第13話 脱童貞しちゃった
【ルブブの森】の奥深くへ入る時は、標高的に徒歩か馬で陸路を使うしかないが、帰りは小舟などで水路を利用した方が、短時間で森を抜けられるのだそうだ。
一時間ほど川を下れば森を抜け、そのまま、さらに一時間くらい水路を行けば、町のすぐ近くにある湖に出られるという。
ただし、オレはもちろん、冒険者パーティーに置いて行かれたエリムも舟なんて持っていないので、途中で野宿を挟みつつ、時間をかけて陸路を行くしかない。
そう思っていたところへ、またしてもミノコ様の活躍だ。
「人を乗せて泳げるなんて、牛という動物は凄いんですね」
「オレの知ってる牛は、こんなハイスペックじゃないはずなんだけど」
もうね、ミノコが空を飛べたとしても、オレは驚かないよ。
オレが前、エリムが後ろ。二人でミノコに跨り、のんびりと川を下って行く。
どういうギミックになっているのか。オレたちを乗せてもミノコは水に沈まず、体の半分は水面上に浮き出ている。おかげで服が濡れることもなく快適だ。
水飛沫の混じった風を正面から肌で受け、木々のアーチを目で楽しんでいると、まるでカヌーに乗って渓流下りをしている気分になってくる。
「モ~ォゥ」
「はいはい、一日二回だろ」
船賃として要求されたのは、朝晩二回のブラッシングだった。
お安い御用だとも。ミノコには既に何度も助けられているし、これからも世話になりまくるつもりなので、オレからミノコにしてやれることが見つかるのは、逆に嬉しかったりもする。奉仕できることを喜ぶなんて、小間使いとしての意識改革が着々と進んでいる気がしなくもないが。
それはともかく、差し当たっての問題は、今夜の宿だ。なんせ一文無しだし。
オレ一人ならともかく、ミノコも一緒となると……難しいだろうな。
「リーチさん、町に着いてからのことなんですけれど」
「うん?」
「よければ、しばらく僕の家に住みませんか?」
「いいのか!? 超助かる!」
オレは勢いよく後ろを振り返り、即答した。
尋ねてきたエリムの方が面食らっている。
「自分で話を持ち掛けておいてなんですが、そんなあっさりでいいんですか?」
「何が? 渡りに船なんだけど?」
「何がって、警戒心はどこへいったんです?」
「町で暮らすと、オレが魔物だってバレる危険があるってこと?」
「違います。僕への警戒です」
「なんでエリムを警戒するんだ?」
訊き返すと、エリムとミノコが示し合わせたように溜息をついた。
「腕っぷしは弱くても、一応、僕は男です。そして、リーチさんは女性です」
「あー……そういうことか」
「わかっていただけましたか」
「エリム、一つ言っておく」
「なんです?」
「オレのことは、虫かなんかに刺されて、乳が異常に腫れてしまった男だと思ってくれ。その認識で、大体合ってる」
「真面目な顔で無茶苦茶言いますね」
「それが難しいなら肥満はどうだ? 男でも、太りすぎておっぱいのある奴はいるだろ? こう、ばよえ~んって」
「無理ですよ。リーチさんは女性にしか見えないです」
「……じゃあエリムも、あの冒険者たちみたいなこと、オレにするのか?」
「し、しません! しませんよ!!」
「だったらいいじゃん。オレ、エリムのこと、信用するって決めたし」
「信用していただけるのは光栄なんですけど。なんと言いますか、了承するにしても、もう少し恥じらいの過程なんかがあってもいいのではないかと」
恥じらい? 何ソレ、美味しいの?
女の自覚を持つことと恥じらうことは、全く別じゃね?
