第11話 オレってば、超アウトロー

「もしもし? おーい」


 ボコにされて気絶した少年の体を揺すったり、頬を突いたりして何度も呼び掛けてはいるが、なかなか目を覚ましてくれない。

 癖の無い栗色の短髪に、全体的に線の細い体。ファンタジー世界の住人として、嫌みではない程度に整った顔立ちをしているものの、目元を飾るミニグラスが多少オシャレかなというくらいで、印象には残りにくい。

 モブ以上、主役未満。物語に登場するなら、いいとこ準レギュラーってとこか。


「オレ今、わりと酷いこと考えたな。とりあえず、小屋の中に運ぶか」


 悪漢どもを倒したのはミノコだけど、この少年は、オレを助けようとして怪我をしたわけだし、相応の誠意でもって介抱するのが筋だろう。

 オレは少年の左腕を自分の肩に回し、立ち上がろうとする。


「お、重……」


 が、半分くらい持ち上げたところで、にっちもさっちもいかなくなった。

 しまった。気を失っている人間は、起きている時よりも重く感じるとかなんとか――に関係なく、そもそもオレに力が無さすぎた。

 少年は細身で、オークみたいにガチムチマッチョなんてことはない。

 それでも持ち上がらない。

 泣ける。肩を貸すことすらできないって、どんだけか弱いの。

 あ、無理だ。やばい、落としそう。顔面から落としそう。


「ミノコ、ヘルプ!」


 手助けを求めるが、ミノコは興味なさげに「モゥ」と鳴いた。


「いや面倒臭いとか言わずに、お願い助けて!」


 ――助けて。

 そのフレーズに反応したのか、少年が突如、くわッ! と目を開いた。

 そして、


「女の子に乱暴はいけません!」


 なんてことを叫びながら、オレに飛び掛かってきた。

 こいつ、寝ぼけてやがる。

 体を張って盾になろうという献身的な行動なんだろうけど、今の貧弱なオレに、少年の体重を支えられるはずもない。押しやられるままに倒れてしまうだろう。

 オレ、今日だけで何回押し倒されにゃならんの?


 ハッ!?


 このシチュエーション、漫画で幾度となく見たことがあるぞ。

 躓いたり、出会い頭にぶつかったりした時に男女間で発生するアレだ。


 ――押し倒しからの、乳揉み!


 このラッキースケベめ。

 別にいいさ。好きにしろ。オレは普通の女じゃない。胸を揉まれたところでなんとも思わないし、「キャア、何すんのよ!」なんて悲鳴は絶対に上げない。

 残念だったな。大衆が求めるような可愛らしい反応を、オレは見せてやることができない。それでもよければ触るがいいさ。揉みしだくがいいさ。

 予想どおり、仰向けに押し倒されたオレの胸に、少年が手をついた。


 痛(いっ)。


「だあああああああッ!!」


 ほとんど条件反射で、オレは悲鳴を上げてしまった。

 同時に、マウントを取っていた少年の左頬に渾身の右フックを繰り出していた。

 少年は「ホゲェ!」と鶏みたいなしゃがれ声を出してオレの上から転げ落ちた。


 痛かった! 超痛かった! なんだよ今の、ワケわかんねえ!

