第39話 初仕事の先に得たものは

 祭りの後の静けさとでもいうのか、客たちが全員帰って表の札を【閉店】にし、従業員だけになった店内を見渡してみると、「この店、こんなに広かったっけ」と、ふと物思いに耽ってしまった。


「お疲れ様。お仕事の一日目から大変だったわね」


 指を絡ませた両手を高く上げ、んー、とスミレナさんが伸びをした。


「お疲れ様です。大変でしたけど、充実した時間だったなって思います」


 オレは店の隅にある掃除用具入れからモップを取り出した。


「そう言ってもらえると、店長としても嬉しいわ。あんなことがあって、ここでの仕事が嫌になっていないか、少しだけ心配していたの」

「その点については大丈夫なんですけど。ただ、お客さんたち、誰も止めに入ってくれないんだなって思いました。ちょっと冷たい気が」

「お客さんたちに悪気があるわけじゃないのよ。少し悪ノリはしていたけど。ああいうことがあれば、普段はアタシが仲裁するの。皆それをわかっているから、余計な手出しはしないっていう暗黙のルールができちゃっているのね」

「……それってつまり、この店には、何があろうと、即行で解決してしまう無敵の店長がいるから、手を出すまでもないと?」


 無敵は大げさよー。

 みたいな否定は返ってこなかった。マジか。


「そもそも、このお店では揉め事なんて滅多に起こらないんだけど、たまーにね。困ったものだわ。お店の女の子にセクハラしていいのは店長の特権だっていうのに」

「店長が一番しちゃダメでしょ」


 本気なのか冗談なのか、この人の場合、判断に困る。


「それはそうと、リーチちゃん、ずっと嬉しそうね」

「いや、あはは。あの男の人とギリコさんを見てたら、オレもいつか、サキュバスだってことを隠さないで暮らせる日が来るんじゃないかって、そんな希望がわいてきたというか」

「種族間意識は難しい問題よね。でも、来るといいわね」


 スミレナさんは、軽々しく「その日は必ず来る」とは言わなかった。


「夢は大きくよ。リーチちゃんなら、何百年も続いている人間と魔王の戦争だって終わらせられるかもしれないわね。というのは言い過ぎかしら」

「言い過ぎです。魔王がどんな奴なのかもわからないんですから」

「あら、それってフラグ?」

「やめてくださいよ」


 魔王とか、ファンタジーの象徴みたいな存在で興味無くはないけど。

 人間に転生して勇者にでもなるのならまだしも、サキュバスは魔物だし、オレはどちらかと言うと魔王寄りだもんな。会ったらややこしいことになりそうだ。


「何はともあれ、リーチちゃんの仕事ぶりは上出来よ。ミスらしいミスも一回だけだったし、初めてとは思えない接客だったわ。前世で引きこもりだったなんて信じられないわね」


 それに比べて。そう言ってスミレナさんは、店の端っこで細々とテーブルを拭いているエリムを横目に見た。


「不甲斐ない弟でごめんなさい。結局、リーチちゃんが一人で解決したわねえ」


 明らかに聞こえるように言っている。ホント、弟に容赦ないですね。

 布巾をぎゅっと握りしめたエリムが、悔しさを表情に滲ませ、オレの前に歩み寄って来た。


「リーチさん、またしても力になれず、すみませんでした!」

「エリムが謝るようなことじゃないよ。自分より強そうな相手に立ち向かえるだけでも大したもんだ。それより体は平気なのか? 思い切り殴られてたろ?」

「全然平気です。殴られるのは慣れていますから」


 お前、意外と丈夫だよな。打たれ強さは姉による教育のたまものか。


「意識が戻って、お客さんから聞きました。僕がやられた後、リーチさんがすごく怒って相手に向かって行ったって。とても嬉しく思いました。女性を守るのは男の役目なのに、こんなことを思ってしまう自分が情けないです」

