二十九. 予言

 去っていく男がいて、立ち尽くす女がいる。泣いている子供がいて、背を向ける子供たちがいる。


 彼女は夢の中にいた。

 そこでは、確か彼女の父の……父が旅に出た日の記憶が再現されているようだ。


 不思議なことに、その中で彼女は幼き自分と対面している。つまり、彼女は自身の夢であるにも関わらず、第三者としてそこに存在しているようだ。

 懐かしい家具、匂い、声……そして、家族。それでいて、誰も彼女を見ることはない。

 不意に訪れた懐かしさと孤独とに、彼女の心は大きく揺れた。


 ──世の為。


 父はなんだかそんなことを言っていたが、静かに泣いている母の姿を見ているうちに、やはり父は駄目な男だったんだろうと子供ながらに感じていたことが思い出されてしまう。だって母は……いや、他もそうだ。兄や姉、そして彼女も。皆、父のことが大好きだったのだから。

 どうしてそんな家族を残してまで行ってしまったのだろう。


 ──あたしはついて行きたかったのに……。


 だから、彼女はいつも思ってしまう。絶対に──と。


「エステリーゼ、起きなさい」


 ゆったりとしているようで、力強い声だった。繰り返し聞いているうちに、段々と意識も覚醒してくる。……あれこれ考えているうちに、丁度父も行ってしまった。


「あれ? リリク様……ですか?」


 エステルは眠い目を擦りながら顔を上げる。


「久しいな、エステリーゼ」


 まだ夢を見ているのだろうか。どうしてこの声が聞こえるのだろうと不思議に思う。


「え、はい。お久しぶりです」

「ああ。何年ぶりだろうか。しかし、驚いたぞ。倒れている君を見たという連絡を受けた時は」


 ──そうだった! 辿り着いたんだ!


「あたしは帰って来たのですね! アルタミラに!」


 段々と記憶が戻ってくる。確かに、森を抜けたような覚えもある。無我夢中に駆けてきたのだ。


「ああ。この森を越えてまで戻ってくる者は少ない。……よく頑張ったな」


 頭に軽く手を置かれると、その瞬間からたちまち実感が湧き起こり、安堵の涙が瞳に宿る。


「……もう駄目か、と思いました」


 溢れそうになるそれをなんとか堪え、拳を握り締めながらもなんとか拙い言葉を紡ぐ。どうしても、溢したくなかったのだ。

 これは線であり、ここより崩れてはいけない。


「そんなことはない。……いや、そうかもしれぬな、ただ、この森は少し意地悪なだけなのだよ」


 言葉の意味をエステルは測り兼ねる。意地悪とは、どういうことだろう。


「リリク様はこの森についてもお詳しいのですか?」

「ああ。……いずれ君もそうなる」


 今は語るつもりはないのだろう。秘密があるのは確かであるが、彼の口振りからはそれが特別なものだという感じはしなかった。


「魔法使いって何ですか?」


 今度は頑張って目を合わせた。今度は、今知りたかったからだ。


「その質問には答えられない」

「──え?」


 エステルは戸惑いに頭が真っ白になってしまう。

 必ず聞くつもりでいた。しかし、決して目もそらさずに真っ正面から断られたことでどうすべきかわからなくなったからだ。


 そんなエステルを見て、リリクは言葉を続ける。


「何故なら、私たちもわからないからだ」

「……どうして?」


 あまりのことに彼女の頭は回らない。まさか、リリクが知らないとは思ってもみなかったのだ。


「今まで現れたことがない。それが理由だ」


 ──ナツノ、あなたは……?