「他にも家族構成の確認とか。僕が一人暮らしだったらどうするんですか?」
別にどうもせんけど。というか、そっちの方が気楽でいい。
「エリムは家族と暮らしてるのか?」
「はい、姉と二人で」
「お姉さん、だと!? ……ち、ちなみに、おいくつ?」
「22です」
「…………美人?」
「身内びいきかもしれませんが、見た目は、まあ悪くないと思います。見た目は。ウチは酒場をやっていまして、客からは、それなりに人気があるみたいですし」
「マジか……ッ」
「それがどうかしましたか?」
「どうしたもこうしたも! そんな年上のお姉さんと一つ屋根の下で暮らすとか、ヤバくない!? 想像しただけでもドキドキしちゃうだろ!?」
「ドキドキするタイミング、おかしくないですか?」
「家族以外の女の人と同居することへのドキドキが、エリムはわからないのか!? それでも思春期の男子か!?」
「いや、現在進行形で、わかりすぎるほどわかっているから、念を押して確認しているんですけど。……本当に大丈夫なんですか?」
オレは、ふっと表情を和らげ、哀愁を漂わせた。
「エリム、何も心配しなくていい。間違いなんて絶対に起こらないから」
姉の心配をするのは、弟として当然だろう。でも安心してくれ。
悲しいかな、もうオレには、間違いを起こそうにも起こせないんだ。物理的に。
「だからエリムも、オレのことを信用してくれ」
「……わかりました。なんか、微妙に噛み合っていない気もしますが」
「エリムが上手く間に入ってくれよ。な? な?」
「その点は大丈夫です。姉は少し変わっていて、人柄重視というか、相手が魔物であっても差別をしない人ですから。僕も見習いたいと思っています」
「そっか。エリムは、お姉さんを尊敬してるんだな」
「照れ臭いので、姉には内緒にしておいてくださいね」
オレは一人っ子だったから、ちょっと憧れるな。
でもそういう意味じゃなくてね。特に女性相手だと、オレがハンパなく人見知りするから、仲介役になってほしいって意味なんだ。仲裁役じゃなく、仲介役ね。
ここ大事だよ。
エリムが尊敬するほどの人だ。きっと慈愛に溢れ、引きこもりでさえ優しく受け入れてくれる心を持った、聖母マリア様のような女性に違いない。そして美人。
まさに理想的。
やっべえ。今から緊張しすぎて、お姉さんと何話していいのか全然わからん。
でもこれ、
もしまた会えたら、ふふ、自慢してやろ。
「あの、リーチさん。思春期男子としての、素朴な質問なんですが」
「何?」
「こんな提案をしてくる僕のこと、気持ち悪くないですか?」
「ん、ごめん、質問の意味がわからない」
「リーチさんも聞いていたと思うんですが、僕は、その……女性経験が無く……」
「ああ、童貞だっけか」
「そ、そんなはっきり。でも、はい。そんな僕が、住むところが無くて困っている女の子に同居を提案するなんて、気持ち悪がられるんじゃないかって」
「はああ!?」
深刻そうに言うから何かと思えば。この世界でも、童貞の扱いはそんななのか?
「リ、リーチさん、何か……怒っていますか?」
「そりゃ怒るさ! 激おこだよ! 童貞だから何!? 童貞の何が悪いってんだ!? 童貞が人に親切にしちゃいけない法でもあんのか!? 童貞は人として失格なの!? 童貞は生きてる価値もないの!? フザケんなよ!」
「そ、そこまでは言ってませんが……」
「エリムは本当に親切で申し出てくれたんだろ!? だったら胸を張れよ! 童貞がなんだ!? 自分のしたことを、自分で否定してやるな!」
でないと、まわりまわって他の童貞が困るんだ。
せっかくいいことをしても、童貞だからって弱気になってしまうから、世の中のリア充やヤリチンどもが幅を利かせて偉そうにするんじゃないか。
「……リーチさん」
エリムが呆けたような顔をしている。強く言いすぎただろうか。
「アナタは天使ですか?」
やっぱ強く言いすぎたようだ。ワケのわからないことを言い出した。
「どっちかって言うと、サキュバスって悪魔じゃないの?」
「いえ、リーチさんは紛れもなく、神が異世界から遣わした天使です」
「頭、大丈夫か?」
「とても勇気づけられました。まるで、自分のことのように怒ってくれるなんて」
「そりゃまあ、オレだって童貞だから」
「はは、女性の場合は、童貞とは言わないでしょう」
「え?」
「え?」
……………………………………………………………………。
……………………………………………………………………。
「えっと、経験の無い男のことは童貞と言いますけど、それが女性ですと」
「皆まで言うな」
……………………………………………………………………。
……………………………………………………オレ……処女だ。
「あ、あれ、リーチさん? 目が死んでいますよ?」
「……大……丈夫。ちょっと、いや、かなり……でかい衝撃の事実に気づいて……軽く眩暈がしただけだから」
「き、気にするようなことじゃないですよ! というか、それは誇るべきことだと僕は思います! そもそも童貞と処女では、その神聖さが天と地ほども違うと言いますか! ええと、そうだ、こんな例えがあります! 一度も侵入を許していない砦は頼もしく、一度も侵入に成功しない兵士は頼りない! つまり、処女を砦に、童貞を兵士に見立てているんですけど、上手い例えだと思いませんか!?」
その例え、向こうの世界にもあったな。
エリムは、オレの言葉で勇気づけられた分、自分もオレに勇気を返そうとするかのように、一生懸命フォローしてくれている。
だけど、何を言われても、対岸の火事みたいに現実味がない。
いやはや……次から次へと。
オレが処女? 状況の変化についていけませんわ。
新しい発見をする度まともに向き合っていたら、頭がパンクしてしまう。
こういう時こそ発想の転換だ。
女になったことで、オレは童貞じゃなく、処女になった。
つまり、脱童貞だ。童貞を卒業したとも言える。
ほらみろ。表現を変えるだけで、なんとも素晴らしい響きになったじゃないか。
悪いな、拓斗。オレは一足先に、大人の階段を上ってしまったようだ。
はいOK。この話はこれでおしまい。
…………ああでも。
この場合、童貞を卒業したというより、中退したって言った方が、しっくりくる気がしなくもないな。
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