真偽はどうであれ、町の風紀を乱されるのは看過できませんねぇ。しばらく営業を停止していただいて、事実確認をすることも考慮しなくてはいけませんよぉ」
「そういう誤解を、面白おかしく吹聴する人がいるのは承知しているわ」
それを聞いたカストール領主は、水を得た魚のように続けた。
「他にも、見たことのない動物に騎乗しているアナタ方の姿も確認されていましてねぇ。むしろ、こちらの方が問題ですかねぇ。未確認動物を町に入れるとなれば、相応の調査を、然るべき機関で、時間をかけて行う必要が出てきますからねぇ」
口振りからして、カストール領主は既に知っているんだろう。
ミノコという、【オーパブ】を繁盛させる柱となっている存在のことを。
だからこそ、【オーパブ】からミノコを奪おうとしている。
そんなことになれば、店の収入が落ちる以前にオレが生きていけない。
「わたし、何か間違ったこと言っていますかぁ?」
「いいえ。そこに関しては正論だと思うわ」
「そうでしょう、そうでしょう。うふぅ、しかしあれですねぇ。【オーパブ】という名前からして風紀的に問題があると思いませんかぁ? これでは勘違いしてしまう客がいても仕方がない。店長として、改名を考えたりしないんですかぁ?」
形勢が自分に傾いたと思ったのか、カストール領主はほくそ笑み、後ろに控えていた従者たちにも一緒に笑うよう促した。
調子に乗りすぎている。そのせいで、生まれ持っての名前などという、明らかに当人に責任の無いことにまで難癖をつけてしまった。
結果、相手に凄まじい反撃の手を与えてしまうことを考えもせず。
「ねえ、ザブチンさん」
スミレナさんが、この日一番の冷淡な声を発した。
「む、その名をわたしが好んでいないことは、町民であれば、皆知っているはずですよねぇ。その名で呼ぶことは、ただの暴言だと受け取りますよぉ?」
オレはエリムに、「ザブチン?」と単語のみで尋ねた。
エリムは領主を指差し、「本名ザブチン・カストールです」と教えてくれた。
直後に思い知った。
スミレナさんに、口で勝とうなんて思うのが愚かなのだということを。
「カストールさん、アナタの香水、飲食店に入って来るには少しばかりキツすぎるわね。その最低なセンスには正気と常識を疑うしかないのだけど、もしかして本気でオシャレのつもりでいたのかしら? そんなはずないわよね。知っているわよ。アナタが香水で隠したいのは自分のチ●カス臭よね。だったら香水なんて使わずにお風呂で念入りにザブザブとチ●カスを洗い落としてきたらどうかしら。せっかくカストールなんてカッコイイ苗字がついているのに、性格と同じで全然カスが取れていないんじゃない? アナタにこそ改名を勧めたいわ。今日からこう名乗ったらどうかしら。ザブチン・カスマミレさん」
信じられます? 見た目、清楚系美人のスミレナさんの口から、チ●カスなんて単語が普通に出てくるんですよ?
