5話 雨

それからというもの毎週金曜になると習慣のごとくクリスタとはライブが終わった後にラーメンを食べることが続き、気づけば2ヶ月が経とうとしていた。

相変わらずギターケースの中は100円を切ったり切らなかったりと結果は振るわず、お互いに1000円ちょっとを押し付け合い、最終的には友也が出す形になっていた。




「なあ友也きゅ〜ん、なんか俺に隠し事してないかあ?」




そんなことを川口が言い始めたのが木曜日の昼休みの食堂でのことだった。

アスリート体系のマッチョに肩を組まれると、なんというか擬似的なカツアゲをくらっているかのようだ。友也きゅんはやめろ。




「別になんも隠してないよ。むしろ何か隠すことが起きてほしいと思ってるぐらいには」



「いやいやいや、それはないっしょ。つうかバレバレだって。金曜にそわそわしてるのはいつもだけど、最近は水曜あたりからそわそわしてるし」



「してない。してるとしたらそれは企画書の期限とか会議の打ち合わせとかそんなだよ」



「女か?!女が出来たのか?!おろろろろ...お前とは隠れ童貞同盟を結んでいるというのに!!」



こいつは人の話を聞いているのかと溜息をつく。泣いたフリをしながら、くわっ!と目を見開き縋り付く様に慣れている自分が怖い...

そして川口と友也は童貞である。友也は上手いことその手の話題からは逃げている為、公にはなってないが、川口は自ら打ち明けるという猛者でもある。隠れてないよ。

というより魔法使いになるまでカウントダウンの二人である。




「女とかないから。いいから早く飯食ったらどうだ?」




川口はこの体格故なのか弁当を一つ食べた後に、まだコンビニのチキンとおにぎり二つ残している。



「あと15分あるから余裕だって!むしゃむしゃ...」



「むしゃむしゃて...んじゃ先に戻るわ。午後イチで企画提出しないといけないから」




食べ終わった弁当を持って立ち上がろうとすると、




「そういや、今日の夕方くらいから雨降るらしいから傘買っといたほうがいいぞ」




ああ、と外を見ると曇り空。既にガラスには細かい水滴がポツポツと音を立てていた。







川口の言った通り雨になった。雨はその日の夕方から雨脚が強まり、金曜日になっても止む兆候はなかった。

どしゃ降りとはいかなくても傘が無ければ1分でびしょ濡れだろう。




「おっ、友也ももう上がり?」



「ああ、そうだよ。歯、白っ」




ニカッと笑う川口に答えると、それはニヤリと表情を変える。




「じゃあ、今日は飲みに行けるな!友也はいつも雨の日にしか付き合ってくれねぇから待ってたんだぜこのときを!」



「あぁ...そういえばそうだ。最近はずっと晴れてたしな。それじゃ行こう。」



「よっしゃ!実は最近見つけたいい店があって––––––」




お互い嬉々として会社を出ると、あそこの店は何が美味いとかどこそこの店員が可愛いだとかムカツク上司だとか、そんな話で盛り上がる。



「–––そんでさあ、うざいんだよあの課長!『お前は脳みそまで筋肉で出来てるのか?!』だってよー。全く失礼しちゃうぜ!」



「いや、それはお前が悪いよ」



「え?!マジで?!っあ、ここだ、ここ」



川口という男は信頼した人の言葉は受け止めるが、そうでない場合は否定するという側面もある。

しかし、指摘すると案外すんなり受け入れる柔軟性ももっていた。中々可愛いところもある。ホモではない。


傘を畳んで店内に入るとなんの変哲もない居酒屋で敢えていうなら少し古めで年季の入ったテーブルが並んでいた。




「おばちゃん!とりあえず生二つね!」



「あいよー」と元気なおばちゃんの挨拶とともに席に案内され腰を落ち着けると、不意にだがクリスタのことを思い出す。


こんな雨の日にわざわざ行くわけがない。

たしかに八百屋のシャッター前で僅かな雨避けがあるものの木製のアコースティックギターは傷んでしまうし、この雨量だと雨音で碌に歌も聞こえないだろう。

それぐらいわかってるはず。それぐらい中学生でもわかるはず、それに別に約束してるわけでも–––––––––




「–––––也!おーい聞こえてるかー?」



「うぉっ?!びっくりした...」



「おぉう?!むしろ俺がびっくりしたよ。ほら、乾杯しようぜっ」




いつのまにか届いたジョッキで乾杯。

コンッと小気味良い音と共にビールを煽ると二人息を合わせたかのように「ぷはぁ〜っ」と息を吐く。


店で飲む酒は格別だ。やはり缶ビールとは違う。美味い、美味いのに...


クリスタ。毎週金曜になると八百屋のシャッターの前でしゃがんでいる。銀色。


最近はライブが終わると『へたっぴ』とか『今日はいい感じでした。10点!もちろん、100点満点で』とか『見てください。今日はいよいよ私しかいませんね、流石です』とか言う小生意気。




「ほれっこれ旨いんだぜ。揚げ出し豆腐と季節の魚介盛り合わせ」




差し出され言われるがままに咀嚼すると揚げ出し豆腐はカリッとした外側の衣にじゅわっと豆腐がとろける食感。味付けも抜群で鼻から抜ける香りに生姜の香りが混ざって、




「ん、んーまいっ...!!」



「はい!んーまいっいただきましたぁあああああ!!」



「うるさっ」




美味しいし、満足なんだけどうるさいぞ、川口。店員さんガン見だから。気付いてないみたいだけど。


じゃあ次は盛り合わせいこうかなーっと橋で狙いを定めていると、クリスタはこういうの好きなのかな?とか見た目の印象だと魚介より揚げ出し豆腐のほうが好きそうだな、とか考えてしまい箸が止まる。


さっきからちょくちょくあの銀色が頭の片隅からひょっこりしてくるせいで、全然楽しめていない。



「...友也。」



「...ん?」



「なーんか気になることあんじゃねえの?さっきからぼーっとしてるしよ...」



川口は意外に鋭い。その鋭さは仕事にも生かされていて、友也も優秀だと先輩方から評価してもらえることが多いが、対人関係において最も優秀なのは川口だった。




「あはは、そんなことないよ」




そう言葉を返すと、




「じゃあ何考えてたんだ?」



「あー...えーっと...」




言葉が出てこない。なぜか今はいつもの調子の軽口で返すことは出来なかった。




「わかった。いいよ、行けって。なんか気になることがあるんだろ?大事なこと」



「いや、そんな大事でもないよーな気もするっていうか、取り越し苦労だろうし...」



「さっきはああ言ったけど、無理に言わなくていいっつの!

大事にしてることとか大事にしたいことってその時には気付かないもんだ。大体無くなった後に大事だったって気付くんだよ。

だから今わかんないんだったら...行っとけ」




ぶすっとしたかと思えばニカッと笑って、川口はたまにかっこいいことを言う。




「まっ、この前ドラマの再放送で言ってたのそのまんまだけどなっウハハハ!」




それは蛇足だ!なんて思いながら感謝する。

気が付いたら5000円札をテーブルに置いて席を立っていた。




「すまない!次は何か奢る!!」



「あいよーっ」




勢いよく店の外へでる。時間は20時15分。

次の電車に乗れば21時にくらいに着く。


取り越し苦労ならそれでいい。勘違い野郎だって今度会ったときに笑ってもらおう。キモくていい。


ただ、ただ心配で。あのとき、『家に帰りたくない』と言ったあの言葉。

本当は交わしたどの言葉よりも鮮明に残って頭にべったりと張り付いていた。

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