1-2 『心』というもの
ネジはなかった、用事は済んだ。
あとは結果を伝えに、リリヤの研究所に向かうだけである。
ツァーリがそうやって道を歩いているときだった。ツァーリに掛けられた声があった。
「わぁ、お人形さんだお人形さんだ! 機械仕掛けなの? すごいねぇ!」
声を掛けてきたのは白金の髪に空の青の瞳をした、十歳くらいの外見の少女だった。ツァーリは少女に向き直る。
「何か御用ですか」
すると少女は驚いた顔をして、不思議そうにツァーリを覗き込んだ。
「わぁわぁ、喋るんだね! すごいんだねっ! ねぇねぇ、キミの名前はなんて言うの?」
「……ツァーリです」
「ツァーリ……くん、でいいのかなぁ。ティティはティティだよ。あのね、ティティね……」
「ボク、用事があるんですが」
ツァーリは困ったような顔になるように顔のパーツを動かした。
『余計なことには関わるな』というのがリリヤの信条で、それはツァーリのプログラムにもしっかりと書き込まれている。ツァーリの頭脳は今この場所からいかにして迅速に離脱するかを考え始めた。
ツァーリは走ろうと思えばそれなりに走れる。しかし大きな動きをするとツァーリの中を流れる動力源である特殊な燃料を消費してしまうため、走って逃げるにしてもタイミングが重要だ。
それに問題はもう一つある。それは埋めようとしても埋められない圧倒的な体格差だった。ツァーリは全長50センチくらいなのに対し、目の前の少女の身長は130センチほど。こんなに身長が違えば一歩の大きさも当然ながら変わってくるわけで、走って逃げてもそのハンデがある限り、すぐに追いつかれてしまうとツァーリは見た。
そういった場合の対応策は、『可能な限り迅速に相手を満足させてやること』だ。相手が満足すればきっと解放してくれるだろうから、与えられた任務を達成するためにはそれが最適だとツァーリは思った。
ティティはツァーリの言葉に拗ねたような顔をした。
「えー、もっとティティと遊んでよぅ」
「わかりました」
彼女が飽きるまで対応し続けるしかなさそうである。
ティティと名乗った少女はそれに機嫌を良くして、ハイ、と元気良く手を挙げた。
「じゃあ、ティティからツァーリに質問だよ! ツァーリはお喋り上手だけれど、ツァーリは心を持った機械なの?」
「ボクに心はありません。ボクの言動はすべてマスターのプログラムしたものです」
えー、それじゃあつまんないとティティは頬を膨らませた。
それでもめげずに彼女は質問を続ける。
「質問だよ! ツァーリの言ってる『マスター』ってどんな人?」
「天才技術者のリリヤです」
「あ、ティティ、聞いたことあるよ! 町の向こうの研究所に、ひとりで住んでいるんだよね? ねぇね、リリヤってどんな人?」
「気紛れで面倒くさがりですけれど、やるべき時はちゃんとやる。適当に見えても良い人ですよ。ただし極度の人間嫌いですが」
へぇ、とティティは頷いた。好奇心が満たされたらしい。
ならばもう帰ってもいいかなとツァーリは思い、そろりそろりと動き出そうとした時。
予想外の、言葉のカウンターを食らった。
「……ねぇ、ツァーリ。キミは心があるんじゃないの?」
「……は?」
驚いて、ツァーリはティティを見つめた。彼女のつぶらな瞳には、新しいことを発見できた嬉しさがあった。
彼女は、言うのだ。
「だってだって! ただの『プログラミングされた思考』じゃ、人の性格とかその人が良い人とか悪い人とかそんなのハンダンできないよ! そういったことができるのは、キミが心を持った機械だからなんじゃなぁい?」
「そんな、こと……」
心を持った機械。そんな話をツァーリはリリヤから繰り返し聞かされた。
その人の本当の思いが、強い願いが込められた機械には、心が宿るという話。
リリヤはプログラミング通りの動きしかしないツァーリを見て、口癖のように言っていた。
