二十三. 渦
狭い通路を這うように少しずつ前へと進んでいく。時折引っ掛かるように擦れる足は、それが上手く動いていないことを証明しているかのようで苦々しい。そんなことはいちいち正されなくてもわかっているからだ。
くぐもったように響く音を聞く度に、否が応でも気力の鎧が剥がれるように削がれていくのを感じてしまう。それが何よりも憂鬱だった。
その後、なんとか多少の空間を見つけ、一休みのついでに足の様子も確認しておくことにする。というのも、怪我の感覚は見事にないが、それとは別にもう一つ気になったことがあったからだ。そう、予想に反して特段汚れているような感じでもないらしいのである。
こんな場所を通るからには当然埃にまみれる覚悟もしていたが、この様子では案外普段からも誰かが使っているのかもしれない。
「……ふぅ」
先ほどから少し進む毎に休憩への間隔が短くなってしまっている。体感だが、実際そうだろう。
既に体は怠くて重く、節々からは次々と痛みが訴え掛けてきている。ついには体の傷が熱を持ってしまったのかもしれない。
もたれるように背を預けると、鈍った頭で考えてみた。
──任務は失敗だ。戦況は左右されるだろうか。
それだけならまだいい。しかし、よもや救出などと馬鹿なことを敢行されては敵わない。
ふと、こういう場合はどこまで自分の責任になるんだろうということが気掛かりとなった。
自分はただ言われた通りにきただけで、自分の意思でやりたかったわけではない。当然、救出なども望んでいない。大抵のことは自力でなんとか出来るし、仮に来て失敗されると迷惑だからだ。
余計に自責の念が強くなりいたたまれなくなってしまう。
──しかし。
引き受けたという部分も否めない。というか諦めて自ら引き受けてしまった気もする。痛い目を見たからといって、指名した方にも問題と責任があると主張するのは幼すぎるだろうか。
「参った。どうやら逃げだす元気も尽きたらしい」
誰に言うでもなく、最後に一言呟くと、そのまま深い眠りへと身を投げた。
──……あぁ、忘れていた。あの子は無事に逃げ切れただろうか。あの小さな……小さな、勇者は。
無事なら、もうそれで何でも良いと思った。無事、であるならば。
◇
地下からは時折不気味な音が響いており、明らかに異質な空気を周囲へとはなっている。もっとも、ほとんど自分達の足音以外は何もない状態が続いていた為に、音そのものに“人がいる、存在する”といった、そんな証拠へとなってしまい兼ねなかったのである。
──この場所は現実から切り離されている。
そんな気配に、ゼフィーは捕らわれの人がそこにいると確信するのだった。
「フリット、あなたはこんな所で何をしているのかしら」
「近寄るな。まずははっきりさせてからにしたい」
なんとなく察しは付いている。どうやらこの城は隠し通路が多い構造になっているからだ。そして、その通路を自由に使っている者となれば……。この砦を縄張りとする者以外にあり得ない。
「……そう。その態度……あなたはグィネブルに雇われたのね」
「……お前はマーキュリアス……いや、このグランバリーってところか」
フリットの射るような視線を意に介さず、ミレディは真っ直ぐに視線を合わせる。
「そうね。どちらでも……よかったのだけれど」
「どうして俺達に気付いた?」
「いえ? 偶然よ。だけどそっちの子、彼女は目立ち過ぎるわ」
「そうだな。でもな、俺はグィネブルに雇われているわけではないんだ。“あいつ”に協力している」
「“傭兵”ではない、と。そういうことかしら?」
ミレディが強調するように問い掛け、念を押す。二人は一触即発の状態になりつつあった。
「……前も言ったが、今はやっていない」
「……であれば、ここにいる理由は?」
一呼吸置くようにフリットは横目でゼフィーを見る。耐えるように大人しくしてはいるものの、既に導火線に火が付いているのは明らかだった。
「説明は出来ない。見逃してくれるなら話は別だが」
「ねぇ、あなた達。今の状況がわかっていないのかしら? 私は単に質問をしているわけではないの」
表情こそ柔らかくみせているが、自分が優位であることを譲るつもりはない、そういった類いの威圧感にゼフィーは憤りを感じる。
「……助けに来たんだ」
彼女はついに口を開く。喉から、いや、腹の底から声が溢れだしたからだ。
ゼフィーの瞳は臆することなくミレディへと向かい意志を告げる。そう、絶対に助け出す、彼女はそう心に誓ったのだ。
「あなたが教えてくれるのかしら?」
ミレディはゼフィーへと視線を向けると首を傾け笑みを浮かべている。
「この先に牢屋があるはずだよね。そこに先輩が捕らわれているはずなんだ」
「はずはずって言うけれど、全て推測。それでは駄目よ。説得するには言葉に責任がいるの」
一蹴するミレディにゼフィーは歯を食いしばる。
「そうかもしれない。……でも必ず助けるんだ!」
「ああ、必ず取り戻す」
そんなゼフィーの背中を支えるように、フリットが力強く手を肩に添えた。
「……相変わらずね、フリット。ルルザスが、今のあなたを見たらどう思うのでしょうね」
「さぁな。生きていればそのうちわかる」
その言葉を最後にゼフィーはミレディを敵だと認識した。背中から剣を引き抜くと戦闘の構えを取るべく彼女へ向き直り、目を凝らすように動きを追った。
「よせ、無茶をするな。今戦っても圧倒的に不利だ」
