十五. 伝承

 ──夢ならば、早く覚めればいい。


 彼は、オーディナルは一日の終わりに、必ず一度はそう思うことにしている。


 龍と鬼、今ではもうどちらも伝説上の生き物とされているが……実はそうではない。

 いつからそうなったのか、もしくは、誰かが意図的にそうさせたのか。いずれにせよ、歴史の表側に残ることが出来なかったという事実に変わりはない。


 いくら神格化されようが、伝承となりこの地に語り継がれようが、所詮は“何か”に敵わなかった種族であり、それが、龍と鬼の正体でもある。そう、求められながらも実在してはいけない、そんな歪な生き物なのだ。


 瞼を閉じると、龍、そして、鬼の軍勢がひしめき合ってこちらを見ているような光景が浮かんでくる。夢の様な、否、悪夢の様な、その光景は一度経験すると脳裏に焼き付いて離れることは、なかなかない。


 ──知ったとて。


「またですか、また今夜も眠れそうにないですね」


 馴れたものだが、一度どこかへ行ってしまった眠気は当分帰って来そうにはないようだ。無論、帰って来た試しもない。

 そのまま潔く起き上がると、ふらりと部屋の外へ足を向けてみる。当てなどないが、じっとしているよりは幾分か気も紛れるだろう。


 月光に照らされた樹木の影達は少々不気味な雰囲気を醸しており、まるで地下から這い出た禍の様に奇抜に揺れながらこちらを見てくる。それはまるで変幻自在の怪物のようにも見えた。


