第10話 主従確定
オレの腕を掴んでいた男の両脇を、背後に現れたミノコが、はむっと甘噛みするようにして咥えた。
「ぬおっ……だ、誰だ!?」
オモチャ売り場から幼い子供を引き剥がすみたいに、ひょいっとミノコは男を持ち上げ、そのまま首の動きだけで軽々と放り投げてしまう。
この場にいる全員の目が空を向いた。
高く、遠く。大の男が空を舞っている。
重力に従って落下していく中、男はわたわたと手足をバタつかせたが、バランスを取りきれずに10mくらいの高さから、ぐしゃりと地面に墜落した。
死んではいない。意識もある。
ただし、関節があらぬ方向へ曲がってしまった腕を押さえて悶絶している。
誰も彼もが、突然現れたミノコの剛力に声を失った。
最初に我に返ったのは、リーダー格のグンジョーだった。
「せ、戦闘配置ぃぃいいい!!」
グンジョーが叫び、足下に置いてあった槍を拾って後方に飛びすさる。
他の二人もそれに倣ってグンジョーの左右につき、矢を番(つが)えて弓を構えた。
対するミノコは、拘束から解放されたオレを庇うようにして前に出た。
「射殺せッ!!」
間髪容れず、グンジョーが指示を出した。
的は大きい。さほど距離も離れていない。素人でも当てるのは簡単だ。
矢が風を切る音と命中した音が、ほぼ同時に聞こえた。オレの位置からではよく見えなかったけど、放たれた矢は、間違いなくミノコに当たった。
「「……へ?」」
なのに、弓を引いた二人が、揃って素っ頓狂な声を出した。
その原因、当たったはずの矢が――――地面に落ちている。
外したのでも、打ち落としたのでもない。
単純に、当たったのに刺さらなかった。
二本のうち一本は、まるでコンクリートにでもぶつかったみたいに、ぽっきりと真ん中で折れている。
「な、なんだこいつ、普通じゃねえぞ!」
グンジョーが声を引きつらせた。
そう、異常だ。
風体からもわかるように、男たちも相当な場数を踏んでいる。わずかな攻防で、対峙している生物が異常な力を持っていることを悟ったに違いない。
「そ、その面貌、まさか、ミノタウロスに
構えていた槍を地面に突き刺したグンジョーが、腰に結んでいた布袋から、真紅に輝く水晶玉のような物を取り出した。
「ならば言葉は通じるか!? 通じているなら、心して聞け! この魔石には二等級の火属性魔法が封じられている! 対オーク用に用意してきた物だが、これ以上我々に危害を加えるつもりなら、貴様に魔石を使用する!」
この世界には魔法が存在する。
平時なら、その事実に目を輝かせられたのに。
グンジョーが、暗にミノコに対して撤退を呼び掛けているのは明白だ。
あの魔石とかいうアイテムは、多分、討伐任務で得られる報酬に見合わないほど高価だとか、そんな理由で、できれば使わずにおきたい代物なんだろう。
だけど逆に言えば、対オーク用ということもあり、そこそこ強力な性能を秘めているとも考えられる。
でも、ミノコなら。
オークですら、あっさりぺろりとたいらげてしまえるミノコなら。
ミノコはグンジョーの牽制も意に介さず、だからなんだとでも言わんばかりに、森を散策していた時と変わらない足取りで進行を開始した。
「やったれ、ミノコ! そんな奴ら、軽く人生後悔するくらい懲らしめてやれ!」
「ナ、メ、やがってぇ……。だったら望みどおり、灼熱の業火で骨まで燃やし尽くしてくれるわあああああ!!」
ソフトボール大の魔石を、グンジョーはオーバースローで全力投擲した。
どうやら一発限りの使い切りアイテムのようだ。ミノコの手前に叩きつけられた魔石は、まるでガラス玉みたいに粉々に砕け散った。
同時に、凝縮されていた炎が爆発的に膨れ上がる。
轟轟轟轟轟オオォォォッ!!
吹き荒れる大炎は、唸りを立てて渦を巻き、空を駆け上る巨大な火柱となった。
「ちょっ……!?」
これが、魔法。
そこそこなんてレベルじゃない。
想像していたよりも百倍過激だ。
山賊めいた輩が使うような物だから、てっきり熊や狼を撃退する護身用アイテムかと思ったのに、これではオークどころか、ドラゴンだって焼き殺せるんじゃ!?