「大切な人を傷つけられたら、怒るのは当たり前だろ」


 大切は大切でも、オレがキレたのは、自分が尊敬するギリコさんを馬鹿にされたからなんだけど。ヘコんでいるエリムに本当のことを言うのも気が引けるな。

 ……言わないでおくか。我ながら、オレって空気読めるよな。


「こんな頼りない僕に、そこまで言っていただけるなんて……。リーチさん、僕はアナタのことが……ますます好きになってしまいました!」

「へへ、さんきゅ」

「……軽いですね」

「軽いって何が?」

「ああ、いえ、こういうのは人それぞれだと思いますし……なんでもないです」

「エリム、相手はちょろそうに見えて、実は強敵よ。精進なさい」


 敵ってなんの話だろ。この辺りは飲食店が多いし、商売敵のことかな。


「それはそうと、リーチさんがどうやってあの場を収めたんですか? 実はそこを詳しく聞いていなくて。なんか、一発で倒したとかなんとか」

「あー、どう言えばいいのかな」


 口ごもっていると、全ての成り行きを知るスミレナさんが、ズズイと前に出た。


「リーチちゃんの必殺技が炸裂したの。おっぱいビンタよ」

「お、おっぱ……!? ハッ、もしや、それが特能【一触即発】の正体!?」

「違うから。スミレナさんも、あんなもん勝手に必殺技にしないでください」

「リーチちゃん、真面目な話をしてもいいかしら?」

「どうぞ?」

「一度アタシにもやってみてくれないかしら。やってくれるなら、特別ボーナスを出してもいいわ」


 信じがたいことに本気の目だ。


「…………女性には、手を上げない主義なんで」

「誰も手を上げろなんて言ってないわよ。おっぱいよ、おっぱい。おっぱいで顔をはたいてほしいの。おっぱいの重量と感触と威力を肌で感じたいの。もしそれで首が折れても、おっぱいと共に死ねるのならアタシは本望だから」

「おっぱいを連呼しないでください! こっちも結構痛かったんで、勘弁してください」

「……そう。残念だけど、そういう理由なら無理にとは言えないわね。巨乳を雑に扱う者に、おっぱいを愛でる資格はないもの」


 しゅんとしたスミレナさんは、大人しくカウンターの方へ引き下がっていった。

 小さじ一杯分程度の罪悪感はあるものの、ここで折れてはいけない。


 おっぱいビンタはともかく、【一触即発】って、実際どんな特能なんだろうか。

 素振りでも、手から何かが放出された気配はないし。

 無機物に触れて適当に力を込めても何も起きないし。

 だからと言って、生き物で試すわけにはいかないんだよな……。

 サキュバスのレベルについては知っていたスミレナさんだけど、この特能のことまではわからないと言われた。特能の存在を、転生してすぐの段階で気づけていたならオークたちで試すこともできたのに。


 あ、そういや、オレの他にもサキュバスの知り合いが一人いるんだっけか。

 話す機会とか作ってもらえるかな。正直言うと、その人にまつわるエピソードがブッ飛んでいるので、できれば会いたくはないんだけど。


 開いた手を見つめて嘆息していると、おっぱいビンタを体験できず気を落としていたはずのスミレナさんが、ティッシュの箱みたいな物を持って、打って変わってにこにこと楽しそうな笑顔で戻ってきた。


「なんですか、それ?」

「うふふ。リーチちゃんを驚かせようと思って作っておいたの」


 そう言って、スミレナさんがテーブルの上で箱を逆さにすると、中からぱさぱさとたくさんの紙切れが出てきた。


「メッセージカードよ。お会計の時に、お客さんから任意で一言もらっていたの。リーチちゃんの励みになるかと思って」

「うおお、それは楽しみです」


 スミレナさんてば、なんてニクいサプライズを。

 オレはワクワクしながら、持っていたモップを壁に立てかけた。


「早速読ませて――て、あれ? どうしました?」


 先にメッセージカードを読み始めていたスミレナさんが、なんとも言えない微妙な表情になっている。不思議に思ったのか、エリムも一枚手に取り、中を見た。


「うわ」


 それ、どういうリアクション?


