1-3 守りたい、という気持ち

 機械だって心を持つことがある。それはお伽話なんかじゃなくって、正真正銘の真実なのだ。

 ティティが、気付かせてくれた。彼女の言葉が気付きを与えた。

 ありがとう、顔のパーツを動かして笑顔を作って、ツァーリは彼女に感謝を伝えようとした、

 時。

「ティティ、そんなところにいたのか! いいから帰れッ!」

「きゃあっ!?」

「……ティティ、さん?」

 不意に現れた謎の影に、腕を掴まれ、目の前からティティがいなくなった。

 ふ、とマイクを音のした方に向けると、全身黒づくめの謎の男が、暴れるティティの腕をがっしり掴んで動けないようにしているところだった。ティティは「離して!」と藻掻き暴れるが、男にはちっとも効果がないらしい。

 男は溜め息をつき、ティティに言った。

「自分の立場をわかっているのか? 何度言ったらわかるんだ?」

「いや、いや! ティティは帰りたくないの! 離してよ、離してぇっ!」

 ひたすらに藻掻くティティ。説得は無理だと判断した男は、ティティを押さえていない方の手で拳を作った。そのまま彼女の急所を殴り、強引にでもおとなしくさせるつもりなのだろうか。

「悪いが眠ってくれ」

 男が拳を彼女に向けた瞬間、

 ツァーリの『心』が反応し、マイクから叫び声を上げさせた。

「――やめて下さいッ!」

 その声に男は動作を中断、何だと声をした方を見、ちっぽけな機械人形に目を留めた。その口がおかしそうに歪む。

「何だ、ただの機械人形か。この子を守れとでもプログラミングされたのか? まぁ良い。俺は天邪鬼なもんでね、禁止命令は嫌いなんだよ――っと!」

 問答無用とばかりに少女に振り降ろされた拳。しかしそれは跳び上がったツァーリの腕に止められる。男の力は強く、ティティの代わりに攻撃を受けたツァーリは地面に転がり全身を強く打ち付けた。だが、彼は機械である。機械は痛みを感じないのである。一瞬だけ彼のパーツが悲鳴を上げたが、まだ大丈夫だと判断、即座に立ちあがり、カメラの奥に怒りを宿して相手を睨んだ。

 男はほぅ、と声を上げた。

「面白い。俺の攻撃を止めるか。だが、時に金属すら捻じ曲げる俺の力だぞ、精密機械風情が、どこまで立ち向かえるか見ものだな。それに見た限りでは、お前のボディは戦闘用に作られていない」

「関係ないさ」

 強い思いを込めて、ツァーリはマイクを動かす。

 ティティはツァーリの大切なことに、気付かせてくれた恩人だから。

 リリヤのプログラムは『面倒事には関わるな』と指令を送っていたが、『ティティを守りたい』という心が、意思が、その指令を上回り、彼の最優先行動の対象となる。

「ボクは心を持つ機械。ティティがボクに心の在処を教えてくれた。だからボクはティティを守る、それだけなんです!」

「心を持った機械? へぇ、戯言もいい加減にするが良いスクラップ。

 ならば俺に見せてみろ、お前の心の強さとやらを! お前が俺を止められたのならば、お前を認めてやらんこともない!」

「――いいさ」

 ツァーリは頷き、戦闘態勢を取る。

 これまで様々に見てきた、『誰か』の戦い方。下手でもいいから精一杯真似をして、ティティを男の手から守る。彼は機械だ、記憶力には自信があった。

 男は頷き、一瞬の隙を突いて一気にティティの喉を締め上げた。ティティの意識が落ちる。「何するんだ!」ツァーリが叫ぶと、「意識を奪っただけさ」男が答える。

「勝負は公平にやるべきだろう? 勝った方がティティを確保できるが、その前に彼女に勝手な行動をされたら困るのでね、少しだけ眠ってもらったよ。命に別条はないから安心してくれて構わない」

 では、行くか――声と同時、男の拳がツァーリに刺さる。心の準備ができてはいなかったツァーリはその攻撃をもろに受け、小さな身体は大きく吹っ飛ばされ、二メートルほど先にあったコンクリートの壁に全身をしたたかにぶっつけた。ツァーリの機械の身体の一部にひびが入った音がした。ツァーリは自分の右腕から電気が洩れて、はみ出して切れた導線からバチバチと火花が弾けているのを見た。

 このままの状態で居続けたらツァーリが壊れる。『金属すら捻じ曲げる力』という言葉は伊達ではないようである。男は非常に危険な相手だった。リリヤのプログラムは『すぐに逃げろ』とうるさく彼の頭脳に囁きかけるが、ツァーリはその囁きを無視する。首を絞められて意識を失った少女をそのカメラにとらえ、『守らなければ』と心を奮い立たせた。