人の名前を馬鹿にしたことで、超絶ブーメランを受けてしまったザブチ――カストール領主は、放心から数秒遅れて顔を真っ赤にし、怒り心頭の顔つきになった。
「アナタはまたそうやって、町の中に素性のわからない種族を匿うのですかぁ!?」
「素性なんてわからなくても、コミュニケーションは取れるわ。というか、商売の話をしていたと思ったら、もうその話に進むの? 話のすり替えが下手なこと」
「言いがかりはやめていただきましょうかぁ!?」
「まあいいわ。どうせ最後には、そこへ行き着くんだから」
ヒートアップするカストール領主に対し、スミレナさんはどこまでも冷静だ。
「危険かもしれない。それだけで、排斥する理由は十分なのですよぉ! 保護指定している種族とだけ良好な関係を築ければ、それでいいではないですかぁ! どうしてわざわざ、危険を招き入れるようなことをするのですかぁ!?」
「危険が全く無いとは言わないわ。でも、アナタたちが危険だという種族の中に、好きになれる存在だっていることを知っているからよ」
「自分勝手極まりない見解ですねぇ。わたしなどは、町民の安全を守る立場にあるからこそ、身を削る思いで財を投じ、私兵団を編成してまで、日々魔物討伐の一助になろうとしているというのに!」
チラ、チラ、とカストール領主は何度も騎士長の反応を窺っている。
どれだけアピールに必死なんだ。
「アナタが邪魔者扱いするのは魔物指定されている種族だけじゃないでしょう? リザードマンのように、保護指定されていないだけでも差別するじゃない」
「いずれは魔物指定される可能性があるからですよぉ! 危険な芽は早めに摘んでおくに越したことはないじゃないですかぁ! 本当ならねぇ、町の出入り自体規制したいくらいなんですよぉ! それなのに、こんな店があるから、かえって寄ってくるんですよぉぉお! 迷惑なんですよぉぉおおお!」
声量と剣幕で押し切ろうとするかのように、カストール領主は身長差を利用し、スミレナさんの頭上からがなり立てた。
力と体格で勝る男にこんな圧力をかけられて、脅えない女性はいない。
か弱い女性であるスミレナさんは俯き、床に視線を落とした。
そして、
思い切り体重を乗せて、カストール領主の右足を踏み抜いた。
「ぬぉああああああああああ!?」
「べらべらべらべらと。領主さん、アナタが本当に町民のことを考え、町に魔物を近づけさせないために私兵団を編成しているんだったら、主張が違ったとしても、アタシもなんとか歩み寄る努力をするわ」
「あぃい痛っ、いいいだだ! ぐりぐりしないでぇええ!」
「でもね、アナタは私欲が透けて見えすぎるの。功を上げて領地を拡大したいの? 王都議会の末席でも狙っているの? そんなことのために誰かの尊厳を踏みにじるような真似をしないでくれる?」
スミレナさんから飛びのいたカストール領主は片膝をつき、踏みつけられた足の甲を押さえて涙目になっている。従者が肩を貸そうとするが、それを突っぱねた。
「こ、これはれっきとした傷害行為ですよぉ!? わたしにこんなことをして、ただで済むと思っているんですかぁ!?」
あー、言っちゃった。浅い。薄い。小物すぎるぞ、カストール領主。
「ア、アナタはねぇ! 町民を味方につけているつもりなのかもしれませんけど、わたしが商業ギルドに本気で手を回せば、こんな店を潰すくらい――」
「決を採りましょう」
胸の前で腕を組んだスミレナさんが、床にしゃがみ込んでいるカストール領主を軽蔑するように見下ろしたまま言った。
しかし、その言葉はカストール領主に告げたものじゃなかった。
「ザブチン・カストールは【メイローク】の領主として相応しくない。解任を望む者は、その場でご起立を」
もとから立っているオレとエリムは、賛成を示すならこのままでいればいい。
でも、他の客たちは違う。
スミレナさんに味方しようとするなら、わざわざ立ち上がらなければならない。
それなのに、
――瞬間、【オーパブ】が揺れた。
店内にいた客たちの全てが、示し合わせたように立ち上がったのだ。
整然とし、一糸乱れない集団の行動は圧巻だった。挙手が植物のささやかな牽制だとするなら、起立するという行為は猛獣の威嚇を思わせた。
「なっ、に……を?」
カストール領主は、ぱくぱくと、痙攣しているみたいに下顎を震わせている。
そんな情けない姿を晒している男に、大勢の客を背中に従えたスミレナさんが、くいっと顎で店の角を見るように仕向けた。
「これ以上の問答は、あちらのお客様にも、領主として無能であることをみすみす露呈することになってしまうわよ?」
つられて、オレもそちらに目をやった。
騎士長だけが、唯一着席したままの例外だった。だけどそれは、カストール領主に味方しているというより、関わることを拒否しているように見えた。
そしてなんと、若い方の騎士は、他の客と同じように立ち上がっていた。
オレと目が合うと、二カッと笑い、こっそりとピースサインまでしてきた。
「この先まだ底の浅い
カストール領主は圧倒され、二の句も継げない状態になっていた。
「お引き取りを」
身をひるがえしながら、興味を失ったとばかりにスミレナさんは言い捨てた。
それからはもう、カストール領主のことを一瞥さえしない。
他の客たちも、ワァッ! と一頻りスミレナさんを称えた後は、敗者の存在など忘れて歓談に戻っていった。
文句無しに、スミレナさんの完全勝利だった。
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