二十八. 求
人混みは嫌いではない。
むしろ、人がいる、ということに安心するほうかもしれない。
一人が嫌だ、というわけでもない。
何故なら、家の中では一人でいるほうが落ち着いた気分になれるのは確かなのだから。
少し考えれば、誰だってそうである。ゼロか百かの問題ではないのだから、状況や気分によって変わることも十分にあるはずなのだ。
周囲を見渡せば、溢れんばかりに人がいる。
それでも、こんなにも大堰の人がいるのに、自分の探しているような人はきっといないのだろうなと悲しく思う。それなのに、まだどこかにある期待を捨てきれずにおり、宙ぶらりんな気持ちのまま喧騒に紛れて込んではつい視線を彷徨わせている。
やっぱり一人くらいはいるかもしれない。だってこんなに人がいるのだから。
思い耽って街を歩いていると、ここが迷宮ではないかと勘違いを起こしてしまいそうだった。とはいえ、片田舎の小さな村から出てきているラウリィにとって、このラザニーの街が迷宮のような存在であることはあながち間違いではない。
ラウリィはもう少しだけ散策することに決めると、更に人の多い方へと足を向けて歩き始める。当然のように全く知らぬ道が続いていくが、何処へ行っても人がいるので、不思議と焦るようなことにはならなかった。
例えば、もし通りを一つ曲がることで、急に人がいなくなるようなことでもあればどうなるのだろうか。やっぱり焦って引き返すのだろうか。
そんな時、ふと違った空気を出している場所が目に留まった。人々の関心は薄いようで、そこへ向かう姿は見当たらず、まるで切り離されているようにも感じたのだ。
──こんな街で何があったんだろう。
ラウリィは不思議とそれが気になった。
人波から外れ、そこへ向かうとすぐにその理由が明らかになる。
……抉れているのだ。地面が。
天災か、もしくは伝承の龍でも暴れたのではないだろうか。そうでもなければあり得ないような傷だった。
この様子では、出来て間もないのだろう。立ち入らぬように工夫はされてはいるが、特に対処はされていないようだ。
「グランバリーへも要請するか?」
「そちらは放っておけ。バガノンから土を移送するそうだ」
土を運んで埋めるつもりらしい。気が遠くなるような話にラウリィは耳を疑う。豊かな大地は、こうも人をおおらかにするのだろうか。
そんな時、ラウリィは自分の他にもう一人この傷を見ている者がいることに気が付いた。
自分と同じく用事があってこの街に来たのだろう。その身には酷く傷んだ服を纏わせており、休暇で来たというには程遠い雰囲気が醸し出されている。
窺える外見はラウリィと同じ位の年齢だった。
珍しく、声を掛けてみたいという気持ちが生まれるが、特にきっかけを見つけることは叶わず。しばらく眺めていたが、ついには引き返してしまう。
一度は歩き始めたラウリィだが、最後にもう一度だけ振り返って決意する。
──もし、また会うことが出来たら話し掛けてみよう。
振り返り様に見た震えるような拳が、彼の頭を離れなかった。
◇
ある程度近付いたところで、ラウリィは若干の違和感に気が付いた。
──会議が……始まっている?
もちろん、それはラウリィが参加する予定のものであるものと思われる。扉に手を伸ばした際には、完全にそうであると確信した。
一度伸ばした腕を引っ込めると、改めて時間を確認してみる。
──おかしいぞ。まだ始まるような時間ではないはずだよね。
その内容を確認しようと扉にそっと耳を傾けたところで、思わぬ声が聞こえてくる。
「おや、君はそこで何をしているのですかな?」
まるで自分が問われているような気になり、ラウリィはたまらず唾を飲むと息を潜めた。
──見られている。
中の様子はわからないが、自分、もとい扉に向かって視線が集中しているような感覚が彼の胸を駆けて抜ける。例えるなら、隠密行動が敵に見つかってしまった時だ。それに似ている、とでもいえばいいのだろうか。
「ここに来た、ということはその気持ちをがあるということで間違いありませんな?」
更なる問いかけに確信する。
──バレている。いや、わかっている。
正確には、自分がそこにいることに中の人物は気付いているのだ。
最後にもう一度だけ、ラウリィは時計へ目を向ける。
──やはり、時間にはまだなっていないぞ。ならば、気にするようなことはないはずだよね。
その場で反応をすべきか迷ったが、ここは一度中の様子を見てからにしようと決断する。
一旦思考を打ち切ると、改めて力を込めて扉を押し、中への一歩を踏み込んだ。
──後は、なるようになる。そうだよね!
