第33話 目指せ、看板娘
「姉さん。帰ってきてから、ずっとリーチさんに元気が無いっていうか、なんだか表情が死んでいるんだけど。買い物に出ていた時に何かあったの?」
「しばらくそっとしておいてあげて。知らなかったとはいえ、リーチちゃんてば、既婚男性に『ちんちん見せて』と懇願した挙句、そのままイカせてしまったのよ」
「ちん、イカ、え、ええっ!?」
「しかも、すぐ近くには奥さんもいたのよ」
「何それ、完全に修羅場じゃないか!」
「ちょっとそこォオオオ! 相手が犬だって、ちゃんと言ってくださいよ!」
「そうね。リーチちゃんにとっては、一度イカせた男なんて、犬も同然よね」
「誰が見ても最初からずっと犬だったでしょうが!!」
黙って聞いていれば好き勝手なことを。いや、概ね事実ではあるんだけど。
「犬……あ、ああ! もしかして、マリーさんとこの? それならまだぎりぎり。よかったあ……。僕はまた、てっきりリーチさんが行きずりの男の人と――」
その先を言わせず、オレはエリムの顔面を鷲掴みに――しようとしたが、手が小さくて無理だったので、代わりにエリムの鼻を思い切り捩じり上げた。
「すると思ったのか? おい、答えろ。オレがそういうことをすると思ったのか?」
「ひだだだ! めめ、滅相もありまへん! 全然、まっはふ思っへまへん!」
クソッ。こんなことが、もしこの先、二度、三度と続いてしまったら、硬派を売りにしてるオレのイメージが崩れて、とんでもなくビッチな奴だと思われてしまうじゃないか。
「マリーさんには、まだ言ってない……ですよね?」
「言ってないし、言うつもりもないけど、マリーなら多分、聞いても笑い飛ばすわよ?」
確かにそんな気はする。だけど、ペペは? 今にして思えば、ペペがあそこまで落ち込んでいたのも、妻であるマリーさんに対して罪悪感があったからじゃないだろうか。
今も罪の意識に苛まれているであろう、ペペの気持ちを考えると……あああ……。
「くっ、ペペ、ごめんな」
でも今は気持ちを切り変えないと。酒場を開店する十八時まで、あと一時間もない。
オレとスミレナさんを送迎する任を終えたミノコは、馬房――改め、牛舎で少し早い休息を取っている。次は、いよいよオレが働く番だ。
人生初仕事ということもあり、開店が近づくにつれて緊張が増していく。
スミレナさんとエリムは慣れたもので、平然と開店準備を進めている。
二人は特別畏まった格好をしてはいないが、清潔感を重視した仕事着に着替えていた。対してオレは、買った下着こそちゃんと着けているものの、まだワンピース姿だ。
「スミレナさん、オレの制服っていうのは?」
「縫製が終わったら配達してもらうことになっているの。そろそろ届くかしら」
スミレナさんが、そう言った矢先だった。
酒場の正面入り口に、配達人――もとい、配達犬が現れた。
今まさに話題に挙がっていたペペだ。背中にはリュックを背負っている。
……言葉はいらなかった。互いを慈しむような目で見つめ合う。
オレはペペの。ペペはオレの気持ちを汲み取った。
傍に寄ると、ペペは器用に前足を抜いて背中のリュックを下ろした。
オレは膝をついて、そのリュックを受け取った。
「忘れよう。お互いにとって、それが一番だと思う」
「ヨゥ……」
こちらこそ、妻帯者にあるまじき痴態を晒してしまい、面目次第もない。
言葉はわからずとも、ペペの目がそう語っていた。
「なんだか、不倫関係を内々に終わらせようとする男女の遣り取りみたいね」
スミレナさん、アナタは本当に雰囲気クラッシャーですね。
オレはリュックを開き、中身を取り出した。
綺麗に畳まれているので、まだどんな形をしているのかわからないが、白と黒のツートンカラーを基調にした衣装のようだ。黒いパンプスみたいな靴もある。
代金は前払いしていたそうなので、受け取りを確認してペペの仕事は終了した。
オレはもう一度、ペペにリュックを背負い直させてあげた。
「ありがとう、ペペ。マリーに急がせてごめんなさいと伝えて。後で店に来るなら一杯奢ると言っておいてくれるかしら」
クライアントであるスミレナさんにぺこりと頭を下げたペペが、長い耳の先を地面にこすりながら帰って行く。その後ろ姿には、やはり隠しきれない哀愁が漂っていた。
