第12話 信用してもいいかな?
「とりあえず、魔物だってバレるまでは、人里にいられるって考えていいのかな」
「う、うーん、オススメできませんけど、そういう考え方もできなくは……」
今後のことを考えるにしても、一度腰を落ち着けたい。
引きこもりだった頃は考えすらしなかったけど、衣食住が保証されている生活がどれだけありがたいか、今日一日だけでも嫌というほど噛みしめてしまう。
「そういや、エリムの仲間たちは? あいつら、オレを捕まえて、どこかに売ろうとしてただろ? それって合法なのか?」
もし、ああいう人身売買が法的に認められているような社会なら、正体がバレるバレない以前に願い下げだ。恐ろしくて住めたものじゃない。
「……希少生物を捕える行為は、一部認められています」
オレが気分を害しないか気にしているのか、エリムの口振りは重い。
「それが食用であったり、飼い慣らしてペットにしたり。でも、そこにもちゃんとしたルールはあるんです。ルールと言っても、人間が勝手に決めたものですけど」
「どんな?」
「少なくとも、リーチさんのように、人間とそう変わらない姿で、感情もあって、こうして会話もできる種族の売買は禁止されています。種族の善悪に関係なく」
人間のエゴだな。
でも、オレに非難する資格はない。
前の世界でも、人間は、自分たちの基準で生物の生殺与奪を決めていた。
それについて、オレは特に疑問を抱くこともなく暮らしていた。当時から反対意見を主張していたのならまだしも、自分の立場が変わった途端に不満を述べ立てるのは、勝手というか、なんだかみっともない。
「気を悪くされましたか?」
「いやまあ、そんなには。ともかく、オレを捕まえようとしたのは違法ってことだよな? それなら、エリムはなんであんな連中とつるんでるんだ?」
「……言い訳になってしまうんですけれど」
口ごもってしまったので、オレは「続けて」と言って先を促した。
「あの人たちとは、仲間というわけではないんです。あんな乱暴を働く人たちだということも、さっきまで知りませんでした」
「一緒にいたのは、今回だけの臨時ってこと?」
「はい。僕は魔物の生態学を専門にしている学生でして、彼らがオーク討伐に行くと聞いたので、同行させてもらっていたんです」
「学生だったのかよ。危ないなあ」
それって獰猛な熊狩りに、普通の高校生がついていくようなものじゃないか。
オレの暮らしていた世界だったら、絶対に許可されないぞ。
「事前に相手は一匹だとわかっていましたし、彼らは熟練の冒険者だったので」
冒険者。これまた異世界っぽい。
「なるほどな。連中は、冒険者として活躍する一方で、あくどい商売もしてたってことか。余計なお世話かもしれないけど、手を切った方がいいと思うぞ。エリムを置いて逃げるような奴らだし」
「今の話、信じてくれるんですか?」
「疑うところがあったか?」
「だって、事実がどうであれ、僕も同じパーティーにいたわけですし」
「それが?」
「それが……って」
「エリムはオレのこと、助けようとしてくれたじゃん」
「それは、そうかもしれませんけど……」
まだ納得いかないという顔をしている。そんなに変なことを言っただろうか。
オレたちの遣り取りを見ていたミノコが、「モォウ」と鳴いて意見を挟んだ。
「心配性だな。今度こそ大丈夫だってば」
「どうしました?」
「あー……。ミノコに、警戒心が足りないって注意されたんだ」
そう言うと、エリムがきょとんとした。
「僕には、動物の鳴き声にしか聞こえませんでした」
「慣れだよ、慣れ」
「慣れでどうにかなるとは……。でも、牛さんの言うとおりだと思います。リーチさんは、もう少し慎重になった方がいいですよ。でないと、いつか取り返しのつかないことになりそうです。なりそうというか、高確率でなります」
「エリムまで!?」
「この世界の常識をまだ身につけていないのなら、なおさら気をつけてください。以前暮らしていた世界のことはわかりませんが、そんな薄着で森の中を歩いたり、ましてや、あんな厳めしい男たちに声をかけたりするなんて、もっての他です」
会って間もない奴に、ここまで言われるなんて。
オレって、そんなに危なっかしいか?