 ──これは、鏡だ。


 オーディナルは目を閉じ、月光を浴びる。願わくば、その光がこの恐怖を溶かしてくれるように。


 しかし、すぐに目を開く。

 もし仮にあれを夢だというのなら、夢と現実との境界はとても曖昧なものになる。そもそも今この瞬間ですら、まだ夢であるかもしれないのだから。


 ──そうなれば、私はまた。


「あら、まだお休みではなかったのですね」

「ええ、実は少し恥ずかしい話ですが、どうやら私はこの歳になっても……夜が苦手のようです」


 予想だにしない声に密かに驚いていた。それでも、取り乱すことはせずにゆっくりと返事をする。それとも、こんな夜は少しくらい本音をさらけ出してもいいのだろうか。


「よく言いますわ。貴方に弱点なんてあったかしら」

「……気取られまいと必死にしております」


 王女が愉しげに笑い、釣られるようにオーディナルの表情にも微かな笑みが浮かぶ。


「ねぇ、少しお稽古に付き合ってくださる?」


 どうやら初めからそのつもりで来たということなのだろう。何故なら、その身に纏っているものは動きやすいように配慮された飾り気の少ない衣装だったからだ。


「仕方ありませんね。……少し厳しくなるかもしれませんが?」

「構いませんわ」


 今日もきっと長い夜なのだろう。今ここで疲れてしまえばきっと少しは楽になれる。


 ──ユゲン。貴方は何故一人で去ったのですか。


 もし夢の中でも夢を見るとすれば、その中での現実とはどこを指すのだろうか。


 ◇


 ラザニーの街は集結しつつある兵士達により、異様な雰囲気で包まれていた。

 というのも、緊張感はあまり感じられないが、たった一人の娘を捕らえる為に一つの軍団が街に集まっているという事態が皆を困惑させているのである。


「皆さん、ゆめゆめ油断をせぬようお願いしますよ。何をしてくるかなど、予想もつきませんからねぇ」


 眼帯の男は瞬く間に包囲網を完成させ、着々と戦闘に向けて動き始めている。油断など微塵も感じられない。


「同行すれば、争いは避けられるのかしら?」


 トウカはため息をついた。


「ほう、抵抗するつもりはない、と?」

「どうしようかしら」

「話になりませんな。だが、やはり貴女は危険である。今後の憂いを断つ為にもここで潰させてもらうとしましょうかな」


 ラウンデルは剣を構えて号令を発する。


「掛かりなさい! その娘は危険人物につき、警戒を怠ってはいけませんよ」


 その声に呼応するように、兵士達が一気に押し寄せ、ラザニーの熱気が一際強くなる。見物人の拳にも知らずのうちに力が入り、中には汗を拭う者もいた。

 皆が息を飲む中、トウカは冷めた表情のまま呟いた。


「……きっとバルビルナの傭兵さんほど、私は優しくはないわ」


 彼女は改めて、向かってくる者達に目を向けた。つまらなさそうに。


 ◇


 それは少し前に遡る。まだ、この世界に移転してくる前の……ほんの幼き日のことだ。


 彼女は“ある魔法”に秀でた魔法使いの家の長女として生まれた。それも、祖父は伝説にその名を刻んでおり、英雄とまで呼ばれた人物でもある。

 また、年の近い兄もその才能を受け継いでいるようで、瞬く間に様々な魔法を習得しては周囲を驚かせていた。


 そんな時、彼女達の体に宿る魔力の秘密を研究し、我が物にしようという者が現れる。


 彼女が薬草を採りに山に出掛けた時だった。ずっとこのタイミングを狙われていたのだろう。気がつけば大勢の大人に囲まれてしまっており、どうすることも出来なかった。


 突然の出来事に幼き彼女は怖くて恐ろしくて、ただただ泣いていた。戦う力は持っていない。しかし、抵抗しなければ連れていかれてしまう。

 分かっていたが、まるで体が動かなかった。


 ──もうダメなのかしら……


 諦めが頭をよぎった時、上空より一匹の黒竜が舞い降りた。それは怒りなのか、発する呼吸が暴風となり、荒々しく周囲へと拡散していく。

 そして、まるで庇うかのように自分の前に立ち塞がると、たった一度だけ大きく、深く吠えたのだ。


「出たぞ! これはリードだ!」

「これが……リコルトの……! 龍の……加護なのか……」

「作戦は中止だ……こんなものが存在するとは……」


 一瞬にしてその場を絶望が支配する。抗おうとする者は誰一人としていなかった。

 ほどなくして周囲に人がいなくなると、先程までの喧騒は嘘のように静けさだけが取り残される。助かった、とわかったときのしびれるほどの安堵感は一生忘れることが出来ないだろう。


 しばらくして落ち着いてから初めて、ようやく助けられたのだということに気が付いた。そして、何も言わないその後ろ姿を見たときに、彼女は悟った。


 ──“竜”とは特別なのだと。


 ◇


 マーキュリアス兵が迫りくる中、トウカはその様子をどこか他人事のような気持ちで見つめていた。

 ああ、やっぱり。この世界でも私は狙われるのか、という諦めにも似た感情が胸中で渦巻いている。


 目を閉じると彼女は心に呼び掛けた。

 いつしか想いは形を作り、それは彼女に呼応するかのように成長を重ね、今では彼女の一部となっている。彼女を住処とする、もう一人の自分と呼べる存在だった。


 彼女はその姿を自身に同調させると両腕に魔力を集中させていく。すると、瞬く間に彼女の両腕は固い鱗に覆われ、尖った指先には鋭い爪が姿を現し、細い体に不釣り合いなほどの迫力を醸し出し始める。

 誰かがゴクリと唾を飲んだ。


 一瞬たじろぎ動きを止める者もいたが、多数はその姿をみても尚、トウカへと襲い掛かる。

 迫りくる者達を見据えると、トウカは鱗に覆われた腕を横一文字に振り抜いた。踏み込みもせず、ただ、乱暴に振るったのである。


 ──キィィィン!


 振り下ろされる剣はその動作だけで一気に払っていく。その腕に触れた刃は無惨にも砕け散ることとなり、それぞれの欠片がくるりくるりと回転しては上空を舞うようにして飛んでいった。


 その破片が地に落ちる頃には辺りはすっかり静まっており、先程のまでの勢いは完全に失われていた。そうなると、今度は沈黙が場を支配する。


「次はあなたかしら?」


 尖った指先の感覚を確かめるようそれぞれを器用に動かしながら、トウカはラウンデルへと視線を移した。


「その力……古の秘術のようなものですな。全く、このマーキュリアスの地でそんな力を見せられるとは。しかし、これが現であるならば、鬼が目覚める日も近いのかもしれませんな」


 ただ一人、ラウンデルだけは戦う姿勢を崩そうとはせず、ぽつりぽつりと何かをぼやく。


「異質な力をお持ちのようですが、実は我が国にもそれに近い力を使える者もおりましてな」


 そのままトウカに視線を向けると、目を細めて威嚇する。


「古の、そう伝承の時代に遡る者が稀にいるわけですな。貴女もそうですな?」

「伝承? そうとも言えるわね」

「しかし、貴女は我らの祖先とは少し違うようにも見える」


 少しずつラウンデルが距離を詰めるように近付いていく。ゆっくりと、大胆に。


「ここ、マーキュリアスには鬼が眠っていると云われているのはご存知ですな?」

「そう……鬼、なのね」


 ラウンデルは大きく頷く。大袈裟な態度が芝居掛かって見えた。わざとだろうか。


「かつて、この地は鬼や龍と呼ばれている生物を主として繁栄を繰り返していたようです。これはまず誰でも知ってる話になりますな」


 一歩一歩前進し、真っ直ぐにトウカへ向かう。


「その世界は大変豊かで満ち足りていたようで、争いなどほとんどなかった」


 いつの間にか、皆が話に聞き入っていた。大袈裟な動作は周囲を巻き込む意図があったのかもしれない。


「ところが、ある日を境に大地が半分に分かれる程の争いが勃発した。さて、何があったかわかりますかな?」

「龍と……鬼が争うことになったのかしら」

「そう、この世界を分けたのは神でも自然でもなく、鬼と龍なのです」


 グィネブルでは、神が世界を創造する際に大地を二つに分けた、などと伝わっているようですがねぇ、と付け足して小さく笑う。


 ラウンデルは一度剣を鞘にしまうと両手を広げて天を仰いだ。


「英雄は二人も要らぬということです。国も然り。古より我らが学ぶべきは、その在り方である」


 いつしか周囲に人はおらず、見渡すと兵士達だけが遠巻きにトウカとラウンデルを見守っている。


「困るんですな。貴女方の様な異質な存在は」


 ラウンデルは再び剣を抜いた。

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