「何が書かれてるんです?」

「ん、んーと、どうしたものかしらね」

「僕は、見ない方がいいと思います」


 そんな風に言われては、余計気になってしまう。


「もしかして、クレームばかりとか?」


 スミレナさんには褒められたし、自分でも、そこまで酷い接客だったとは思っていなかった。でも確かに、最初の方は笑顔を維持する余裕が無かったことも事実。


「いえ、クレームではないわ。それは間違いない」

「そうなんですか? なら心配しなくて大丈夫ですよ。そこまで過度な期待はしていませんから。まだまだ未熟。今後の成長に期待とか、そんなところでしょう?」

「んーーーー」


 唸るだけで、閲覧の許可が出ないので、オレは勝手に一枚を手に取った。

 当然、この世界の文字で書かれているけど、読むだけなら問題は無――



〝極上の乳〟



「…………は?」

「あ、リーチちゃん、見ちゃったの?」

「なんですかこれ。極上の乳って、え? この一言だけ?」

「あ、あらら。まあ、そういうことを書いちゃう人もいるわよね」


 どうやらオレは、一枚目でとんだハズレを引いてしまったようだ。

 気を取り直して、二枚目へ行く。



〝挟まれたい谷間〟



「オイ」


 メッセージカードにツッコんでしまった。

 二枚続けてハズレとか、なんて運の無い。次行こう、次。



〝前から見えるお尻〟


〝魂を揺さぶる乳〟


〝乳神様〟



 なんか……どれもこれもP●xivやニ●動に付くタグみたいなコメントばっかりなんですけど?


「もしかしなくても、全部オレのことなんですよね?」

「そ、そうね」

「オレの存在意義って、乳だけなんですか?」

「そんなことないわ! 中には、まともなコメントカードもあるはずよ!」


 そう言ったスミレナさんが持っていた二枚のコメントカードを、ひょいと奪う。



〝酒場オーパブが、オッパブ営業を開始?〟


〝即夜戦〟



 ビリビリィィッ!!

 オレはそれらのコメントカードをまとめて破り裂いた。


「リーチちゃん、落ち着いて! ちゃんとした物も絶対あるはずだから!」

「これが落ち着いていられますか!?」

「あ、これとこれは、リーチさんのことじゃないですね」

「どれ!? 見せて!?」



〝貧乳派です。スミレナさんのちっぱいこそ至高〟


〝二人並ぶと高低差がすごかったです。だがその平地ぶりがイイ〟



「エリム、虫メガネを持ってきてくれる? 筆跡鑑定をするわ」

「姉さんも落ち着いて! 見つけ出してどうするの!?」

「社会的かつ肉体的に抹殺するだけよ」

「やめて、それ徹底的に殺し尽くしちゃってるから!」


 それからも一枚一枚内容を確認していったが、ほとんどが乳に関することだった。

 この店の客、頭おかしい。まともなのが一つも無いじゃないか。


「リーチちゃん、ごめんなさい。良かれと思ってやったことだけど、どうやらこの企画は失敗だったようね。あら、雑貨屋のダリエルさんは貧乳派だったのね」

「もう一人目を特定したの!? 待って、待ってください! まだ残っています! あ、これなんて、すごく感謝しているのが伝わってくる文章――て、ああ、違ッ」

「いいから見せろ」


 オレはエリムから強引にコメントカードをむしり取り、中を見た。



〝新しい店員さんのおかげで、ちちの愛が伝わったらしく、ずっと落ち込んでいた息子が元気に立ち上がりました。これで息子とのシコりも解消できそうです。〟



「もうダメだあああああああああああ!!」

「あらぁ、これはまたえらく直接的ね。抹殺対象かしら」


 エリムが叫び、スミレナさんが冷やかに言った。


「これ、オレの接客が、知らない間に誰かを元気づけていたってことですか?」

「え、リーチさん、何を言ってるんです?」

「何って、やっとまともなコメントが出てきたんじゃないか。違うの?」

「まとも? ……ハッ、そ、そのとおりです! 一生懸命仕事をするリーチさんの姿を見て、コメントを書いた人の息子さん、きっと何か悩みがあったんでしょうけど、自分も頑張ろうと思うようになったんですよ!」