 ……いや、考えてみれば当然か。自重を支えようと、地面につこうとしていた手で肉を押し潰されたんだから。そりゃ痛いに決まっている。


 すぐ隣で少年もまた、殴られた痛みにのた打ち回っている。

 漫画の描写なんかだと、不可抗力で胸を触られた女の子が、男の顔面を殴ったりしてるけど、あれって実は、恥ずかしさで手が出ているわけじゃなかったんだ。

「痛いだろうが。三倍返しだ、この野郎」的な、確固たる報復で殴っていたのか。

 色気もへったくれもないけど、やむなしだよ。

 だってこれ、やられた方は、マジでフザケんなよってくらい痛かったもの。

 また一つ、知りたくもない真実を知ってしまった。


「い、いきなり何をするんですか!?」


 オレが殴った頬を押さえながら、少年が抗議の声を上げた。


「何するんだ、はこっちの台詞なんだけど。人の胸、思い切り押し潰しやがって」

「え、じゃあ、今の……柔らかかったのって……」


 掌に残っている感触を思い出しているのか、少年が手をわきわきと開閉させた。

 やめろ、その手つき。


「ごご、ごめん! ごめんなさい! わざとじゃないんです!」


 えらい慌てようだ。人のこと言えないけど、ずいぶんと初心(うぶ)だな。

 てか、あの真っ赤になった顔を、オレがさせたのか……。

 あー。うー。

 なんて表現したらいいのかわからない、感じたことのない複雑な気持ちだ。

 赤みの取れていない顔で、少年がきょろきょろと周囲を見渡した。


「あれ? グンジョーさんたちは?」

「あの連中なら追い払ったよ」

「君が?」

「いや、アンタの後ろにいる奴が」

「後ろ? うわっ!! ミ、ミミ、ミノタウロス!?」


 はいはい。その反応、もう飽きました。


「そんな怖がらなくても大丈夫だよ。顔はかなり似てるらしいけど、別物だから。刺激しなければ大人しいんじゃないかな。多分」


 おどおどする少年をからかうように、ミノコが、イッ、と歯茎を見せた。

 少年が過剰にビクつく。ミノコからすれば、人間も小動物と変わらない。


「そ、そうだ、僕が気を失っている間に、酷いことをされませんでしたか!?」

「おかげさまで。誰かさんに胸を鷲掴みにされたくらいかな」

「ご、ごめんなさい。……でも、無事でよかった」


 見ず知らずの他人のことを本気で心配し、本気で安堵してくれている。

 優しい、いい奴なんだろうな。


「もう一度、ちゃんと謝罪します。怖い思いをさせて、本当にごめんなさい」


 少年は、オレがミノコにしたように、深々と土下座をして謝ってきた。

 少年の、これ以上はない低姿勢に驚くより先に、この世界でも、土下座が謝罪の作法として存在するんだな、なんてことを考えた。


「いいよ。もう気にしてないから」


 そう言ってやると、少年は、申し訳なさそうに顔を上げた。

 この少年は、オレにとって貴重な情報提供者となってくれるだろう。できるだけ良好な関係を築きたい。自然と、オレも正座をして少年と向かい合っていた。


「少し話がしたいんだ。いいかな?」

「あ、はい、なんでしょう?」

「気を失う前に言ったから覚えてるかもだけど、オレ、この森を出たいんだ」

「道案内が欲しいということでしたか?」

「そう。できれば、住む場所の目処が立つまで面倒を見てもらえると……」


 なんて。無一文だし、さすがにそれは厚かましいか。


「もしかして、人間の町に入るつもりなんですか?」

「やっぱ、まずい?」


 人間と魔物。これらの種族関係が一筋縄ではいかないであろうことは、さっきの連中を見ていてなんとなくわかった。


「君……ええと、サキュバスさんは」

「その呼び方はやめて。好きじゃない」

「す、すみません。それじゃ、ええと、名前、お伺いしてもいいですか……。僕はエリム・オーパブといいます」

「エリムが名前で、オーパブが苗字?」

「そうです」


 ここでは名前を先に持ってくるのか。外国っぽいな。

 郷に入っては、郷に従うか。


「オレは、利一(りいち)蓬莱(ほうらい)。よろしく」

「リーチ・ホールラインさんですね。よろしくお願いします」


 おっと。なんか、ちょっとカッコ良くアレンジされてしまったぞ。

 蓬莱じゃなくて、ホールラインですってよ。カッコイイじゃない。


 実を言うと、蓬莱って難しい漢字だから、あまり好きじゃなかったんだよな。

 んー、どうしよう。

 生まれ変わったわけだし、名前も好きに変えちゃっても問題無さそうではある。

 親からもらった名前はそのままにして、苗字だけ変えちゃおうかな。

 いっちゃう? いっちゃいます?


 …………よし、決めた。

 心機一転するつもりで、ありがたくいただいちゃおう。

 今日からオレは、リーチ・ホールラインということで。

 にしし、カッケー。


「ちなみに、エリムは何歳?」

「16です」

「一つ年下か。敬語じゃなくてもいい?」

「もちろんです。では、僕はリーチさんと呼ばせていただきます」

「うん。それじゃ、改めてよろしく」


 オレへの罪悪感があるせいか、エリムからは、相手の優位に立とうという考えも圧迫感も伝わってこない。そのおかげで、わりと人見知りの激しいオレでも自然体で向き合うことができた。


「先に、こちらから一ついいでしょうか。いきなり不躾な質問になってしまいますが、リーチさんは、その……人間に害を及ぼそうと考えていたりは……」

「ないない。だってオレ、元は人間だから」

「へ、人間?」

「転生ってわかる?」

「転生ですか。噂くらいのものですけど、何十年かごとに、強い力を持った異世界の民が、転生者としてやって来るという話を聞いたことがあります。ただ、不思議なことに、いつの間にか行方知れずになって、あまり伝承には残らないそうです。僕も会ったことはありません」