 ギギ……ギギギィと錆びた音を立てながらも、ツァーリはゆっくりと立ち上がる。既に右腕は使い物にならない。それでもまだ攻撃手段は失われてはいない。ならば戦う。たとえ攻撃手段を失ったとしても。目の前に恩人が倒れているのだ、だから戦うのだ、何度でも。

 男は唇に薄ら笑いをうかべた。

「ほぅ、随分なダメージを喰らわせたはずなのだが、まだ立つか。それもやはり、お前の心の仕業なのか、心があるからこその意志の強さなのか? ならばその心に敬意を示し、次は俺からは仕掛けないことにしよう。機械人形、お前が俺を攻撃してみろ。……まぁ、反撃カウンターくらいはさせてもらうがな?」

 言って、男は腕を組んで不動の体勢になった。自分からは一切動こうとしないつもりだ。このまま持久戦に持ち込むという手もあったが、そうはできない事情がツァーリにはあった。彼の右腕、切れた導線、零れ落ちる電気の火花。それが、彼に活動可能時間に限りがあるということを如実に示していた。

「……では、行きますよ」

 頷き、ツァーリは相手を睨む。彼のカメラが相手との距離を測り、彼の頭脳が即座に複雑な計算式を紡ぎあげて最適解を導き出す。全身の導線に全身のパーツに指示を送り、動き出す機械の身体。その全てを完了するまでにかかった時間はほんの刹那。

 戦い方なんて知らない。それでも彼は戦うのだ。

――自分に心の在処を教えてくれた少女を守りたい、という、自分のの導くままに!

「はぁっ!」

 機械が動くのに、余計な言葉など要らない。

 しかし彼はこの瞬間、確かに“人間”だった。

 握られた左手の拳、金属パーツで作られた機械の拳。

 精一杯ジャンプしても、せいぜい相手の首元に届くか届かないかくらいだ。相手の頬を殴ることなどできないが、それでも人間の急所の一つである、腹には拳は届くだろう。

 原をめがけて放った拳。それは見事に相手にクリティカルヒットしたかのように思えた、が。

「甘いな。やはりスクラップはスクラップか」

 ガイン、と重く響いた鈍い音。

そして、金属を殴ったような感触。

人間の腹は柔らかいはずだ、こんな感触なんてしないのに。それなのにするということは。

 男は一切ダメージなんて受けていない様子で、握った拳をツァーリに向けた。

 そして。

「生憎と。危険が多い仕事なのでな、金属の入った特殊な服を着ているんだよ」

 冷たい声の、

「そんなわけで、残念でした。人間ごっこなんてしなくていいからさっさと廃材スクラップになるが良い」

 死刑宣告。

「わ……ッ!」

 握られた拳がツァーリにカウンターヒット。攻撃動作をした直後のツァーリに、その攻撃を避ける余裕などあるわけがなく。

 金属すら捻じ曲げる拳がツァーリに突き刺さり、突き上げ、ツァーリの身体は宙に舞う。

 ずん、機械の身体が落ちる重く鈍い音。機械のツァーリは自重落ちた際の衝撃をさらに大きくして全身が麻痺し、動くことができなくなってしまった。

 身体のあちこちで導線が切れ、バチバチと火花をあげている。ボディの一部が傷付いて、そこから血液のように彼の身体を流れる特殊な燃料が零れた。頭脳にまで被害がいかなかったのはもう奇跡のようなものだ。これで頭脳まで破壊されたら――ツァーリは、死ぬ。身体をいくら破壊されたってリリヤが修復してくれるけれど、心宿した頭脳まで破壊されたらもう、二度と元には戻れない。

 それが、死ぬということなのだ。

 死を意識して、ツァーリは恐怖を感じた。しかし隣を見れば、自分に心の在処を教えてくれた少女が、確かにいるのだ。彼女なしでは気付けなかった心。そんな彼女を救うことを諦めたら、その心に一体何の意味があるというのか?

「諦めろ。俺の勝ちだ」

 言ってティティを連れ去ろうとする男に。

全身から、ほとばしる血液のような火花を散らしながらも彼のマイクが割れた音を囁く。

「まだ……終わっては、いな、い……です、よ!」

 ギギ……ギギギィ……。錆びた歯車の音を響かせながらも、それでもツァーリは立ち上がった。その時初めて男の顔に苛立ちが浮かび、いいだろうと男はずんずんツァーリに近づいていく。

「そこまで言うならば容赦はせんぞ。貴様のパーツはもちろん、頭脳、宿った心に至るまでバラバラに――」


「そこまでだ」

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