三十一. 不満

 聞いていた話ではそんなに距離はないということであったが、どういうわけかなかなか辿り着かない。となれば、道を間違えたということだろうか。

 元より、正しい道を進んでいたかもわからないので、その懸念は十分あった。


 少し慎重になり、立ち止まって周囲を見渡してみると、確かに先程までは数人の気配があったはずが、今ではまるでそれが感じられなくなってしまっている。

 ラウリィは頭を掻くと天を仰いだ。こうなると、もう道がわからない。

 焦りとは違う感情が、段々と滲み出ているのは確かだった。


 少し話が変わるが、彼の出身地はセイランという片田舎の小さな村になる。この村の広さといえば、十分ほど歩けば大抵の場所に移動することができる程度であり、村人は常々皆が助け合って生活している。その為、特にそれに自体に不満を持つ者も少ない。足りないものがあれば、互いに補えるからだ。

 特に大きな街や都会と呼ばれる場所を知らぬラウリィら村の若者にとっては、そういった場所に縁があろうはずもなく、この村、つまり、ほんの一部の世界で満足している者が大半なのである。

 当然、知らなければ、特別な感情や不満など抱きようがない。強いていうのであれば、時折訪れる旅人達の冒険譚だけが若者達に胸踊る大冒険を夢見させていたのは事実だろう。


 話は戻り、ラウリィはそもそも地図というものに馴染みがない。村ではそんなものを開く必要がなかったからだ。

 大抵は頭で覚えている為、感覚のみで事足りてしまう。しかし、これが問題だった。


 改めて村を出てみてわかったことだが、これこそが彼を悩ませる頭痛の種となってしまっている。

 ……そう、感覚など、まるで当てにならなかったのだ。


 ──このまま進むべきか。それとも、引き返すほうが無難なのか。


 間抜けな話ではあるが、戦場に辿り着けないようでは話にならない。ここは恥を忍んででも誰かに付いていくべきだった。

 ラウリィは直ぐに踵を返す。最悪、グランバリー砦でもう一度教えてもらうべきだろう。


 そもそもの責任転嫁をするわけではないが、小さな村から召集しておいて、地図の見方を説明せずに放り出すほうに問題があるのだ。


「待て、このままでいい」


 来た道を引き返し始めたとき、不意に隣のほうから強烈な力で肩を掴まれ、ラウリィは思わず声を上げる。


「なっ!」


 ──確かにさっき、人の気配はなかったはずだよね!


 そうであるにも関わらず、こうして今、何者かに肩を掴まれてしまっているのはどういうことなのだろうか。ラウリィは困惑した。


 ──なんて力だ。


 なんと力強いのだろう。痛い、ということはないのだが、不思議と全く体が動かない。まるで、どこかに固定されているかのようにも似た感覚を覚えてしまう程にがっちりとしているのである。


