四十七. 起源
──ゴォォッ!
大気が震えた。いや、そう感じただけだろうか。
彼女がいくら覚悟を決めたつもりでいても、この後に来るであろう展開にはえもいわれぬ重圧をその身で確かに感じてしまう。何度そうしても変わらなかった。
それはオーラとでもいえばいいのか、目に見えない重石が彼女の身へ深くのし掛かっているようで、ちょっとの油断もままならない。先手を取ったと喜べるような心境には到底させてはくれぬようだ。
先に彼女が大気を震わせたことについては紛れもない。しかし、今彼女が感じているものは、それとはまた違ったもののようだ。
実際、彼女は小さく震えていた。外部から揺さぶられているわけでなく、そうであるのだ。それが意味することはつまり……。
辺りは未だ風塵の余波を残しており、戦場は一時の静けさを保ちながら沈黙している。それはさながら、嵐の前の静けさを演出しているようでもあり、確かな緊張感を隠しているようでもあった。
──動いていたのは、知っている。
キュロロは整理するように、改めて自分の中で確認を繰り返す。やはり、何度考えても、仕留めたかという期待は淡くも直ぐに消えてしまうようだ。内心では疾うに気付いているのだが、実際にその線はあり得ないということだろう。
単にわかっている情報を並べるだけでも、多少なりとも冷静にはなれる。そんなことについ彼女は感謝をしてしまう。とはいえ、その行為自体が既に現実逃避となってしまっているのは、彼女自身も薄々と理解をしていた。
先の暴風は特大の一撃である。直撃させるつもりで解き放った。そうであるが、ほとんど衝動に近い部分を突き動かされて発したものだ。それは否めない。
自信などなかった。とはいえ、先手を打った甲斐もあり、不意打ちではあったものの、紛れもない確かな手応えは感じている。
そんな一撃なのだから、流石の相手もほんの無傷というわけにはいかぬだろうし、後はそのアドバンテージをこちらがどう使うかだ。
キュロロは纏まらぬ思考を必死に束ねようと、滴る汗を無造作に拭う。
加えて、楽観視はできないが、助太刀のつもりではなかったにせよ、実質的にはそうである。割り込む形での一撃だったからだ。となれば、もう一方がどう動くかも考えておく必要がある。
おそらくは、こちらに乗ってくるとは思うものの、味方であるわけではないということをゆめゆめ忘れてはならない。あくまでも三つ巴の状況にあるのだ。
また、一度は既に敵が撤退している可能性もチラリと脳を過ったが、別の自分がすぐにその可能性を否定する。ここにきてそれはないだろう、と。
むしろ、ここで逃がしてしまうと、今度はこちらが不意を突かれかねないので、あってはならない。
キュロロは緊張からか、幾度となく確かめるように剣の柄へ手をかけている自分に気付いた。もう何度この動作を繰り返しただろうか。
首筋から滴る汗もそうだが、掌に滲んでいるそれも、いつしか違和感がなくなるほどに馴染んでいた。
正面に立たれてはいないものの、既に自分は傍観者ではない。一撃を放り込んだのだから、もうこの戦いに加わっているのだ。つまり、気を抜けばほんの一瞬で地に伏す可能性だって十分にあり得るだろう。
そう考えると、彼女の一秒はとても、とても長かった。
「っ!」
その後、丁度一呼吸を置いた時に、その時は唐突に訪れることとなる。
まだ視界が晴れるよりも早く、目の前の空間が揺らぎをみせ、次の瞬間にはまるで空気の層を突き破るかのように、鬼が一匹飛び出してきたのだ。
「貴女ですかな? 先程から隠れ覗いているのは。……なるほど、これは可哀想に。なんとも怯えた瞳をしていますなあ。まるで、鬼にでも出会したかのようである」
ヌッと顔が伸びてきて、至近距離から顔を覗かれる。咄嗟に払うように剣を振るうが、尖った長い指先は、いとも簡単にそれを弾いてしまった。
……器用にも、爪の先で。
「噂は聞いているわ。あなたが……ラウンデル、ね?」
威圧され、逃げたしたくなる気持ちが湧き上がるが、意を決して確認する。意外にも話し始めると少しは調子が戻ってきていた。
事は始まっている。生き残るにはもう自分でなんとかするしかない。そんな状況にいるのだ。繰り返しとなるが、調子なんてものはもう自分で取り戻すしかないのである。
「如何にも。その名前は私のもの、でありますな」
それはあっさりと肯定した。笑っているのか、威圧しているのか、彼女にはまだその判別は敵わない。
何れにせよ、認識されたということは確かだろう。
──やはり、この人物がラウンデルだった。
「だったら帰ってもらうわ。あなたに大将は会わせられないの」
「ほう……興味深い。つまりは、貴女の審査が必要というわけですな? 大将殿に会うためには」
隻眼がスッと細められる。これがまた、まるで値踏みをされているようでいい気はしない。癖、なのだろうか。
とはいえ、いくつかの不快な点はあるものの、全く話が通じない相手というわけではないのかもしれない……とも思う。無論、信用はできかねるが。
「ええ、そう解釈してもらって構わないわ」
キュロロは決して目を離さぬよう、慎重に頷いた。
「では、少々相手をしていただけますかな?」
間髪を入れずにラウンデルの口から出た言葉に、キュロロは驚く。まるで、朝食前の散歩にでも出掛けるかのような気軽さなのだ。
その飄々とした態度に調子が崩れる。まるで用意された通行証でも取りにくるかのように、一呼吸さえも置かずに、そんな簡単に向かってくるのかと。
──彼は、戦えと言っているの?
