第32話 ブラジャーの着け方講座

「自己紹介するわな。ウチは、この女性衣類専門店【モッコリ】の店主をやっとるマリー・モッコリいうもんです。種族はクー・シー。見てのとおり犬人(いぬびと)や。そっちはサキュバスのリーチちゃんやったな。スミレナからあんじょう聞いとるで」

「……よろしく、お願いします」


 オレは消え入りそうな声で挨拶を返した。

 クー・シー。猫のケット・シーほど広くは知られていないけど、犬の妖精という意味だったはずだ。せっかくケモミミの女性と邂逅したってのに、喜べるだけのHPが残っていない。


「リーチちゃん、元気を出して」


 その元気を根こそぎ奪っていった犯人が、しゃあしゃあと言った。


「酷いじゃないですか。オレ、死ぬほどビビったんですけど」

「ごめんなさい。だけど、リーチちゃんがアホ――じゃなくて、無害だってことを一発でマリーにわかってもらうためには、あれが最善の策だと思ったの」

「せやな。たとえサキュバスでも、こんなアホ――やなくて、素直で可愛い子が、人様に迷惑かけるような真似するわけあらへんって、ウチは確信できたで」


 これが無駄に終わるならまだしも、なまじ結果がついてくるから怒りづらい。


「ちなみに、入国許可証たらいうもんは存在せんから安心しぃや」

「じゃあ、あの万引き防止のアラームみたいなのは?」

「あれな。あれは〝フェンリル級〟以上の客が店に入ったら鳴るんよ」

「フェンリル級? オレのことですか?」

「んや、リーチちゃんは、見たとこ〝ギガンテス級〟やな。ほんまでっかいなあ。後で揉ましてくれへんか。御利益あるかもしれん」


 しし、と少年のように悪戯っぽく笑うマリーさんの指の一本一本が、まるで別の生き物みたいにウネウネと蠢いた。


「マリーは〝ケルベロス級〟なんだから十分でしょ。贅沢言わないの」

「なはは、スミレナの〝エインセル級〟も、それはそれでカワイイで。需要は絶対あるさかい。気にしなさんなや」

「別に気になんてしていないわ。ただ〝ブラウニー級〟くらいないと、ブラジャーを着ける意味が感じられないってだけよ。もうノーブラでいこうかしら」

「アホ言いなや。ノーブラで、そのまんま乳首見えるんより、ぶかぶかで、サイズ合ってへんブラの隙間から見える乳首の方が何倍もお得感あるやろ」

「さすがマリーね。完全に論破されたわ。今度、リーチちゃんがどんな反応をしてくれるか試してみるわね。今日はアタシも〝ブラウニー級〟のブラを一つ購入することにするわ」

「まいどあり。勉強させてもらいまっせ」


 話についていけないのは、これが女子トークだからなのだろうか。いや違うな。


「今日のところはリーチちゃんの下着を何着かと、あと、お店で着てもらう制服が欲しいんだけど。例の服を、この子用に縫製してもらえないかしら」

「ああ、スミレナが、ブラウニー級に育ったら着る言うてたやつな。ええんか?」

「構わないわ。このままだと、いつになるかわからない。ううん、そんな日が来ることはないでしょうね。自分の体のことは、自分が一番よくわかっているから」


 スミレナさんは憂うようにして、そっと胸に手を添えた。


「あいわかった。スミレナの思いは、リーチちゃんが立派に引き継いでくれるはずや。ウチが責任もって、今日の開店までに、きっちりギガンテス級に直したる」

「ありがとう。頼んだわ」


 目尻に浮かんだ涙を指で拭うスミレナさんを、マリーさんが力強く抱きしめた。

 感動的な遣り取り……なのかな。当人置いてけぼりで話が進んでいく。


「ほな、リーチちゃん、採寸するさかい、試着室行こか。スミレナは、この子に似合いそうなギガンテス級のブラを見繕って来てくれるか」


 手早く指示を出すマリーさんが、オレには戦場の指揮官のように見えた。

 一旦スミレナさんと別れ、オレはマリーさんの後ろについて店の奥にある試着室へと向かった。試着室は、下着類が陳列されているエリアにあるそうだ。


 次々と目に飛び込んでくる、宝石のようにキラめくブラジャーやパンツの数々。

 まるで下着の森だ。白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込んだアリスにでもなった気がしてくる。


