お願いごと

 その日は近所の七夕祭りがあった。

 広場を中心には大きな笹があり、それには色とりどりの短冊がつるされていた。それを取り囲むようにして並ぶ屋台では、わたあめをはじめとして、焼きそば、チョコバナナ、かき氷、缶ジュース、はしまき、焼き鳥などの食料の他に、小さい子供が楽しめるように簡単なゲームもやっていた。射的をはじめ、輪投げ、スーパーボールすくい、ちょっとしたくじ、参加料五十円のビンゴ(外れても参加賞として缶ジュース一本プレゼント)もあった。

 そんな、めいめいと賑わっている広場から少し離れたベンチに座っている俺がいた。空を見上げながら時間を浪費している。

 空は藍色。雲一つもない晴天。満月と祭りのせいで星は見えない。

 俺は空を見上げては、ため息をついては地面を見た。

「なんで中学生になっても妹と」と呟いた。そして、まあ、三時間程度で五千も貰えるなら良いかと己に言い聞かせた。

 事の発端は先週の土曜日のことだ。

 友人とカラオケで遊び倒して帰宅した俺は、玄関で靴を脱いだところで妹に泣きつかれた。

 そして、「お兄ちゃんからも言って」と何もわからないまま父親の前に立たされた。

 父親はリビングで腕を組んで仁王立ち。眉間にしわが寄っていた。

「何があった?」と妹に聞くと、「お父さんが祭りに行く許可をくれないの」と耳元でささやいた。

「ほう、それで」

「お父さんがダメの一点張りで話を聞いてくれないの。お兄ちゃん、お願い」

 涙目。おまけに、上目遣い。そしてあざとく両手で袖を強くつかまれて逃げるに逃げられない状況。頼みの母親はキッチンで晩ご飯の支度中。

「別に近所なんだし大丈夫だろう」

 そう妹に行ったのが聞こえたのか、父親の眉間はピクリ動いた。

「「近所だから大丈夫」かだと? いいか、雅。そんな浅はかな思考で、栞にもしものことがあったらどうするんだ。お前は命をもって償えるのか?」

「ちょっと待て。俺が行きたいって言った時はそんなこと一言も言わず許可を出したよな」

「お前は、居ても居なくても変わらん。むしろ負担だな」

「おい」

「まあ、栞が一人なのはかわいそうだから仕方なくという感じだ」

「過保護すぎるんだよ」

「で、どうする? お前にその覚悟はあるのか?」

 なんでそこまでと言いたい言葉をぐっと飲みこんで、隣で潤んだ大きな瞳を見た。

「わかった。安全に俺が連れて行って、連れて帰るからそれでいいか?」

 うんともすんとも言わず、父親はリビングから出たかと思うと、すぐに帰ってきて、

「もしものことがあったら、お前の命で償え」と五千円を渡して風呂に向かった。

 その後、妹から「お兄ちゃん、大好きと」抱き着いてきたり、その日は絶対にくれないアイスなんかもくれた。翌日からはいつもの塩対応だったけど。

 それを風呂上がりの父親が、獲物を狩るような鋭い眼光で見ていたのは記憶に新しい。あの時は殺されるかと思った。

 そして現在。

 近所の小さな祭りというのもあり、子供たちとその保護者が多かった。

 周りを見渡しても、知り合いは一人もいなかったので、端っこから妹を監視していたがものの十分であきた。

 速く時間がすぎないかなと、ぼんやりと空を眺めていると、首筋にひんやりと冷たい何かが当たった。

「おい。馬鹿」

 そう言うと後ろから今度は痛みがきた。

「馬鹿とは何かな? 馬鹿とは? お兄ちゃん」

 振り返えると、可愛らしいピンクの浴衣を着た小学五年生の妹の栞が、二つのカップを持ち、どちらにもストローがささっているかき氷を持っていた。一つは赤いシロップが、一つは緑のシロップがかかったかき氷。