 それはね、転生者が調子に乗ってはっちゃけすぎたばっかりに、一年と経たずにほとんどが死んでしまうからなのさ。

 でも安心した。転生という現象が認知されているなら話を進めやすい。


「信じられないかもしれないけど、オレ、その転生者ってやつなんだ」

「リーチさんが、転生者?」


 オレは、これまでの経緯をかいつまんで説明していった。

 向こうの世界で死んでしまい、転生という機会を得たこと。

 サキュバスの性質を受け入れられず、代わりにミノコが誕生したこと。

 サキュバスにされた原因はあまりにアホすぎて話す気になれなかったので、元男だと明かすタイミングだけ逃してしまった。


「そんなわけで、ついさっき転生して来たばかりなんだ。それで、ワケもわからず送り込まれたのが、この森の中ってわけ。ただいま絶賛迷子中」


 エリムは目をぱちくりとさせて、オレの荒唐無稽な話を聞いていた。


「どうかな、信じられそう?」

「そ、そうですね。正直に言いますと、半信半疑です。でもリーチさんが、僕たち人間の前に、なんの警戒もなく一人で出てきたことは、ある意味で状況証拠になると思います。それなりに知能の高い魔物なら、絶対に取らない行動ですから」


 絶対に、か。

 ごめん、ミノコ。全面的に、お前が正しかった。


「人間と魔物の軋轢は大きいんだな。人里で暮らすのは、諦めないとダメか……」


 魔物の集落とか、探せば見つかるだろうか。

 人間として生きてきたオレが、魔物社会に馴染めるとは思えないけど。

 というかですね。人間だった時でさえ、人間社会に馴染めなかったオレですよ? いきなり魔物社会でなんて生きていけるわけがない。

 ああこれ、詰んだかも。


「オークのように、一目で魔物だとわかる外見だったら無理ですけど――」


 意気消沈していると、エリムが思わぬ光明を投じてきた。


「リーチさんは角と翼も小さいですし、それさえ隠せば魔物だとバレることはないと思います。人間と暮らしている他種族もいないわけじゃないですから、逐一素性を検められたりはしないはずです」

「え、マジで!?」

「この、えっと、牛っていうんですか? 牛に関しては、初見で驚かれるのは仕方ないとしても、結局はミノタウロスじゃないわけですし。念のため、目立つ角だけ何かで覆い隠せば、ずいぶん雰囲気が和らぐはずです。角や翼の大きさが、レベルの高さを表す指標になっていたりしますから」


 レベル? この世界には、そういう概念があるのか。


「それじゃ、角や翼に気をつけさえすれば、オレもその魔物みたいに、人間社会で暮らしても大丈夫なのかな!?」

「あ、待ってください。喜ばせてしまった直後に言い辛いんですけど、そんな風に人間と暮らしている種族は、そもそも魔物とは呼ばないんです」

「どゆこと?」

「魔物というのは、人間に害を為す種族を指す言葉でして。ですから、人間が保護指定している種族――例えば、エルフやドワーフみたいに、人間と共存関係にある種族は、魔物という扱いにはなりません」


 おお、さすが異世界。エルフやドワーフもいるんだ。


「サキュバスは?」


 尋ねると、エリムが表情を曇らせた。


「……残念ながら、保護指定はされていません。サキュバスは、いたずらに人間をたぶらかし、堕落させる種族だと教科書にも明記されているくらいで」


 つまり、ばっちり魔物扱いされているってことか。決めつけるなよな。

 姿を変え、名前を変え、そして悪者扱い。オレってば、超アウトローじゃん。


「絶対に危害は加えないって、口頭で約束してもダメ?」

「国が種族単位で認可しない限りは……」


 あー、無理そう。


「じゃあ、もし魔物が人里にいるところを見つかったら?」

「人間を傷つける危険があると判断されれば、即刻討伐されてしまいます。敵意がなく、なおかつ意思の疎通が可能であれば、速やかに退去を命じられます。リーチさんだと、おそらく後者ですね」

「敵意がなくても強制追放か」


 まあ、討伐されるよりはマシか。

 なんて思えるのは、この短時間で度重なる修羅場をくぐったおかげだろうか。

 だけど、もしミノコが一緒じゃなかったら、今頃は……。

 そうだった時の状況が恐ろしすぎたので、オレは考えるのをやめた。 

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