四十八. 禁忌の匣

 記憶に残るような、鋭くも細い目が相も変わらずキュロロをじっと捉えている。当初は何を見ているか理解し得なかったものの、今は違う。

 ラウンデルは確かに、キュロロ本人を見ていた。


「困りましたな。ただ、教えるには些か貴女は無知なようだ。まだその時ではないのかもしれませんなあ」


 薄ら笑うように、もしくは、獲物を威嚇するかのような、その表情はまるで仮面である。言い換えるならば、心を映す鏡に近い、とでもいえばいいのだろうか。

 それも、不安を映す鏡である。そればかりを演出するので、本当に質が悪い。


「そうですな、あえて言わせてもらうとすれば……ですな。貴女はその片鱗を見て、そして、知っている。まずは自分に問うがよろしい、話はそれからですな」

「その片鱗?」


 相変わらず回りくどい説明をする。キュロロはまたもや顔をしかめた。

 これは話術になるのだろうか。唐突に結論に迫ることもあれば、今のように少し枠の外に近い部分から徐々にくる場合もある。単なる癖なのだろうか。否、話術なのか。


 ともかく、心理的に圧されたら負ける。

 そのことは決して頭から離してはいけないとキュロロは強く念じた。


「では、そろそろ教えていただけますかな? そうですな、手始めに貴女の正体でも」


 今更ではあるものの、少しは相手として認識されたようだ。ようやく目の前の彼女に関心が湧いたのだろう。

 “正体”という言い回しに若干の違和感を覚えるもキュロロは答えることにする。


「正体? 私は私よ。キュロロ。キュロロ・ユートピアナよ」

「……ユートピアナ? おや、おや、これはまた懐かしい名前ですなぁ」


 一瞬の間があり、その目が微かに細められた。またもや彼のセンサーに掛かってしまったようだ。その口元は崩れるように歪んでいる。

 そして、何かを確認するように、また、発するでもなくしばらく口を動かせていた。


 その様にキュロロは惑う。

 一体彼は何を知っているのというのだろうか。もしくは、マーキュリアスという国がそうなのだろうか。

 ……否、マーキュリアスでも一握りだろう。知らぬ者は何も知らない。それはグィネブルでも同じことだ。


「懐かしい?」

「懐かしいとも」


 そう言う彼の目は決して笑っていない。というよりも、実際にはそうであるようにも見えているが、やはり違うのだ。

 そう思うと、知らずのうちに体が強ばってしまっている。


「なるほど。ユートピアナならあり得るでしょうなぁ」

「あり得る?」

「その通り。私も人のことは更々言えませんが、ユートピアナの一族には言える。そう、ユートピアナとインフェルナにだけは言えるのですな。貴女方は禁忌を犯した罪深き一族であると」


 その言葉にどんな意味が込められているのかはわからない。それでも“禁忌”という言葉が根付くように脳に蔓延り、得体の知れない感情がジワジワと染み渡るように広がっていく。

 心当たりがない、というわけではなく、どちらかといえば、やっぱり、という気持ちが強かったせいもある。


「禁忌? さっきから言っていることがわからないわ。それに……私は、だって……ほとんどユートピアナを知らないもの」


 不安なのかなんなのか、キュロロの声が次第に小さくなる。明らかに動揺が生じていたのだ。

 彼女の頭には今、“フリード”の存在がちらついている。


 自分ではどうしようもない、出生という密かなウィークポイントを突かれたような衝撃だった。

 周囲との違和感。知らぬ両親。遺された魔導書。傭兵団。


 ──ユートピアナって……。


「おやおや、なんとも怯えた瞳をするものだ。して、それは何に対してか? 罪か、記憶か、はたまた、先祖に、ですかな? それとも、よもや禁忌への代価に心当たりがあるのではあるまいな?」


 動悸、そして眩暈が通り過ぎ、最後にはやはり一つのものが頭に残る。手にしたそれだ。


「ユートピアナは何をしたの?」

「パンドラの匣を開けた、といえばわかりますかな? ふふ、否! そうでなくとも推察するが宜しい」


 相変わらず曖昧な例えに、キュロロはたまらず顔をしかめた。これも作戦なのだとしたら、完全に手の中で踊らされてしまっている。しかし、だ。あながち嘘はついていないのではないか。


