第6話 その展開は誰もが予想していた
オークというのは種族名であって、個を表す名前じゃない。
このオークにも個別の名前があるのかもしれないけど、オレは訊かなかったし、オレも自分の名前を名乗ることはしなかった。
相手の良いところ、悪いところをよく知らないうちから嫌うのはよろしくない。頭ではわかっている。だけどさ、生理的に、あまり友達にはなりたくない相手っていうのが、どうしたっているじゃない?
「グフッ……グッフ」
ミノコを警戒しているかと思いきや、オレを見てニヤついたり。
黙々と前を歩いているかと思いきや、いきなりくぐもった笑いを浮かべたり。
不気味すぎる。
オレは道中、極力オークと目を合わせないよう努めた。
オークの案内で獣道を進み、沢を一本またいだ先に、アルプスの高原を思わせる見晴らしのいい場所があった。
空も開けていて、日の光がたっぷりと注がれているからか、緑の絨毯には黄色いコスモスみたいな花が無数に咲き誇り、風を浴びて首をしなしなさせている。
草花の香る中にいると、まるで自然の懐に抱かれているような心地に浸る。
こういうのどかな場所で、牛の放牧をしながら余生を暮らすのも悪くないかも、なんてことを考えた。オークと一緒は、ちょっと、いや、かなり遠慮したいけど。
「着いだゾ」
景観を損なうことなく、ぽつんと建てられた一軒の小屋。
オークの格好からして、てっきり穴倉か洞窟などで原始的な暮らしをしているのかと予想していたけど、招待された小屋は立派とは言わないまでも、意外なほどにまともなログハウスだった。ちゃんとした玄関が設けられ、ガラスをはめ込んだ窓がついている。
家主であるオークが玄関の扉を手前に引いて開け、腰を曲げてくぐった。
オレはミノコの背中から降り、足の裏を払った。
地面に立つと、余計にオークの大きさが際立って見える。
身長差は70~80cmといったところか。2mを優に超え、分厚い筋肉に覆われたオークの体重は300kgに達しているだろう。片や、50kgしかないオレの六倍……じゃない。今はこれ、45kgないですわ。胸はやたら重いのに。
「はぁ……」
女の全部を卑下するわけじゃないけど。
持てた物が持てなくなる。届いた物に届かなくなる。
できたことに制限がかかるという事実に、溜息をつかずにはいられない。
「どう、しタ?」
「あ、や、なんでもないです。お邪魔します」
なんにせよ、なるだけ
「ミノタウロスも中に入れていいですか?」
「どうしで、わざわざ確認スル?」
「体が大きいので、一応許可を」
「構わナイ。早ぐ入レ」
よかった。外で待たせろとか言われたら、どうしようかと思った。
オークと個室で二人きりなんて、とても間がもたない。今だって、地面に立ったオレを上から下までじろじろと、遠慮の無い視線を何往復もさせてくる。
オークは今、何を考えているんだ?
いや、考えられることなんて一つしかない。
「オレの戦力を見極めるつもりだな。そうはさせないぞ」
オークには聞こえないくらいの声で呟くと、ミノコが「何言ってんの?」とでも言いたげに首を傾げた。オレが危ない真似をすると思ったんだろう。スキを突いてオークをふん縛り、食料を奪取するとか。
「大丈夫。相手にナメられないよう気をつけるだけだから」
「……モォウ」
ならいいけど。かな。
オレから何か仕掛けるつもりなんてない。オークは本当に親切にしてくれているだけで、他意はないのかもしれないし。
オークからすれば、サキュバスであるオレが、ミノタウロスを家来として従えているように見えるだろう。もしかすると、オレがミノタウロス以上の強さを秘めているのやも、と勘繰っているのだと考えられる。
そう思わせていることが、オークを大人しくさせているのだとしたら。
バレた時、騙して高圧的な態度を取ったことを怒って暴れ出すかもしれない。
それを考えると、このままブラフをかけ続けるのが得策か。
「顔色、悪いゾ。疲れでいル、のカ?」
「そ、そんなことないですよ!? こう見えてオレ、格闘技やってたんで! かなり鍛えてるんで! 体力もありまくりなんで!」
ボクシングの構えを取り、しゅっしゅっ、と見様見真似で拳を突き出した。
もちろん大嘘。喧嘩すら、幼稚園児の頃におやつの奪い合いをしたのが最後だ。
気遣う素振りをみせたオークは、オレの虚勢パンチに目もくれず、視線を下げて足を凝視してきた。ステップも踏んだ方がいいだろうか。
