四十六. 矜持

 似ている、というわけではない。どちらかといえば逆だろう。線で例えるなら、私は真っ直ぐであり、彼は曲がっている。

 気が合う、というほどでもない。無論、合わなくはないが、真っ直ぐなのが彼であり、曲がっているのが私であるのだ。


 私たちは互いにいつも一人だった。少なくとも私はそうであり、また、私の知る限りの彼もそうだ。……しかし、その理由だけは大きく異なっている。


 私は一人が好きだ。

 必要であれば誰とでも付き合えるが、本質では他人を嫌っている。いわば他人とはオプションパーツのようなものだからだ。もちろん、表には出さぬよう努めている。


 彼は自由が好きだ。

 必要であれば誰にでも合わせてくるが、いつもどこかで窮屈を感じている。彼にとって他人とは、纏わりついた糸のようなものなのだろう。どこか態度に現れている。


 そんな私たちであるが、いつしか軍に身をおくようになると、否が応でも他人との交わう機会も増えていた。隊であり、任務であり、そして、戦場であり。至る所に人はいる。

 嫌いだろうが、窮屈だろうが、生きていくとはそういうことなのだ。


 そういったこともあり、互いによく一人でいるからなのか、或いは問題児をまとめておくためだろうか、ともかく理由は色々あるだろうが、私たちはチームやコンビをよく組まされた。尤も、放っておくと誰にも触れない私と誰からも触れられない彼が浮いてしまうというだけの、ほんの些細な理由であったのかもしれない。

 ……いや、改めよう。視点を変えればどちらも同じことになるのだから。


 そんな私たちであるが、明らかに他より秀でた部分があると自負している。そういう面も少しは考慮されたのかもしれない。

 幸か不幸か、私たちは“特別”だったのである。


 例えば、私は同期の誰よりも俯瞰的に戦場を見渡すことができた。いち早く察知し、伝達し、共有することで、幾度となく不利な戦況を覆している。加え、白兵戦の技術に何よりの自信があった。

 彼も似たようなものだろう。しかし、そのすべてを個人で対処をしてしまうので、幾分か達が悪い。私からすれば無益なことだが、大方その方が早いとでも思っているのだろう。


 そんな時、ある一つの疑問が私の脳裏に浮かび上がることとなる。一度浮かんだそれは日を追うごとに膨らんでいくと次第に苛立ちへと変化し、私を追い詰めていった。

 いつからか私が、彼のことを“壁”と認識するようになっていたのである。思えば、私たちは近過ぎたのかもしれない。


「何故、手加減をするのですかな? 倒せるのなら倒してしまえばいい。もう向かってはこれないほどに。完膚なきまでに」


 ある訓練の日、私はとうとう彼に直接聞いてみようと決意する。……否、我慢の限界だった。手加減などという憐れみを受けるくらいなら、いっそのこと心ごとへし折ってもらうほうがいいと思ってしまったのだ。

 そう、敵わないと思えるほどの実力差が存在する事実と、手加減されているという劣等感がひたすら自分を苛立たせていると気付いてしまったのである。得意分野ではそれも尚の事だ。


「それは俺に頼っているのか? 荒波に揉まれたい、と」


 ところが、彼は取り乱すようなことは特になく、逆にこちらへと言葉を返した。静かに告げたのである。そして、避けれるはずの攻撃を恰も食らったかのように受け流すと、口の端で小さく笑った。

 不快なのか、不愉快なのか。それは、私に対しての憐れみだったのだろうか。


 軍の中には自分の実力を誇示するため、それこそ相手を踏み台にするような者は沢山いる。まず、一人や二人ではないだろう。

 目の前の彼からすれば、今の自分などそうされていても何らおかしい話ではないのである。それをあろうことか、笑ったのだ。


「何故に、貴方はそう思うのですかな?」


 手応えのない感触、そして、予期せぬ返答を前に動きを忘れ、私は再び彼に問い掛けていた。


「俺に利がないからだ。つまりそれは、倒されたいというお前の願いに俺が付き合わされるということに他ならないだろう? 苛立つのは勝手だが、俺は関係ないぜ。それはお前だけの問題だ、巻き込むんじゃない」