 両手がふさがっているはずなのにどうやって殴ったのかはなはだ疑問である。

「はいこれ」

 と言って渡してきたのは、緑のシロップがかかったかき氷。それを素直に受け取り口に運ぶ。人生もかき氷のように甘い汁だけだったらどれだけいいか。

 妹も隣に座り、赤いかき氷を口に運んでは「冷たい」と頭を押さえながら食べている。

 カップの中身が半分になり、氷とシロップがいい感じに混ざり合ってきたところで妹が口を開いた。

「その、今日はありがとう」

「別に、俺が好きで来てるだけだからな」

「え?」

 と驚いた表情。おまけに頬も赤くなった気がするが無視して続けた。

「先週カラオケで使ったから。金欠だったんだよな」

「は?」

「小遣い貰える日じゃないのに五千も貰って。マジでありがとう」

「まあ、良いか」と、ため息を吐かれて、「お兄ちゃんはそういう人だった」と広場に戻ってしまった。

 広場で待っていたであろう、浴衣を着ている女子小学生二人組と合流した。そして、なにやら楽しそうに話をして回りだした。

 そしてまた一人。

 あと数時間はこうやっているのかと思うと退屈だ。

 かといって、中学生三年が遊ぶには物足りない屋台。

 無意識にかき氷のシロップを啜っていたのかズーズーという音がした。カップを見ると緑の水滴が点在していた。

 屋台裏に設置されたゴミ箱にカップを捨てて、ついでにあまりいいことではないのだろうが、暇つぶしがてら短冊を見てみた。

 そこにはいろいろと願いが書かれていた。

 ―ゲームが欲しい

 ―家族が皆、幸せになりますように

 ―おりひめとひこぼしが、あえますように

 ―世界が、平和になりますように

 ―俺は野球選手になる

 ―サッカー選手になる。

 ―受験合格。

 等々、子供たちの可愛い願いが大半を占めていたが、その中に紛れ込んで、

 ―5000兆円くれ

 ―いや、5000兆円なんて贅沢は言わないから5000万円でいい。

 と大人が書いたであろう内容があった。

「おいおい」

 真面目にそう書いているのか、それともネタなのか。多分ネタであってほしい。これを書いた人がまだ祭り内にいると思うと笑みがこぼれてしまった。

「おい、お主。他人の願い事を馬鹿にするでない」

 と、怒られた。短冊を見過ぎて注意しに来た運営の人かと身構えたが、違った。

 声のほうには妹とほぼ同じくらいの背の女の子が一人いた。

「おれ?」

「そうじゃ、お前じゃ」

「お主、暇そうじゃな。童を案内せい」

「はい?」

 変な語尾の女の子は。白い浴衣に白い肌。光に当たって白く見える髪? そして、なぜか強気な口調だった。

「なんで俺が」

「やはりな。お前は童が見えておるようじゃな」

「は?」 

「人の願い馬鹿にした罰じゃ。この祭りとやらを案内せい」

「だから」人の話を聞けと。

「童はソメンじゃ。お主は」

「読売雅」

「なら雅でいいな。童のことは好きに呼ぶがよい」

「だからお前は」いったい誰なんだと大声で言おうとしたら、周りの注目を集めてしまった。俺に声ないくらいの大きさで何やらひそひそ話も始めている。

 慌てて、「すみません。お騒がせしました」と変な女の子の腕をつかみ、今日の定位置に戻った。

「痛い。何をする」

「あ、悪い。つい」

「ついではすまん。乙女の腕を強引に引っ張りよって」

「悪かったって。それでお前はいったい誰」

「だから言ったであろう。ソメンと。童はソメンじゃ。いいからから童を案内せい」

「親は? 家族と回れば」

「それがおったらお主なんぞに頼まん」

「物の頼み方ひとつ知らないお子様の相手はしたくないね」

 あの生意気な妹ですら頼むときは下手も下手なのに。あいつの場合はあざといが入るからなおたちが悪いけど。それでもまともな? 頼み方はするぞ「お兄ちゃんお願い」と瞳をウルウルと滲ませて、少し声が高くなって、おまけに貢物までくれる。この時だけ優越感を味わえるが、すぐにそんなものはなくなるのはまた別の話。

「仕方ない」

 ゴホン。と咳払い。

「お、お兄ちゃん。童のためにどうか祭りを一緒に回ってください。お・ね・が・い♡」

 先ほどより高い声。少しだけ目を潤ませて、おまけに胸元を寄せて強調した。実際にやらしといてあれだが、色気が足りない。あざとさか、それともほかに何か。とりあえず、エロに目覚めたばかりの男子中学生になにもドキドキさせないのは逆にすごい。