「リーチちゃんって、転生者なんやってなあ。こっちの下着って、リーチちゃんが暮らしとった世界のと比べてどない?」

「向こうと比べてですか」


 そう言われてもな。

 正直、オレに女性下着を比較して評価できるほどの知識は無い。

 でも逆に言えば、比較できるほど、明確な違いは見当たらないとも言える。

 まず、そのことをマリーさんに言った。


 それから、オレ自身の感想を考えてみた。

 この世界の服飾技術がどの程度の域にあるのか、オレは知らない。

 ここに並んでいる商品は、似た物はあっても、全く同じ物は二つと無かった。

 もしかしたら、大量生産する技術は無く、一つ一つが手作りなのかもしれない。

 手作りが量産品に勝るとは限らないが、展示されている下着に施された意匠(いしょう)を、オレはとても綺麗だと思った。芸術だとさえ。


「いざ自分が身に着ける立場になったから、そう思うようになったのかもしれないですけど、下着って、こんなに綺麗だったんだなって思いました」


 並べられた下着ほどに、自分の言葉を飾れないのが心苦しいと思うくらいに。


「なはは。それは良かった。リーチちゃんはええ子やなあ」

「お世辞で言ったんじゃないですよ?」

「ちゃうねん。ていうか、まさにそれやねん。なんでやろか、言ってることが全部ほんまもんやなーって伝わってくるねん。あれかな。最初にどんな子か知ったからかもしれんな」