◇
外観に反して小綺麗な内装だった。
ステージのような空間があるので、普段は演奏やショーなどが行われているのかもしれない。
「失礼します」
挨拶をする際には、忘れずにざっと周囲を確認しておく。やはり、自分の疑問は間違ってはいなかったようだ。
既に着席している人数、そして、空席とを比べると、答えは自ずとそうなった。
ざっと十人ほどいるのだろうか。何人集められているかは知り得ないが、空いた席を考えればそのほとんどが集まっていないことは明らかである。
「少しよろしいですかな?」
「はい」
外で聞いた声の主だった。
反射的に返事をし、その姿を探すように視線を動かしたところで、足早にこちらへ近付いてくる人物を確認する。
驚いたのは、目が合うよりも先に、その人物が話し始めたことだ。
「はぁ、とりあえず席にどうぞ。空いているならどこでも構いません。話はそれからにしましょうか」
「ありがとうございます」
言うだけ言うと、またそそくさと離れてしまう。ラウリィは軽くその後ろ姿に頭を下げると、改めて周囲を見渡した。
まず、奥の端のほうに目を向けると、不機嫌そうにこちらを睨んでいる女性が一人。また、中央付近には怪しげな笑みを浮かべている男性とその周囲にポツポツと、おそらくは同じように集められたであろう者達が座っているのがわかる。そして、手前、すなわち入り口の付近では、先ほどの男性に加え他にも数名が座っており、まるで値踏みするような視線でこちらを見ているのが窺えた。
──手前は止めておこう。
早々に見切りをつけると、ひとまず奥に向かって歩き始める。
中央に紛れ込むのもいいかもしれないが、注目を浴びている以上は全員を見渡せるほうが気は楽である。
案の定、敏感に察知したのだろう。目指す席の近くに座っていた人物が早くも睨みを利かせてきた。
──あの子は大体の事情を把握していそうだ。だからこそ、こんなに明確に苛立ちを露にしているんだよね。
そう仮定すると、少しその女性の隣に座ることを決める。うまくいけば、何か情報を得られるかもしれない。
敢えて真っ直ぐに目を合わせると軽く会釈をし、ラウリィはそのまま隣の席に着いた。少しずつ運が向いてきたかもしれない。
「では早速、まずは君の名前を教えてもらえますかな?」
「ラウリィ・プルトサンダーです」
席に着くや否や質問される。
「改めて、ラウリィ君、君は今ここで行われている会議に出席したい。それで宜しいですな?」
「ええ、確かにそのつもりです。ところで、その会議が予定より早く行われているのは、一体どういった事情があるのでしょうか」
ラウリィは男が目を細めるのを見て、やはり何かありそうだと内心で舌打ちをする。
「ほう。それは君のほうが遅れて来た、とは考えていないという意味ですかな?」
その男は感心したように頷くと、更に目を細める。その仕草でようやく悟る、この人がラウンデルだと。
「ええ。考えられる一つとして、これは何らかの試験なのではないでしょうか。対象は……そうですね、今回の会議からの新規の者、といったところでしょうか」
言い切ってから周囲の様子を窺う。
的外れなら、失笑する者や呆れる者がいるはずだろう。
「ラウリィ君、君は少し物事を余計に考えすぎるようだ。それは癖、の類いですかな? それとも警戒というほうが宜しいですかな? よもや、プルトサンダーの家訓、ということではあるまい」
予想とは少し違う反応だった。過剰に反応するものがまるでいない。強いていうのなら、隣からの視線がより一層きつくなったくらいだろうか。
「ラウリィ君、私は出席の意思は問うただけで、試験するつもりなどありませんな」
「え?」
「もう一つ付け加えるなら、会議をするつもりもそうだ」
「どういうことでしょう?」
では、どういう理由で集められたのだろう。会議とは、呼び出す口実に過ぎなかったということなのか。
「君達と話がしたい。無論、その気が無ければ帰っていただいても結構ですな」
「話……ですか?」
その時、ラウンデルの目が少し光ったような気がして、ラウリィはつい目を細めてしまう。
「ラウリィ君、君も鬼なのだろう? 違いますかな? ここは鬼の国、そう呼ばれている。鬼の住む地ということですな」
鬼。“鬼”と、そう言ったのだろうか。
「っ!」
隣のほうから声が聞こえたような気がした。
「失礼、今は気にしなくとも宜しいですな。ともかく、会議はありませんが、今後の予定は君の隣の彼女に聞いておいてもらえますかな? ファニル君、それは君が責任を持って説明すべきである」
隣に目をやると、不服そうに小さく頷く姿が見えた。
「鬼は周囲と仲良くやるものです。皆さんも覚えておくとよいですな」
ラウリィにはなんとなく、自分達が集められている事情を掴めた気がした。
「はい。仲良くするのは得意ですから」
子供みたいな内容の、子供みたいな嘘をついている自覚はある。否、嘘ではない。求めてやまない願望なのだ。
「良いことです。そのうち願いは叶うかもしれませんな」
そう告げると、ラウンデルは扉に目を向けた。
「おっと、次の者が来たようですな」
──ラウンデル。“慧眼”と呼ばれる彼はどんな人物なんだろうか。
ラウリィは皆の視線が集まる扉に向かって目を細めた。何の気配も感じることが出来なかったのだ。
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