二十五. 月光

 ──夢でも見ているのだろうか。


 まずそんなことが頭を過る。続けて、それを確かめてみるつもりで目を凝らすが、やはりその光景は変わらない。……現実、なのだろう。

 加えて頬もつねってみるが、それでもやはり、変わることはなさそうだ。


 ──やっぱりナツノなの?


 月光により照らされたその姿は、まるで見たこともない形をしている。少なくとも、彼女の知る“彼”ではなかった。

 今や見慣れた姿勢だけは悲しいほどに似通っている。


 幾度となく、繰り返し問い掛けようと口は動くが、乾燥した喉はうまく言葉を紡がない。

 そんな掠れた声を風が拐っていったかと思うと同時に、彼がそっと振り向いた。


「僕だよ。驚いたかな?」


 察したのだろうか。静かに発せられたその言葉は、まさにエステルの疑問に対する答えでもあった。

 固まる彼女に気が付いたのか、それは直ぐに再び前へと向き直る。


 ──こんなに違うのに……。


 まるで何事もないかような、そんな普段通りの口調を聞くと、胸が張り裂けるようにずきりと痛んだ。


 ──予言、伝承、月が満ちる夜に現れるという怪獣、お伽噺、キュライナ、ルルザス、出ていった父、雨、伝承の生き物、龍と鬼、獅子、魔法使い、リコルト、そして──ナツノ。