 スミレナさんのお手柄ってことになるのか。

 認めたくない。あの羞恥プレイが有用だと認めたくない。


「さ、入って入って」

「失礼します」


 縦横150cm四方の個室に、オレとマリーさんは二人して入った。

 当然のように、そこには全身を映せる鏡があった。


 ……まだ慣れないな。

 鏡に映った自分と目を合わせることに照れを感じてしまう。どうしても、これが今の自分の姿だと思えないからだ。一日二日で割り切れって方が無理な話だ。

 だけど、そんな繊細な心情を、マリーさんの言葉は粉々に破壊してくる。


「ほんじゃ、ワンピースやし、上だけはだけさせよか。おっぱいぽろんしてんか」


 ビーッ、とメジャーを伸ばしながら、マリーさんが上機嫌で言った。

 肩ひもを一つ外すごとに、恥ずかしさが倍増していく。見られることと、見てしまうこと、どっちに恥ずかしがってるんだろうか。もうワケがわからない。


「お、おおおお……ギガンテス……」


 上半身を露出させたことと、向けられる感嘆が、羞恥心をさらにかきたてた。

 極薄目になり、視界をぼやけさせることで、オレはどうにか踏み止(とど)まっている。


「こりゃあ、男に挟んでって言われそうやなあ」

「何をですか?」

「そう、ナニをや」

「何言ってるんですか?」

「そう、ナニがイッてまうんや」


 この人が、スミレナさんと気が合う理由がわかった。完全に類友だ。

 メジャーの冷たさと、肌を擦るくすぐったさで、「うひっ」と変な声が出た。


「うん、目測とほとんど誤差はあらへんな。紛うこと無きギガンテス級や。せやけど、自分の裸をまともに見れんとか、元男の子いうんもほんまやねんな」

「おかげで、苦労してます」

「もったいないな。こんだけのもん持ってたら、そらもうり取り見取りやろに。好きな男とかおらんの?」

「いるわけないじゃないですか!! 気持ちの悪いこと言わないでくださいよ!!」


 何を言い出すかと思えば。意味不明すぎて心臓止まるかと思ったわ。


「今はそうかもしれんけど、この先はどうなるかわからんやん?」

「いいえ。恋愛とか結婚とか、そういうのはもう、全部諦めてますんで」

「それは女の快楽を知らんからやで。ぬふふ、お姉さんが教えたろか?」

「結構です」

「あっさり断らんといてーな。ちょっとヘコむやん」

「その手の冗談は、スミレナさんで耐性がつきました」

「まあ、スミレナのは冗談やろけど。リーチちゃんがほんまに興味あるんやったら相談乗ったるで? ウチは旦那もおるし、経験も豊富や。スミレナよりは具体的なアドバイスができると思うで」

「そんなアドバイスをもらう機会は一生無いです。というか、既婚者だったんですか」

「あ、この女、犬だけに、好きな体位は後背位やなと思たやろ? 当たりや」

「思ってない上に家庭の性事情を暴露しないでください!」

「想像した? してもうた?」

「ししししてませんけど!?」

「顔めっちゃ赤いで。なはは、からかいがいあるなあ」

「――アタシも交ぜてもらっていいかしら!?」


 手に山盛りのブラジャーを抱えたスミレナさんが、試着室に乱入してきた。


「あら、リーチちゃん、幻肢げんし勃起中?」

「その造語、本気で定着させるつもりですか!?」


 色とりどりの下着を足下に置いたスミレナさんが、その中の一つを手に取った。


「アタシね、リーチちゃんと出会って、一つ決めたことがあるの。リーチちゃんにとっては、触れてほしくないことかもしれないけど……」


 深刻そうな声で、唐突にスミレナさんがそんなことを言った。

 このタイミングで、いったいなんだろう。聞けば、オレが傷つくようなことなのか。

 ということは、またサキュバスの性質に関することなのかもしれない。


「……怖いですけど、大事なことなら言っておいてほしいです」

「アタシは一日一回、必ずリーチちゃんの生乳(なまちち)を触るわ」

「触れるって物理的にですか!?」

「もう我慢できないわ。童貞だったリーチちゃんは、当然、女の子のブラを外した経験なんてあるわけないわよね? ましてや自分で着けるなんて無理よね?」


 あれ? オレが前世では童貞だったって、スミレナさんにだって言ってないよな?

 なんで決めつけられてんの?


「というわけで、ブラの着け方は、アタシが手取り乳取り教えてあげるわ。厳しくてもしっかりついてくるのよ。モミモミ――じゃなくて、ビシビシいくからね」


 言うが早いか、流れるような動きで背後に回ってきたスミレナさんに薄いピンクのブラジャーをあてがわれ、ストラップを肩にかけられた。


「マリー」

「了解や」


 スミレナさんが名前を口にしただけで、意図を理解したマリーさんが、正面からオレの手首を掴んで手前に引き、尻を突き出す形で腰を45度曲げさせられた。

 完璧に息の合ったコンビネーションにより、オレは為す術もない。


「おっぱいがハミ出さないよう、少し屈んだ姿勢で下乳とブラの底辺を合わせるでしょ。そうして胸をカップの中に入れるの。で、この時に後ろでホックを留める」

「うひ、いひぇ」


 荒い息で解説を続けるスミレナさんの指が、オレの胸を遠慮なく弄(まさぐ)ってくる。


「ちゃんと見ているのよ。左手で左側のストラップの付け根を少し浮かせて、右手を左側のカップの中に入れる。それから生乳――じゃなくて、乳房全体を包んで、右肩方向に向けて優しく引き上げるの。横に流れている胸や余分な脇肉もきちんと収めること。ハァ、ハァ」

「左? 右? 左? 右? え? え?」


 もうこのあたりから、何を言われているのやらさっぱりだ。

 マリーさんが引っ張るのを止めたので、オレは体を真っ直ぐに起こした。


「ここで一旦ストラップの長さを調整ね。ストラップと肩の間を人差し指がスッと入るくらいが理想かしら。長いと肩から落ちるし、短いと肩こりの原因になるわ。じゃあ、今度は右乳ね」