「そうカ。鍛えでいルのカ。グフッ、グフフ」
そう言って、またもや舌をじゅるり。
うぞぞぞぞぞぞぞ。
大量のムカデが、足下から這い上がってくるような怖気に襲われた。
さっきから、なんだ、この意味不明な気持ち悪さは。
種族が変わったからなのか。性別が変わったからなのか。人間の男だった時には味わったことのない不快感がつきまとって離れない。
「食べ物、持っでくル。適当に、座っでいろ。食えナイ物、あるカ?」
「……生肉なんかは、ちょっと」
「グフッ。わがっタ」
好き嫌いまで律儀に確認を取ったオークが、小屋の奥へ消えて行った。
オレのファイティングポーズにオークが怯んだ様子はない。早くも余裕風を吹かされているように思える。こっちの脆弱さを、早くも見抜いてしまったのか。
「くそっ、主導権は渡さないぞ」
ギリッ、と奥歯を噛みしめていると、ミノコが、やれやれ、とでも言わんばかりのニュアンスで「……モッフ~」と溜息をついた。
気を引き締め直して、オレも玄関を跨いだ。
そこまで扉が大きくないので、ミノコは横腹をこすっていた。
小屋に入ってすぐ、その散らかりように眉をしかめた。
せっかく閑静な別荘地といった趣のある家屋なのに、掃除が行き届いていない。
使っている形跡のないテーブルや食器棚には、埃が積もって白くなっている。
ただ、家具やイスの数から察するに、あのオークが一人暮らしだとわかった。
これには安心した。
他に仲間がいては、さすがに主導権を維持するのは難しいからな。
「適当に座れとは言われたけど」
埃まみれの床には座りたくない。一つしかないイスを使うのも気が引けたので、オレは部屋の端にあるベッドに腰を下ろさせてもらった。
すぐ傍に、ミノコも足を畳んで座り込んだ。その背中を梳くように撫でてやる。
「モォ~ゥゥ」
「お腹空いたって? オレもだよ。もうすぐだからな」
だいぶ、ミノコの言っていることが理解できるようになってきた気がする。
それはそうと。
「この小屋、なんか気になるんだよな」
でも、違和感の正体がわからない。
きょろきょろと内装を見渡していると、天井に頭がつきそうなオークが、木製の大皿に食料をこんもりと乗せて運んできた。
「持っできたゾ」
床に置かれた食べ物は、向こうの世界でも馴染みのある物ばかりだった。
リンゴやバナナなどの果物。サツマイモやトウモロコシといった穀物。
どれも調理はされておらず、素材そのままだけど、ここまでちゃんとした食料を出してもらえるとは思わなかった。オークは農作が得意なんだろうか。
「たんど食エ」
自分は食べず、オレたちの食事を見守るつもりなのか、オークはどっかりと床に胡坐をかいた。ニヤニヤとした顔は、たまにではなく、常時になった。
まさか、グリム童話の【ヘンゼルとグレーテル】に登場する魔女みたいに、オレたちを太らせて食うつもりじゃないだろうな。なんてことを考えてしまうくらい、オークの下卑た表情は直視に耐え難いものだった。
食べたら、さっさと出て行こう。
ベッドから降りたオレは、正座をして大皿からリンゴを一個取った。
サツマイモやトウモロコシを生で食べることには慣れていないので、残りは全部ミノコの前に置いてやった。食べてくれるか心配だったけど、鼻をヒクヒクさせて匂いを嗅いだ後、ミノコがサツマイモにかぶりついた。
「美味いか?」
「ン~モォ」
食えないことはない。だって? 贅沢な奴だ。
ただ、これだけの量があっても、ミノコには物足りないと感じるだろう。
なんとかして、ミノコの食事を一定して、大量に用意できる環境を整えないと。そのためにも、こんな森の中で、いつまでもうろうろしているわけにはいかない。
「オメは、食わナイのカ?」
「あ、食べます。いただきます」
さて、オレの方は。
人間だって食事が偏れば、いつかは栄養失調なりで体を壊す。
だけど腹は膨れる。サキュバスはどうだろうか。
もしかすると、犬が玉ねぎを食べるみたいに食中毒を起こす、なんてことは。
考え出すと怖い。これから毒リンゴでも食べようかってくらいの緊張感がある。
でも、いつかは確かめなきゃいけないことだ。
オレは意を決し、かしゅっ、とリンゴを一齧りした。
「もむ、もむ。…………うん、うん!」
味覚は人間の時と変わっていない。思わずガッツポーズを取った。
ただし、喜んだのも束の間。
飲み込んだ時に、やはりオレの体は、前とは別物になっているのだと知った。
腹に下りてくる感覚がない。