「思い出さないか? イッパツという名を」

「ごめん、忘れていたわけじゃないんだよね」


 続く問いには、なんとか対応する。反射的な部分もあったが、何よりもその名に覚えがあったからだ。


 ──あの時も……気になっていたんだよね。


 会議の時、ラウリィの次に姿を見せたのが、他ならぬこのイッパツだったのだ。


「よく覚えているよ。君のことは」


 もっとも、今回のように急に掴まれる分に限っては、咄嗟に判断ができる人など、まずいないだろう。むしろ、下手をすれば攻撃が出ていてもおかしくない。

 ラウリィは胸を撫で下ろした。


 その返答に満足したのか、イッパツは大きく頷く。気付かぬうちに、手が自由になっていた。


「ああ」


 簡単にそれだけ言うと、黙って先を歩き始める。道の問題は思いの外簡単に解決したようだった。


 ──そういえば、会議の時も彼の気配を感じることができなかったな。

 彼も何か秘密があるのかもしれない。


 ラウンデルを始め、幾人かは気付いたような仕草を見せていたことを思い出す。気配を消しているわけではないのだろう。


 逞しい背に続きながら、ラウリィは思考を巡らせる。聞きたいことが山ほどあるのだ。

 そのままある程度進んだ頃、イッパツが動きを止めて振り返る。


「少し間に合わない」

「間に合わない? そんなに離れていたのかな?」


 そんなに距離はないと聞いていたけど、と小声で付け足しておく。確かに、随分と歩いているとは感じていた。しかし、迷っている様には見えなかったので気にしなかったのだ。


「ああ。行き過ぎていたからな」

「道理でね。でも、引き返していないよね。どうしてかな?」


 確か、先程振り返ろうとした時は肩を掴まれて止められた気がする。どういうつもりなのだろうか。


「一度突っ切り、後方から参戦する。しばらく二人だけで戦うぞ」

「そういうことか。大胆だね。でも、いいのかな? それは独断だよね?」


ラウリィの問い掛けに、イッパツは短く返した。


「ああ」

「──勝算は?」


 ラウリィの中で、何かが目覚め始める。不思議と不安はなかった。というよりは、少しだけワクワクしていた。


「考えていない」

「いいね!」


 予想通りの答えに胸の奥から何かが込み上げる。


 ──やっぱりだ! 僕の勘は正しかった。


 目の前の拳を見つめると、少し震えるように握られていた。あの時に感じた直感は間違っていなかったのだと確信する。


「僕はラウリィ。行こう、イッパツ!」


 欲しい言葉は一言で足りる。


「ああ」


 ──そうだ、その言葉だ!


 ラウリィは差し出された手を強く握った。

 あの日、あの場所で彼の姿を見たのは、運命というものなのかもしれない。


 ◇


 ──各隊は配置に就いたのだろうか。


 ファニルは一度周囲を注意深く観察すると、再び時計に目を戻した。ちらりと隣に目をやると、ヴィルマと呼ばれている頼りなさそうな隊長も、自分と同様に時間を確認しているのが確認できる。