「……」

「なんじゃその眼は」

「いや。なんかごめん」

「おい」

「悪かった。俺が悪かった。ここまでさせる気はなかった。本当にごめん」

「おい」

「よし。ジュースくらいならおごってやる。好きなのを一つだけだぞ」

 あまりに哀れだった。今度からは少女にこんなことはさせまいと心の中で誓った。

「童の体つきじゃダメか」

 何かぶつくさと文句を言っているソメンを連れて屋台前に来た。

 氷水のおかげで、キンキンに冷えたであろう缶ジュースがタライの中でぷかぷかと浮かんでいた。少女はそれを物珍しそうにキラキラした目で見ていた。

「どれでもいいのか?」

「どれでもいいぞ」

 どれにしようかと「あっちもいい」「こっちもいい」と目移りしていた。

 そしてやっと決めたのが

「これじゃ」

 取り出したのはお茶だった。

「それでいいのか?」

「うむ。それがいい」

「わかった。おじさんこれください」

 そう言って百円をおじさんに支払って後にした。

 少女は缶を開けてごくごくと飲みながら歩いていた。

「うまい」

「そんな大げさな」

「いや、童は水しか飲んだことがないからな」

 どんな家庭環境だよ。

 好んで水しか飲まないわけではなさそうだし。それだったら水を求めるはずだ。それに、ジュースなんかにも目移りしていたわけだから。よほど貧しい環境なのだろうか。

「どうした?」

「いや。お前、腹は減ってないか?」

「すいておるな」とお腹をさすった。

「よし、一通り食べ歩くか」

「良いのか?」

「今日は祭りだ」

 ソメンと俺は屋台にあるものを全種類食べた。

 焼きそばから始まり、はしまきまで。焼き鳥は売切れていたけどそれ以外は食べた。途中で人が多くなりはぐれないように手も握った。

 最後はデザートにかき氷を買って元のベンチに戻って二人で食べていた。

「今日は楽しかった。ありがとう」

「いや。今日くらいまともなもの食べてもらわないと。せっかく祭りに来たんだから」

「次は焼き鳥とやらを食べたいの」

「また会ったら食わしてやるよ」

「そうだといいな」

 そろそろ祭りも終盤。笹の葉の周りでは盆踊りらしき曲が流れて、子供たちが踊っている。

「そろそろ終いだな」

「そうじゃな」

 ソメンの空になったカップを回収しようと向かい合う。

「そうじゃ、お主」

「なんだ?」

「目を瞑れ?」

「は?」

「良いから」

「わ、わかった」

 言われた通り目を瞑る。その数秒。俺口元に柔らかい感触が……

 あまりの出来事で思考が停止した。その間三秒。

 両頬耳まで真っ赤に染めた彼女の顔。いや、俺もだろう。

「……なんで」

「お礼じゃ。あとこれをもっておれ」

 どこから取り出したのか、薄ピンク色のブレスレットも渡してきた。それを右手で受け取った。

「また会おうな、人間」

 彼女は赤く染まった頬のまま、走って行ってしまった。

「まって」と呼んだが、彼女は立ち止まらなかった。


「お兄~、帰るよ」

 妹が広場入り口の前で手を振って呼んだ。祭りはいつの間にか終わっていたようだ。保護者と子供の数が減っている。

 速足で妹のそばに行き、ごみ箱にカップを捨てて、空を見た。

「どうしたの、お兄?」

「いや、何でも。帰るか」

「今日は楽しかった。ありがとう。それに、お兄ちゃんも一人で、楽しんでたようだしさ」

「へ?」

「へ? 一人で屋台歩き回って色々食べてたよね? あまりに気持ち悪かったから近寄らなかったけど」

「は?」

 何を言っているんだ。確かに狭い広場だから何回かすれ違いはしただろうが、あんな白い子を忘れるはずはないだろうに。

「いや、白い服を着た女の子と一緒だったはずだけど」

「は?」

「だから、女の子と一緒にだな」

「私が居なかったらとうとうおかしな幻覚症状まで。ごめんね、兄ちゃん。もう、一人にさせないからね」

 よしよしと頭を撫でてきた。

「まてまて。兄をおかしい人みたいに言うな」

「だって~、おかしなこと言うから」

 確かに彼女は居た。ソメンちゃんは。その証拠に財布の中身は二人分減った。カップも二つ。それにブレスレット。後、柔肌に、唇の感覚も。

「どうしたの、顔が赤いよ。熱?」

「い、いやどうもしない」

「あ。このブレスレットすごく可愛い。どうしたの?」

「大事な人からもらったんだ」

「へ~。彼女?」

「少なくとも初恋だろうな」

「そ、そうなんだ」

「そ、それより帰ろうぜ。両親がうるさいから」

「そうだね」

 

 翌日。

 いつものように妹にたたき起こされて目覚めた。昨日の不思議な現象のせいで、中々寝付けなかった俺は寝不足だった。眠たい体を動かして、いつものようにポストに行って新聞を取ると、数枚の紙が落ちてきた。

「?」

 拾い上げてみると、昨日の短冊だった。

 ―5000兆円くれ

 ―いや、5000兆円なんて贅沢は言わないから5000万円でいい。

 ―いや、お金はいい。ただ、もう一度雅に会いたい。

 たしかに。

「他人の願いを馬鹿にしたらダメだな」

 

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