『お前はこの天才たる僕が真心こめて作った機械なんだ。心が宿らないはずがないのさ』
その言葉を聞きながらも、ツァーリは心とは何だろうと考え続けていた。
リリヤは気づいていた。いつしかツァーリが、プログラミングされたこと以外の行動をするようになったことに。けれどあえてそれを口にせず、いつもの口癖を呟いていた。それはツァーリ自身に、自分に心が宿ったことを理解させるためだった。
天才技術者リリヤの作った機械人形ツァーリには非常に優秀な頭脳が搭載されており、覚えこまされた会話パターンは千万通りを超える。その膨大な会話パターン、思考パターンのお陰でツァーリは普通の人間とも自然な会話が行えるのだが、これまでのその会話には、思いがなかった、感情がなかった。覚えさせられたパターンを機械的に繰り返しているだけだった。それなのに。
ツァーリは自分の言動をかえりみる。
『気紛れで面倒くさがりですけれど、やるべき時はちゃんとやる。適当に見えても良い人ですよ。ただし極度の人間嫌いですが』
その言葉の中には、プログラミングされたパターン以外のものが含まれてなかったか。
人間嫌い、はリリヤの情報として持っている。気紛れで面倒くさがり、というのも、リリヤに対する周囲の評価だ。しかし、『適当に見えても良い人』というのは? そんなこと誰も言ってはいなかった。誰もリリヤに対してそんな感想を口にしていなかった。
外部から入ってきたわけではない情報。それでいてリリヤから覚えこまされた情報でもない情報。それはどこから来たのか? 外部からでもリリヤからでもないならば、それは――。
「……ボクの、中から、ですか?」
驚いて、ツァーリは数歩後ずさった。自分の胸に触れてみる。ツァーリのボディに熱を感じるセンサーはあるが、ツァーリ自身が機械でできているためにそのボディは冷たい。ツァーリのセンサーも冷たさを検知した。
心を持つのは、意思を持つのは。冷たい物体ではないはずだ。温かい血の流れる人間であるはずだ。それなのにツァーリは、自分の心の中から生まれたとしか思えない台詞を口にしていて。
驚き、という感情をいつの間にか生まれていた心の中に広がらせるツァーリを見て、ティティはにっこりと笑った。
「ね、あるでしょ、心。ティティ、知ってるもん。心を持った機械だって、あるんだよ。ツァーリは心を持っていたんだよっ!」
「……ここ、ろ」
「そう、こころ!」
ティティは嬉しそうに飛び跳ねて、ツァーリの手を取って踊ろうとした。しかし全身機械のツァーリは小さな見た目に反して随分重い。ティティはうまくいかずにすっ転んでしまい、ツァーリはそんな彼女を助け起こした。
そして気づいた。
そんなこと、プログラミングされてはいない。
没交渉不干渉を貫くリリヤは、『転んだ女の子を助ける』なんて、そんな行動原理なんてツァーリに教えてはいないのに。
自然に出た行動、自然に出た、『助ける』ということ。
プログラミング外の行動。
それが心があるということなのか。心があるからこそそのような行動ができるのか……。
驚き、戸惑う彼にティティは笑いかけた。
「ありがとうっ!」
怪我なんてしていないような彼女を見、ツァーリはほっと『安心』した。そしてその感情に自分で戸惑った。
ようやく気付けた心の存在、全く知らない得体の知れない、カメラに映らない何かに、ツァーリはただ戸惑うばかりだった。
ただ、思ったこと。
(ボクが心を宿したことを知れば、マスターは喜んでくれるでしょうか?)
いつもの口癖を思い出し、そのことを話してリリヤが微笑むさまを想像して嬉しくなった。今度は戸惑わなかった。
ツァーリは受け入れることにした。
――これが、心というもの。
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