二度、三度とリンゴを齧っては飲み込んでみるが、何度やっても同じだった。
味はある。なのに、綿菓子でも食べているみたいに腹にたまらない。
これでは、いくら食べても腹が重くなっていくだけで、空腹感はなくならない。
くそ。
くそっ。
これがサキュバスの体なのか。なんか、また泣きそうだ。
「不味かっダ、のカ?」
表情を曇らせていたせいで、オークが不審に思っている。
オレは、ふるふると首を横に振った。
食べられないわけじゃない。それだけでも良しと考えよう。
「いえ、美味しいです。これ、アナタが作ったんですか?」
「違ウ。それを作っダのは、人間ダ」
「人間と交流してるんですか!?」
ビックリして、まだ半分残っていたリンゴを床に落としてしまった。
なんてこった。オレはオークの社交性を見くびっていた。
さっきは森での放牧生活もアリかなーなんて、一瞬引きこもり気質が頭をもたげたりもしたけど、やっぱり生活の利便性を考えるなら人里で暮らしたい。
よし、ミノコが食べ終わったら、すぐにでも出発しよう。そうしよう。
オークに人里まで案内してもらって、そこでオレのことを紹介してもらうんだ。
などという前向きな考えは、続くオークの言葉で霧散した。
「殺しで、奪っタ」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
オークは、おかしなことは何も言っていないとばかりに平然としており、オレが床に落とした食いかけのリンゴを摘まみ上げ、ぱくりと自分の口に放り込んだ。
殺す。
奪う。
オークの言ったことを、一つずつ噛み砕いてみた。
それをしたところで、平和的な意味に変わることなどありえなかった。
「どういう、こと?」
理解できているのに、信じたくなくて、オレは間抜けにも訊き返した。
「ときどき、森を人間の行商が通ル。中には、ろぐに護衛もつげナイ馬鹿がいル。グフッ。人間殺ス、楽シイ。酒を積んでいル時は、運がイイ」
同じ魔物であるオレには、それが武勇に聞こえるとでも思っているのか。
自分の戦果を誇るように、オークは嬉々として語った。
……ああ。
そういうことだったのか。
ここへ来た時からこびりついていた違和感の正体が、やっとわかった。
腰を曲げなきゃ入れない扉。
頭がつきそうな低い天井。
イスも、テーブルも、オレの後ろにあるベッドも。
どれもオークには小さすぎる。全部が人間に合わせたサイズなんだ。
前に住んでいた人は?
答えのわかりきった質問をする気にはなれなかった。
笑顔が致命的に下手くそなだけであってくれたら、どれだけよかったことか。
転生支援課の職員が言ったことは嘘じゃなかった。
この森は危険区域で正しい。その原因が、目の前にいる。
「……ミノコ、そろそろ行こう」
自分が人間じゃなくなったのだとしても。
オークが魔物にだけは良心的なのだとしても。
元人間のオレには割り切れない。
人間を楽しんで殺している相手とは慣れ合えない。
「もう食わナイのカ?」
「ごちそうさま。案内はいらないんで、森を抜ける道だけ教えてください。約束はできませんけど、食べ物のお礼はいつか」
このモンスターと、もう一秒でも同じ空気を吸っていたくない。
オークと視線を交わさず、立ち上がった。
そんなオレの肩を、オークが乱暴に手で突き飛ばした。
ぼすん。
と、オレはベッドに仰向けに倒されてしまった。
「何をす……っ!?」
カッとなって上体を起こそうとするが、それよりも早く影が覆い被さった。
オレの体を跨ぎ、馬乗りになる形でオークもベッドに上がってきた。
ギギッ、とベッドの足が重みで軋んでいる。
「礼なら、今ここでシでもらウ。グフッ、グフフッ」
「わ、悪いけど、今は何も持ってない」
「オメ、ここで、オデと暮らス。オデのヨメにスル」
「……ハ?」
今、なんて言った? 滑舌が悪くて、よく聞き取れなかった。
暮らす、まではわかった。断固としてノーだけど。
問題は、その後。ヨメとかって言われたような。
ヨメって何? 嫁? お嫁さん? オレが? オークの?
いやいやいや、ないないない。絶対に聞き間違いだ。
嫁とか、それだとプロポーズじゃないか。はは、自分の空耳にウケる。
「ごめん、もう一回頼む」
「ヨメにシて、交尾シて、オデの子、産ませル」
絶句した。
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