二十四. 鼓動
軽く吸い、そして、深く吐く。こんな簡単なことが気分を高め、整えてくれる。
ゼフィーはそんなことに少しだけ驚いた。今まではどこか落ち着くことのないままで駆けていたように思う。湧き、巡るエネルギーは、体の内側から隅々までを満たし、自分が“ここいる”ということを強く教えてくれているようだ。
ゼフィーは深呼吸をすることで体の調子を確認する。全身で鼓動を感じていると意識と体が同調してくるようで、これが思いの外心地が良い。
こういうのを調子がいいっていうのかな、などと自分で自分に問い掛けているうちに、また新たな感覚が連想される。まるで何か……そう、例えば伝承に出てくる精霊といったような存在が、今、ここで、我が身に宿ったかのようだ。
──そういえば、いつもこんな感じになる夢をみていた気がする。
もちろん、目が覚める頃にはそのすべてを忘れてしまっており、内容として全く覚えがない。しかし、その身に残された高揚感にも似た感覚を思い返せば、どこか近いものがあると感じられた。
──ああ、そうか。あの子が力を貸してくれたのかな。……あの子? 誰だったかな。
「ちょっと、戦う気あるんじゃなかったの?」
「あっ!」
完全に呆れ果てた声が脳へと割り込み、ゼフィーの思考を中断させる。目は開いていたが、完全に内側に潜ってしまっていたようだ。
敵も敵で、律儀にこちらへ呼び戻してくれたらしい。
「やりにくいわね。……ねぇ、本当に戦える? 二人だけなら見逃してあげるわよ」
「フィアッカさんを助けに来たんだ! 帰らないよ!」
「ちょっと! あなたは声が大き過ぎる。いい? 他の人まで来たら困るんでしょう?」
「困るよ。だから早く連れて帰るんだ」
「だから……そうはさせないって言ってるんだけど」
ゼフィーは改めて相手を見据え、考える。
ミレディとそう呼ばれているこの人は、どうやら恩人でもあるフリットの知り合いのようだ。それは先の会話から想像できる。
昔から戦場に身をおくような人だったのだろうか。音のない軽やかな身のこなしがそんな想像を掻き立てた。
「フリットの敵は討つよ! 命は取らない」
「威勢のいいこと。ふふっ、ボコボコにしてあげる」
ゼフィーは剣を仕舞うと、猛る拳を押さえ付けるかのように握り、構えを取る。決まった型はない。ただ本能に従い任せるだけだ。力任せに叩き付けるのだ。
ところが、相手は一向に動く気配を見せない。武器を持たなければ、構えるような様子もない。あまり自分から仕掛ける人ではないということだろうか。だからこそ、挑発するように誘っていたのかもしれない。
そこで、ゼフィーは一つ試してみることにする。
「来なよ。このままずっと待っててもいいけどさ」
「……あなた、本当に急いでいるの? 戦う気ある?」
「ある!」
「……いいわ。では、私からいけばいいのね?」
「うん。掛かってきてよ」
一度考えるような素振りを見せるミレディだったが、気持ちを切り替えるように髪をかきあげる。拍子は抜けており、どこかやりにくそうだ。しかし、ほどなくして動きを見せる。
ゼフィーからは少し姿が揺らいだように見えただけであったが、驚くことに次の瞬間には彼女がすぐ目の前に現れていた。
「はっやっ……!」
声を出した直後に、突き抜けるような衝撃が体を通り過ぎていく。掌なのか肘なのか、何が当たったかは一瞬ではわからなかった。それでも、これか! と妙に合点がいく。これにフリットは飛ばされたんだと。
咄嗟に体をずらして衝撃を逃がすと、そのまま数歩ステップを踏み後ろへ跳んだ。
「あら、おかしいわね。手加減したつもりはないんだけど」
「今は倒れないんだ」
「強がっている、という感じでもなさそうね。そのタフさ……どこからきているのかしら」
「さぁね。でも、今は倒れる気がしないんだ」
「では、何度蹴れば倒れるのかしら」
「黙って蹴られるつもりはないよ!」
涼しげなミレディにゼフィーが息巻く。
直後、再びミレディが迫り、右足、腰、左腕と順に衝撃を感じ、遅れて少しの痛みが滲むように浮き出てくる。足技を中心としてのコンビネーションが、鞭のように彼女の身を打ち抜いていく。
速いなぁ、と改めて実感する。
痛い。それでも、今ならまだ……まだ倒れることはないだろう。むしろ、問題は動きを捉えることができるかどうかにある。今のところ自分でも全く追い付けていないことは明白だったからだ。
ミレディは動き始めてから最高速に達するまでがとてつもなく早い。ゼフィーの感覚としては、気が付けば急に目の前に現れているかのようなのである。
とりあえずは目が慣れてくるまでは、耐えて耐えての持久戦になるだろうと腹を括り、あわよくば相手に疲労が出るまで耐え切ろうという覚悟を密かに決めた。
「ふっふっふ。何事かと思えばフリット君じゃないか」
「あら、グラディール。来てしまったのね」
ところが、突然の乱入者によりミレディの動きが止まると、新たなその人物へと視線が動く。釣られるようにゼフィーも目で追い掛けた。
「不満かい? 何やら大きな声や音が聞こえたような気がしてね。様子を見に来たのだよ」
「そう。……他に聞いていそうな者は?」
「どうだろうか、近くにいた者に聞こえているのは間違いあるまいよ」
「ありがとう。……任務の方は?」
「完璧だよ。今頃は眠っていることだろう」
「了解。グラディール、この場は任せるわ」
