三十二. 感覚

 グィネブルにあるダンガルフ砦では、大勢の兵士達が慌ただしく動き回っていた。数日前からは到底考えられない規模の騒動である。


 中でも物資を運ぶ者がその大多数を占めており、まさに対立するマーキュリアス、ここではグランバリー砦を指すのであるが、そこへ強襲を掛ける為の準備が着々と行われているようだ。しかしながら、堅牢な守りを主とするこの砦から大掛かりな出撃をすることは極めて稀であり、全体的に若干のぎこちなさが顔を覗かせている。


 国境にある拠点という意味では、同じく守りの要であるバルビルナ砦も不落であり、グィネブルという国は基本的に守りに強みがあるのかもしれない。もっとも、バルビルナに関しては、“英雄シゲン”による功績が大きいのは、もはや語るまでもないのであるが。


 では、何故その守りに秀でた砦が攻めに転じるのかという話であるが、それは先日ゼフィー達がもたらした情報が影響している。

 グランバリー砦に駐在していた者達の大半は、付近の街ラザニーで発生した騒動の鎮圧に出向いており、ここしばらくは砦が手薄となっているらしい。また、傭兵であるグラディールは詳しくは聞かされていなかったが、彼らの噂によるとマーキュリアスの女王がこの件に関与しているとのことである。

 それが真であるのならば、そのラザニーでの騒動はマーキュリアスにとっては重要案件であるのはもはや想像に難しくない。


 そういった情報を踏まえた上で会議が行われ、最終的に今が仕掛ける時であるとの判断がダンガルフ軍に下されたということだ。


 この作戦は砦の迅速な制圧を主目的としており、もし時間が掛かり過ぎるようであればグランバリー砦への援軍も当然予想される。そうなると、地力の差が懸念される為、早めの撤退を余儀なくされることも視野に入れなければならない。またクラレッタの強い要望により、ゼフィー、グラディール、キュロロの三名はフィアッカの救出のため、内部への侵入が優先とされた。


 突発的な相手側の隙を突いた作戦である為、時間との戦いであり、既に戦いは始まっているともいえる。所狭しと準備が行われているのはそういう事情があるのだ。

 そんな中、人々の流れに逆らうように強引に進み行くような姿が見える。混みあった通路は当然のように混雑しており、もう幾度となくぶつかりそうになっていて、非常に危なっかしい。


「あっ!」

「おっと、ゼフィーか。危ないので以後気を付けるように」


 衝突しそうになったところを何者かに受け止められ、ゼフィーは軽く頭を下げた。


「マードックさん! はい!」

「いい返事だ。それで一体どうして急いでいるんだ?」

「それが……」


 杞憂で済むならそれに越したことはないのであるが、どうも嫌な予感がするのだった。

 ゼフィーは浮かぬ顔でマードックに説明を試みる。しかし、どうにも上手く伝えることが出来なかった。


「なにか見落としているような気がして、それで気になって」


 彼女が最初に違和感を覚えたのは、武器の手入れを終えた後だった。ふと気分転換に外の空気を吸おうと思い、窓から外の景色を眺めていたところ、見慣れた景色が何か揺らいで見えたのだ。