 ──禁忌とは……何か。

 ──一族とは……何か。

 ──自分とは……何か。


「それはもういいわ。じゃあ……あなたがユートピアナを嫌う理由って……」

「嫌う? 違いますな。むしろ、私は好んでいるといっていい。手段を選ばないところなど、称賛に値する。そうですな、唯一気に入らない点があるとするならば」


 またもや細められる目に呼応するように、キュロロの胸が痛いくらいに波打った。痛みのような感覚か走る頭で彼女は思う。

 これは好機でもある。意図してはいなかったが、今まで知り得なかった──否、避けてきた自分のことを知らされる絶好の機会でもあるのだ。


「“龍”でも“鬼”でもなく、何故に“神”へ頼んだのかということですな」


 続く言葉にキュロロは堪らず膝を地に落とす。収まらぬ頭痛は既に彼女の集中力を掻っ浚っていたのである。

 もはや自分が戦っているなどとは、今、彼女の頭には皆目残っていなかった。ただ、更に続くであろう言葉を聞く為に、必死に自分自身と戦っていたのである。


 その様子をラウンデルは眺め、しばらく経つと満足そうに口を歪めた。


 ◇


 誰かが、隣を通り過ぎていく。

 規則正しく刻まれる足音が、鼓動の隙間を縫って耳に届き反響している。思考はできず、ただそれが淀みなく通り過ぎていくという感触だけを肌が敏感に感じていた。


 ──禁忌、ユートピアナ、神、魔道書、キャルル、ルルザス、ラウンデル……。


 近付く足音に連動するかのように、言葉が、単語が、浮かんではまた消えていく。まるで、未消化なものを一つ一つ取り分けているかのようだ。


 思えば自分は何も知らない。わからない。聞いていない。そして……知ろうともしていなかった。


 自分が何故こんなにも動揺してしまったのかも、本当はわかっている。理由はあるにせよ、避けてきた事実に対面してしまったのだから。


 ──それでも……!


 キュロロは歯を食いしばる。今は、今だけは、迷いは捨てなければならないのだ。ここは死守すると……抑えてくると口にしたのだ。


「待ちなさい! まだ話は終わっていないわ!」


 手を伸ばすようにしてなんとか足を掴まえる。ここで逃がせば、必ず後悔することになるだろう。

 知りたいこともあるが、それよりもここを通してはいけないと理性を越えた本能を以て、キュロロはラウンデルへと食らい付いた。


「おや、体調のほうはもうよろしいか? どれ、ほう……これはまた酷い顔をしていますなあ。まるで、鬼にでも出会したかのようだ」


 ラウンデルは目を細めると、そのまま足を振り上げキュロロを乱暴に振り払う。転がるキュロロを見下すように眺めた後、そこで改めて思い直したように動きを再び止めた。

 尚も絡み付く彼女の指に気付いたのだ。


「生憎ずっとこんな顔よ。生まれた時からね」

「よろしい。待ち人も未だ姿を見せず。もう少し、ほんの少しばかり相手をしてもらうことにしますかな」


 そう言うと少し腰を屈め、器用に指先を使いながら、足首に纏わり付くキュロロの手をさっさと引き剥がす。そして、今度はそのまま腕を掴むとその体を力強く引き上げた。


「お礼は言わないわ」

「それは助かりますな。情が移っては敵わぬが故に」


 わざとらしく首を揺らすその姿からは、不思議と敵意は感じなかった。恐らく今、止めは刺しにこないだろう。


「まだ少し教えて欲しいの」

「仕方ありませんな。その姿で一体何を問おうというのか」


 ぶつけるようなキュロロの視線に、ラウンデルは目を細めて返す。

 彼の瞳の奥はもう全く読み取れなかった。


「あなたは“私の風”をどう思ったのかしら?」

「そうですな。私の知る限り、あの“神風”は本来ランスローのものと重なりますな」


 思い出すように、懐かしむように、ラウンデルはそう答える。


「知っているのね。ランスロー?」

「如何にも。あれは“神”であるジルフェの気配を纏っている。つまり、異質なものである。かの起源でいうのならば、本来この世界ではないものにあたるというわけですな」


 異質。キュロロにしても、その例えが的外れだとは思わない。そんなことは長年“フリード”を携えてきた自分がよくわかっているからだ。


「では、ランスローが神だというの?」

「かつて、は」

「今は違う、と?」

「神からであれば、神が生まれるとお思いですかな?」

「違うと言うの?」

「そうですな。神というには足りない。一部、そう、ほんの一握りといってよい。つまり、彼らも人間である」


 段々と慣れてきたのだろうか。回りくどい、などと思っていたはずが、自然と気にならなくなっている。というより、追い詰められたことで、そこまで気にしている余裕がなくなったのかもしれない。

 むしろ、それどころか次の言葉を待っている自分がいることにさえ、キュロロは気付いていなかったのだ。


「では、そのランスローは? 風を操る人なんて、私でさえ聞いたことがないわ」

「覚えておくといいですな。ランスローは隠し事をする質である、と」

「……クラレッタも隠し事をしているというの?」

「まず間違いありませんな」


 ラウンデルは、事も無げに言い放つ。さも当然のように。


「そう……でも、それは自分で確かめるわ」

「そうですな。それがよろしい」

「最後に一つだけ。これは私の直感でしかないのだけれど……あなたがこの地を攻める理由は、やはり“いる”のかしら?」

「……どうでしょうなあ。可能性はありますなあ」

「でも、どうしてそう思うの?」

「考えたことはありますかな? 誰も見たことのない、謂わば絵空事の伝承が、何故これ程までに信じられているのかを」

「いえ」

「簡単な話ですな。見た者がいるからです。つまり、一頭、一体、一人、一匹、どれかは知らぬが、少なくとも確認されているものがいる。そういうことですな」


 ラウンデルはそれだけ言うと目を細める。


「というと?」

「簡単なことである。マークベルト王と宰相クレフォンは隠し事をしているということですな」

「宰相……クレフォン……様」

「彼の名は、クレフォン・ランスロー。呼ばれる名は“嘘つき”。さぁ、もういいですな?」


 突如、鬼の姿が揺らぎ、そして、霧消した。

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