数秒もの間、言葉の意図が読み取れずにいたが、それでも思わず剣を構え直す程度には反応できたのは幸運だった。そのほとんど反射である。
肝に銘じていたはずであるが、一瞬の油断が命取りとなり兼ねない。
キュロロは改めてラウンデルを見つめる。まるで手傷を負っていない様子を見るに、不意打ちですら避けられるのかとじんわりと嫌な汗が体を伝う。
これから彼女はそんな化物と刃を交えようとしているのだ。
「力を示せ、と言っているわけではないわ」
「おや、それは困りましたな」
なんとか気丈に振る舞おうとするキュロロに、ラウンデルは失笑した。
「これはこれは、“勘違い”から思わず殺めてしまうところでしたな」
噴き出すような殺気は、単なる脅しなのかもしれない。もしくは、からかわれたのか。
眼帯に手を添える悪鬼は、今も冷ややかに笑みを浮かべている。
「お互い気を付けていきたいものですな。早とちりというものには」
その言葉の意味を考えると、キュロロの背筋に冷たいものが走っていく。
やられるかどうかは結果であり、決して決まっているわけでもない。しかし、このままでは良くないと、そう思うには十分だった。
「覚えておくと良いですな。戦場には流星が降ると」
終始圧倒されっぱなしであったこと。彼女が敵を目の前にしてわかったことは、信じ難い事実だった。
キュロロは睨むでもなく、ただ瞳に映る幻影を見る。
鬼とは一体何だろう、と。
◇
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはラウンデルだった。
もう飽きたのかもしれない。もしくは、彼女へ与えられた猶予が過ぎたということなのか。
「では、改めて聞かせてもらえますかな」
言葉とは裏腹に戦う気などないとばかりに鋭い気配は息を潜め、どこか戦場には不釣り合いなほどの落ち着いた態度をラウンデルは見せている。
こんな敵地のど真ん中でそんな態度を取れる神経は普通では考えられない。
「貴女のおかげで旧友も隠れてしまったようだ。代わりとまでは言いませんが、しばらく付き合ってもらうとしますかな」
その言葉にキュロロはハッとして周囲を確かめる。いつしか風塵は晴れていたが、その姿はもうどこにも見当たらないようだ。
──あいつぅ……!
心の中で恨みのように悪態をつく。それは確かに知り合いでも、おそらくは味方ですらないとは思うが、よもや逃げるとは。
三つ巴の戦いこそ覚悟していたが、二人きりにされるのはまた別の話である。
「先程は貴女で間違いありませんな?」
その様子に満足したかのようにラウンデルが問い掛ける。相変わらず、瞳の奥を覗き込まれるようで不快な態度だった。
まるで、浮かぶ疑問の一つひとつをじっくりと潰していくかのような、そんな嫌な瞳をしている。
「……ええ」
短く答える。どのみち黙っていても、それを肯定と捉えるのだろう。否定すれば、新たな質問に変わるだけだ。
とても狡猾な男である。
「私は少々研究をしていまして、ある時代を辿っているわけですな」
「少しだけ聞いたことがあるわ」
確か、クラレッタは、“伝承への回帰”と言っていただろうか。
「そうそう知るものはいないはずですが……ああ、なるほど、そうでしたな」
彼の頭には今、クラレッタの顔がおそらく浮かんでいる。
顎に指をあてがい、鷹揚に頷いている様子から察するに、やはり、彼女とは何らかの繋がりがあるのかもしれない。
「……知ってるのかしら?」
「当然ですな。というよりは、その血統故に知られている、といったところでしょうな」
時折目を細めるのは癖なのだろうか。その仕草に少し体が強ばってしまう。
「……では、クレフォン様が?」
「焦ってはいけませんな。それに、貴女も全くの無関係というわけでは、ありませんな?」
その細めた目がキュロロを射抜く。いや、キュロロを見ているのか、それとも、キュロロを通して何か他のものを見ているのか。どちらにせよ、彼は鋭く彼女を見ていた。
「残念だけど、心当たりはないわ」
「ふむ。ならば仕方ありませんな」
いつの間にかラウンデルが隣に腰を下ろしている。
もはや、キュロロは身構えることもしなかった。というより、なんとなく不意打ちはしてこないだろうというのがわかっていたのである。
「遥か昔、そうですなぁ、鬼と龍がいた頃でしょうな。この世界は繁栄していた。もちろん、見た者こそおりませんが、各地にその名残は散らばっている。貴女も何かしら身に覚えはあるのではないですかな」