「リーチちゃん、最高よ! アナタ今、最高に輝いているわ!」
「素晴らしいです! 言葉では語り尽くせないほど、とにかく素晴らしいです!」
家の中で着替え終え、再び酒場へと出てきたオレを待っていたのは、姉弟による過剰なほどの賛辞だった。割れんばかりの拍手喝采が耳に痛い。
オレのために用意された制服は、肩口がふっくらした袖――確かパフ・スリーブとかいう名前だっけか。そんな形の黒いワンピースに、白いエプロンドレスという組み合わせだった。
スカート丈はずいぶんと短く、膝の少し上にある。そして、マリーさんによって改造を施されたという胸元は大きく開いており、視線を下げれば、買ったばかりのブラジャーで作られた、見事な谷間が覗いている。
「これ、メイド服ですよね……」
しかも、西洋のお屋敷なんかで見られる正式なものじゃなく、萌えという一点を追求したようなデザインだ。手首には、カフス――付け袖を巻いているんだけど、これって、食事時に袖が邪魔にならないようにするためのものじゃなかったっけ。この短い袖じゃ意味ないよな? 完全に装飾性しかない。
そして極めつきは、膝を隠してしまうくらい長い白色の靴下。靴下っていうか、まあ、ニーソだ。ニーソックスだ。そのニーソックスとスカートに挟まれたわずかな肌面積――いわゆる絶対領域が生まれている。
テンプレという言葉が浮かんだけど、まさしくテンプレな展開だ。
それでもあえて、まさかと言わせてもらおう。
「まさか、異世界に来てメイド服を着て働くことになるなんて……」
恥ずかしいことは恥ずかしいけど、地獄のブラ装着試練を乗り越えた今のオレにとって、メイド服に身を包む程度のことは、取り乱す要因ではなくなっていた。
だから、この大げさすぎる大絶賛も、甘んじて受け入れられた。
「最高です、リーチさん! 僕は、今この瞬間を目に焼き付けるために、今日まで生きてきたのだと思います! リーチさん、可愛い! 世界一可愛いです!」
「せ、世界一は言いすぎだろ」
「そんなことはありません! リーチさん可愛いです! 可愛いひいいいい!」
「も、もうそのくらいで。声裏返ってんぞ」
なんか本気で言ってるっぽいし、さすがに顔が熱くなってきた。
「いいえ、リーチさんが自分の可愛さに自信を持ってくれるまで、僕はいつまでも可愛いと言い続けます! リーチさん可愛い! 永久保存したいくらい可愛い!」
「や、わかったから……」
もうホント、そろそろ勘弁して。
「可愛い! 可愛い! 可愛い! 可愛い! 可愛い! リーチさん超可愛い! ああ、照れた顔も素敵です! うわあ、うわあ、カーワーイーイー!!」
「わか、わかった、から」
「可愛い! 可愛い! 可愛すぎですよ! リーチさんが可愛すぎて、僕は! 僕はもう! ほら、姉さんも一緒に! リーチさん超可愛んぐっふ!?」
「わかったって言ってんだろうが!!」
あまりにもエリムがしつこくてウザいので、思わず
この姿が可愛いなんて……そんなこと、言われなくても……。
鏡に映ったメイド姿に、自分で見とれてしまったくらいなんだから。
ぜえ、ぜえ、と肩で息をし、熱を帯びた顔を冷やしていると、いつの間にかスミレナさんは落ち着きを取り戻し、遠巻きにオレたちを傍観していた。
「自分よりも明らかにテンションのおかしい人を見ると、何故か冷静になるわよね」
なら止めてくださいよ。
「お披露目を終えたところで、リーチちゃん、着心地はどう? 胸は苦しくない?」
「問題ありません。ピッタリです」
「そう、よかったわ。……これがギガンテス級に進化した姿なのね。やっぱり、アタシの
別に涙なんて浮かんでいない目尻をスミレナさんが拭った。
「さ、愚弟は放っておいて、軽くミーティングをしておきましょうか」
店主であるスミレナさんが、拍手とは違う、
「最初に言っておくわね。アタシは別に、リーチちゃんが何か失敗しても怒ったりはしない。初仕事で失敗しないなんてことは、土台無理だもの。どうして失敗したのかは自分で考えて、勝手に反省してちょうだい」
「わ、わかりました」