「おお、やっぱりそうなのか!? オレすげえ!」

「リーチちゃん、それはね――」

「姉さん、余計なことは言わないで! このまま終わらせて!」

「たった一枚だけど、なんかオレ、励まされた気がするよ」

「ですよね!? ですよね!? それじゃ、これらは僕が回収処分しちゃいますね!」


 嬉しい。ほとんどがアホみたいなコメントだったけど、そんなことはどうでもいいと思えるくらい、最後に素敵な励ましをいただけた。


「エリム、スミレナさん、明日も頑張りましょうね!」

「は、はい、頑張りましょう! よかったあ……」

「うーん、まあ、リーチちゃんが喜んでるならいいけど」


 こうしてオレの初仕事は、めでたしめでたしで終わりを告げたのだった。






 清々しい朝がやってきた。


「ん~~~~」


 ベッドの腕で伸びをしたり、腰を捻ったりすると、みしみしと関節がきしんだ。

 中でも、ミノコの乳しぼりで酷使した前腕の筋肉痛がひどい。

 だけど、すこぶる目覚めはいい。

 なんて言うのか、住む場所を手に入れて、仕事も始めて、自分がこの世界に根を下ろせたという実感を、ようやく持てた気がする。


「うおっし、今日も一日頑張るぞ!」


 そういや、疲れてすぐ寝ちゃったから、ステータスを見るのを忘れていたな。

 今確認するか。オレが期待しているのは【職名】の項目だ。

 エリムが言っていた。この項目は、簡単に更新されるって。

 まだたった一日しか【オーパブ】で働いてはいないけど、もしかすると、早くも無職から別の何かに変わっているかもしれない。


 スミレナさんが、「リーチちゃんは酒場のエースよ」と言ってくれた。

 酒場のエース。悪くない響きだ。そのまま【職名】に使ってくれてもいいな。

 オレは逸る気持ちでステータスを展開させた。


「お、やった。無職じゃなくなって――」



職名:酒場の看板娘



 ………………まあ、予想してなくはなかったよ。

 別に嫌とは言わないよ? 無職より、ずっといいと思うし。

 でも、これならただ〝従業員〟の方がよかったかなって……思うわけです。


「贅沢は言うもんじゃないよな」


 サキュバスに転生してしまったことを除けば、自分は恵まれている境遇にいるのだということは、ギリコさんの話を聞いてよくわかった。

 オレは目を覚ます意味も込めて、パチンと頬を叩いた。

 そうしてステータスを閉じようとする。――が、


「まさか……いや、多分……上がってる……よな」


【職名】の項目から、少し視線をズラせば、それは表示されているはずだ。

 昨日の時点で、あと1ポイントだったし。

 スミレナさんも、魔性のおっぱいに一度でも触れたことがある者ならどうのって言ってたし。おっぱいビンタを喰らわせたあの人とか、かなり怪しいよな。


 必要な経験値は、レベルアップする度、倍倍になっていくんだっけか。

 レベル1から2に上がるためには、一人でよかった。

 レベル2から3に上がるためには、さらに二人。

 レベル3から4に上がるためには、さらに四人。

 レベル4から5に上がるためには――


「――て、そこまで考える必要はないな」


 レベル2(1/2)――これが昨日最後に確認したステータスだ。

 まずは大きく深呼吸。いつの間にか、うるさく跳ねていた心臓を落ち着かせる。

 そして覚悟を決める。

 たとえレベル3に上がっていようと、オレはその事実を受け止める。

 みっともなく叫んだり、ベッドからズッコケたりなんかしない。


「よし!」



レベル:5(10/16)



「ひぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 オレは喉を潰しかねない勢いで絶叫し、もんどり打ってベッドから転げ落ちた。

 今日も一日頑張るぞ?

 誰だ、そんなこと考えた奴。

 無理です。オレは引きこもります。

 こうして異世界生活三日目は、最悪な目覚めと共に始まった。

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