「名残? ただの言い伝えのようなものでしょう?」
伝承などいくらでもあると思う。例え嘘でも、それが伝承であってはならない理由などないのだ。
むしろ、そういう意味では事実ではないことのほうが圧倒的に多いのだろう。
「ダンガルフ、ラザニー、ユノ、そして、バルビルナ。リンドバルナにバンデイン。それこそ候補はいくらでもありますが、未だその姿は神秘のベールに包まれている」
「つまり、あなたが言った通りで見た人はいないということ。違うかしら?」
同じことになるが、伝承など各地に転がっているのだ。多少重なったことがあったとしても、それはただの偶然である。
「……まだ貴女には難しいようだ。少し話を変えますかな」
相変わらずラウンデルはどこを見ているのかわからない。不気味にも、形だけは見つめられているかのようだ。
キュロロも負けじと睨み返す。ある意味では、自身を奮い立たせる為の行為だった。
「だったら教えて。この争いと伝承との関係は?」
「やれやれ、仕方がありませんな」
つい前のめりになる彼女へラウンデルが指を立てる。言い合いではなく、彼はあくまで説明をするという姿勢でいるらしい。
「その前にもう一つだけ、よろしいですかな?」
仕切り直すかのような問いに、キュロロは黙って頷く。
不思議な感覚だった。次はどんな突拍子もない話が出てくるのか、えもいわれぬ不安と少しばかりの好奇心とが騒いでいるのを覚えたからだ。
「マーキュリアスが“鬼の国”と呼ばれている由来については御存じですかな?」
「……かつて鬼が作った国だからと」
「なるほど。では、グィネブルは?」
「同じよ。かつての時代に龍が作ったから、それで“龍の国”」
「そんな一言で片付けられるとは。やはり、貴女には少々難しい話かもしれませんな」
「いいから続けて!」
「やれやれ、仕方がありませんな」
キュロロの口調が強くなる。舐められなくない、という思いが根底に潜んでいたのかもしれない。
知らないことは事実であり、また、自分の知らぬことを相手が知ってる。しかし、それが真実かどうかはまた別の話なのだ。戯言である可能性だって拭えない。
そんな彼女の心理を見抜いてか、ラウンデルは溜め息をつき、そして再び口を開く。
「伝承より以前の時代から人間がいた、という話は聞いたことがありますかな?」
「かつては共存していたとは聞いたことがあるわ」
「よろしい」
そこで区切るように目を細める。先程までは動くことのなかった瞳が俄に揺れ動き、機敏に何かを探し始める。
ひょっとすると、次なる獲物を見つけたのかもしれない。
「少し急ぐとしますかな」
「……構わないわ」
やがて視線が落ち着くと、再び瞳がキュロロへ定まる。
「伝承の時代より少し前になりますかな。その時代には鬼も龍も存在しなかった。ともかく、そういう時代があったということですな」
「それで? この争いと何の関係があるというの?」
「エアル家、シンドブルー家」
ラウンデルは、キュロロの言葉を遮るように、そして、一つ一つ確かめるように言葉を紡いでいく。
「リコルト家、ランスロー家、ルーレット家」
それらは、キュロロもよく知る名前であった。
「これらは皆、伝承より以前に繁栄した一族です。度々歴史の表舞台にも出て来ていますな」
ラウンデルはキュロロの表情を眺めながら話を続ける。わかっていないと思われると、すぐに話を打ち切られてしまいそうだ。
「もし今の世界が鬼と龍の末裔であると仮定するならば、今尚健在すると云われるこれらの一族は一体何者になるのでしょうな」
「何者って……人間じゃ」
「ええ、人間でしょうな。しかし、起源が違う」
「では、全くの別物だっていうの? そんな話、信じる人がいるとは到底思えないわよ」
伝承などいくらでも後付けできる。それを確かな事実と受け止めていること自体、キュロロには理解できない。
「まあ、そうでしょうな」
「興味深くはあるけれど、結局は夢物語ね」
「全く、貴女は些かせっかちでなりませんな。では、それを証明できる、となれば、どうですかな?」
少し腹を立てたのかもしれない。先程よりは少し語尾も強くなっているのを感じながら、ふと、思う。
「それが具体的な話であれば、ね」
言葉とは裏腹に、嫌な汗が背中を伝う。鬼が出るか龍が出るか。
後は怖い話が出てこないことを祈るのみだった。
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