「初日で完璧に仕事をこなせとは言わないわ。だけど、明日、明後日ともなれば、アタシは相応の働きをリーチちゃんに求めるわよ。理由は、言うまでもないわね」
「はい。お世話になっている身として、重々承知しています」
「リーチちゃんは家族も同然だけど、甘やかすつもりもない。もし、リーチちゃんの働きと、ミノコちゃんの食費を秤にかけて大赤字になるようなら、厳しいように思われるかもしれないけど、ミノコちゃんの分は森で狩りをするなりして食い扶持を賄ってもらうしかないわ」
「当然のことだと思います」
「ミノコちゃんが大食らいでなければ、エリムの食事を抜けば事足りるんだけど」
エリムが「え?」と驚いた顔をした。
「そういえば、面接をしていなかったから、聞いていなかったわね」
「何をです?」
「リーチちゃんは、この世界で何をしたいの? 何かしたいことはあるの?」
「それは仕事と関係ある質問なんですか?」
「あると言えばあるかしら。目標を持って働いてもらった方が上達は絶対早いし、何より働くことが楽しくなるでしょう?」
それもそうだ。
自分のやりたいこと、か。
「実は、向こうの世界で友達だった奴も転生してくるかもしれないんです」
「タクト君というそうね。エリムから聞いているわ。ライバルがいるって」
「オレ、前世じゃ拓斗(たくと)に世話になりっぱなしだったんです。だけど生まれ変わったことをきっかけに、今度はオレがあいつを助けてやれるようになりたいって、そう思うようになったんです」
「うん、いいんじゃないかしら」
「そのためには、最低限、地に足のついた生活ができるようにならなきゃいけないですよね。拓斗がいつ転生してくるのかはわかりません。もしかしたら、明日かもしれないし、一ヶ月後なのかもしれません。というか、転生してくるっていう確証も無いですし」
「リーチちゃんは、タクト君がいつ転生して来てもいいよう、迎え入れられる準備をしておきたいのね」
拓斗への恩返し。
異世界で生まれ変わったことに意味を見出(みいだ)すなら、オレはそれがしたい。
「あとは、そうですね。ミノコに心配ばかりかけちゃってるんで、これ以上愛想を尽かされないようにしたいです。今のままだと、完全にミノコの方が主人ぽいので」
「ふふ、頑張ってね。アタシも協力するわ」
頑張ろう。抱負を口にしたことで身が引き締まり、労働意欲が増した気がする。
「ところで話は変わるけど、そのタクト君と、ウチのエリム、どっちの方が好きなの?」
「姉さん、なんてことを訊いているのさ!?」
「エリムだって気になるでしょ? 現時点で、ライバルとどれくらい差があるのか」
「それは、そうだけど」
妙な話題で盛り上がる二人をよそに、オレはふるふると首を横に振った。
「友達に順位なんてつけたくありません。拓斗は大切な奴です。それは転生した今でも変わらない。でも、エリムのことも大切だと思っています。どっちが上とかじゃない。オレの中で、エリムはもう、かけがえのない存在になっているんです」
「リーチさん……」
感極まったのか、エリムが肩を震わせている。へへ、もう少し言わせてくれよ。
「そう、エリムは一生の友達と言っても過言じゃありません! 何があっても! 永遠に! この先、死ぬまで友達という関係は変わりません! 断言します!」
「うん、わかったわ。わかったから、それくらいにしてあげて。死にそうだから」
よっぽど嬉しかったのか、エリムがはらはらと涙を流している。お前とはズッ友だぞ。
「とか言ってるうちに、もう開店時間ですね。ああ、やばいくらい緊張します」
「大丈夫よ。リーチちゃんならすぐにでも看板娘としてやっていけるわ」
残念ながら、看板娘という肩書に魅力を感じないので激励にはなりません。
「それじゃ、最初の仕事よ。表の札は、リーチちゃんが返して来てくれるかしら」
「はい!」
パシッと頬を挟むように叩き、オレは自分で気合いを入れた。
この世界でオレが一人前に生きていくための、本当の戦いがここから始まる。
「やるぞ。酒場【オーパブ】――営業開始だ!」
気勢と共に、オレは【閉店】と書かれている札を
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