それだけ告げると、ミレディは消えるように姿を消してしまう。もう彼女がゼフィーを見ることはなかった。
「……任せるって? ……ん?」
取り残されたグラディールの問いが虚しくその場に響く。もちろん、その問いに答えは返ってこない。
「眠ってるって、フィアッカさんのことですか?」
少しの間を置き、今度はゼフィーが少し控え目に声を掛けた。
知りたいという気持ちはもちろんのこと、驚くほど場に馴染んでいない彼を気の毒に思ったというのもある。
「んん? フィアッカさん?」
「ほら、捕虜になっていたっていう」
グラディールは少し目をぱくちりとさせていたが大きく頷く。
「ああ! 彼ね。いなくなったと聞いたときは信じられなかったよ」
「ねぇ、彼の所まで案内してほしいんですけど」
「駄目だよ。案内してあげたいけどね。僕も仕事なんだよ」
「そっか……」
落ち込むゼフィーにグラディールは申し訳なさそうな顔をし、首を横に振る。
「ところで、君達はこんな所で何をしているんだい?」
「フィアッカさんを助けに来たんですけど」
「なんと!」
少し大袈裟と思えるような素振りをしながらも、やはり襲ってくる感じはない。一応の話は聞いてくれるようだ。
「なんとかなりませんか?」
少しばかり潤みを帯びた瞳に心底困ったように目を逸らすグラディールであったが、ふと、その視線が何かを見つける。
「娘さんの頼みは聞いてあげたいところなのだが……それよりも、そこのフリット君はどうしてここに?」
グラディールは思い出したようにフリットを顎で指すと、今度はぐいとゼフィーへ近寄った。
「あなたもフリットの知り合いなんですか?」
「ミレディからは何も聞いていないのかな」
「はい、昔の知り合いっていう感じの話はしていましたよ」
ゼフィーはちらちらとフリットに目をやりながら返事をする。フリットはグラディールには目を向けることもなく、相変わらず力なく座っていた。
「そうだね。詳しいことはまたフリット君にでも聞いてくれるといいぞ」
「そうなんですか。でもちょっと今、彼は準備中なんです」
「わかる。わかるよ。彼らしい。いや、彼女らしいよ」
「彼女? 彼には助けてもらったんです」
「うーん! それも彼らしい。久しく見かけなかったが、変わりないようで安心したよ」
「仲、良かったんですか?」
どこか楽しそうに話をするグラディールは、昔のことを思い出しているのだろうか。時折フリットの様子を気にしているが、当の本人は依然として下を向き、反応する様子はない。
「良くはなかっただろうね。ただ、好敵手と呼ばれていたよ。無論、俺のほうが強くあるが」
「へぇ……じゃあ強いんですね」
「そんなことはないさ。ミレディやキュロロ、それに……いや、ともかく、俺なんかまだまだなものだよ」
「ふぅ……ん?」
頷きながらゼフィーはふと違和感に耳を澄ませる。
……カツーン…………カツーン、と深淵の地下、つまりは階段の下のほうから異質な気配を感じた気がした。これは足音だろうか。
聞こえるその足取りは妙に重く不規則で、まるで地の底を這う魔物が今まさにここへ上がって来ようとしているかようだ。
「良くないな、これは騒ぎ過ぎたようだ」
眉をひそめたグラディールが、ゼフィーへそっと耳打ちする。心なしかその表情は硬い。
「不気味な音……何が起こっているの?」
突然の胸騒ぎにゼフィーは胸に手を当てる。……カツーン…………カツーンと、徐々に大きくなる音は、まさに迫るタイムリミットのように彼女の心を掻き立て、そして、乱す。
不安に襲われ、ゼフィーはたまらず叫んだ。
「フリット! 一旦逃げようよ!」
「……ああ」
力のない声でフリットが応じる。その様子にグラディールが溜め息をつく。
「仕方がない。手を貸す……うっ!」
しかし、不意に言葉が詰まり、その動きが一瞬止まる。彼の視線はゼフィーの後ろへと注がれていた。
……カツーン。
驚き振り向こうとするゼフィーの肩にぽんと何かが添えられる。
驚くほどに冷えきった感触は、その瞬間に彼女のすべてを停止させてしまう。みるみる鼓動が速くなり、もはや体は動くことはかなわない。あろうことか、体の使い方が頭からすっと消えてしまったのだ。
「痛いよ。不思議だ……痛いんだ……フフ……フフフ……」
ドキン! と心臓だけが一際強く痛む。
今や意識全てがその鼓動に占領され、体はもはや彼女のすべてを振り切ってまで暴走しているかのように加速し、そして、膨らんでいく。
「痛いよ。騒しくて。痛いよ。静かなのにさ。助けてよ」
蚊の鳴くように発せられた声は彼女自身でも聞き取ることが困難な位に弱々しい。
「…………てやる」
そんな時、突然何かが横切ると、肩に置かれていたものがぱっと離れる。
「……えっ?」
確かめるように振り返ると、地下への階段を落ちるように転がっていく二つの影が小さく見える。瞳にはまだ微かに残像が残っていたが、手を引かれた際に瞬きをしてしまうと、それもすぐに消えてしまった。
再び深淵に目を向けるが、そこにはもう何もない。既に闇へ溶けてしまったようだ。
「今は逃げるぞ!」
その後、ゼフィーはグラディールに連れられ、わけもわからず駆け出していた。
──さっきのアレは何だったんだろう。
二人は暫く走り続けた。
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