離れていてもチリチリと肌を焼く熱波は、捕えた者を逃がさず、何者の侵入をも許さない。そんな意思を持っているかのように、炎の勢いは収まらない。
こんな凄まじい炎に巻かれて、生物が生き残れるはずがない。
「ミ、ミノコ……ミノコオオォォ!!」
「ぐわははは! さすが、奮発して20万リコもかけた魔石だけのことはある! サキュバスのお嬢ちゃんよ、覚悟していろよ! 魔石の分まで、その体できっちり払ってもらうからな!」
オレの……せいだ。
オレがミノコの忠告を聞かなかったから。
あいつは危険だと言って、止めてくれていたのに。
「怪我人が出ちまった以上、悠長に遊んでいるわけにもいかなくなっちまったぜ。まあいい、楽しみは後に取っておくとするか。おう、お嬢ちゃん、オークの居場所をさっさと教えろ。暴れねえよう、お前がしっかり見張っておくんだぞ」
「勝手なことを……。よくも……よくもっ!」
「くっくっ、魔物のくせに反抗的な目だな。調教しがいがあるぜ。だが今は自分の立場を考えろよ。お前は大事な商品だから、生かしてもらっているんだってことを忘れ……る……んなあっ!?」
突然、グンジョーが何かに気づいて目を剥いた。
オレも数秒遅れてそれに気づく。
渦を巻いて空へと上っていた炎の動きが止まっている。
かと思えば、今度は下方へ向かって流れ出す。
ヒュゴオオオオォォォォ!!
まるで、火中で強力な換気扇でも回しているみたいに。
炎の壁が薄くなっていき、その音は、より大きく、より鮮明に聞こえてくる。
それに合わせて、火柱がみるみる規模を縮小していく。
そして――。
渦の中心には、悠然と佇む白黒斑模様の巨影があった。
「……生きて……た」
どころか、体毛が防火耐熱仕様になっているのか、焦げ跡すら付いていない。
鼻の奥を突き抜けるような感動に、ふるる、と肩が震えた。
ただし、その喜びは、すぐに驚きへと変わった。
「炎を……食って?」
吸って、吸って、吸って、吸い込み続けている。
たった一度の吸気が止まらない。ミノコは、周囲一帯の空気を根こそぎ吸い尽くさんとするかのように、荒れ狂う炎を貪り食らっていった。
「胃袋だけじゃなく、肺まで四次元なのかよ」
最終的に、ミノコは一欠片の火の粉さえ残さず、グンジョーの放った魔法を完食してしまった。炎で温められ、春風のように心地良い風だけが辺りを漂っている。
ミノコは、ごちそうさまと言う代わりに、小さなげっぷと一緒に黒い煙を口から吐いた。肺の中が真っ黒になっていないか心配だけど、これは、あれか?
【全属性完全対応】とかいう能力の為せる技なのか?
ふと、グンジョーに視線を戻すと、口を馬鹿みたいにあんぐりと開けていた。
気持ちはわかる。
でも悪いな。ウチの牛、想像以上にチート生物でした。
炎すら食ってしまうビックリ性能に度肝を抜かれていると、ざしゅ、とミノコが後ろ脚で地面を掻いた。闘牛なんかが見せる、突進前の予備動作だ。
その後ろ脚が地を蹴った。
今生、初めて見せるミノコの疾走は、発射された砲弾のように真っ直ぐ、ぐん、ぐん、ぐぐん、と目標――グンジョーに向かって加速した。
「く、来るな、来るな!」
飛び抜けたパワーに対し、スピードは従来の牛と大差ない。
だとしても、ミノコの体重は、どんなに軽く見積もっても800kgを超える。
「来るなああああああああぐぬぉごっふぶるっぱっっっ!!」
そんな超重量級が、グンジョーのドテッ腹に容赦ないブチかましを喰らわせた。
口から内臓が飛び出そうな声を出したグンジョーの意識はそこで途切れている。
だけど、まだ終わらない。
ミノコは額にグンジョーを張りつけたまま、さらに突進を続けた。
馬のように、しなやかに飛び跳ねる走り方じゃない。
だが、立ちはだかる物は全て蹂躙する。一歩一歩にそんな力強さがある。
そして、それは進行方向にある丸太小屋も例外じゃなかった。
行儀よく玄関を使ったりしない。ミノコは、丸太を重ねて組まれている木壁を、勢いのまま突き破って行った。
「う、わぁ……」
自分が死んだ時の状況を、少し思い出してしまった。
ガシャゴシャボキグシャドゴンッ!!