 ただ、彼女とは違う理由なのだろう。ゆっくりと自身の装備を確認しては、静かに欠伸を噛み殺している。


 何故か、その呑気な態度に段々と苛立ちが募り、ついには彼女の口からは舌打ちが漏れてしまう。どうしてこうも違うのだろうか。


「はぁ、もう少しの我慢ですよ」


 少し大きな音が出てしまったのだろう。それに加え、この隊長は意外にも反応が機敏なのである。

 それこそ、独り言のつもりで発したような言葉にさえ返事が来ることが多々あるのだ。


「違います。何の我慢か存じませんが、私が気なっているのは、あの馬鹿二人がまだ来ていない、ということですので。お構い無く」


 馬鹿、という部分に力を込める。本音を言えば、馬鹿はもう一人おり、三人だ。


「はぁ、どこに苛つく必要が? この場にいないということ、もしくは、二人が馬鹿だということですか。いや、そもそもここを集合だと設定したこと自体にも考えられるか」


 ほら、と思わず声がでそうなほど、予想通りの返答にファニルは顔をしかめた。意味がわからない。

 おそらく、凄く顔に出ていることだろう。ファニルは自分でそれを自覚する。


「言いたいことは沢山ありますが、全く、伝わりそうもないので、もう結構です」


 彼女は顔を背けて会話を打ち切った。この手のタイプは何を言われても気にしないし、関係ないのだ。

 全く、という部分にファニルは再度力を込める。


「はぁ、変わった人だ」


 相手も彼女を変人だと認識したようで、その視線は再び時計へと向けられる。さぞ、面倒な奴だとでも思っていることだろう。腹立たしい限りである。


「……もうすぐ時間になりますが、このまま続行しますか?」


 ファニルが尋ねると、再びヴィルマが彼女へ視線を戻す。

 彼女とて、来ない二人を待つつもりなど更々なかったが、隊長とは意思の疎通を図っておかなければ後々面倒なことになりかねない。それに、まさか“待つ”とは言わぬだろう。


「ファニル。君はグィネブルの地を疑問に思ったことは?」

「は?」


 全く関係のない返事に、ファニルは思わず口を開けてしまう。彼は何だ、ほんの他愛のない雑談でも始めようというのだろうか。

 彼女としては、どきれば話をしたくはなかったのだが、やはり、無視をする訳にもいかないという気持ちが優先される。


「何故、こうも違うのだろう、とか、そういった素朴なことでいい」

「不思議に思った、程度であれば」


 ない、と言うのは躊躇われた。

 正直なところでは、彼女にしてもグィネブルに行くような機会はなかった為、特に深く考えたことなどないに等しい。


「そうだ。普通はそのくらいだろう」


 そう言うと、ヴィルマは少し嬉しそうに顔を綻ばせる。

 ファニルもその一人だが、マーキュリアス出身の者は、そもそもグィネブルを知らずに育つ者は少なくない。本当に名前程度しか知らぬ者が数多くいるのである。


「ここだけの話だ、俺はあそこに太古の怪物が眠っていると考えている。いや、そうだな。ここは復活するために力を取り込んでいるというほうが正しいかもしれない」


 気が付けばヴィルマがすぐ隣まで近付いて来ていた。先程の退屈そうな顔はどこへやら、今は楽しそうに話をしている。


「怪物?」

「ああ。疑問に思わないか? どうして現代に、本物の“鬼”や“龍”がいないのかと」


 いない、という言葉が妙に引っ掛かった。逆にいえば、いる、とは考えていないようだ。


「では、仮にそんな怪物がいるとします。何故、マーキュリアスには影響が出ていないのでしょう」


 馬鹿馬鹿しいと思ったが、あえて声には出さない。理由を詰められると面倒だからだ。

 ファニルは話を合わせるように、言い返してみる。


「さぁ? でも、そこはフィオナ様が知っていると思うんだよ」

「フィオナ様が?」


 思わぬ名前がヴィルマの口から放たれる。


「そうさ。フィオナ・マーキュリアス様だ。あの方について、君は何かを知っているか?」

「この国を治めている……」


 確かに、漠然としたことしか聞いたことがない。要は何も知らなかった。


「そうだろう。そもそも名前しか知らない者も多いかもしれない」


 嫌な予感が脳裏を過る。言いたいことが今一つはっきりしないのだ。


「秘密主義が気に入らない、そういった類いの話ですか? 意外です」

「そうかい? 困ったといえばその通りだが。……知りたいんだよ」


 そこでようやく気が付いた。


 ──この人、この話になってから、明らかに口調が変化している。


「ラウンデル様もそうさ。恐らく深く知っていながら、それを誤魔化しているのがよくわかる」

「いいんですか? そんな陰口のようなこと。報告しますよ」


 突き放すように冷ややかな視線を投げ、話をすり替えようとする。いつまでもこんな人には構っていられないからだ。自分が巻き込まれるのは御免蒙る。


「そう判断するなら構わない。しかし、どこに属するかはこの際問題でないんだ」


 そう呟く顔は、少し困ったような表情を浮かべつつも、それに勝る感情を宿しているようにも見え、ファニルの背筋に冷たいものが走る。


「……この戦いにも関心がないと?」

「そうだな、勝つ気はないね。それに俺は関わるべきではないと思っている。だってそうだろう? 今の均衡はある意味では一つの理想の形だ。事情も知らされず、乱すことに積極的になれというのは到底無理な話だよ」


 あ、と一言付け足した。


「でももし、君たちがやられそうなら助けてあげよう。君たちに戦う事情があるのなら、それは最善を尽くすべきだ」

「君たち?」

「はぁ、ラウリィとイッパツだよ。仲間を忘れては駄目でしょう」


 彼は律儀にも、指示を守らない部下のことも案じているらしい。


「覚えていますが。最も、彼らに関しては来る、来ないの時点で止まっていますので」


 そもそも二人は遅れている。このまま開戦してしまえば、到着したところで何処にいるかなんてわかるはずがない。


「はぁ、的外れもいいとこだ。そんなことでいいのですか? そろそろ始まるというのに」


 ヴィルマは最後にそう言うと、時計に目を戻したままで黙り込んだ。

 ファニルは続く言葉を待ってみたが、もうそこで話は打ち切られてしまったようである。今はこれ以上、何も言う気がないのだろう。


 ──思ったよりわかる人かもしれない。


 不思議とそう思えるようになっていた。

 ファニルは今一度、自身の戦う動機を確認する。


 ──もう少しで開戦するだろう。その時私はどうすべきなのだろうか。


 今まで感じ得なかった、迷いにも似た感情が芽生えていることに、彼女自身が驚いていた。

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