第40話 エリムのホワイトシチュー

「エリムのレベルと並んだ? レベル5(10/16)? それって、ペペの時から数えて何人――え、二十三人? ワォ」


 ステータスを確認したショックで生ける屍となったオレは、バーカウンター前の一席でパジャマ姿のまま突っ伏し、スミレナさんに愚痴を零していた。

 酒場ではよく見られる光景かもしれないが、内容が「オカズにされすぎて困っているんです」といった客の悩みに対し、的確なアドバイスができるバーテンダーは果たしてこの世に存在するのだろうか。

 ただまあ、悩みを聞いてもらえるだけでも少しは気持ちが楽になる。


「ということは、あと六人でレベル6。今日中にエリムを抜けそうね。あ、抜くと言っても、レベルのことよ? エリムからは既に経験値をもらっているわけだし、抜いても意味ないものね」


 かと思いきや、悪気無く追い打ちをかけてくるのがウチの店長です。


 この後、スミレナさんにどうやって引きこもりを認めてもらおうか。そればかり考えていると、朝食と乳しぼりを兼ねて店に入って来ていたミノコがカウンターにどっかりと顎を乗せてきた。家の中で犬を飼っていたりすると、稀に見せてくれるベストショットの一つではあるが、ミノコのサイズと質量でやられると、目の前にプレス機が落ちてきたような錯覚を起こしてしまった。


「モォ~ウ」


 しけた面してんじゃねえ。こっちまで気が滅入んだろうが、べらんめえ。

 みたいなことを言われるのかと身構えたが、全く違った。


 ねぎらいだった。

 他ならぬミノコが、「なかなか頑張っているみたいじゃないか」と言ったのだ。


「ミノコ……」


 途端に、情けなく愚痴っていた自分が恥ずかしくなってきた。

 怒られたり、小馬鹿にされたりするより、ずっと効いた。


 オレには目標がある。

 一つは、拓斗たくとが転生してきた時、安心して暮らせる環境を整えておくこと。

 そしてもう一つは、このミノコにパートナーとして認められることだ。

 拓斗にもだけど、オレはまだ、ミノコから受けた恩の十分の一も返せていない。

 それなのに、気づけばまた以前の自分に逆戻りしていた。


 オレは、すぅぅ、と鼻で目一杯息を吸い込んだ。そして、


「ふんぬっ!」


 気合いと共に、ミノコの首の付け根辺りに力いっぱい頭突きをかました。

 超痛い。ガギン、なんて生物の体とは思えない硬質な音がした。

 そういやこいつ、至近距離で射られた矢も刺さらないくらい硬いんだっけか。

 ミノコにとっては、蚊に刺されたほどの痛みも感じていないだろう。


「モ?」


 何やってんの? そう言いたくなる気持ちはわかる。

 だけどオレも、イラついて攻撃したわけじゃない。これは自分への戒め。

 目標に設定し、運命共同体でもあるミノコの存在を自身に刻みつけるためだ。


「……見ていてくれよな。オレたちの生活、特にミノコの食事だけど。絶対軌道に乗せてみせるから。もっと頑張るから。お前はどっしり構えていてくれな」


 今はまだ大言壮語にしか聞こえない台詞を吐き、ニッ、と不敵に笑ってみせた。

 この程度のことで、引きこもりに戻ってたまるかよ。

 強く生きていくって、そう決めたんだから。

 オレの考えを汲み取ってくれたのか、ミノコがオレに尻を向け、尻尾でぺちぺちと頭を叩いてきた。オレにはそれが、頭を撫でられているように感じた。


「あらあら、なんだかいい雰囲気ね。はい、ミノコちゃん。これの試飲もお願い」


 そう言って、ミノコの前に、白い液体の入った洗面器みたいな皿が置かれた。

 漂ってくるのはアルコールの香りだ。くんかくんかと鼻を近づけた後、ミノコはそれを、ぴちゃぴちゃと舐めるようにして飲み始めた。


「また新しいお酒ですか?」

「そうなんだけど、自信があるかというと……」

「モ~ゥ」


 飲む勢いは止まらないが、息継ぎの合間にミノコがひと鳴きした。


「ミノコちゃん、なんて言ったの?」

「えーと、その、45点だって言ってます。甘さに偏りすぎだって」

「ああーん、やっぱり低い。もちろん100点満点よね? うーん、女性を対象にしているからといって、安易に甘味を足すのは失敗だったわ」

「色が白っぽいのは牛乳を加えたからですか?」

「ええ。まろやかさは増したと思うんだけど、どうもこれじゃない感があるのよ」


 新作は難航しているようだ。お酒である以上、未成年のオレには味見できない。力になれないのが歯痒いな。


「リーチちゃんも何か飲む?」

「オレですか?」

「味覚はサキュバスになっても変わっていないのよね? 栄養にできない固形食はお腹を壊すかもしれないけど、飲み物だけでもどうかしら。朝はいつも、どういうものを飲んでいたの?」

「朝は、そうですね。砂糖とミルクたっぷりのコーヒーとかよく飲んでいました。コーヒーってありますか?」

「え、コーヒー?」

「この世界にはありませんか?」

「ま、待って、あるわ。あるんだけどちょっと待って! そうだわ……糖蜜を発酵させて……焙煎したコーヒー豆と……あと氷砂糖で……」


 何か閃いたのか、ぶつぶつと独り言を呟いて思考に没頭してしまった。

 邪魔しちゃ悪いな。

 オレはちらりと隣を覗き見した。そしてミノコの隙を突き、飲んでいる酒に指をぴっと浸して口に含んでみた。


「何か意見できればと思ったけど、やっぱ、こんな少量じゃよくわからないな」

「ンモ!」


 今度は怒られた。すいません。


「リーチちゃん、ありがとう。アナタの一言で打開策が見えたわ。甘さの中にも、ほのかな苦みを加えられる食材。鍵はコーヒーだったのよ。盲点だったわ」

「マジですか?」


 なんか、また予期せずしてオレが役に立っちゃった?