けたたましい破壊音を轟かせながら小屋内を爆走したミノコは、またもや玄関を使わず、反対側の壁面を粉砕して外に飛び出してきた。
さながら、ウォール・マリアの内門を破壊した、鎧の大きい人のように豪快に。
そこで、ようやくブレーキをかけた。
ミノコの足下に、見るも無残なボロ雑巾のようになったグンジョーが、ぼとりと落ちた。まだしぶとく生きている。血ダルマになってぴくぴくと痙攣しているし、あちこち骨折していて虫の息ではあるが。
トドメを刺すつもりも、召し上がるつもりもないようで、ミノコはグンジョーを放置してオレの所へ戻って来た。食後の軽い運動をしてきたとばかりに、もふ、と欠伸をしながら。
「ば、化物だ!」
「助け、殺さないで!」
まだ五体満足な男が二人いるけど、みっともなく悲鳴を上げるだけで、戦う気概は既に無いようだ。弓を構えることもせず、その場にへたり込んでいる。
オレは男たちに、見せつけるようにしてミノコの頭を一撫でした。
あたかも、オレが意のままに使役していた風を装って。
そして残った連中を冷たく、魔王にでもなったつもりで睨みつけた。
「お前たちの顔も匂いも全部覚えた。これで、どこに隠れていても見つけ出せる。こいつに食われたくなかったら、ここで見たことは他言するな」
口からの出任せだけど、男たちは、自分が頭からむしゃむしゃと齧られるところを想像したのか、顔面蒼白になってしきりに首を縦に振った。
虎の威を借る狐ならぬ、牛の威を借るサキュバスだ。
口止めをしたのは、思っていた以上に人間と魔物の関係が悪いと知ったからだ。
こいつらは、オレが魔物だとわかった途端に豹変した。
だから決めた。オレは正体を隠す。
人間の前では、絶対に魔物であることを明かさない。
「わかったら、仲間を連れて、さっさと消えろ。命があるうちにな」
言い捨てると、男二人は雷に打たれたように立ち上がり、一人はグンジョーを、もう一人は、ミノコにブン投げられた男を回収して、脱兎の如く林の中へと逃げて行った。気絶している少年は、可哀想に、置いて行かれた。
「薄情な奴らだ」
結局、森を抜ける道は聞けなかったけど、それは少年の目が覚めたらでいいか。オークや今の連中よりは、話が通じると思うし。
しかし、なんだな。
死ぬほど嫌な目に遭いはしたけど、結果的に悪党を懲らしめたわけだし。
終わり良ければ全て良し、とまでは言わないけど、案外悪くない気分だ。
最後のオレの台詞とか、かなりイケてなかった? オレにはヒーロー願望なんて無いと思っていたけど、うん、勧善懲悪って気持ちがいい。
「ふへへ。ミノコ、よくやったぞ。褒めてつかわす」
なんちゃって。
有頂天になっていると、ミノコがこれみよがしに、モフゥ~、と溜息をついた。
そのつぶらな瞳が、「他に言うことがあるんじゃないのか?」と言っている。
はい、そうでした。
自分のしでかした愚行を思い出したオレは、ミノコに対して平身低頭した。
これぞ謝罪の究極形、土下座だ。
「オレが馬鹿でした。オレが軽率で愚かだったばかりに、このような事態を招いてしまったことを深く反省いたします。まことに申し訳ございませんでした」
「モォ」
「いえ、滅相もありません! ミノコの、いや、ミノコ様のありがたい忠告を聞かなかったオレにこそ、全ての責任があります!」
「ンモ~ゥ」
「はいまったくもってそのとおりです! 自分では何一つできない能無しの分際でミノコ様のお手を煩わせてしまったばかりか、その後の調子に乗った発言は極刑に処されても文句は言えません!」
どっかりと腰を下ろし、説教タイムに入ったミノコが、オレの頭を尻尾の先で、ぺちん、ぺちん、と叩いてくる。
全然痛くはないんだけど、言い訳の余地もないくらい、一から十まで全部オレが悪いので、ただひたすら謝罪するしかできない。
「モゥォ~ゥ」
「女としての自覚と危機感……ですか。そう言われましても、長年男として生きてきたので、一朝一夕で身につくようなものじゃ――あ、はい、口答えしてすみませんでした! 善処しろってことですよね!? オレってば、ホント察しが悪くて!」
この後しばらく、ミノコが機嫌を直してくれるまで、オレは平謝りを続けた。
ああこれ、確定しちゃったかも。
…………主従関係。
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