「ただ、魔力と呼ばれるものを持つ者は存在する。しかし、それだけでは魔法使いとは呼べないのだよ」

「……あっ!」


 彼女が以前に発した咆哮は、件の魔力と呼ばれるもの関係していたのかもしれないと、そこで思い当たり声が飛び出した。


「そうだ、お前も心当たりがあるのだろう。そうでなければ森も越えられまい」


 リリクは頷くと、ゆっくりと窓から外に目をやった。

 エステルはついその視線の先を追い掛けるが、そこには何も映っていない。彼には何か見えているのだろうか。


「きっと“あれ”が、そうなのですね」

「それはわからない。私は見ていないのだから。エステリーゼ、聞きなさい。それの形は一つではないのだ。もし、君がいうその“あれ”がそうだとしたら、それも数あるうちの、その一つに過ぎないものだ」

「どういうことですか?」


 感覚としては、人それぞれということだろうか。


「そのうち、わかる日は来る」

「それは……予言、ですか? それとも……魔法使いがいるから、ですか?」


 ──嘘つき。

 思わず感情的になったことを思い出して顔を伏せる。

 冷静になった今考えれば、彼もまた考え、悩んでいたということは想像に難しくない。堂々としているほうが不自然なのだ。


「エステリーゼ、もう行きなさい。君のことだ、わかっているのだろう?」

「でも……あたしはもう……」


 そこでようやく、何かがストンと落ちた。すると、嘘みたいに呆気なく視界が何かに覆われ、そして、流れる。


 ──涙。


「まだ、終わっていないようだ。だから、もう一度だけ予言しよう」


 驚いて顔を上げるエステルへ、リリクは静かに微笑んだ。


「ユノ。その街で君は運命に出会うだろう」


 ──その予言、二回目だよ。


 少し震えるような、小さな、とても小さな声でエステルはそう呟いた。


 この大森林にも風の精はいるのだろうかと、通り過ぎる風の音にそう思う。


 ──ルルは砕け、ラムダは狙われた。次はどこへ来るかわからない。


 突如、最後に聞いた父の言葉を思い出した。記憶の残り香を、風が運んでくれたのかもしれない。


 ◇


 ──やっと見つけた!


 先を行くその姿を確認すると、並んで歩こうと足を早める。

 何故だろうか。確かに姿は近くにあるように思うのに、不思議とその背中にはなかなか追い付くことが敵わない。


 ならば声を掛けてみよう、そう思い、少し迷った後に口を開く。


「やぁ、少し探したよ」


 なんとか声は届いたのだろう。彼女はピタリと足を止めるとほどなくして振り返る。安堵も束の間、その口が何かを発するように震えるのを感じ、ナツノは思わず構えてしまう。


「嘘つき」


 ただ静かに叩きつけられた言葉に、ナツノは勢いよく飛び起きた。背筋にはまだ冷たい感覚がリアルに残っている。


 ──夢……だったのか。


 未だに胸は激しく鼓動を打ち、手は汗に濡れており、喉はカラカラに渇いている。夢ですら追い出されてしまうのだから、これはもう重症だと認めざるを得ない。

 自分らしくないと、そうは思うが、対処法を知らないのだ。


「あぁ、そうだった」


 心機一転の為に軽く声を出すと、エルマの様子を確認する。気持ちを切り替えなければいけない。

 相変わらず、彼女は青白い顔で眠っているようだった。


「シリウス、一度起こすべきかな?」


 起こさなければ永遠に眠っているのではないかと思ってしまうほどに、その姿に儚さを感じてしまう。


「放っておくがいい。仮に起こせたところで何もできないだろう」


 もっともな返事が来るが、どこか少し素っ気ない。ナツノは首を傾げて問うてみる。


「そうだね。シリウス、君にはこれが?」

「知ったところで何もできぬ。ここに置いておくがよい。何もせずとも、それが一番こやつの為だ」


 理由はわからないが、シリウスは彼女に何が起こっているのかを知っている。そうでありながら、放っておけと言っているのだ。


「まぁ、いいんだけどね」


 わざとらしく声に出すと、ナツノはその場を離れることにした。

 その気になれば、この場所へはいつでも帰ってこれるのだ。シリウスを信じるならば、彼女はまだ目を覚まさないのだろう。ナツノにせよ、そう思っているところは少なからずある。