「や、でも気づいたらこの恰好だったわけで、オレも好きでこうしてるわけじゃ」
「そうなんですか。生前そのままの恰好ではないん――……」
途中で何かに気づいたのか、エリムが言葉を止めた。
そして、あからさまにオレから目を背けてしまう。
「何?」
珍妙なリアクションの理由を尋ねると、エリムは答える代わりに、羽織っていたポンチョみたいな外套を脱ぎ、無言でオレに差し出してきた。
「着ろってこと?」
こくこくと、しきりに頷く間も、オレと目を合わせようとしない。
その態度に、何故だか無性に苛立ち、それ以上に焦りを覚えた。
「おい、なんだよ? はっきり言ってくれないとわからないだろ」
オレは外套を受け取らず、詰め寄って問い質した。
それなのにエリムは、オレが近づけば近づいた分だけ逃げてしまう。
自分が人間以外の存在になってしまったせいか、人に避けられるということが、今はどうしようもなく怖い。自分に非があるのではないかと不安になる。
「なんなんだよぉ……」
ワケのわからない仕打ちで、不安がピークに達しそうになっていると、ミノコがまたしても、尻尾で頭をぺちぺちと叩いてきた。
慰めてくれるのかと思い、オレは情けなく口をへの字にしてミノコを見上げた。
「モォ~ゥ」〈訳:乳首浮いてる〉
ミノコにそう指摘され、改めて自分の胸を見下ろした。
でかい。
じゃなくて。よく見てみると、確かにポッチが浮いていた。
……そうか。……ノーブラだと、こうなるのか。
オレが気づいたことに気づいたのか、エリムの顔が、さらに赤みを増した。
オレも元男だから、エリムの心境が手に取るようにわかる。
そうだよな。こんなの、指摘できないよな。
差し出されたままになっていた外套を、オレはそっと受け取った。
もそもそと、緩慢に頭を通していく。
装着完了。
ポッチは隠れて見えなくなった。
「…………なんか、ごめんな」
オレは自分の膝に視線を落として謝った。
オレもエリムも、次に何を言えばいいのかわからず、気まずい空気が流れた。
そんな中、ミノコだけが、ぺちぺちとオレの頭を叩き続けた。
ぺちぺち。
ぺちぺち。
あんまりにもしつこいので、オレは尻尾を手で振り払った。
「だーもー、ちゃんとわかってるってば!」
自分自身が危険な目に遭っただけじゃない。
オレのせいで、ミノコとエリムには大変な迷惑をかけた。
わかっているとも。オレがもっとしっかりしていれば、ミノコが戦う必要なんてなかったし、エリムが怪我をすることもなかった。
時間を戻すことはできない。大事なのは、ここから何を学ぶかだ。
かつて、古代ギリシアの哲学者ソクラテスも、アテネ市民に向けて言っている。
――テメエら、バカなんだから、まずはそこを自覚しなさいよ。
然り。
これは、女の道にも通じる格言ではないだろうか。
度重なる苦境を経て、オレは女の自覚が足りていなかったことを自覚した。
まだまだ女性歴数時間のド素人だけど。
乳首が浮いてることにも自分で気づけない未熟者だけど。
それらを自覚したことによって、女としての一歩目は踏み出せたはずだ。
なのに、ミノコは変わらず疑わしげな目を向けてくる。
「本当だってば。本気で悪かったと思ってるし、感謝してるんだよ」
反省している。後悔もしている。
「でも、よかったなって思えることもあるんだ」
「よかったと思えること?」
エリムの合いの手に、オレは照れ臭い気持ちを隠して答えた。
「この森で、エリムに会えたことだよ」
「僕に会えたことが、ですか? あ、はい、案内人を見つけたことですよね」
「いや、そういう意味じゃなくてさ」
「で、では、どういう意味なんですか!? 気になります!」
やけに食いついてくるな。
オレはエリムの剣幕に急かされるようにして、自分の気持ちを話していった。
「さっき言ったとおり、転生してすぐ、同じ魔物のはずのオークに襲われかけたと思ったら、その直後に、今度は人間からも似たような目に遭わされちゃっただろ。おかげで、もう何を信じていいのやら、わからなくなってたんだ」
人間たちからオレを助けてくれたのは、ミノコだった。
だけどエリムは、ミノコとはまた違った意味でオレを助けてくれた。
「人間の中にも、エリムみたいな奴がいてくれたから。見ず知らずの他人のために体を張ってくれる奴が、この世界にもいるんだってわかったから。だからオレは、こうして今も絶望せずにすんでるんだ」
ここでエリムと会っていなければ、オレは森を出ようという考えを捨てていたに違いない。冗談抜きで、この世界でも引きこもる羽目になるところだったんだ。
「だから……その……えっとな……」
小っ恥ずかしいことを言っているのはわかっているので、真っ直ぐエリムの顔を見られない。ちょっと親切にしてやったくらいで、何を大層に。面倒臭い奴だな、なんて思われてやしないだろうか。
現にエリムの奴、真顔になってしまっている。
「ええと、こんなの、本人に確認するようなことじゃないんだけど」
今からする質問が失礼に当たらないか、少しばかりの不安を抱えたまま、オレはエリムの顔色を恐々と覗き込むようにして、それを問いかけた。
「エリムのこと……信用しても……いいかな?」
「――――ぐッッッ!?」
質問した瞬間、エリムが自分の胸を苦しそうに掻き抱き、さらには地面に額を打ちつけるようにしてうずくまってしまった。
「ど、どうした!?」
「や、やられ……ました……」
「やられたって、あいつにやられた傷か!? 今頃痛み出したのか!?」
背中をさすってやろうとするが、エリムは「大丈夫……ですから」と、息も絶え絶えに言い張る。やせ我慢をしているようにしか見えない。
「あんなの……殺し文句……としか……」
「何ぶつぶつ言ってるんだ!? 震えてるけど、大丈夫なのか!?」
折れた肋骨が肺に刺さったとか、そんな一刻を争う事態を心配しているヨソで、ミノコが暇そうに尻尾を揺らしながら「モ~ォ~」と鳴いた。
「え? サキュバス怖い――……って何が!?」
意味不明なことを言って、ミノコは目を伏せてしまった。
エリムはエリムで、上目遣いがどうのと言いながら身悶えているし。
もう何がなんだか、ワケがわからないよ。
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