 エステルは、膝から崩れ落ちた。


 ◇


 その生物……ナツノは庇うようにエステルの前に立つ。

 驚いたことに、彼の姿は彼女が見たこともない獣のような姿をしていた。


「これは、獣がベースになっているな。さしずめ狼男といったところか。初めて見たよ、そんなに忠実なやつは。その精霊でも付いているのか」


 メアリードが確認をするかのように言葉を発し、ナツノが応える。


「長い年月が掛かったけど、僕の心が描いたものは龍じゃない。……ただの痩せた狼だったんだ」

「心……?」

「苦労したよ。なかなか同調出来ないし……それでいて、鬼や龍にも到底敵わないとも思う」


 人狼が──ナツノが胸に手を当てた。

 細身とはいえ、幾分か体が大きくなったようにも見える。


「でも、今は僕一人というわけでもないんだ。やれるだけやってみせるよ」

「そうか。苦労したとみえるが、その感覚はわからない。何故なら、鬼は生まれた時からそこにいるものだから。私たちは生まれたときから鬼だった」


 メアリードはエステルへと視線を投げる。


「エステル、と言ったかな。離れておくといい。巻き込まれたくはないだろう?」


 エステルは黙って一度頷くと、逃げるようにその場から離れていく。

 伝説の存在、その一つである鬼に睨まれたようで怖い、いや、恐ろしかったのだ。……しかし、本当はそうでないのかもしれない。

 彼女はただ、ナツノが怖くて、とても怖くてたまらなかったのだ。


 いつも通りでいて、そうでない。

 目を閉じていれば、その異変にも気が付かないほどの彼が、どうしようもなく怖かった。


「少しは信じてもらえたのかな? 龍にもなれないって」

「どうかな。だが、噂では聞いたことがあるぞ。できもしない変身ばかりしている変わり者がいると。……お前のことか?」

「はは……、それはまた酷い言われようだね」


 メアリードが口角を上げ、反対にナツノのそれは下がる。侮蔑されたのではなく、単にからかわれたのだろう。

 しかし、それもまた事実であるので、彼は苦笑せざるを得ない。


「気持ちはわからなくもないが、大事にしろよ、家を。そして、その魔法をだ」

「わかっているよ。そんなことより、どうして攻撃を止めたのかな?」


 苦手な話となりそうな気配を感じ、ナツノは慌てて話題を逸らした。


「やはり怪我をさせるのは不本意だった」

「よく言うよ。あれだけやっておいて」


 まるで冗談には思えない台詞に、ナツノは再び苦笑いで返事をする。

 先もそうであったが、メアリードの気性は彼には計り知れない。否、瞬間的に爆発するので、案外エルマ以外にはわからないものなのかもしれない。


「正直、冷静でなかったことは認めている。しかし、それほどまでに放っておけない存在であるのは確かなのだ」

「龍……って言ってたよね。でも、僕はトウカのことはほとんど知らないんだ。師は同じだけど、ほとんど活動してる所を見ていないからね。本音を言えば、僕だって驚いてる」


 “龍”という言葉にナツノは目を細くする。

 思い返せばあの時、ハンザー・リコルトの名を出したのは、彼女がリコルトの家の者だったからか。だとすれば、それを知るクレハは……。


「この世界で龍を感じた。トウカ、あいつだけでなくだ。この世界にはおそらく龍がいる。そして、この世界では誰が龍でもおかしくはない」

「この世界はヒシガル様が関係しているからね。僕も──トウカも、誰も知らない秘密はありそうだ」


 メアリードの言葉にナツノは思考を中断され、また、ナツノ言葉にメアリードが声を荒げた。

 反射的にナツノは身構える。


「なに、ヒシガル様が関係しているだと? とすれば普通の惑星ではないというのか」

「……何も知らないで来ていたのか。僕達も僕達以外の魔法使いが来るとは聞いていなかったしね」


 ナツノもこれ以上は何も知らないと両手を上げ、そこで一旦話を区切ることにした。

 聞きたいことはまだまだあったが、変に刺激をするのではないかとの懸念もあったからだ。


「もういいかな? 流石に戦う必要はもうなさそうだろ?」


 メアリードのほうもしばらく動きは止めていたものの、やがて頷くようにその構えを解き両手を上げた。


「龍の惑星……か。ヒシガル様の考えはわからないが、私は龍に用がある。好都合だ」


 考えるように呟くと今度は魔法を解き、ゆっくりと魔法樹の近くまで歩き始める。その間も何やら独り言を発しているのが聞えていた。

 彼女達は一体どの程度の知識を持って動いているのだろうか、などと考えていた時、ふと、その一つに見知った誰かの名前が聞こえた気がするも、割り込むことは止めておく。


「トウカとは揉めないで欲しいけど、難しそうな気がするな。かといって、僕が止められるとは思えないし」


 その代わりに、せめてもの牽制……にはならないだろうが、願望を伝えておくことにする。彼女とはまだまだ協力して為さねばならぬことがあるのだ。

 ナツノと違い、トウカはメアリードの戦いには応じるスタンスでいる気がしてならなかった。


 ナツノも元の姿に戻ると、何度か頭を掻いてみせる。そして、追い掛けるように魔法樹へと歩みを進めた。


「ああ……リコルトだったなら、特にな」

「ん、どうして?」

「予感だよ。龍と鬼、どこかの国みたいだろ?」


 はぐらかされてしまったような気がしたが、それ以上は聞いたところで答えはきっと返ってこないのだろう。


 適当な場所に腰を降ろすと、二人の間に少しの静寂が流れる。


「──エルマは? 着いたときに叫んでいたけど」


 ナツノの問いに、メアリードは顔をしかめた。


「わからない。転移が遅すぎることを考えると、不慮の事態に陥っているかもしれない」

「不慮? 一緒だったんだよね?」

「ああ、結果としては戦闘に巻き込んでしまったが……」


 メアリードはそれきり言葉を詰まらせる。


「そういえば、戦闘中に転移させられたって?」

「私も熱くなっていた。退くことが出来ない私を庇い転移を発動させたようだが……てっきり本人も後から来るものだと思っていたが、途切れてしまった」


 思い出すように目を閉じて、こめかみの辺りをトントンと叩く。

 転移とは、どういう魔法になるのだろうか。


「最初に出会った時も転移をしてきたと思うけど、再発動までに多少時間が?」


 ナツノが確認をするように問うと、メアリードは頷く。


「ああ、エルは慎重だからな。いつも同時には飛ばなさないな」

「ということは、しばらくトウカと戦ったとみるほうがいいよね」

「エル……」


 心配なのだろう。真剣な眼差しで、彼女はここではない何処かを見つめていた。


「間に合うかわからないけど、助けにいってみる? 僕もトウカに会いたいんだ」


 メアリードは静かに首を振る。


「いや、一人でいい。そのほうが気楽だ。それに、今度はお前のことを伝えておく」

「そうだね。実は僕も今はあまりここを離れたくないんだ。ただ、場所だけは教えてもらいたいんだけど」


 初めて得たトウカの情報は、是が非でも手に入れておきたいとナツノは思った。


「ラザニー、そう呼ばれる街だ。国境際の砦、グランバリーからマーキュリアス領へ入ることが出来ればすぐにたどり着けるはずだ」

「グランバリー、聞いたことないな。エステル、わかるかな?」


 何気なく声を掛けたが、聞こえなかったのだろうか。


「ん、エステル?」


 振り返って姿を探すが、その姿は見えなかった。少なくとも付近にはいないようだ。


「気付いていた?」


 不思議に思いつつもメアリードに聞いてみる。


「いや。離れておけとは言ったものの、それからは特に気にしていなかった」

「キャンプのほうにまで戻ったのかな。正直考えにくいけど」


 ここにいない以上、思い当たる場所はそこしかないが、直ぐに見つかるだろう。


「怖い思いをさせたことはすまなかったな」

「直ぐに襲ってくるのは勘弁して欲しいな。二回目だし」


 少し大人しくなったメアリードに、ナツノは少しだけ意地悪に笑い掛けた。


「ああ、気を付けるよ。しかし、お前もあいつに会えたら注意しておくんだ。急に暴れるんじゃないってな」


 ナツノは少し驚いてから、その後再びメアリードに微笑んだ。

 既に真夜中になっているであろうというのに、とても明るい空だった。


「うん。言い聞かせるよ」


 最後に珍しく口元を綻ばせると、メアリードは直ぐに何処かへ向かっていった。

 その姿を見送ると、ナツノはしばらくその場に倒れこむ。彼女はその足でラザニーという街まで戻るのだろうか。


 ──フリットが戻ってきたら向かうことにしよう。


 ナツノがエステルを探すために再び歩き始めたのは、それからもう少し時間が経ってからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る