「リーチちゃん、コーヒーが飲みたいのよね」

「はい、ホットでいただけますか?」

「ごめんなさい。無いわ」

「あれ、無いんですか?」

「今お店に無いだけで、手に入らないわけじゃないわ。でも少し厄介なの」

「厄介? 物凄く高級だとか?」

「いいえ。個人的に飲むだけなら問題は無いの。問題なのは、この町でコーヒーや紅茶を扱っているのは領主、その直営店だけだということよ」

「ええと、すみません。それはまずいことなんですか?」

「前に言ったと思うけど、アタシは領主と折り合いが悪いの。お店で使うコーヒーを卸してほしいなんて言っても絶対に断られるわ。でも、これについては嫌がらせというより、商売の住み分けの意味が強いかしら」


 まあ、客を奪い合って共倒れしないために、そういう考え方も必要なんだろう。


「王都とか、別の町で買ってくればいいんじゃ?」

「それも個人的な買い物ならともかく、商売として使う物をよその町で仕入れようとするなら、あきない証が必要になるの。それは領主が管理、発行をしているわ」

「じゃあ、店で出している酒や食材はどこから?」

「この町で懇意にしてもらっているお店からよ。領主はそれもいい顔をしていないけど、そこにまで文句をつけてしまったら、いよいよ町全体を敵に回すことになるからできないでいるのよ。町民のほとんどはアタシの味方だから」


 領主さん、人気無いんだな。


「個人的な買い物だったら、商い証はいらないんですよね?」

「それをしてお店で出しているところを見られたら、営業停止になっちゃうわ」

「うあー、面倒臭そう」

「一応、許可を申請してみるけど、足下を見てくるでしょうね。だけど、この新作案はどうしても試したい。絶対に成功すると思うの。そんな確信があるわ」

「問題は、ヤな領主が首を縦に振るか、ですね」

「そのうち見る機会があるかもしれないから、本当にヤな奴かは、その時になって判断するといいわ。まず間違いなく好きにはなれないでしょうけど」


 人の評価は自分の目で見て確かめなさいと言うスミレナさんが、ここまで言ってしまう領主か。会いたくないな。


「コーヒーは無いけど、牛乳を温めて、砂糖で甘くしてみる?」

「あ、ホットミルクですね。ぜひお願いします」


 穏やかに微笑んで「了解」と言い、スミレナさんが離れて行く。

 うーむ、ここだけ切り取ると、ホント理想的なお姉さんなのに。

 惜しい人だ。



「――できましたあああああ!!」



 頬杖をついてスミレナさんの後ろ姿をぼんやりと眺めていると、火にかけていた鍋の前に立っていたエリムが、天井を貫くような声で叫んだ。


「リーチさん、お待たせしました!」

「お待たせって、何が? 何も待ってないぞ?」


 見れば、エリムの目には濃いクマができている。まさか徹夜したのか?

 ふらふらになりながら、エリムがカウンターに鍋敷きを置いた。その上に、まだぐつぐつと音を立てている小鍋が乗せられる。


「まずは香りを確かめてみてください」


 自信に満ちた声でそう言ったエリムが鍋の蓋を取ると、もくもくと勢いよく天井まで湯気が立ち昇って行った。

 鍋に充満していた湯気が晴れると、中から雪みたいに真っ白なスープが現れた。

 いや、スープじゃない。一緒に入っている鶏肉や芋の沈み具合からして小麦粉を使っているのか、トロミがある。


 そしてクリーミーな香り。

 見た目がわからずとも香りで。香りがわからずとも見た目で。



「……シチューだ」



 それだとわかる。完璧に再現されていた。


「リーチさんから聞いた情報を基に思考錯誤を繰り返して、ようやく牛乳をメインにした料理の一作目が完成しました。どうぞ、ご賞味ください!」


 底の深い皿にオタマですくわれたシチューが、エリムの手でオレの前に置かれ、木のスプーンが添えられた。


「……食べて……いいのか?」

「リーチさんのために作ったんです。食べてください」


 鼻から吸い込んだ香りが、これは美味い。絶対に美味しい。不味いはずがない。早く食え。そう訴えかけるように、脳を殴りつけてくる。

 涎が口から零れ落ちないよう、何度も何度も喉を鳴らした。


 牛乳以外のまともな食事がとれる。

 本当に叶うなら、それはサキュバスにとって食の革命だ。


「い、いただき、ます」


 わずかに開いただけで、涎が口元を伝った。

 パジャマの袖で拭い、期待と不安に震える手でスプーンを掴んだオレは、最後に大きく喉を鳴らしてから、香り立つホワイトシチューに挑んでいった。



「――その試食、待った!」



 ひとすくいしたシチューを口に入れる寸前で、高い声が割って入ってきた。

 スミレナさんだ。


「姉さん、どうして止めるの?」


 まったくです。早く、一秒でも早く食べたいんですけど。


「エリム、サキュバスは本来、何を栄養としているのか知っているわよね?」

「そ、そりゃ知っているけど、だから?」

「それを踏まえた上で問うわ。正直に答えなさい。そのシチューという料理、本当にミノコちゃんの牛乳を使っているの?」


 なんか言い出した。

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