 思い返せば、先の偵察の際にミレディと対峙したときから、何やら少し体の調子が変なのである。……変といっても悪いわけではない。むしろ、調子が良過ぎるのだ。


「そうか。よくわからないが、俺も手伝うとしよう。とりあえず、こっちに行けばいいんだな?」

「あ、はい。実は、見張り台に行きたいんです」

「見張り台? そういうことなら。何か動きがあったのかもしれないな」


 体の大きなマードックが先を歩いてくれるのは、小柄なゼフィーにとっては非常に有り難い。


「気のせいかもしれませんけど……」

「構わないさ。放っておくわけにもいかんだろう」


 その通りで放っておくことなど出来なかった。一刻も早く確かめておきたかったのだ。

 もし、グランバリーに兵が戻っているのなら、今すぐにでも中止にすべきだと進言すべきだろう。


 ──その時、私は。


 ……しかし、そうなればフィアッカやフリットはどうなってしまうのか。

 不安になり、マードックの背中をじっと見つめていると、不意に彼が振り向いた。


「大丈夫だ。何があってもあいつは──フィアッカは俺が何とかする。わかっているな? 一人で無茶はするんじゃないぞ」


 マードックもまたどこか普段と違っている。ひょっとすると、彼女の不安が彼にも伝わっているのかもしれない。

 そう感じたゼフィーは、気持ちを強く持つよう、改めて自身の気持ちを奮い立たせる。弱い気持ちを伝導させるわけにはいかない。


 目を合わせて互いに頷くと、再び二人は走り出す。……それでも、見張り台に近づくにつれ、また少しの不安が募ってしまうのをゼフィーは避けられなかった。


「マードックさん、見張りをしている人が少し少ない気がしませんか?」

「ああ。確かにそうだ。……出撃のほうに気を取られすぎているのかもしれない」


 周囲を見渡しながら、マードックが低く肯定する。


「あ! シパーさん」


 ゼフィーが呼び掛けると、見張り台の上にいた人物が動きを止め、その姿を探すように辺りを見渡す。改めて彼女が手を振ると、シパーと呼ばれた男もこちらに気付いたようで、挨拶代わりに手を上げた。


「どうした、ちびっこ。そっちは忙しいんじゃないのか?」

「うん、あっちはまだ大変そう。こっちはどう?」

「そっち、あっち、こっち……」


 反射的にマードックは顔をしかめてしまう。こんな会話が続くようではややこしくて敵わないのだ。


「はははっ、そっちのおっさんは? 体から頭まで固そうだが」

「マードックさん」

「せめて硬派だと言ってもらいたいものだが!」


 渋い顔でマードックが声を荒げる。悪気はないのだろうが、初対面でこの調子では、なかなか癖が強いのだろう。


「ああ、あんたが噂のマードックか」

「いかにも! 俺が噂のマードックだが!」


 どんな顔をしているのか見てやろうと、ずかずかと見張り台へとマードックが向かっていく。


「噂? そんなことよりシパーさん、何か変わったことはありませんでしたか?」

「どうかな。まぁ、強いてなら、ラザニーの方から妙に人が流れていたかもな。バラバラと忙しいことだ。案外近くで何かやっているのかもな。おい、知っているか?」


 シパーがとある方向を差して言う。


「ううん、知らない」

「では、グランバリー砦はどうなのだ?」

「そっちは特に変わってないね。まぁ、俺が見てる間に限るがね」


 登り終えたマードックが、シパーの指差す方角に目を向ける。相変わらず沈黙を保っているのは明らかだった。


「確かに。人気は感じられないかもしれんな。よし、ゼフィーも来るといい」


 ゼフィーも合流し、今度は三人で周囲を確認する。


「うーん」

「気のせいなら、それに越したことはないさ」

「何だ? どういうことだ?」


 考える二人を見て不思議に思ったシパーが首をかしげる。


「何か景色に違和感があったというか……うーん」

「違和感って? そりゃ、さっきも言ったが、やはりあれじゃねぇのか?」


 シパーが指差す方へ、二人は促されるまま視線を移す。意外と近場だった。


「見た感じはラザニーからの旅人だが、際にあるマーキュリアス領の森林地帯を彷徨いている。昨晩からバラけているが、それにしても今日はちと多いかもしれんな。迷っているわけではないだろう」

「あ、確かに。普段はあまりいないかも」

「武装している様子は……うーむ。なさそうだ」


 三人して森林を眺めてみる。確かに違和感には違いなかった。

 そんな時、ゼフィーは他の旅人達からは少し離れたところにいる二人組を視界の端で捉える。何か他とは違い、急いでいるようなその動きがどこか少し引っ掛かったのかもしれない。