 またしてもマリーさんに手首を引かれ、オレは腰を曲げさせられる。


「ここまでで、何か質問はあるかしら?」


 右の乳房をぽにょぽにょと揉みしだかれながら、質問タイムを設けられた。

 とはいえ質問しようにも、ここに至るまで何をされていたのか全然わからない。

 なのでオレは、ふと思ったことを尋ねてみた。


「ブラジャーのホックって、前で留めたりはしないんですか? 後ろで留めるの、見えないから難しそうなんですけど」

「ブラのホックを前で留める? やれやれだわ。いかにも童貞をこじらせて処女になったリーチちゃんの考えそうなことね」

「童貞をこじらせても処女にはなりませんよ!」

「いい? よく聞きなさい。確かに時間が無い、面倒臭い、体が硬いといった理由で前留めをする人もいるわ。でもね、前留めだと胸が綺麗にブラの中に収まらず、胸の形、特に谷間が歪になるの」

「な、なるほど」

「マイナスポイントはそれだけじゃないわ。前で留めたホックを背中へ回すことによって横乳が後ろに引っ張られ、横から見ると太って見えたりもするの。さらには血流やリンパの流れが滞って胸に栄養が行き渡らず、その結果、胸の成長を妨げるという、最悪の事態に陥ることだってあるのよ!!」


 最後が一番声に力がこもっていた。


「でもね、アタシがリーチちゃんに前留めを勧めない理由は他にあるわ」


 軽くした質問一つでこんなにもヒートアップするなんて。ブラジャー怖い……。


「そのやり方は、なんというか、カッコ良くないの。たどたどしさもアリだけど、せっかく教えるんだから、より美しい着け方を覚えてもらいたいじゃない?」

「……そ、そう、ですね」

「というかね、着替えを覗いた時、そんな萌えない着け方をされていたらゲンナリするじゃない! 後ろに手を回している時、前屈みになることによって強調されるおっぱいが最高で最強なんだから!」

「覗くのを前提にしないでください!」

「文句は一人でつけられるようになってからにしてもらえるかしら。それで、どう? 一通りやってみたけど、流れは覚えられたの?」

「あー、いや、それは……」

「あらあら。これは最初からやり直しね。体が覚えるまで繰り返すしかないわ」

「リーチちゃん、頑張りやー。はよ覚えんと、開発されてまうでー」


 鏡に映るスミレナさんの目は、完全に野獣、というか男、というかオッサンになっていた。


「それじゃあ、ブラを替えて二回戦、張り切っていってみましょうか」

「ひ、ひあっ、ちょ、あは、んあああああああああああああああああっ!?」


 この後、自分でも幾度となく挑戦し、失敗する度にスミレナさんが襲い掛かってくるという地獄のサイクルが繰り返された。

 幸いと言えるのかどうかは甚だ怪しいところだが、自分の下着姿にドキドキするとか、そんな心の余裕は一切無く、オレは死に物狂いで練習した。

 そうして、揉まれまくった胸と夕焼けが赤く染まった頃、どうにかブラジャーを装備するスキルを覚えたのだった。




「ふう、堪能したわ」

「リーチちゃん、燃え尽きたなー」


 最高にいい笑顔で、スミレナさんが額の汗を拭った。

 さすがに悪いことをしたと思ったのか、マリーさんは苦笑いだ。


「……なんかもう……一生分のショックを味わった気がします。今のオレは、何があっても動じない自信があります……」


 立ち上がる元気すらない。フリルとリボンの付いた可愛らしい純白のブラジャーを着けたまま、オレは試着室で体育座りをしている。


「じゃあ、最後にリーチちゃんが驚くようなことを教えてあげるわね」

「そんな気力はもう」

「マリーの旦那さんはペペよ」

「いやだから、その程度のことで今さらオレが驚くとでえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


 今日一番の衝撃だった。

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