「成功するかはわからないけど」


 風の精を呼び出すと、エルマの周りに固定させておくことにした。誰かが触れれば自分の元へと帰ってくるように力を与えるのだ。


「何もしないよりはきっといいさ」


 最後に、話しかけるように顔を覗き込むが、もちろん彼女からの反応はない。


「……ナツノよ」

「ん?」

「例えば、だ。もし、自分というものが、知らず知らずのうちに二つに分かれていたとする。そうだな、仮に本当に二人の人間になったとしよう。その場合はどちらが本物と呼べるのだろうな」


 シリウスが何を思いそんなことを問うのか、ナツノにはわからなかったが、たぶん聞いても答えは返ってこないだろうと思う。質問……ではないにせよ、聞き返すのは違う気がしたのだ。


「どうだろうね。どちらも本物だと思うけどな。でも、結局は周囲の人が決めるしかないんじゃないかな」


 指で風の精を遊ばせると、しばらくそれを目で追いかける。


「その人の思う方が本物だと思うよ」


 最後に指で弾くと、風の精はエルマの元へと戻っていった。


「そうだな」


 シリウスはポツリと一言だけ発した。


「さぁ、ユノへ行こうかな」


 フリットに始まり、メアリードにエステルときてエルマ、最後にシリウスまでも様子がおかしい。


 ──あぁ、忘れていた。

 自分も少し変かもしれない。


 ◇


 この街は変わっていない。いや、変わってはいるが、根本は変わらない。

 ナツノは上層のベンチに腰を降ろし、少しの安堵を感じていた。言い過ぎな部分はあるにしても、ここでは皆が他人なのだ。


 ここから眺めていると、道行く人は皆、流れる水のように常に変化を繰り返しているように見える。

 同じ人はほとんどいないにも関わらず、街の雰囲気が概ね一定を保っているように感じるのはどうしてだろうか。あまつさえ、それを変わっていないと思える自分にナツノは苦笑いを浮かべてしまう。

 しかし、実際はやはり形を変えているのだろう。どんな姿でも自然と受け入れてしまっているだけなのかもしない。


 予定通り、ラザニーについての情報は得ることができた。どうやら、そこは有名な場所なのだそうだ。

 ナツノはその情報を頭の中で整理してみる。


 旅人が多い街であること、街の香りが特徴的なこと、マーキュリアスの兵士が数多く立ち寄っているということ。そして、数日前に大きな騒動があったのだということ。


 流石にまだ日が経っていない為に、その“騒動”についての情報は少ししか得られなかったが、トウカとメアリード達の一件であるという可能性は十分だった。


 ──問題は、どうやって行こうか。


 見渡すようにマーキュリアス側を眺めてみるが、今一つそのラザニーは見えてこない。もちろん、見えるような位置にあるわけではないだろう。

 そろそろ辺りは暗くなってきており、遠くまではよく見えず、ナツノは諦めて視線を上げた。


 ラザニーのほうから来たという商人はいるのだが、あちらのほうでは近々戦闘が起こるという噂が立っているようで、今からラザニーを目指すような商人はとても見つかりそうにない。


 今まで気が付かなかったが、結局のところ一人では少し弱気になってしまうのかもしれない。

 そんな考えを振り払うように、ナツノは首を横に振った。


「お兄さんお兄さん、珍しい格好してるねぇ」


 そんな時、ナツノの近くで誰かの声がした。


「ねぇ、どこかの街へ行きたいんでしょ?」


 ……誰か? いや、彼は知っている。この声の主を。

 ナツノの心臓が一際早く鼓動を刻む。


「ひょっとして、僕?」


 ナツノは振り返り、少女に声を掛ける。


「そうだよ。あたしはエステリーゼ・リコルト。あなたは?」


 安堵だろうか、それとも緊張しているのだろうか。

 ……いや、やっぱり不安だったのかもしれない。


「ラザニーを目指しているんだ」


 そして、一呼吸置くと、ナツノは少し悪戯っぽく微笑んだ。


「僕はミュラー。ミュラー・ランスロー」


 そして、少し驚いているような彼女に、今度はしっかりと笑いかけた。


「一緒に来てくれるかな?」


 ──この街に来て良かった。


 真っ直ぐに近付いてくる足音に、ナツノは心からそう思った。

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