しかし、フリットが素早く左手でそれを制止し、間に割って入る。
そんな様子にミレディは大袈裟にため息をつき首を振った。
「あなた、ゼフィーと言ったわね。いい? あなたの先輩はすでに逃走したわ」
「え! フィアッカさんが?」
「ええ。……名前は知らないけれど」
「そう……なんだ?」
ゼフィーは段々と固まっていくと、やがてぎこちなくフリットの方へと助けを求めて目を泳がせる。
「どうしよう……? 一人で逃げちゃったみたい……」
「どうしようって……逃げたんならそれでいいんじゃないのか?」
「そ、そうだね!」
そんな二人のやり取りをミレディはじっと眺めていた。そして、落ち着いたのを見計らい再び口を開いた。
「おそらくまだこの中のどこかに潜んでいるわ。……まだ生きているなら、ね」
「どういう事?」
「さぁ? 聞いた話は、重症を負っている捕虜が逃亡したという事だけよ」
どこか可笑しそうに話すミレディに、ゼフィーは再び嫌悪感を露にする。
「何が可笑しいの!」
「ふふ、よくそんなにコロコロと表情が変わるものね。羨ましい、とさえ、そう思うわ」
「え……?」
「それにね、私が引き受けた依頼は、その逃亡者を捕まえることよ。どう? これで少しは理解が出来たかしら?」
固まったゼフィーにくすっと笑いかけるかのように、ミレディは言葉を投げつけていく。その目はまるでゼフィーを試しているかの如く、深く彼女の瞳の奥を覗き見ているかのようだ。
「……っさせない!」
その目にはじわりと涙が浮かび、怒りか焦りか、もしくはその両方かにより、剣を持つ手は小刻みに震えて揺れている。
「ミレディー!」
耐えかねたフリットが先に飛び出した。
手にした短剣を低く構えると一歩で踏み出し、続く二歩目で一気に加速すると、目標目掛けて獣のように飛び掛かっていく。
簡単な事なのだ。彼女をここから出さなければいいだけなのだ。それに、旧知の仲だと手心を加える必要もないのである。今は立場だって違うのだから。
「ぐっう!」
ところが、突き抜けるような衝撃がフリットを襲う。体を通りすぎたそれが遅れて痛みを連れ戻ってくる。
フリットは遠退く意識を瞬時に手繰り寄せ、耐えるように目を見開いた。
──体はどこだ?
すべてが切り離されたようにスローモーションとなり、自分がどんな体勢でいるのかすらわからなかった。
その瞳にはただ他人事のように、外から内側へと弧を描くような綺麗な軌道で近づいてくるものだけが映っていた。
「フリット!」
名を呼ばれた途端に意識的がはっきりと戻ってくるが、次の瞬間にはすべてが真っ暗になり、今度は体の力が抜けるように膝は床の感触を覚えていた。
──裏……回し蹴り?
側頭部にもらったのだろうか。体は、頭はどうなっているのだろうか。
「可哀想……ね」
投げ捨てられたその言葉に一気に現実へと引き戻される。奇妙な感覚だった。まるで、二つの世界を行き来しているかのようにも感じたからだ。
「あなたはいつだって誰よりも真面目に訓練をしているわ」
ゼフィーは助けることが出来ず、ただただ次の言葉を待つように立ち尽くす。
「困っている人を見掛ければ、放っておけずに面倒だって見ているわ」
ゼフィーは、はっと前方を見つめる。その背中が今にも崩れ落ちそうに揺れているのがわかったからだ。……わかってしまったのだ。
「あなたは人の気持ちを汲み取り過ぎるとても優しい人よ、……でもね」
ミレディは一度言葉を止めると、静かに歩み寄り彼を見下ろした。
「その性格故に、あなたは決して一番になれない」
フリットは静かに震えていた。
「才能もある。人事も尽くしている」
もはやミレディのみがその場を動くことを許されているかのようだった。
「一番になりたい欲求、相手や周囲に対する配慮、結果が出ない焦燥、仲間への信頼、劣等感そして葛藤」
静かな廊下に淡々とした声が静かに響いては一つ一つ消えていく。
「変わらないわね、フリット。あなたは戦場にでてきては駄目よ。傷付くだけだから」
優しく、諭すようにミレディの手がフリットの頭に触れる。そして、そのまま包み込むようにそっと撫でた。
「立ち上がるんだ!」
そんな中、突如発せられた声が場の空気を切り裂いて轟く。反響するそれは、暗雲を振り払い一掃するかのように凛としていた。
その場の誰もがハッとして彼女を見る。
「あなた……大きな声を出すなんて正気?」
呆れるミレディを一瞥し、ゼフィーは一歩を踏み出すと震えるフリットへ近寄り、支えるように肩を抱いた。
ミレディは反射的に二、三歩後退し、フリットから一旦距離を取る。
「君ならきっと大丈夫だよ。今までもそうやってきたんでしょ? 心配いらないさ。だって君は強いんだもの」
そして、そっとそこから離れるとしっかりした足取りで二、三歩進み、今度はミレディへと向き直る。
「ありがとね。でも、今は私が代わるよ! だからね、少し休んでていいから」
その背に向かい、フリットは力なく手を伸ばす。
「だ、駄目だ、無茶はよせ。怪我では済まない」
ゼフィーは振り向くと、にっこりと微笑んだ。
「構わない」
──だって自分は一人ではないのだから。
右手の剣を握り締め、左手を軽く添える。今飛び出せば、背には翼だって生えるかもしれない。
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