 ほどなくすると、荒野、つまりはグィネブル側へと、その二人組が飛び出して来るのが見えた。速度を落とすことなく、一直線に砦へと向かってやってくるようだ。


 次第にシパーやマードックもその存在に気が付いたようで、場が俄に色めき始める。元より、皆が良からぬ気配を感じた為にここにいるのだ。


「おいおい、あれは何だ?」

「さぁ?」

「……いや、駄目じゃん!」


 なんと、その二人組は城壁に駆け寄るや否や、そのまま張り付き、あろうことか思い切り打撃を繰り出し始めたのだ。馬鹿げているが、当然ながら見過がすわけにはいかない。


「他に動いている者はいない! 他と関係があるかはわからんが、とりあえず止めるぞ!」

「一応、警戒を入れるか。俺はこのまま様子を見る!」

「私はクラレッタ様に報告します!」


 三人は頷くとすぐに駆け出した。それぞれが一抹の不安を抱えながら。


 ◇


 砦の中から警戒を示すであろう信号が発信され、その瞬間に一際騒々しくなる。侵入者、もとい、侵略者を知らせる合図なのだろうか。

 それに気付いたラウリィは舌打ちで応じる。イッパツは無反応だった。


 都合のいい話であるが、もし相手が油断していたのなら、せめて城壁を突破するまでは余裕があるはずだとラウリィは踏んでいた。ここを突破出来なければ、形勢としては良いも悪いもないだろう。何もせずに逃走するより他にない。


「思ったより対応が早いな」


 黙々と城壁に打撃を繰り出しているイッパツへと、ラウリィが声を掛ける。流石にまだ直ぐに突破出来る気配は感じられない。

 もちろん、彼とて簡単に城壁を破壊出来るなんて思っていないし、無策でやっているとも考えていない。特に見つからぬように来たわけでもないので、まだこれで終わったわけではないのだろう。おそらく、イッパツはまだ次の手を残している。


 ちらりと表情を窺うと、当の本人からは焦っている様子も感じられない。それならば、今はまだこのまま任せてみてもいいかもしれないとラウリィは思う。騒ぎ立てるのが最善であるとは思えないからだ。


「ラウリィ、中の様子はわかるか?」

「わからない。ただ、止めに来る気配はまだなさそうだ。出来れば今のうちに突破しておきたいところだよね」


 すると、イッパツが少し考えるような素振りを見せ、少し遅れての返事がくる。


「そうか、少しは集めておきたかったが。確かに失敗するリスクを負う必要もないな」

「集める?」


 その答えに確信する。やはり、イッパツには何か考えがあったようだ。動きを止めたイッパツがラウリィを見た。


「ラウリィ、お前はあの傷を見てどう思った?」


 ──傷? ああ、ラザニーのだろうか。


「あれかな? 僕に気付いていたんだ?」

「ああ」

「そうだね、どうやったらあんな傷を残せるんだろう、とかそういった感じのことかな。あまり覚えてないけどさ」


 それよりもイッパツの後ろ姿のほうが鮮明に思い出された。傷よりも、彼の存在が気になっていたからだ。


「ラウリィ、あれは鬼がやったと思うか?」


 質問の意図が掴めず、ラウリィは少し返答に困る。鬼……ではない。


「いや、僕は龍だと思ったけど。それは、同じ意味かな?」

「大体は」


 イッパツは黙り込んだ。


「イッパツ?」

「伝承は本当にあった! ラウリィ、それをお前からも感じて止まない! そして、何よりこの部隊こそが数少ない証明になる!」


 言い終わるが否や、すっと沈むように腰を落とすと右手を脇の下まで引き、左手は前に出すように構えをとる。


「ラブリル・ストレイトォ!」


 次の瞬間、すべてを吹き飛ばすかのような轟音が炸裂する。

 爆発が起きたのだろうか。巻き起こる砂塵により、周囲の様子がまるでわからない。


「イッパツ。それが俺の名だ」


 燃えているかのように赤い拳だけが、しばらく目の前で震えていた。

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