「……私だけの問題であると?」

「言わなくても、明確だ」


 凄んでいると思われたのだろうか、見る目のない上官がちらちらとこちらに視線を向け、その様子を窺っている。

 その時になり、ようやく私は理解した。


 ──私と彼は違う、と。


 ◇


 唾を飲み込む音がやけに大きく感じた。知らぬうちに体が力んでいるのだ。何気ない、普段は意識すらしないそれを、今はやけに意識してしまっている。

 そのせいだろうか、いつしか剣を握る掌は汗にまみれ、まるでそこに心臓があるかのように波打つ鼓動は、更なる力を自分に要求してくるかのように荒ぶっていた。


 ──飛び出せない。いえ、きっと飛び出してはいけないわ。


 キュロロは二人の“鬼”から目を離せずに隠れている。飛び出そうにも、どうにも体がそれを許さなかったのだ。


 一人は眼帯の男。異様に長い爪を持ち、すべてを見透かすかのように細められた目は、まるで深い闇を宿す月のように満ち欠けを演出している。


 ──ラウンデル。


 あまり表舞台には出てこないため、その姿はあまり知られてはいないという。


「ふぅぅ、ふぅ……」


 軽く深呼吸をすると、用心深く戦況を見守る。気を抜くと見逃してしまいかねないのだ。二人の動きは、始まると驚くほど素早い。


 一瞬にして激しい乱撃が始まる中、キュロロはもう一人にもそっと目を向ける。

 見たことのない人物だった。援軍、というわけでもなさそうである。


 ──だとすれば、彼は一体何者なの?


 改めて瓦礫の影に身を潜めると、今度は注意深く凝視する。意外にも、どこか知っているような既視感くらいはあるものの、それが何であるかまではわからない。

 ただ、滑らかに揺らめくその動きは、まるで何かの存在を主張するかのように誰かの姿をちらつかせ、そのまま呆気なくもスッと流れて消えてしまう。


 ──もうっ! あと少しなのに!


 手が届きそうなところで離れてしまう感覚に、もどかしさと苛立ちを感じ、キュロロは唇を噛み締める。

 集中できない自分にも腹が立った。


 ──誰だっていいじゃない。大体それがどうだっていうのよ! 忘れなさい、キュロロ。


 振り払うように首を振ると、勝負の行方を傍観する。味方でないなら潰し合ってもらえばいいだけのことだ。

 会話こそ聞き取れなかったものの、二人が敵対していることはその態度から伝わってくる。交渉こそあったのかもしれないが、決裂しているのは明白だった。


 ──見極めなければ。この後、私はどうすべきかを。


 言葉と一緒に、もう何度目かわからない唾を改めて飲む。いつまでも傍観者ではいられない。

 落ち着かせるように上着の裾を握り、手の汗を拭う。すると、汗と一緒に少しは力みのようなものも取れたような気がした。不思議と体が軽くなったようで、多少の調子が戻ってくる。これならなんとか動けるだろう。


 それでもまだ少し心細く感じ、その存在を確認するかのように、手に握った相棒の名を軽く、小さく口にする。


 ──フリード。


 それがこの魔導書の名前だ。今となっては本当の名前など知る由もないが、かつての叶わない願いをひたむきに綴った淡い記憶を封じた際に、そう呼ぶと自分で決めたのだ。

 キュロロは確かめるように、手の中の分厚い書物にそっと指を這わせる。ここからいつどうなるかなど、神のみぞ知ることだろう。

 だったら自分は思うがままの最善を尽くすだけだ。


 キュロロが少しずつ落ち着きを取り戻していく中、向こう側でも動きがあった。ついにラウンデルが獲物を捕らえたのである。

 そのまま一気に止めを刺すのだろう。次の瞬間には既に新たな攻撃の動作に移っている。

 対する男はただ苦笑いを浮かべて武器を放り投げた。よもや素手で受け止めるつもりだろうか。


 飛び出すには既にギリギリの状況だが、あえて少し目を閉じるとキュロロは大きく息を吸った。

 そもそも、受け止めるなんて無理がある。第一、武器にも匹敵するような鋭利な爪から繰り出される攻撃を得物もなくして受けるなんてあり得ない。そして、この爪こそ、ラウンデルの特殊な力の一部だろう。そして……おそらくは。


 では、何故二人ともが“鬼”に見えたのだろうか。“彼”のほうは?


 ──ちらり。


 脳裏に誰かが過る。


 ──ちらり。


 その姿が段々と、目の前の後ろ姿に重なっていく。


 ──ちらり。


 ──────ドクンッ!


 心臓が跳び跳ねると同時に体が勝手に反応した。ここで終わらせてはいけないとそう感じたのだ。

 一瞬の間を置き、ようやく思考が追い付いてくる。


 ──もしそうであるならば、私が選択する道は……!


「……ページ!」


 キュロロは目を開き、滑らせるように指で文字をなぞった。途端に自分の感情までもが吹き飛んでしまうような荒々しい興奮が身体中を駆け回る。

 迷いは、今ここで絶ちきらねばならない。


「ジルフェ!」


 そのすべてを吹き飛ばすように、彼女は叫んだ。

 手にした半身はそれに呼応するかのように力を与えてくれる。なぞる指から心臓へ、更には心臓から全身へと余すところなくエネルギーが駆け巡っていく。


 ──吹き飛ばせ、私の感情のままに!


 キュロロは風塵により遮られた視界の端で何者かが動く姿を捉えると、決意を込めて自身の剣へと手を伸ばした。

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